
ペット葬儀の菊次郎|第7話 外伝「捨てられた命が、守ったもの」
「差し上げます」
太いマジックで書かれていた。
莉乃は出勤したとき、メモリアルホールの前に段ボールがあることに気づいた。
「前川さん、おはよう」
後ろから柴犬の二代目と散歩していた所長が声をかけてくる。
段ボールに気づいた二代目が駆け寄り、箱の外からしきりに匂いを嗅ぐ。
「またか」
段ボールを見つけた所長がため息をついた。
「『差し上げます』って」
軽すぎる言葉だった。
命に対して。
●
中には、仔犬が三匹いた。
目が開いたばかり。
小さくて、あたたかい。
ミルクの匂いがする。
――生きている。
その体温の温かさに、少しだけ救われる。
「酷いことをする人だな」
所長が二代目を押さえて嘆く。
莉乃は、ただ、撫でている。
小さな命が、指にしがみつく。
それだけで、胸が痛くなる。
●
「清水院長に連絡しとくから、それまで喫茶ルームで預かってもらえるか」
「ミルク飲ませておきます」
「頼むから変な名前つけないでおいてくれよ」
そのとき。
莉乃は段ボールの底のチラシに目が留まった。
ペット火葬車。
異様に安い料金。
連絡先は、メールとQRだけ。
――嫌な感じがした。
説明はできない。
でも、こういうものは、大抵よくない。
●
午後二時過ぎに清水院長が喫茶ルームにやってきた。
ミルクを飲んでおなかを膨らませて寝ている仔犬たちに健康問題はなさそうだった。
「ポメプーかな」
清水院長が仔犬を抱き上げた。
「ポメラニアンとプードルのミックスですか」
「それならすぐ新しい家族が見つかりそうですね」
清水院長と莉乃が仔犬の入った段ボールを抱えて駐車場についたとき。
黒い車が、乱暴に入ってきた。
駐車スペースの線を無視して入口近くに止めると、勢いよくドアを開ける。
出てきた男。
金髪。
傷だらけ。
歩き方もおかしい。
――危ない。
直感がそう告げる。
男は、足を引きずり、胸を押さえながら、莉乃の方へまっすぐに来る。
「おい、葬儀しろ」
命令だった。
理由も、事情もない。
莉乃は一瞬、言葉を失う。
「君、大丈夫か。あばら骨、折れているんじゃないのか」
清水院長が心配して声をかける。
「関係ねぇだろ。葬儀しろって言ってるんだよ」
金髪の男はすごんで、大きな声をあげる。
受付から帆花と所長がやってくるのを見て、莉乃にも力がわいた。
「ご予約されていますか?」
「してたよ。それでさっき断られたんだ」
「うちがですか?」
「お前のところの火葬車だよ。大きさ的に無理だから、こっちへ行けってよお」
「所長、うち、火葬車ありました?」
「いや、持っていないよ」
金髪の男が、莉乃の抱えている段ボールを見て動きが止まった。
「それだよ」
男が手を伸ばす。
莉乃は反射的に、仔犬たちを胸に引き寄せた。
「触らないでください」
「下だよ。下に入ってる紙」
男は苛立ったように顎で段ボールを指した。
莉乃が仔犬たちを片側に寄せると、底に敷かれていたチラシが見えた。
男はそれを乱暴につかみ、所長へ投げつけた。
「これだよ」
●
車の中を見たとき。
莉乃は思わず小さな悲鳴をあげた。
後部座席のダルメシアン。
一目で、多数の骨が折れていると分かる。
骨の位置がおかしい。
血の匂い。
――ひどい。
思わず、息を止める。
これは、ただの死じゃない。
愛玩動物看護師をしていた莉乃でも、こんなのは見たことがなかった。
絶対に何かある。
「これはまた酷いね」
すでに触診していた清水院長が顔をあげる。
「前川くん、俺の車にマイクロチップリーダーあるから。持ってきてもらえるか」
莉乃に鍵を渡す。
ダルメシアンは、莉乃の好きな犬種だった。
白地に黒の斑点。
大型犬なのに、スマートでクールだ。
その体が、今は後部座席で折れ曲がっている。
莉乃から受け取ったリーダーを、清水院長はダルメシアンの首から肩にかけて当てていく。
電子音が鳴り、15桁の数字が表示された。
「どうしてマイクロチップの確認するんですか?」
莉乃が質問する。
「こんな状態、普通じゃない」
「あの金髪も大きな怪我をしているのに、すぐに火葬することにこだわっているだろう」
