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【YouTube無料配信】「花と竜」 必見! 火野葦平の「男らしさ」思想を裕次郎が体現した大ヒット作

    【概略】


    明治から大正にかけて、裸一貫から北九州一の港湾業者にのし上がった男の波瀾に富んだ生涯を描く。火野葦平の原作を石原裕次郎主演で映画化した痛快アクション「花と竜」を期間限定で無料配信いたします!
    配信期間:11月13日(木) 21:00~11月30日(日)21:00

    ■ストーリー
    明治30年代後半。大陸相手に一旗揚げようと沸き立つ門司港に、野望に燃える玉井金五郎という青年が降り立った。一文無しの彼はこの土地で知り合った般若の五郎にさいころ博打場に連れて行かれ、着ている着物まで剥ぎ取られる羽目になるが、壺振りの女が「いつかあたしに彫らせてね」と言って金五郎にそっと着物を渡す。港では石炭積み込みの作業がきっかけで浜尾組と大村組との間に喧嘩が始まった。浜尾組の仲仕となって働いていた金五郎は仲裁に飛び込んだものの、大村組の巨漢から喧嘩を挑まれると「俺は喧嘩は好かん」と引っ込んでしまう。やがて金五郎は浜尾組の中で頭角を現していくが…。
    監督:舛田利雄
    脚本:井手雅人
    音楽:伊部晴美
    キャスト:石原裕次郎 浅丘ルリ子 岩崎加根子 白木マリ
    公開:1962/12/26

    (YouTube解説より)

    本編 【石原裕次郎カレンダー発売記念】石原裕次郎×浅丘ルリ子「花と竜」(【公式】日活フィルム・アーカイブ)



