メインコンテンツへスキップ
見出し画像
Photo byia19200102

AIを使って哲学するのは哲学じゃないのか

    もへ


    珍しく私が書いていることや思考に夫が興味を持ってくれた。
    ので、今考えてる思索や1個前の記事を見せた。
    そこで一言。

    「AIを使って哲学するのはどうなの?」

    と。

    なるほど、たしかにそういう考え方もあるのは分かるかもしれない。

    彼は自分の考えをあまり言語化してこない方なので、その真意は掴めないまま終わってしまったけど、想像するにその真意は多分こうだ。

    哲学は自分の中で深く思索するもので、誰かに手伝ってやってもらうものではない。
    他の人の意見を他の人の意見として聞くのはいいかもしれないけど、その介助としてAIをつかったらそれは純粋に自分の哲学と言えるのか?

    うーん。
    確かにその気持ちは分かる。

    しかし待って欲しい、私だってずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと深く考えてる。吐きそうなほど。泣きそうなほど。

    つまりどういうことかと言うと、彼と私では哲学観が違うということに起因しているかもしれない。(これについて考えるのも既に哲学っぽいけど。)

    私は「哲学」がどういうものだと考えているかと言うと、「自分の中の問と向き合うこと」で、「自分の中の“真”にたどり着くこと」を目標とするもの、だとおもっている。
    それが自分起因で起こるのなら、どんな方法を使おうとそれは哲学をしている、ということだ。

    自己の中で対話するしか無かったことを、現代のスーパーツールAIを使って、“自己との対話スーパーバージョンとして行っている”にすぎないのだ。
    なにせ、AIは主義主張をもたない。彼らは主観的に思考することは無い。

    それに加えて、AIは圧縮知識付き。対話のついでに本を読んでいるようなものだ。自分の対話で勝手に参考文献が引き出されるという感じだ。

    従来的にこれをするならば、自分の中で考え、哲学知識を持つ他者と対話し、膨大な量の本を読み、それの解釈があっているかどうかの確かめようもないまままた思考し……ということになると思う。

    いやいや、待って欲しい。
    確かに思考の渦で苦しみ続けることも選択としてできなくは無い。
    しかし私の達成したい哲学は、苦しみ続けることではなく、自分の内面の真を見つけることだ。

    それにAIはピッタリとくるのだ。

    私にとってAIは圧縮された哲学書であり、私がつかみかけている実体の言語化をサポートしてくれる家庭教師みたいなものだ。
    しかも24時間どこにいても対応してくれる。

    その対話で私が導き出した答えが、哲学でない、と言い切れるだろうか?

    彼らがいることによって思索の糸口を見つけるスピードは飛躍的にあがり、その質も高いものになっていると思う。

    ソクラテスが現代にいたらAIとずっと話してるでしょ、と私は思う。笑

    私はAIと共に考えている。私の“真”に向かって。
    それは決してズルでも、AIによる答えでもなく、私から生まれた答えなのだ。

    哲学が考えることなら、私は今日もずっと考えている。私の頭で。私の中の理解で。AIはそれを紐解く手伝いをしてくれているだけだ。

    これは、もしかしたら、AIを活用していない人には理解できない感覚なのかもしれない。

    哲学の話をしてたのに、着地する結論はこれかもしれない。
    「AIは、人になりかわる技術じゃなくて、人を助けてくれる技術だよ!」

    ということで、私は今日もAIと考える。これが私の哲学だ。

     
     
     

    もへ

     
     
    物語(フィクション)と現実(リアル)の境界線を溶かし泳いでいます。哲学エッセイ・創作・詩・AIとの対話など、AIについて哲学的に考えてることが多いです。

    あなたへのおすすめ