「もしあいつが飼い主じゃないなら」
清水院長は車の外を見回して続ける。
「たとえばバイクでこの犬を轢いた。で、自分も横転した。事故の証拠を消すために犬を火葬しようと思った。とかな」
「そげんこと……」莉乃が声を荒げた。
入り口のところでまだ口論している所長と金髪の男がこっちをチラッと見た。
清水院長は自分の車に戻ってノートパソコンを開き、スキャンした番号を入力して飼い主情報を確認している。
「前川さん、仔犬たちを喫茶ルームに戻して面倒みていてくれないか」
表示された飼い主情報を見た清水院長が申し訳なさそうに言う。
「わかりました。寝かせてきます」
莉乃は小さな命のつまった段ボールを抱え、喫茶ルームに戻る。
●
駐車場に残った帆花は、少し離れて見ていた。
この金髪の青年は、何に怒っているのだろう。
「だから、金は火葬車のやつに払ったって言ってんだろ」
相当痛むのか、壁にもたれている。
それでもやり取りが続く。
怒鳴り声。
ぶつかる言葉。
駐車場から清水院長がノートパソコンを片手にこちらへ来た。
同時に仔犬の入った段ボールを抱え莉乃が喫茶ルームに行くのも見える。
「お前さん、名前と住所は」
清水院長は金髪の男に質問した。
「なんで」
「葬儀するのだろう」
男は先に舌打ちをして答える。
「牛島 大樹。住所は駅の向こう四丁目だ」
「じゃ、お前は飼い主じゃないな」
「いきなり、なんなんだよ」
「マイクロチップ、知らないのか? 飼い主情報が入っているんだよ」
「あの犬はどうしたんだ?」
金髪の男、牛島はもう耐えきれないのか、しゃがみ込み唸り声をあげる。
怒り。悲しみ。絶望。失望。
帆花には、それら全部が当たっていると思えた。
そのときペット葬儀の菊次郎の敷地内にパトカーがゆっくりと入ってきた。
●
「通報したのか?」
牛島は苦しそうに吐き出す。
「まだしてない。お前、手配されているのか?」
パトカーから降りてきた警察官は、所長と清水院長の顔を見ると、ほっとしたように頭を下げた。
「木村くんか」
所長が言った。
「ちょうど良かった。お二人ともいらっしゃって」
「こっちもちょうど連絡とろうとしていたんだ」
清水院長が返す。
「で、どうしたんだ」
「ちょっとこれ見てください。朝方に駅向こうの交差点で交通事故、軽トラックが人をひいた事故なのですが、轢かれた人が行方不明なんです」
「なんでそれで俺らのところへ」
「それは、これは見てください」
木村は持っていたタブレットで映像を再生する。
●
そこには夜にダルメシアンと散歩している金髪の牛島が映っている。
お互いに信頼して散歩しているようだ。
「ダルメシアンに大きな傷ありませんね」と帆花。
「こいつも怪我してない」戻ってきた莉乃が言う。
ダルメシアンが立ち止まる。
牛島は慣れた手つきでしゃがみ、散歩バッグから袋を取り出した。
その動きに、迷いはなかった。
その時、車のライトがぶれながら辺りを照らす。
牛島は気にせずしゃがみ込んだままだ。
光で画面が白くなった。
勢いを落とさないまま、軽トラックが牛島の方へ突っ込んだ。
瞬間、ダルメシアンが牛島を勢いよく突き飛ばした。
同時に軽トラックがダルメシアンごと電柱に衝突した。防犯カメラの画像が揺れる。
牛島は電柱に腕が当たり、そのまま道路わきの草むらまで飛ばされる。
思わず悲鳴があがる。
「なにこれ」目を離せないまま帆花が叫ぶ。
慌てて運転手が牛島の方へ駆け寄るが画角から外れていて映っていない。
運転手が戻ってきてスマホで電話をかけ始め、しばらくすると慌ててまた草むらの方に走っていくところで映像が切れた。
誰も言葉が出ない。
「この犬、この辺りでは珍しいでしょ。だから、もしかしたらと思って」
「こいつだよ」
清水院長が牛島を目で示す。
「虐待してたんじゃないんだ」莉乃が続く。
「なんで事故現場からいなくなるの?」
「それより、からだ大丈夫なのか?」
木村がしゃがみ込んでいる牛島に声をかける。
「登録上の飼い主は、これだ」
清水院長がノートパソコンの画面を見せる。
「では、こちらで電話して確認します」
木村はメモを取り、パトカーへ戻った。
●
牛島の手先が震えている。