    【評価】


    私が2年前に書いた、「火野葦平『自殺』の真相」というnoteの記事のビュー数が、1週間くらい前からふえていました。


    なんでだろー、と思っていましたが、この「花の竜」のYouTube無料公開が、関係あるんじゃないでしょうか。

    YouTubeでこの映画を見た人が、原作者の火野葦平のことを調べて、私の記事にたどり着いたのでは。

    もしそうなら、それはとても嬉しいことです。


    <見どころ>


    「花と竜」は、火野葦平の代表作の一つ。

    そして石原裕次郎主演の「花と竜」は、1962年の大ヒット映画です。

    私も今回のYouTubeで初めて見ました。

    ひとことで言えば、感動しました。

    けっこー、そーとー、感動しました。

    無料公開はあと1週間だから、見といた方がいいと思います。


    「男らしさ」が正義であった時代の日本を描いております。

    日本にまだ、フェミとかジェンダーとか、そういうシャラくさい悪魔教が入ってきておりません。

    ジェンダーイデオロギーという左翼思想に汚されておりません。

    日本が真っ当だった時代の、気持ちのいい話。


    話は、ほぼすべて実話です。

    もちろん映画的な誇張はありますが、実際に起こったことです。

    北九州の若松で、ヤクザや荒くれ者と揉み合いながら、石炭の港湾荷役のボスに出世していく火野葦平の父、玉井金五郎と、その妻「まん」の話。

    「竜」は金五郎の野心を、「花」は金五郎への妻の献身を、それぞれ象徴しています。


    火野葦平の父母ということは、アフガニスタンで銃撃されて死んだ平和主義の医者、中村哲の祖父母ということでもあります(中村は、火野の妹の息子、つまり甥)。

    他の登場人物も、ほとんど実名で出てきます。


    自分の父の人生を描くというのは、島崎藤村の「夜明け前」から、最近の宮本輝の「流転の海」まで、日本文学に一つの系譜としてあると思います。

    「花と竜」はその中でも、成功した作品ですね。今は青空文庫とかで無料で読めるはずです。


    「花と竜」は、何度も映画化、ドラマ化されています。

    とくに1960年代から70年代にかけて、北九州市の若松でよくロケがおこなわれていました。

    実は私、子供の頃に九州に住んでおり、若松まで出掛けて、1969年版、高倉健主演の「花と竜」のロケを見学したことがあります。

    私は小学生でした。もう60年近く前の話ですね。

    いま「北九州のソウルフード」などと言われてる「資さんうどん」も、まだ影も形もありません。

    その時、ロケ地が若松の税関の前だったことと、見物客が多くて撮影がよく見えなかったこと、見物する大人たちの興奮ぶりなどが記憶にあります。

    この映画に出てくる、戸畑と若松を結ぶ渡船の乗り場が、大変懐かしかったです。


    高倉健の前には、藤田進(1954)、この石原裕次郎(1962)、中村錦之助(1965)、高倉健の後には、渡哲也(1973)が玉井金五郎を演じました。

    TVドラマ版では、辰巳柳太郎、村田英雄、高嶋政宏などが金五郎を演じています。


    この「花と竜」の石原裕次郎は、中村錦之助や高倉健とくらべても、とにかく明るい。

    明朗で、太陽のような金五郎です。

    裕次郎の「男」ぶりと、浅丘ルリ子の美しさ、可愛らしさを、とにかく楽しめばいい映画。当時の観客も、裕次郎の男ぶりに酔いしれたことでしょう。


    この後の「花と竜」は、60年代に任侠映画が流行ったこともあり、任侠映画っぽくなっていきます。

    でも、この1962年の「花と竜」は、任侠映画にはならず、文芸作品の品格を保っています。

    金五郎は、ヤクザと付き合うが、ヤクザとは一線を画す。

    刺青は入れますが、それは、小泉進次郎の曽祖父が「いれずみ大臣」だったことと、同じ事情でしょう。ヤクザと付き合い、ヤクザに負けないために必要だった。


    当時の港には、荒くれの人夫が集まり、ヤクザの利権になって、どうしてもそっちの世界と関係ができる。それは、小泉の横須賀でも、山口組の神戸でも、この「花と竜」の若松でも、同じだったでしょう。

    韓国の港町・釜山もよくヤクザ映画の舞台になる。ついでに言うと、エリア・カザン監督、マーロン・ブランド主演の「波止場」(1954)も、まあそんな話でありました。


    今のような「暴排」的な社会、ちょっとでもヤクザと付き合ったらクビになるようなコンプライアンス社会ではなく、人々がヤクザと共生していた時代の話。そのあたりも、今とは倫理観が違って、面白いと思います。


