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Photo bysugitamokkoujo13

勝ったら正義か? 負けたが悪いか? 大虐殺と原爆投下

    毎年、この時期になると、メディアや学者を中心に、歴史を振り返る、とくに、日本の戦争を検証する、というムードになります。

    たいがい、日本が悪かった、と総括されます。


    出るか、出ないかわからないけど、石破首相の戦後80年談話が出されるとすれば、やはりその線に沿ったものになるでしょう。

    私も石破と同世代だから、だいたい分かるんですね。

    有識者の話を聞いてまとめたい、とか言っている。


    ここで「有識者」「歴史学者」が入る意味は、事実が公正に検証されていることを、担保するためですね。

    その「公正さ」の大きな要素は、

    「決して日本が負けたから悪く言うわけではない」

    ということです。


    戦争犯罪や、人道に対する犯罪の追及は、勝ち負けには関係ない、という大きな建前があります。

    ホロコーストは、ドイツが負けたから「悪」なのではない。ドイツの勝ち負けに関わらず、「絶対悪」だとされた。

    同様に、日本の、たとえば中国大陸における戦争犯罪についても、日本が負けたから追及されるのではない。「絶対悪」だから追及される、と。


    でも、本当にそうか? という疑問が、ずっとあるわけです。

    やっぱり、勝ち負けが、こうした「公正」な検証にも投影されていないか?

    結局、勝った側は「正しかったから勝った」、負けた側は「正しくなかったから負けた」というふうに、総括されていないか?


    「勝者は勝つべくして勝った」

    「敗者は負けるべくして負けた」

    学者たちは、「公正」で「科学的」だとしながらも、いつも歴史をそう総括しがちだ、という不信感がある。


    歴史なんてちゃんと勉強したことがない、素人のたわごとなんで、あんまり真面目に聞いてほしくないけど。

    死ぬ前に、ここで素人の不信感をぶちまけておこう、と思うわけですね。


    *


    この「不公正」の象徴が、やはりナチスドイツによるホロコーストと、アメリカによる原爆投下の、扱われ方の違いです。

    ホロコーストと、原爆投下の、どっちがより「絶対悪」か。

    どっちが、より「人道に対する犯罪」か。


    はっきりしているのは、裁かれたのは「ホロコースト」のほうだけ、ということです。

    とにかくユダヤ人虐殺は悪だ、絶対悪だ、と、戦後われわれは徹底的に刷り込まれた。


    映画やドラマで死ぬほど扱われたのにくわえ、われわれは『自由からの逃走』だの『夜と霧』だの『エルサレムのアイヒマン』だのを「読め、読め」と言われた。

    それらを読んで、ホロコーストについて思索しないと、知識人ではない、とされた。


    以前、書いたことがありますが、私がマスコミ業界に入ったばかりの頃、つまり30年以上前ですが、尊敬する編集者の先輩に、こう言われました。


    「ぼくの人生の目的は、なぜナチスがユダヤ人を虐殺したのか、それを知ることです。なぜ人間が人間にあんなひどいことができたのか。それを解明したい」


    この言葉が、いまだに心に残っているのは、やっぱり違和感を覚えたからです。心にずっとひっかかってるわけです。

    なんでホロコーストの解明が「人生の目的」になるのか。

    大虐殺なんて人類史にいくらもあった。ホロコーストだけそんなに不思議か。

    たとえば原爆投下もあったのに。なんでホロコーストだけそんな焦点化されるのか。

    しかも原爆の被害者は、日本人だったんですけどね。

    (それに、ホロコーストの犯人の第三帝国はもう存在しないが、アメリカは当時のまんま、そこにある。)