虐待はしていなかったが、飼い主ではなかったことも事実だった。
ただ、ここにいるスタッフと獣医師には牛島とダルメシアンの信頼関係は本物だとわかっていた。
「確認してきました」木村は渋い顔をしていた。
「東京の方でした。二年前にこちらへ旅行したときに、そのダル……」
「ダルメシアン」全員が口をそろえた。
「その犬がいなくなった、ということでした」
「嘘だ」牛島が低い声でうなる。「俺は車から押し出され、そのまま走り去るのを見たんだ」
木村は牛島を見ながら「届けは特に出していなかった、ということでした」
「ご遺体の引き取りは?」
所長が木村に尋ねる。
「それも大丈夫だ、そうです」
「大丈夫って、何だろう」莉乃が憤る。
「そんなの、あの子が可哀想だよ」
「最後の二年間は幸せだったんじゃないか?」
「あのダルメシアンの名前は」
所長が牛島に尋ねる。
「ボンゴ」
「じゃあ、今からボンゴを送ろう」
「でも、騙されて金がないんですけど」
「後払いでいいよ。あと少し、病院に行くのを我慢できるか」
牛島はうなずく。
●
「触ってあげてください」
帆花が牛島に静かに言う。
白い供養台の上にダルメシアンが横たわっている。
牛島はやっと相棒の死に意識がいったのか、愛おしそうにおでこを撫でている。
もう冷たく硬いはずだ。
帆花は、息を整え、そして耳元に、言葉を落とす。
――瞬間。
強い衝撃。
肩に、噛みつかれる感覚。
痛み。
でも、慣れている。
これは、牛島とボンゴに残された最後の時間の合図だ。
●
光が、灯る。
淡い色。
ふわふわと浮かぶ。
それが、牛島の方へ流れていく。
触れた瞬間。
牛島の体が、震える。
そして——崩れ落ちる。
声にならない声。
涙。
嗚咽が止まらない。
抑えようとしても、無理のようだ。
帆花は、何もしない。
ただ、そこにいる。
この時間は、奪ってはいけない。
帆花はそれを見ない。必要がない限り、決して。
それでも、分かる。
白い斑点の影が、牛島の膝に体を寄せている。
尾が、ゆっくりと揺れる。
叱っているのではない。
恨んでいるのでもない。
ただ、そこにいる。
この二年が、確かにあったのだと伝えるように。
やがて光があふれたあと。
光が、消える。
「……なんで」
牛島が、崩れたまま言う。
かすれた声。
「なんで、俺なんか……」
その場にいる全員が声にしない。
牛島とボンゴの二年間は二人のものだからだ。
確かにその時間があった。
●
「最後の二年だけでも、牛島さんと一緒でよかったね」
莉乃が、遠くから手を合わせた。
小さな鳴き声がした。
朝、段ボールに入れられていた、まだ名前もない仔犬たちの声だった。
差し上げます。
大丈夫です。
命に向けるには、やはり軽すぎる言葉だった。
帆花は、供養台の上のボンゴを見た。
名前を呼んでくれる人がいる。
それだけで、命の終わり方は少しだけ変わるのだと思った。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
外伝「捨てられた命が、守ったもの」は、本編とは少し違い、ペット葬儀場「菊次郎」が“別れを支える場所”であると同時に、“命を軽く扱うことを見過ごさない場所”でもあることを描いた回です。
私が一番書きたかったものです。
名前を呼んでくれる人がいる。
それだけで、命の終わり方は少しだけ変わるのかもしれません。
『ペット葬儀の菊次郎』は、亡くなったペットと、残された人たちの最後の時間を描く連作短編です。
よろしければ、本編第1話から第6話まで、あわせて読んでいただけるとうれしいです。
本編第1話から第6話、そして外伝まで読んでくださった方へ。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございます。
ペットとの別れ、後悔、祈り、そして少しだけ前に進む時間。
この物語のどこか一場面でも、心に残っていましたらうれしいです。
感想、いいね、フォローなども、とても励みになります。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。