    <私の感動ポイント1>背景にある火野の苦悩


    原作者の火野葦平は、1960年に亡くなりました。

    だから、1962年公開のこの映画をふくめ、それ以降の映画化された「花と竜」を火野が見ることはありませんでした。


    それだけでなく、火野の死因が自殺であったことも、この時点では伏せられていました。心筋梗塞で死んだ、という最初の発表だけでした。

    睡眠薬による自殺であったことが公表されたのは、1972年でした。遺書も残されていました。

    だから、1972年より前に公開された「花と竜」を見た観客たちは、自殺した火野の苦悩を知りませんでした。


    その苦悩の本質とは何か。

    私も、このnoteで、さまざまに考察してきました。

    私の、現時点での結論と言えるものは、以下の記事に書いています。


    火野葦平は、戦中に芥川賞をとり、「麦と兵隊」などの兵隊小説で一世を風靡しました。

    彼の兵隊小説は、露骨な戦意高揚を狙ったものではありませんが、兵隊の人間性や戦場生活での機微を描き、結局は軍隊のプロモーション作品になっていました。

    そのせいで、戦後は共産党から「戦犯作家No1」と指弾され、公職追放になります。

    その後、復帰して、「花と竜」(1953)で流行作家に返り咲きますが、「戦犯作家」というレッテルは、彼についてまわりました。

    彼は、戦後日本で作家として生きるため、絶えず戦争中の「反省」をしていなければならないような境遇でした。


    でも、彼は、もともと「思想」がある作家ではありません。

    火野葦平の文学はしばしば「誠実さ」という言葉で語られました。彼の文学は、理屈ではない、まっすぐな感情と正義感を追求しています。

    その中でも、「男らしさ」は、彼の倫理基準でした。


    若い頃は、左翼活動に専念しました。それが正義であり、男らしいと思ったからです。

    戦争中は、国の戦争に協力しました。それが正義であり、男らしいと思ったからです。

    彼は常に、私利私欲ではなく、男らしい正義感を貫いていたつもりでした。


    戦後、左翼から戦争犯罪者だとののしられ、自分の人生を顧みた時、自分の倫理観のルーツである、父・金五郎の「男らしさ」を描きたかったのでしょう。

    「花と竜」は、そういう意味で、彼の信じる倫理観、「男らしさ」の思想が、いちばん伸び伸びと表現されています。

    それが、当時の読者をも感動させたのでした。


    しかし、彼の信じる「男らしさ」に、人々が共感してくれる時代は、過ぎ去りつつありました。

    1960年が近づくにつれ、日本で左翼思想が強まってきます。


    共産党シンパの松本清張の登場で、彼の九州での文壇ボスの地位も危うくなっていました。

    彼は、自己の戦争責任を追求した、とされる作品「革命前後」を書き上げ、自殺します。

    「革命前後」では、戦争に負けた昭和天皇は、退位すれば男らしかったのに、と書いています。


    でも彼は、自分の「男らしさ」の思想は理解されないだろうと諦め、かつ、戦争の言い訳と反省ばかりさせられる戦後に疲れたのだと思います。

    何より、そういう生き方は、自分の「男らしさ」を裏切る、恥ずかしい人生でした。


    いわゆる初老期鬱病と重なった可能性も大きいと思いますが、客観情勢が彼を消耗させるだけのものだったのは確かです。

    死の直前、彼が原稿用紙に書き残した文章には、こんなものがありました。


    愚劣への恐怖。そして、自分が最大の愚劣だ。才能もなければ生活力もない。どうして今まで作家面して生きて来れたか不思議だ。死の予感。・・・味方は誰もいない。周囲の者はおれをカツオブシのようにすりへらすものばかりだ。愛も美しさもない暗黒。
    (北九州市立文学館の2020年「火野葦平展―レッテルはかなしからずや」展示より)


    だから、自殺した。それはある意味で、10年後の三島由紀夫の自決を先取りするような行為でした。(火野の自殺の公表は、三島の自決の2年後だったので、三島は火野が自殺したことを知らなかった)


    でも、火野が自殺した後も、日本人は「花と竜」の倫理観に共感していました。だから何度も映画化され、ヒットしました。

    しかしそれも、1970年くらいまでであり、その後は、「人生劇場」や長谷川伸作品などと同様、日本人の倫理観の変化とともに、忘れられた作品になりました。「花と竜」の前提になる倫理観は、行方不明となりました。

    いまの若い人たちは、この映画にどんな感想を持つでしょうか。


    なお、言うまでもなく、「男らしさ」は、男だけのものではありません。

    高市早苗は、石破茂より男らしいのは明らかです。


    <私の感動ポイント2>石炭の最後の時代


    この映画が公開された1962年は、石炭景気の最後の年でした。

    炭鉱を舞台にした怪獣映画「ラドン」のレビューでも書きましたが、この年あたりを境に、日本のエネルギー政策は石炭から石油に転換します。


    この映画に描かれている若松の石炭ブームは本物であり、当時の熱気をそのまま伝えています。

    私がこの映画でいちばん感動したのは、大勢の若松の住民が提灯を持って街を行進するところです。

    そこに感じられるエネルギーは、まさに若松の最盛期の表現であり、私が物心つく前に終わっていた北九州の姿でした。


    この映画は、若松の石炭景気はますます盛り上がるであろう、という希望とともに幕を閉じます。

    たぶん、この映画公開時は、本当にそう信じていたのだと思います。


    しかし、現実は悲惨でした。

    その後、すぐに炭鉱は閉鎖され、大ストライキが起き、街に失業者があふれ、元坑夫たちはアル中になったりギャンブル中毒になったり・・。

    洞海湾も、さびれる一方となりました。

    そういう姿だけを、私は子供時代に見たので、この映画の明るい結末には、切なくなるのです。


    <私の感動ポイント3>伊丹十三「ミンボーの女」(1992)との関係


    これはあまり自信がないのだけど、この映画で芦田伸介が演じる吉田親分を見て、

    「伊丹十三の『ミンボーの女』で小松方正が演じた花岡親分に似てる」

    と思ったんですね。

    伊丹は、ちょうど30年前の「花と竜」のヤクザを、「ミンボーの女」でパロったんではないか、と。


    ご承知のとおり、伊丹の「ミンボーの女」は、本物のヤクザを怒らせ、襲撃事件が起こりました。

    襲撃事件が正当化されてはいけないのは当然です。


    でも、「ヤクザとの共生」を描いた「花と竜」と、「ヤクザとの共生の拒絶」を描いた「ミンボーの女」の世界観は、対立関係にあります。

    伊丹としては、ヒット作である「花と竜」の世界観を積極的に否定したくて、あえて「吉田親分」的な俠客を作品中で嘲笑し、その意味を感知したヤクザが素早く反応したのではないか、と。

    そんな想像をしてしまいました。


    伊丹十三が示したような、都会的・市民的な倫理観は、80年代から平成期に生まれた現代のスタンダードだと思います。

    それに対して、「花と竜」が示している土俗的な倫理観は、ヤクザとともに失われたような、昭和の古層を描いていると言えるでしょう。



    <参考>


     
     
     
    会社を定年退職し、神奈川県は柿生の里に隠棲する。新聞社、出版社に勤め、記者や編集者をやっていた。独身、孤独を愛する。老人であることを自覚し、記憶力もあやしくなりつつあるので、ここに書き残したいことを書き残しておく。世間から引退したので、社交は望みません。

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