
掌編小説 200円のコーヒー
俺は、200円のコーヒーを飲みながら、スマホを見ていた。
午後のチェーン店。
カウンターの向こうで店員が笑う声がする。
BGMは、どう頑張っても誰かのテンションに合わせて作られたような明るさだった。
タイムラインでは、今日も“みんなで楽しく”の空気が踊っている。
祭り。
挑戦。
ポジティブ。
なんでもいいけど、あの明るさに包まれると、俺は息が浅くなる。
『お待たせしました!いよいよ始動です!』
知らない誰かの声が画面の中で弾ける。
俺はその“お待たせしました”の“お”にも“しました”にも、1ミリも関与していないから、なぜかちょっとだけ申し訳ない気持ちになる。
“みんなで楽しく”って言葉、誰が最初に使ったんだろう。
たぶん優しい人だったんだろうな。暗がりにいる誰かにも手を差し伸べるような、ね。
手を差し伸べて欲しい誰かなら、それは救いの手なのかもしれない。
でも、あまりに繰り返されるうちに、
それは一種の免罪符になった。
“楽しければ正義”
“前向きが正解”
そんな感じの構文な。
ほんとにそう?
ケーキと紅茶を乗せた安いプラスチックのトレーを持った2人の女子高生が、楽しげに近くのテーブル席に座った。
文化祭の話をしている。みんなで作る、楽しい時間?青春が眩しいね。まったく。
高校生のときを思い出す。
「なんでみんな同じタイミングで笑えるの?」
みんながハイタッチしてる隣で、一人で指先の温度が気になっていた。
みんなの笑顔に鳥肌が立った。
俺も文化祭は楽しかった。
だけど、みんなで、は必ずしも同じ「楽しい」じゃなくてはいけないのはなんでなんだ、と思っていた。
明るく元気な子、誰がそれを“正義”だと決めたのか。
俺は人と話すのは嫌いじゃない。
でも、「混ざる」って行為になると話は別だ。
混ざるにはタイミングがいる。テンポがある。
既に乾杯が始まっている輪の中に、どうしても入っていけない。
どっかで誰かが拍手を始めてる時には、もう俺は立ち上がる勇気を失っている。
取り残されてる俺は、元々できている空気に亡き者にされる。
いや、俺はむしろ、入りたくないんだろうな。
「無理せず、あなたらしく」
そんな優しげな言葉を見るたびに思う。
——あなたらしさって、誰が決めるんだろう。
そんな優しさって、形を変えた“期待”だろ。
期待に応えた“あなたらしさ”が無言で求められている。
優しさが形にはめこまる。
正解がある気配を感じとってしまう。
光みたいな言葉ほど、影を長くする。
参加人数うん百人。
すごいね。
でもうん百人の後ろには、数えられなかった人がいる。画面の向こうで、ただ見てる人たち。
俺も、そのひとり。
見えない声と見える声。
見える声はどうして輝いているように見えるんだろうね。
俺は自己肯定感が低い。
でも、そんな自分が嫌いじゃない。
低いところからしか見えない景色もある。
ただここにある、間違いと正解の間で揺らいだ声。
光の強さと影の濃さのバランスを、200円のコーヒーを飲みながら考えている。
「みんなで楽しく」
その言葉の下で、誰かが笑い、誰かが黙っている。
ため息をついてSNSを閉じた。
価値って、数字じゃないよな。
ただ、この静かな時間を味わいたい。
ちょっと苦い、安っぽい冷めたコーヒーを俺は流し込んだ。
誰も悪くない。
ただ、俺にはこの静けさが似合う。
200円のコーヒーと、誰かのテンポに合わせようとしない心音が。