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ビー玉の道を、もう一度歩きたい

    私が幼稚園か小学1年生くらいのとき、同年代の子が何人か同じマンションに住んでいた。親同士も知り合いだったし、その子たちのお兄ちゃんお姉ちゃん、弟や妹なんかもみんな知っていていつも一緒に遊んでいた。

    年齢もあるし、多分どの家の子も「遠くへ行ってはいけません。マンションの敷地内で遊びましょう」のルールがあったと思う。
    今と違って携帯電話なんか持ってなかったし、親も心配だったはず。

    そして何度も書いているように我が家は両親が厳しく、特に言いつけを守るようキツく言われていたと思う。どの友達も年齢に合った縛られたルールの中、私はさらにルールが厳しく、そしてかなりキツイ言い方で日々ルールについて言い聞かせられていた。


    ある日のことだった。
    いつものようにおままごとをしたり、カードゲームで遊んだり(私は持ってないから眺めているだけだったけど)マンションの廊下を使って鬼ごっこをしたりしていた。いつものように、楽しんでいた。

    「次はリレーやろうよ」とある男の子がマンションから出てまっすぐのところにある床屋のポールを指差し行った。
    あそこまで走って行って、戻ってきて次の人にタッチするという至極簡単なルール。いいねいいねとみんなが盛り上がる中、私は「マンションの敷地内」で遊びなさいという親の怖い顔がチラリと頭に浮かんでちょっと気が引けた。多分ポールまで30メートルくらいの距離だったと思うけど、子どもの私には結構遠く見えたし、あのポールが「敷地内」なのか判断がつかず、怒られたらどうしようと思ったからだ。

    親が厳しかった割には結構私は反抗的だったし、高校生の頃にはそれはそれは壮絶な反抗期も迎えるんだけど根は真面目だったし、小心者なところがあった。
    でも小心者はここでも発揮され「マンションから離れちゃうしやめない?」とも言い出せなかった。

    そして、リレーが始まり当時は同年代の中では足が速い方だった私は「勝つ」楽しさに段々と罪悪感が薄れていき、親のことなどすっかり忘れていた。

    しかし、そんなリレーにも飽きてきたのかまたリレーを提案してきた男の子が次のアイデアを閃いた。「あのポールの先のさ、信号渡ったところまで次は行ってみようよ」
    そうなるとだいぶ話は変わってくる。ポールまでは一直線だったし信号もなかった。でもポールの先は、間違いなく、もう言い訳できる「マンションの敷地内ではないけどマンションの近く」の範囲ではなかった。

    でもリレーの時と同じくみんなが盛り上がりあれよあれよという間に出発することとなり、私はベソをかきながら最後尾を歩いた。

    途中、実はちょっと怖いと思っていた外飼いされているシベリアンハスキーがいる家の前を通って、また心細くなった。

    子どもの好奇心とは旺盛なもので、一度ラインを超えてしまうともう引き返せなかった。あともうちょっと、あともうちょっと。みんなはそうやってどんどん前へ進んでいく。結局信号も渡った。坂道も登っててっぺんまで行った。初めて曲がる角を歩き、見たことのない看板が立ち並ぶ道を歩いた。

    緑色をベースに、悪戯な笑みを浮かべる黄色い星のマークの会社が私を見て笑っていた。これはすごく覚えている。

    お母さんともこんなところ来たことない。

    私は泣き出してしまいそうだった。近所のはずなのに、通ったことがない道というのも私の心細さに拍車をかけた。でも、みんなは楽しそう。でも、一人で引き返すのも怖い。でも、やめようっていうのも嫌だ。

