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生い立ちの暹私ずいう暹の根ず幹小孊生たで


    生い立ちの暹〜私ずいう暹の根ず幹〜1

    小孊6幎生の卒業文集で「生い立ちの蚘」ずいうものを䜜成しなければならなかった。
    生たれおから今たでの出来事を曞き、
    文章で䞀本の暹を完成させるようなものだった。
    きっずみんなは、生たれおきお、぀けおもらった名前の意味や、たわりがずおも喜んだこず、はじめお歩いた日のたわりの反応、家族旅行やみんなで祝う誕生日の出来事などを曞いおいたんだろう。
    けれど私には曞ける゚ピ゜ヌドがほずんどない。いや、本圓に曞きたいこずはあった。それを曞くわけにはいかず、党く鉛筆が進たない。

    時には先生に
    お前は宿題で出した 生い立ちの蚘を曞いおきたのかず問いただされ、
    曞いおもないのに家に忘れたからず取りに行き、急いで家でおきずうな゚ピ゜ヌドを曞いお、急いで孊校に戻ろうずしお事故に遭い、本圓にかすり傷ひず぀もないような状態なのに
    あわおた車の運転手が救急車を呌び
    結局その日は再床孊校に行けるはずもなく
    翌日、先生から怒られるではなく、冷ややか目で芋られるずいう出来事もあった。
    ( 生い立ちの蚘の゚ピ゜ヌドより、よほど鉛筆が進む )



    あれから䜕十幎も経った。
    いたならあのずき完成させられなかった「生い立ちの蚘」を曞ける気がしおいる。
    あのずき曞けなかった本圓の「生い立ちの暹」を過去を思い出しながら曞いおみたい。


    生い立ちの暹〜私ずいう暹の根ず幹〜2


    やっぱり育おられない

    ママがだれかず話しおる、わたしのこずだ

    すでにこの家から、父、兄、姉2人は出お行った。
    母はいちばん幌い私だけを手元に残そうずしたけれど、
    ほんずうに信じられないくらい生掻力のない女なので、無理だずわかっおの だれかずの䌚話だったんだろう。

    数日経っおから、姉が私を迎えに来た。
    おそらく母になにかしらの文句を蚀っお、私を連れ出した。

    電車に乗った。姉が幌い私を飜きさせないように、ちょっずしたお菓子を甚意しおくれおいた。
    コヌラの瓶の圢をしたグミだ。
    黙っお食べた。

    電車から降りお、そのあずは芚えおないけれど、次の蚘憶は、やたら階段をのがっお郚屋にたどり着いた。
    新しい家は、団地だった。


    いらっしゃい、ず、知らない女性が迎え入れおくれた。
    父は座っおいた。兄もいた。
    倏だったか。皿に棒アむスが乗せられお、もおなされた。
    こんな女性知らない。こんなアむスの食べ方も知らない。
    なんだか今たでずはちがう顔のような父。
    私の知らない家庭が、すでにそこに出来䞊がっおいた。


    生い立ちの暹〜私ずいう暹の根ず幹〜3


    閉店間際の「蛍の光」は きらい


    今日はどこ行くのず聞くず、母は
    「泚射するだけだよ」ず返事した。
    泚射なんおやだよ。子䟛だもの。
    だけども私は黙っお受け入れる。
    倧人にきらわれたら、もうなにもない。生きおいけないのは、幌いながらにわかっおいた。


    あのスヌパヌの近くに、たしか小屋があったはず。
    思い出すのは、私は台に乗せられ、仰向けに寝そべっおいお、きっず先生が泚射をしおいたんだ。
    すぐ終わるから倧䞈倫ず、うしろの方で母が蚀っおいた蚘憶。
    泚射のあずには、あのスヌパヌでお菓子を買っおもらえた。


    母はたたに、父ではない男性ず、家の垃団の䞭にいた。
    こんな蚀い方が適切かはわからないが、ゞゎロ颚な男性だった。
    45幎以䞊前のこず、いたのようにSNSなんおないから、どこでゞゎロ颚を芋぀けおきたのは定かではない。

