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絶賛インストール中だった、あの子の話

    わたしは個人事業主としてアート教室を営み、かれこれ10年になる。
    今日は、かつて教室に通ってくれていた、ある男の子の話をしたい。

    ★

    その子は、まるで体に「一時停止ボタン」を搭載しているかのような年長さんだった。

    周りの子どもたちがどんどん制作を進める中で、彼だけが見事なまでの「静止画」なのである。

    筆は持っているし、
    真っ白な紙も目の前にある。

    なのに、カーソルがピクリとも動かない。
    頭上で砂時計がグルグル回っているのが、ハッキリ見える(気がした)。

    もうね、Wi-Fi飛んだ?って二度見するレベルである。


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    お迎えに来たお母さまは、そりゃあもう心配する。

    「先生、うちの子、ぜんぜん進んでなくて……」
    「みんなについていけてないんじゃ……」


    わかる。
    他の子がガンガン手を動かす中、わが子だけがフリーズしていたら、心配になるだろう。


    ただ、わたしは彼を違うふうに見ていた。

    あ、この子はいま、脳内の裏側でとんでもないデータ量のインストールをしている真っ最中なのだ、と。

    「ここに線を引いたらどうなる?」
    「この色を置いたらどうなる?」

    手は止まっているが、脳内CPUは限界突破でフル稼働している。

    見えないシミュレーションに全振りしているせいで、まだ、描き出せないだけなのだ。


    だからわたしは、お母さまに

    「大丈夫ですよ。いま、絶賛インストール中ですから」

    ……とは、言えなかったけど(言えよ)、

    「自分のペースで頑張っています。アイデアが生まれてくるのを、楽しみに待ちましょう」

    そう伝えた。

    ここで「早く描きなさい」と急かしてしまったら、せっかく浮かびかけているものが消えてしまう気がしたから。


    それから数年。

    中二になった彼が、お父さまの転勤で教室を去る日がやってきた。

    すっかり背の伸びた彼は、帰り際、照れくさそうに手紙をくれた。
    そこには、小さかった日の彼の本音が、ぽつり、ぽつりと書かれていた。

    「なにをやるにも遅い自分が嫌いでした」
    「でも先生が『楽しみに待とう』って言ってくれたから、ずっとアート教室を続けられました」


    って。


    わたしがしていたのは、「いっぱいアイデア思いついてたね」と、彼の中で起きていることを勝手に言葉にして、隣で待っていただけである。

    その場では何のリアクションも返ってこなかった。
    でもわたしの気持ちは、ちゃんと彼に届いていたらしい。



    アトリエの子どもたちを見ていると、人間って本当に、一人ひとりOSが違うんだなって思う。

    サクサク処理する軽量アプリ型の子もいれば、起動に時間はかかるけれど、すごい時間をかけて名画を描く重量級ソフト型の子もいる。

    しかも、子どもってたまに謎のタイミングで「突然のアップデート」が始まったりもする。

    だから、相手のペースを尊重して、生まれてくる「何か」を待つ。
    それが、わたしの大切な役割なのだと思う。



    そう。かく言うわたし自身も、アイデアが出るまでは鬼のように時間がかかる。

    側から見たら「もしかして目あけたまま寝てる?」と疑われるレベルの超低速回線だ。たぶん通信速度は、ダイヤルアップである。

    ピー……ヒョロロロロロ……。


    ま、こればっかりは仕方ない。
    急に高速化しろって言われても、できん。

    でもね、寝落ち疑惑をかけられても、ダイヤルアップでも、わたしはのんびりと生きていく。
    そのほうが、わたしの人生、楽しいよね。
    きっと。

    あの子、元気にしているかな。
    彼にしか出せない色や形を、あの子自身が大事にしてくれていたら嬉しい。

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