    そう思いながらも一丁前にプライドだけは高かったので、最後尾を歩いていた私も次第に先頭に立ち、恐怖を誤魔化すかのように歩くことにした。


    でもいよいよ本当に知らない道だった。
    ランドセルを背負ったお兄さんお姉さんが歩いている。ここはどこですかとお姉さんに聞きたくなった。

    柵を越え、ずっと細かった道がひらけて白くて大きなマンションがずらっと並ぶ通りに出た。

    今まではなんとなく裏道っぽいところを歩いていたので感じなかったが、道がひらけてマンションがあり、大きな道路があり車が走っているのを見たことで子ども心として「ここはもう違う街だ」という実感が途端に湧いてきた。怖い。

    またまた最後尾になってしまった私は、リレーで体力を使ったこともあり心細さとは別に疲労も感じてきてトロトロと歩いた。

    しかし、疲れて俯くとそのマンション沿いの道には、ビー玉が埋まっていることに気が付いた。

    「ビー玉が埋まっている!」私は持ち前の好奇心が働き疲れが吹き飛びしゃがみ込んでビー玉を覗き込んだ。道に、ビー玉。こんなの初めて見た。どうやってこんな風になってるんだろう?誰が思いついたんだろう?取れちゃったり、しないのかな?
    思い出に持ち帰れないかとカリカリとビー玉の周りを引っ掻いてみたけど、びくともしなかった。

    「アイちゃん!」とかなり遠く離れてしまった友達たちから声をかけられて慌てて立ち上がるまで、ずっと私はビー玉を見ていた。


    最終的に辿り着いたのは公園だった。
    でも、いわゆる公園の「裏側」に辿り着いてしまい、急斜面で木が生い茂り、下にはグラウンドがあったのだがそれが一切見えない山のような裏側だった。
    今思うと低めのフェンスのようなもので囲まれていたし、正規の入り口じゃなかったんだと思う。

    今ってひらけた小さい公園ばかりだけど、私が子どもの頃はこういう「自然を公園にしちゃいました」みたいな公園はよくあった。

    幼かった私たちは絶望した。

    マンションから遠く離れ、ついに山に辿り着き帰り道もわからず「遭難」してしまった。全員が本気でそう思った。そして、なぜかこの「山道」も突っ切らないといけないとこれも全員が本気で思った。
    せめて、同じ道を引き返せばよかったんだけどね。

    ある女の子が泣き始め、つられるようにしてみんなが泣き始めた。お家へ帰りたい、と言ったのは誰だったか。

    私は正直遭難したことよりも親に怒られることの方が怖くて、言い訳を考えながら立ち尽くしていたんだけどリーダー格の男の子が心配して「アイちゃん行くよ」と手を引いてくれて我に帰った。

    みんなで手を繋いで転びながら、泥だらけになって斜面を慎重に下った。
    「歌、うたおうよ」と一人が言い出して、学校で習ったばかりの合唱曲を歌いながら歩いた。でもそれが引き金になってまた心細くなって全員が涙声になった。

    本当に大人になった今、何をやってるんだと心底思う。

    でも今の子にはわからないかもしれないけど、スマホもない、地図アプリなんかない、最初にも書いたけどそもそも携帯電話も持ってなかった。マンションで遊んでたからお金も持ってないしテレホンカードもなくてどこかに連絡する手段なんかない中、幼稚園生だか小学1年生だかが現在地もわからず自然あふれる公園にたどり着く、という経験をするのは本当にもう二度と家に帰れないと思うほどのことだった。

    だって実際もう誰も帰り道なんて覚えてなかったし。

    私はアンパンマンで見た、指を舐めて空気に晒して風向きを確かめるという方法を取り入れた。風向きがわかったところでどうしようもなかったけど、幼い私にとってアンパンマンはヒーローだ。同じことをやれば間違い無いという確信があった。

    「こっちだと思う!」と言いながらまたみんなで転げ落ちて、膝を擦りむいた子を励ましているうちに光が見えた。グラウンドに辿り着いた。

    人がいる!大人がいる。子どもを連れてボール遊びをしている人がいる。助かった。遭難じゃなかったんだ。

    みんなでわらわらと飛び出して近くの大人に助けを求めた。「私たち遭難しちゃって」怪訝な顔をされたけど、私たちが幼いからか、おじさんは優しくそうかそうかと話を聞いてくれて「次はこっちの出口から帰りなさい」と言った。
    なんだ、こっちが入り口だったんだ。