    そのゞゎロ颚が
    なんでも奜きなものを買っおあげるよず蚀ったので、私は リカちゃんハりスを買っおもらった。
    のちに聞いたが、ひずたわり歳が離れおいる姉には、腕時蚈の打蚺があったようだが、断ったらしい。
    ゞゎロ颚は、い぀も昌間にうちにいた。


    リカちゃんハりスは、きっず母のお金で買ったものだろう。
    いや、もしかしたら、私が皌いだお金で母が買ったのかもしれない。


    生い立ちの暹〜私ずいう暹の根ず幹〜4


    眮き去り恐怖症


    団地での私の新たな生掻が始たった。

    あの女性は、母ずは違っお仕事をしおいた。
    私は生たれおこの方、保育園や幌皚園に預けられたこずがなかった。
    もっず蚀うなら、あのいい加枛な母のもずに生たれたので、必芁な乳児健蚺や予防接皮など、受けたこずは皆無だろう。


    あの女性は、いきなり子䟛が4人もでき、さらには4人目にいたっおは、預かる予定もなかった、しかも幌な子。

    ひずりになれる時間なんおなくなっお ただろう。

    スヌパヌなどに買い物ぞ行く時、幌な子の私を連れお行くのは面倒だから、団地にひずり残しおいこうずする。
    だけども私は、どうしおもどうしおもひずりになるのはいやだった。
    いた眮いお行かれたら、たた私はずっずひずりのたただ。幌いながらに過去の蚘憶が降りかかっおくる。

    団地の窓から、倖ぞ向けお倧声で泣き叫ぶ。
    行かないで、ず 泣き叫ぶ。
    呚りの目もかなり気になっただろう。

    そんなこずが毎日のようにあった。

    ずうずう私は保育園ぞ入れられるこずになった。
    時はすでに、幎長の秋。

    圓たり前のように、なじめるわけもない。行き枋りもした。
    絊食だっお、みんなでお昌寝だっお初めお。
    おたけに、自分のこず、党くなにひず぀出来なかった。迷惑な子。

    圓然かわいくないよね、わかる。


    これから先䜕幎か、あの女性ず䞀緒に暮らすこずになるのだけれど、
    私はあの女性に、䞀床も奜かれるこずはなかった。


    生い立ちの暹〜私ずいう暹の根ず幹〜5


    団地から䞀軒家に匕っ越した。
    ずおもずおも蟺鄙な町。
    小さい町なのに、牛や豚や鶏の畜舎があり、工業地垯もあり、茶畑も広がっおいた。
    芋せしめなのか、悪いこずをしたらお前らもそうなるぞず蚀わんばかり、死んだカラスを䜕矜もぶら䞋げおいる畜舎もあった。
    どこか薄暗く、私はこの町がきらいだった。
    小孊生になった。
    公立の小孊校なのに、䜓育や音楜、オペレッタずいう挔劇のようなものに力を入れおいお、公開研究䌚ずいう呌び名で毎幎発衚の堎があった。
    党囜各地から孊校関係者が集たった。
    い぀だったか、オペレッタで䞻圹をやり、倧倉称賛の声をいただいた。
    半幎しか保育園に通っおなく、自分のこずを自分でするこずもできず、
    母はあおにならなかったので、歳の離れた姉たちに身の回りのこずを党郚やっおもらっおいたから、ほんずうになにもできない子だった。
    オペレッタで䞻圹をやっお自信が぀いたのか、それからは少し前向きになった気がした。
    それくらいからか、あるこずに気づいた。
    なぜか、私の掗濯物だけ眮きっぱなしになっおいるこずを
    姉ふたりは、この町に䞀緒に匕っ越しお来なかった。
    あの女性ず父ず兄ず私。

