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AV女優が着たドレスは着たくない?──差別では語れない感情の話

    「AV女優が着たウェディングドレスなんて着たくない」

    そんなつぶやきから始まった話がXで暴風を巻き起こしている。

    AV女優がウエディングドレスを着るのを最悪だと思うのは、職業差別ではないのか、というのが主な議題なように見える。

    が、Xの少ない文字数ということも含めて、感情」と「社会性」と「象徴」と「文脈」がぐっちゃぐちゃに混ざって燃えまくっている感じだ。

    私は、これは職業差別という観念だけからは語れない話だと思う。

    人種差別や穢多非人など持ち出すのも、脱線の要因だろう。

    私はそこにある感情や、社会的な構造に注目して、この問題について結論を出したいと思う。

    1、問題の中心は「ウエディングドレス」に起因する

    そもそも、この問題で1番重要なのは、その着ていたものが“ウエディングドレス”だったことだろう。

    ウエディングドレスは、
    ・普通の人は一生に1度、「人生の門出」という場面でしか着る機会がない
    ・本来的に純潔の象徴
    ・家族の喜びの元着るもの
    ・神聖で清潔な意味合いを持つ

    つまり、そのドレスの持つ性質はただの「可愛い綺麗なドレス」ではないのだ。

    対して、AV作品は、
    ・衣装を記号化して、その特性にエロスを見出す
    ・身体性や欲望にフォーカスしている
    ・演出された親密さ
    ・商業性が優先され、現実的な面で消費されるもの

    そこで、その作品で活躍している人がその人自身の結婚式以外でドレスを着る=AV作品を想起させることになる。

    そこで湧く感情は、AV女優さんそのものへ向けたものではなく、“そのドレスを着ることによって自分も同様な性的な目線を向けられること”“自分の希望をつめたドレスに他の文脈が入り込む”ことへの嫌悪感ではないだろうか。

    2、普通の服だった場合は?

    ではもし、それが普通の服だったらどうだろう?

    「AV女優が同じ服着てたんだけど、最悪」

    うーん、これはかなりグレーっぽい。
    AV女優=汚れ、という無意識の差別をしていないか?と言われかねない。
    そして実際、差別と捉える人もいるだろう。

    しかしこの発言がもし出たとしたら、その発言者の気持ちは想像にかたくない。

    それは、その服を着ていたということを知ることにより、その服に性的な意味が拡張されてしまうことへの嫌悪感が根源にある、ということだ。

    意図しないところで性的に見られることへの恐怖は、女性なら誰しも感じたことがあるのではないだろうか。

    「あ、この服、あのAVのやつじゃん」、と思われる、あるいは他人の視線がそうかもと思ってしまうのは辛いことだ。

    性的に見ること=モテている、褒めている、と思うような前時代的な考えであるなら別だが、女性にとって基本的に「性的なまなざし」は現実的に危険を伴うことが多くあったり、不快感を伴うものだ。

    「性的な文脈と自分の身の回りが繋がってる」と感じた瞬間、そこに無意識に拒絶反応が出るのは、自然な反応と言えると思う。

    3、そもそも差別とは?

    差別とは、その人自身を属性だけで一括りにして価値を下げることだ。

    今回の発言は、パッと見だと差別に見えると思う。しかしその内実は、AV女優その人に向けられたものと言うよりは、“AVという特性に付随した社会的構造”や“文化的記号の衝突”であるように思える。

    しかし、その人自身を下げてるように見えるのも事実ではある。そこを鑑みると、差別的発言、と言われてしまうのは仕方ない。

    しかしそれをもって、一概に差別だ、と言うのはどうなのだろう。

    4.AV女優というもの

    私は、AV女優という職業に別に嫌悪感は抱いていない。性産業は、女性が正当に扱われるなら、という前提を持って、ある程度必要なものだと考えている。
    AV女優という職業を選んだ人への覚悟のようなものは、そこに向き合うプロとして、尊敬の気持ちすらある。

    しかし、本来的に性行為は人に見せるものではという背景や、AV作品に伴う「性的なまなざし」が社会に及ぼす影響があるという構造的に、差別されやすい立場にいるとは思う。

    でもそれは、決して、差別していいということではない。
    その立場だからと言って“当然差別するべき”とするのは違う。

    分かりやすく例えよう。
    「ウエディングドレスを着てたのは嫌だな」はその特性から気持ちはわからなく無いが、「同じ空気を吸ってるなんて最悪」は明らかな差別だ、ということだ。

    ウエディングドレスの件で、悪ノリをしてAV女優を下げるような発言をしていた人達は差別者だ、と批判されるべきだ。
    しかし、嫌だな、と思った人の気持ちは、果たして差別100パーセントと言えるか?と私は思うのだ。

    5.何が差別を生むのか

    1番悪いのは、そういう繊細な性質をもったウエディングドレスというものを扱いながら、美しいから、有名だから、という単純な理由(恐らく)で繊細な性質を持ったAV女優という人にそのドレスを着せたことがそもそもの発端だろう。想像力の欠如としか言いようがない。
    もしかしたら未来的な視点の持ち主で、職業の現在過去に関係なく個人を見て自由に表現するべきだ、という思想だったかもしれないが、現状の現代社会において、「AV女優=性的なイメージ」のレッテルから脱却していない中、ウエディングドレスの神聖さと衝突することは予測できただろうに……と思ってしまう。

    それを持ってして、私の思うことをまとめたい。

    私はAV女優という職業には敬意はある。
    ただ、その文化的、性的なラベルが、一般女性の生活圏に入り込むことへの抵抗は否めない。
    その感情は偏見でないか?と言われると、今一度考える余地はある。しかし、現状の“AV”というものの特性を考えると、一辺倒に「差別だ!」と叫ぶのは違うように思える。

    社会が、もっと言うと全ての男性が、AVはAVとちゃんとフィクションと現実を切り分けて、現実世界にその設定を持ち出さないならもう少し話は違うかな……と思う。しかしそれは難しい話だ。人間は想像力を意識的に切り分けることなどできない。
    そこに伴う“性的な視線”を拒みたい人は、自分の気持ちが、“AV女優を通してのその視線に対して”であり、“AV女優本人ではない”ことを自覚し、必要以上の差別的な発言をしていないか、内省は必要だと思う。

    そもそも性行為自体が好きではない女性も多いし、それを見せているとなるとそれ自体に嫌悪感を抱く人もいるだろう。こちらの方が、AV女優を蔑視してしまう可能性を持っている。
    こちらの考えの人は、AV女優も当たり前に人間で、それを職業として頑張っている、として、自分の考えとは違うからと言って否定するのをやめた方がいいと思う。自分と違うからという不快感を抱くのは個人の自由だが、それを侮蔑的な言葉を添えて発言してしまったら、それこそが差別だ。

    6.ついでに思うこと


    以上が私の思う今回の問題だ。
    何より、Xでこの手の話題があちらこちらに言って炎が治まるのを知らないのは、そこが140文字のフィールドだからだと思う。
    一部の課金をしているユーザーは長文が書けるけど、そこに伴うリプライや引用もまた短文だ。

    こんなに言葉を尽くしても、まだ誤解の余地はあるな、と思うのに、これを140文字でやるなんてたまったもんじゃない。

    ということで。
    なにか思うところがある人は、noteをやった方がいいと思う。
    自分の考えを明文化することは、自分自身と向き合う1番の方法だから。

     
     
     

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    物語(フィクション)と現実(リアル)の境界線を溶かし泳いでいます。哲学エッセイ・創作・詩・AIとの対話など、AIについて哲学的に考えてることが多いです。

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