    「助かった」と安心すると次は現実的な恐怖が襲ってきた。帰り道はどっちだろう。今何時だろう、門限に間に合うだろうか。マンションの敷地内にいないことに私の親は気づいただろうか。

    みんなも同じ気持ちだったのか、帰ろうと誰かが言い出しおじさんにお礼を言って走り出した。

    次は正規ルートから出る。もう斜面で泥だらけになる必要はなかったけど、また初めて見る道だ。別の不安が襲いかかってきてまたしてもみんなで涙目になって手を繋いで走った。

    そこで、私は思い出した。
    「ビー玉のマンションは大きくて白くて何個も並んでいた」
    幸いこれがかなりヒントとなって、公園から見える大きな白いマンションを目指して走り、ビー玉の道を駆け抜け、ランドセルのお兄さんとお姉さんとすれ違った黄色いフェンスを見つけ奇跡的に元来た道を辿ることに成功した。

    緑色の看板の星がまた私を見て笑っていた。

    シベリアンハスキーが退屈そうに寝そべってダラダラしていた。

    もういつもの道だ。
    今日の最初のゴールだったはずの、スタート地点になった床屋のポールが見えた。
    走って、走って、走って。

    恐る恐る家に帰ると親は何事もなかったかのように「おかえり」と言った。よかった、門限にも間に合って、マンションを離れたことにも気付いてないんだ。
    擦りむいた肘やら膝に対して尋ねられたけど、鬼ごっこをしていたら転んだ、と言ったら納得された。この頃の私は親から「お転婆娘」と揶揄されるほど活発だったので。


    今思い返すと、本当に危ないことをしたと思う。親が厳しいとか散々文句を言ってきた人生だったけどこればかりは親が正しかった。よく帰って来れたなと思う。

    ずっと親にも話さなかった。
    小心者で、大きくなってからはどんどんインドアになった私の、多分人生で一番の大冒険だった。スマホも何もなかったのも大きい。心の中で「ビー玉の道の公園」と名付けて大切な思い出としてしまってきた。

    でも、大人になってからもう一度あのビー玉が見たくて公園を調べてみたり、昔住んでいたあたりを訪れてみたりしたけど、見つからなかった。

    公園の名前もわからない。
    すごく大きな公園だったと思うけど、自分が小さかったからそう思うだけかもしれないし、公園には遊具も何もなかったと思うし、特徴がない。
    近くにビー玉が埋まっているマンションがあったことと、星が笑っていたことしか覚えていない、というかそこしか記憶に自信がない。

    もうあの公園はなくなってしまったんだろうか。
    星の看板の会社は、今でもあるんだろうか。

    一緒に行った友達はもう連絡先も知らないし、そもそもこんなに鮮烈な記憶として覚えているのは私だけなのかもしれない。

    大人になってから別の同級生に一回聞いてみたけど、そんな公園あったかなと首を捻られた。一生懸命探してくれて、何個かマンション付近の公園の名前をあげてくれたけど調べて写真を見てもどれを見てもしっくりこなかった。

    それとも、子どもだから、の体感ではなくて本当に随分遠くまで行ってしまったんだろうか。

    どうしてもあの公園に行きたい。ビー玉が埋まった道を歩きたい。
    なくなってしまっているのなら仕方がないけど、何かしら名残がないか自分の目で確かめたい。
    一度訪れて見つけられなかったけど、やっぱり諦めきれない。

    私の、思い出の大冒険。
    もうこんな経験、することないんだろうなあ。

    ちなみに、私はこの公園のグラウンドで一安心した瞬間自分と同じくらいの大きさのシェットランド・シープドッグに突然追いかけ回され、その後何年か犬恐怖症になりました。



     
     
     

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