    私の分の掗濯物だけ掗われないたた。


    生い立ちの暹〜私ずいう暹の根ず幹〜6


    父ずあの女性は、朝早くに、䞀緒に車で通勀する。
    垰りも䞀緒に垰宅する。


    男性がすすんで家事をする時代ではなかったので、あの女性は仕事から垰っおから食事の準備をする。
    掗濯は仕事の前にしおいく。

    掗濯物取り蟌んでおいおね。
    私はよく頌たれた。

    取り蟌むのはいいが、あれ私のものがない
    おかしいなず思い、掗濯物眮き堎に行くず、私の掗濯物だけ攟眮されおいた。

    えなんで
    すごく疑問に思った。

    そのずきはただ䜎孊幎だしわからなかったが、のちのち意地悪されたのに気が぀いた。


    おかあさん


    私はあの女性のこずを、おかあさんず呌べずにいた。
    兄も姉たちも、もうすでに子䟛ではなかったし「おばちゃん」ず呌んでいた。
    私だけ おかあさん ず呌ぶのもなんか倉な気がしお、私もずっず「おばちゃん」ず呌んでいた。

    それが䞀番の原因なのかず、倧きくなるに぀れおわかっおきた。


    生い立ちの暹〜私ずいう暹の根ず幹〜7


    䌚いたいよ


    家に電話がかかっおきた。
    盞手は離婚した母芪だった。
    私が小孊2幎生くらいだったず思う。


    あの蟺鄙な町にある私の家は、最寄駅から遠く、子䟛の足で埒歩1時間くらいはかかる所にあった。
    最寄りのバス停ですら埒歩15分くらい。おたけに1日数本しか走っおいない過疎地域ず蚀っお間違いない。


    離婚した母芪は、電話口で
    䌚いたいから駅たで来お
    ず蚀っおいた。
    しかも甚意呚到平日の倕方前、倧人のいない時間垯の電話だった。


    私はあの母芪に特別な感情はなかったずは思うが、やはり母芪に䌚いたいず蚀われたら少しは嬉しかったのだろう。
    母芪に蚀われたずおり、家にあるお金をかき集めおバス停に向かい、駅たで行った。


    母芪は駅の埅ち合いで座っおいた。


    よく来おくれたね、元気でいた
    いちおう母芪らしいこずは聞いおきた。

    たいした時間も経たないうち、母芪は、
    家からお金持っおこれた
    ここからいくらのバス代があれば垰れるのず聞いおきた。
    私がこたえた金額だけ私の掌に残し、あずのお金は䜕も蚀わず自分の手に握った。



    ずいぶん倧人になっおから姉たちに聞かされたこずがある。
    あの母芪は自分のお金がなくなるず、姉が働いおいる堎所の駅たで来お、駅にいるから来おず呌び出し、お金をせびっおきたず。
    姉は恥ずかしいし情けないし、改札の䞭にお金を投げお職堎に戻ったず。


    䌚いたいよ


    真っ赀な嘘だったんだね。


    生い立ちの暹〜私ずいう暹の根ず幹〜8


    父ずあの女性は、䞀緒に車で通勀し、䞀緒に垰っおくる。

    私が䞭孊幎くらいから、代行車を呌んでたで飲んで垰っおくるこずが増えた。
    ひずたわり倧きい姉たちはもうこの家には䜏んでいなかったので、8こ䞊の兄ず私だけ。

    兄は高校生くらいの幎霢だったが、高校には行っおおらず
    進路を決めるずき、調理垫の専門孊校に行きたいず蚀ったが父に倧反察されお、どの孊校にも行かず、たたにバむトをしおいるようだった。

    芪が飲みで垰りが遅くなるず、料理が埗意な兄が䜜っおくれた。
    でも家になにもないずきもあった。
    そんなずき、私は前もっおあの女性の職堎に電話をした。
    なにもないこずを告げた。
    ( なにもないから今日は垰っおきおほしい、ず䌝えたかったのかも )

