約束の向こう側へ③追憶のシドニーから未知なるマリーバへ ~一本の電話が紡いだ、新たな出会い~
前作では1988年10月オーストラリアに到着し、ホストファミリーのBillとJudyと再会し、4年ぶりの約束を果たした。
そして今回は建国200周年を祝うため、ブリスベンで開催されていた万博に向かった。
そしてそこでも新たな出会いがあった。
その相手とは・・・
1988年10月5日、水曜日。
シドニーに戻ってきた翌朝、ヨシヒコは早くからBillたちの家を出た。
朝もやの残る道を抜け、路線バスで向かったのはセントラル駅に隣接するバスターミナル。
これから始まるオーストラリア一周の旅——その最初の目的地は、ブリスベンだった。
窓口で90日間有効のバス周遊券を手に入れ、ブリスベン行きの座席を確保した。
これで旅立ちの準備は整った。
だが、バスの出発は翌日。
「よし、今日一日は……懐かしいシドニーを歩こう」
四年前、この街で生きていた自分の足跡を確かめるように、まずは中心部のダーリングハーストへと向かった。
セントラル駅からバスに揺られ、到着したのは「イースト・シドニー・テクニカル・カレッジ」
(現在は国立美術学校に改組されている)
1841年に建てられた元刑務所の重厚な石造りの校舎で、かつて週に2日、英語を学ぶために前半の半年、通った思い出の場所だ。
静かなキャンパスに足を踏み入れると、懐かしい風とともに当時の情景が色鮮やかに蘇ってきた。
ここで出会った仲間たちと一緒に英語を学んだ。
その中のひとりで、ブリスベンで偶然再会し、ピンチを救ってくれたナオミ。
そしてマレーシアで、奇跡の再会を果たしたケニー。
「あれから、もう四年か……」
時の流れを噛みしめながら、歩いて15分ほどのハイドパークへ向かった。
1810年に開園したオーストラリア最古の公園には学校帰りに何度も立ち寄った。
公園の芝生に腰を下ろし、あつあつのフィッシュアンドチップスを頬張った。
潮風と揚げ物の香りが、どこか愛おしい。
午後、タウンホール駅から電車に乗り込みシドニーの西の郊外にあるラケンバ駅へ向かった。
約30分電車に揺られ、ラケンバ駅からのどかな住宅街を歩くこと5分。
木漏れ日の中に佇む通所の児童養護施設が見えてきた。
かつて週3日、介護補助ボランティアとして約20人の障害を持つ子どもたちと過ごした場所だ。
拙い英語と身振り手振りで無我夢中に遊んだ日々は、言葉以上の「心の通い合い」を教えてくれた。
車いすに乗った二人の男の子の笑顔が浮かんだ。
下半身不随ながら自力でパワフルに車いすを操っていたブライアン。
そして脳性麻痺を抱え電動車いすで無邪気に笑っていたケリー。
当時10歳だった彼らは、いつもヨシヒコの後を追っていた。
あれから4年が過ぎた今、子供たちがにぎやかに遊んでいる庭を眺めながら、思わず呟いた。
「二人は今ごろ、どこで何をしているんだろう……」
この施設は12歳までしか入れなかった。
半年間、中国で過ごしたあと、香港を経由し、四年越しにBillとJudyとの約束を果たした今。
過去の思い出と現在の自分が、シドニーの街角で静かに重なり合っていった。
夕暮れ時、Billたちの家へと戻り、翌朝、旅立ちの時を迎えた。
「三か月後、またシドニーに戻ってくるよ」
「気をつけていくのよ」
温かな二人の眼差しに背中を押され、ヨシヒコは再びバスターミナルへと向かった。
ブリスベンまでは約17時間。
飛行機なら一瞬で飛び越えてしまう距離を、いつものようにバスの揺れに身を任せて北上した。
車窓を流れていく雄大なオーストラリアの大地。
途中、シドニーから650km北にあるクラブスクリーク村を早朝に通過した。
ここでは第2のホストファミリーであるJohnとEvaたちと暮らし、スクールバスに揺られ2ヶ月間だけ高校に通った。
当時の甘酸っぱい思い出が過ぎ去っていった。
立ち寄れない寂しさに後ろ髪を引かれながらも、バスはひたすら走り続けた。
そして、再び訪れたブリスベン。
7日の朝、降り立ったバスターミナルは、四年前、忘れ物をして呆然と立ち尽くしたあの日の姿のままだった。
