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ラジオ人生相談

アレクサは、目覚まし代わりにradikoを起動してくれます。
そう設定したのですが(笑)
だいたいそのままradikoを入れたままです。

んで、「人生相談」の時間がきました。
人の不幸話はイヤだし、
さらに、どこか上から目線の回答にうんざりしながらも、時間つぶしに聞き流す程度に聞いてます。

相談者を蹴り落とすような回答をする、こんな救われない番組が どうして続いているのだろう、って思います。

もしかしたら、マツコ・デラックスだったり、昔の細木数子だったり、一時期の和田アキ子や上沼恵美子のように、ズバッとモノ言う人が流行ったりします。
テレビ番組でも「スカッとジャパン」のようなモノや、ひろゆきのような人がもてはやされたのも、この人生相談の冷たさに繋がるモノなのかもしれません。

今回の人生相談では、相談回答者ではなくてMCが、相談者に向かって「あなたの解釈を変えればすむことでは」と言いました。
そのMCは、なんかイラついているのか、圧を感じるくらいの語気でした。

う~ん。
相談の内容はよく覚えていませんが、その時に、それって「イジメられる側が悪い」っていう理屈と同じなのでは、と思いました。
と同時に、よく聞く「他人は変えられない、自分は変えられる」っていう言葉が頭の中を走りました。
結局「イジメられる」ことに悩んでいる人は、「自分」を変えて「イジメれないようにふるまえ」ってことになるのではないでしょうか。

「イジメられないようにふるまえ」は、少し同意できることは先に書いておきます。
例えば、自分のように、アニメや映画ばかりの話しをするのではなく、サッカーや野球、ファッションにもちゃんと興味を持て、と言われたりします。
TPOにあわせた身なりをしよう、とか。
そういう意味では、その事は理解しているつもりだし、そこをつつかれるのはわかります。
しかし、それ——アニメや映画ばかりの話しをすることや、TPOを気にせず自分の着たい服装を選ぶこと―—が、「イジリ」や「イジメ」ていい理由にはならないと思うのです。
例えばの、一例として、そう思うのです。

「イジメ」ている側は、その言動が「イジメ」にあたると気づいていない。
「イジリ」をしている側は、それが面白いこと楽しいことだからと、むしろ好意であることを主張する。

今回の、人生相談のMCの「あなたの解釈を変える」というのは、
「イジメられる」「イジられる」側の「解釈」や「受け取り方」の問題だと、言っているのと同じではないでしょうか。

「イジメ」の実体は把握していない。
「イジメ」は存在しない。

つまりは「見かた」です。どう「見る」かなのです。
でもこれは、強者の理屈でしかないと思います。

「他人は変えられないけれど、自分は変えられる」。
「見かた」「解釈」を変えろ、という。

「これはイジリじゃなくて、相手にしてくれている」
「向こうが正論で、こちらが間違っていたんだ」
「これはイジメられているのではない」
「イジメは存在しない」

「イジメ」られた側を 転校させる。
「そんな職場、やめちゃっていいんじゃない」

当事者を守ることは必要、その選択肢の中に「逃げる」があると思います。
しかし、その当事者を「逃がした」あとは? その当事者のフォローは?
その場の改善などは?


人生相談のMCの「解釈を変えて」という言葉は、
相談した側にとって、救いの言葉にはならない、そう思えました。

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