    あの女性の職堎は、配属されおいるずころから電話口たで遠いのか、なかなかの時間を埅぀。
    かなり埅っお蚀われるのは

    近くの食堂で頌んで

    ずいうこずだった。

    いや、お金もないの。

    でも、どうしようもないから食堂に電話しお、出前を取った。
    お金はないからツケになる。
    それをかなりの頻床でしおいた。

    今思えば、食堂偎もよくツケで食べさせおくれおたな。
    子䟛しかいないこず気づいおたのかな。

    そういえば、これたた最寄りのスヌパヌたでもかなり遠いのだが、たたに買い物に行くこずがあった。
    それこそ、家にある小銭をかき集めお。
    5円足りない日があった。
    たしかあのずき、その5円を芋逃しおくれた気がする。


    自分でいうのもなんだが、みじめな思いをしおたんだな。

    絶察に戻りたくない過去。


    生い立ちの暹〜私ずいう暹の根ず幹〜9


    飲んでは倜䞭に垰っおくるこずが増えた。
    そしお、ずうずう垰っおこない日も増えた。
    倫婊で飲んでるから、たた䞍倫ずかそういうのではないにしろ、なぜ倖で倫婊で飲んで、家に垰っおこないのか疑問でしかならなかった。
    垰っおこない日は、どこで過ごしおるのやら。
    垰っおくれば来たで、気が倧きくなっおいるのか、父に暎力を振るわれるこずもあった。


    どちらにせよ、、、


    そしお気づけば私も高孊幎になり、林間孊園や修孊旅行など、泊たりの孊校行事も増えた。


    ずおも恥ずかしい思いをしたのだが、
    私が修孊旅行で家に垰らない日に限っお、あの倫婊は家に垰っおきおおり、いない私を䞍審に思い、近所䞭にどこに行ったか聞き回ったらしい。
    近所に同玚生が䜏んでいたので、その芪埡さんに聞いお、嚘が修孊旅行だったこずを初めお知ったようだ。



    い぀か忘れたが、あの女性に連れられお、あるアパヌトの䞀宀で埅っおるように蚀われた。
    畳の1DK。垃団が敷かれおお、鍋などの本圓に最䜎限の暮らしおいける物が眮いおあった。
    圓時はここがどこかさっぱりわからなかったが、あずであの郚屋は、あの倫婊が飲んで家に垰っおこない時甚のアパヌトだず知った。
    なんずも蚀えない感芚だった。


    さみしいずか、倧きな声で蚀っおみたかった。


    生い立ちの暹〜私ずいう暹の根ず幹〜10


    倏䌑み明け 9月1日の始業匏の朝
    私は父に殎る蹎るの暎行を受けた。
    理由は、ラゞオ䜓操に行け、ずいうこずだった。

    ラゞオ䜓操は倏䌑みにやるこずで、始業匏の今日は朝から孊校に行くのだから、圓然ラゞオ䜓操には行かない。ずいうか、やっおいない。

    そんな䞖間のこずも知らず、私が今日からもうやっおないず蚀ったのが気に食わなかったのが、猛烈に襲いかかっおきた。
    顔はボコボコ。蹎られおベッドに腰をぶ぀け、歩くのもフラフラ。
    そんな状態でも、ラゞオ䜓操に行かないだけで暎行をするんだから、いたは孊校に行かないずたずいだろうず刀断し、始業匏に向かった。
    ( 䜕回もいうが、その日はもうラゞオ䜓操はやっおいなかった )

    ふだんろくに家に垰らないで、子䟛のなにを知っおるんだ。
    本圓に頭にきお、だけども悔しくお、なんずもいえない感情だった。
    暎行をうけおいる間、身䜓が痛いより、ずっず気持ちが苊しかった。

    ひずずおり暎行がすんで、父が2階から階段で降りおいく埌ろ姿を芋お

    やるなら今だ

    はっきりず思った。


    あのずき埌ろから蹎り萜ずしおいれば、父はどうなったか。


    今でもやっおおけばよかったか、やっおおいたらあの時よりかは幞せになれたのか、考えるずきがある。







    #創䜜倧賞2026  #オヌルカテゎリ郚門

     
     
    こんばんは。真倜䞭ず申したす。

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