懐かしさに胸を熱くしながら「Expo 88」のチケットを購入し、昔泊まったユースホステルへチェックインした。
ベッドに腰掛け、フロントで受け取ったExpo88のパンフレットをパラパラとめくっていたその時、小さな広告が目に留まった。
「Churches of Christ — 教会ボランティア募集」
「ボランティア?……」
ワーキングホリデービザもない自分が参加できるだろうか。
1988年はスマホも、メールさえもない時代。
ヨシヒコはそんな疑問を解き明かすため、すぐにユースホステルの公衆電話の受話器を取った。
そして硬貨を投入し、広告に記された電話番号を見ながら、ダイヤルを回した。
ジリリという呼び出し音のあと、繋がった本部の担当者は
「詳しくお話を聞かせてください」
と、快く面談を約束してくれた。
当日の午後三時、約束の時間にブリスベン中心部にある教会本部を訪ねた。
ビザのこと、日本人であることを包み隠さず伝えた。
「派遣先を探してみます。月曜日にまた連絡をください」
と、面談は30分程度で終わったが、担当者は前向きな返事をしてくれた。
翌日からの2日間は、電車でSouth Brisbane–Expo駅に降り立ち、夢にまで見たExpo 88を満喫した。
万博会場は週末のため、すでに多くの人たちの熱気に包まれ、建国200周年を祝う世界各国の巨大なパビリオンが広がっていた。
四年前、日本へ帰国する時、「万博を見てみたい」と願っていた場所に、いま自分は本当に立っている——。
そう思うと感慨深くなった。
そして10日の月曜日、教会本部に再び同じ公衆電話からかけた一本の電話が、旅の運命を劇的に変えた。
「お待たせしました。
ケアンズ郊外のマリーバなら、すぐに受け入れられます。
行けますか?」
「はい、行けます!」
迷いはなかった。
「教会の牧師がケアンズまで迎えに行きますので、
到着予定時間が分かったら連絡ください」
「わかりました!」
ヨシヒコは電話を切ると、すぐにバスターミナルへ向かい、翌日出発のケアンズ行きのバスを予約した。
ブリスベンからケアンズまで、バスで約30時間。
そして教会本部にケアンズの到着予定時間を伝えた。
こうして1日を超える果てしないバス旅が始まった。
10月12日朝7時に出発したバスはグレートバリアリーフに向かって、北へ北へと駆け抜けた。
途中、昼過ぎにハーヴィベイの街も通過した。
ここはかつて日本語教師にならないかとキョウコからスカウトを受けた場所だった。
もしあの時、別の道を選んでいたら……?
窓の外の深い闇を見つめながら、ふと「選ばなかった人生」に思いを馳せた。
やがて車内が静まり返り、乗客たちが眠りに落ちる中、ヨシヒコは眠れぬ夜を過ごしていた。
これから出会う人々、まだ見ぬ教会の景色、そこで始まる未知の日々。
胸を満たすのは、かすかな不安と、それを遥かに上回る圧倒的な胸の高鳴りだった。
約30時間の長旅を経て、翌日13日の正午、ついにケアンズへ到着した。
疲れ果てた身体でバスを降りると、出迎えた人ごみの中に一人の男性が立っていた。
ドラマ『大草原の小さな家』の父親役のチャールズ・インガルズにどこか似た温かい面影。
彼が掲げるノートには、手書きで「Mareeba Church」と書かれていた。
ヨシヒコは近づいて挨拶をした。
「はじめまして、ヨシです」
「ようこそ、ヨシ! 私はジョージ。
マリーバ教会の牧師です」
そしてジョージの車に乗り込み、アサートン高原の緑豊かな一本道を駆け抜けた。
数日前まで少し肌寒い春のシドニーの大都会にいた自分が、いまや常夏の小さな町マリーバへと向かっていた。
四年前、初めてこの大陸に足を踏み入れたときには、想像すらしていなかった未来。
一冊のパンフレット。
一本の公衆電話。
そして小さな勇気が紡いだ目に見えない縁が、ヨシヒコをここまで運んできた。
ゆっくりと車がマリーバの町へと入っていった。
新しい風とともに、ヨシヒコの忘れられない1ヶ月間が、今まさに始まろうとしていた。
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