    原爆投下だけでなく、1980年代の後半にはすでに、カンボジアのポル・ポト革命の実態が暴露され始めていました。

    ポル・ポトのほうが、ホロコーストより問題じゃないか。

    ホロコーストより、より同時代的だし、われわれと同じアジア人が大虐殺されているのに。

    なんで、相変わらず「ユダヤ人大虐殺」ばかり問題なんだよ、と。


    もちろん、ホロコーストは大問題ですよ。

    しかし同時に、これはユダヤ人の「広報」力の大勝利だと思わざるを得なかった。

    ユダヤ人に知り合いがいる日本人なんて少ないだろうけど、その日本人に、これだけユダヤ人のことを考えさせている。

    可哀想なカンボジア人には、PR担当者がいなかったんですね。


    もっとも、今では、「ホロコースト」と「原爆」の非対称性は、少し緩和されてきた。

    「オッペンハイマー」なんて映画ができて。

    アメリカの世論調査でも、若い世代ほど「原爆、悪かったかも」という意見がふえている。

    まあ、アニメ「火垂るの墓」の影響とかもあるかもしれん。それについても以前、書いたことがあります。


    でも、まだまだでしょう。

    「原爆、悪かったかも」くらいでしょう。

    ヒトラーを世紀の極悪人と言うほどに、トルーマンを極悪人とは思っていない。

    日本においてもそうだと思います。トルーマンやアメリカ人を、ヒトラーやナチス同然の極悪人に描いた戦争映画を見たことがない。

    (なお、原爆に先立つ、東京大空襲、神戸大空襲等ふくめた、民間人をねらった無差別大規模空爆も、原爆同様に「悪」であり、死者数からいえば原爆より悪い、という議論も承知していますが、ここでは、それもふくめて、ということで)


    この不公平ーーそれはやっぱり、日本やドイツが、アメリカに負けたからではないでしょうか。


    *


    同じようなことは、他にもあって。

    日本の左翼リベラルは、「人種差別」というと、すぐアメリカの黒人差別を思い浮かべがちです。

    そして、キング牧師の「ワシントン大行進」なんかが神話化されている。差別と闘った輝かしい歴史として。


    今では、差別の範囲はもちろん広がっている。私の世代ほど、キング牧師の話は聞かないかもしれない。ネルソン・マンデラみたいな新しいスターがいるからね。

    でも、私の子供の頃は、そんな感じでした。


    でも、「人種差別」で、なんでアメリカの黒人差別の話が典型になるのか。

    日本人だって、戦前アメリカなどに差別され、それと闘ってきた歴史があるのに。


    三国干渉(1895年)、人種差別撤廃要求の否決(1919年)、排日移民法(1924年)を、戦前の「三大侮辱」と言いますね。

    国際連盟における「人種差別撤廃要求」については、だいぶ知られてきたかもしれない。このあいだ、参政党の神谷さんも話題にしているのをYouTubeで見ました。


    排日移民法の時なんかは、戦前の新聞は、朝日新聞から毎日新聞から、みんな怒り狂った。

    あのアメリカ通の新渡戸稲造ですら、「二度とアメリカの土を踏まない」と憤慨した。


    ちなみに、ここで公正のために言わなければならないのは、いま日本の右翼や保守は、「外国人をはびこらせるな」「外国人の土地所有を制限しろ」と言ってるでしょう。

    それは、かつて日本人が、アメリカでやられたことなんですね。

    日本人の移民も同じ目に遭っている。そして、「そんな差別はよくない」と日本人を擁護してくれたのは、ユージン・デブスのような当時のアメリカの左翼だった、ということも忘れるべきではないと思う。


    それはともかく、日本人も戦前は、黒人同様に、アメリカ人にひどい差別を受けている。

    それを象徴するのが、フィリピンの「ベンゲット道路」工事です。

    1900年頃、日本でいえば明治の終わり頃、当時アメリカ領だったフィリピンで、アメリカ人が思いつくわけです。

    「フィリピンは暑くてたまらんから、高原に避暑地を作ろう」と。


    それで、高原都市バギオが開発されるのですが、マニラからバギオまで、山岳地帯に72キロの道路(ベンゲット道路)を引く工事は、難航を極めました。

    最初、現地のフィリピン人や、中国人の工夫を使っていたんだけど、うまくいかない。

    それでアメリカ人の工事主任が、かつてカリフォルニアで日本人工夫がよく働いたことを思い出し、移民会社を通じて日本人を呼び寄せました。それが1903年(明治36年)のこと。

    1500人の日本人がこき使われ、1905年の道路完成までに、難工事と病気のため、半分が死にました。アメリカ人の避暑地を作るために。


    1915年に公開されたアメリカ映画「国民の創生」というのがありますね。

    アメリカ最初の長編映画で、大ヒットしましたが、今では最悪の人種差別映画として、無事に上映することができません。黒人がスクリーンにポップコーンを投げますから。

    ご承知のとおり、KKKを英雄として描いている映画です。

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    The Birth of a Nation(1915)公開時のポスター。KKKがドーンと描かれている(Wikipedia「国民の創生」より)


    私も見ましたが、映画の中で黒人は、まさに動物、家畜のように描かれています。

    たぶん当時、アメリカ人の目には、日本人も同じだったろうと思いますね。


    ちなみに、フィリピンのベンゲット道路で生き残った日本人たちは、帰りの旅費ももらえなかったから、仕方なく、当時未開の地だったミンダナオ島のダバオを切り拓いて、そこに住むわけです。


    それが、今やフィリピン第3の都市であるダバオの始まりだから、ダバオ市長だったドゥテルテ大統領は、安倍晋三首相が訪問した時に大歓迎して、安倍昭恵さんはダバオの日本人墓地に詣でたわけですね。


    ともかく、戦前の日本人は、徳富蘇峰のいう「白閥」に差別された。

    その屈辱に耐えきれずーーというのが、日米開戦の背景としてあるわけじゃないですか。

    少なくとも、国民感情としてはそうで、それは太宰治の小説なんかにも表現されていると思います。

    太宰の「畜犬談」は、1939年、日米開戦の前夜に書かれたものですが、開戦の日に多くの日本人が感じた「快哉」を、先取り的に描いていると私は感じてきました。


    作者(太宰)は犬が嫌いだ。どこか卑屈な態度が気に入らない。特に、皮膚病にやられた醜い飼い犬のポチが大嫌いだった。

    この「ポチ」は、太宰にとっての「日本」であるように、私は感じたのです。

    しかし、作者が近くの練兵場に向かってポチと散歩中、大きな赤毛の犬に襲われた時に、作者は思わずポチをけしかける。


    赤毛は、卑劣である。
    無法にもポチの背後から、風のごとく襲いかかり、ポチの寒しげな睾丸をねらった。
    ポチは、咄嗟にくるりと向きなおったが、ちょっと躊躇し、私の顔色をそっと伺った。

    「やれ!」
    私は大声で命令した。
    「赤毛は卑怯だ! 思う存分やれ!」
    (中略)
    おれは噛み殺されたっていいんだ。
    ポチよ、思う存分、喧嘩をしろ! と異様に力んでいたのであった。
    (太宰治「畜犬談」)


    *


    そろそろ何を言いたかったのか、わからなくなってきましたが。

    まあ、今年も、日本は「負けるべくして負けた」「無謀な戦争だった」という反省がおこなわれるのでしょう。

    どうせまた猪瀬直樹の「昭和16年の敗戦」あたりを使って。


    でも、あの戦争に負けたのは必然だったのか、わからんではないか、と素人としては思うわけです。

    学者はみんな、結果から原因をたどって史料を集めるから、歴史の流れが必然だったという見方を補強しがちだ。


    でも、歴史のその時点に立って考えれば、何が起こったかはわからない。

    枢軸国側はすごい兵器を発明したかもしれないし、連合国側のリーダーの誰かが重要局面でポックリ死んだかもしれない。誰か、われわれの知らない戦争の英雄が現れた世界線があったかもしれないし、アメリカに隕石が落ちてくるシナリオがあったかもしれない。


    フィリップ・K・ディックの「高い城の男」のように、枢軸国側が勝っていたら、という歴史SFはいくつも作られたけど、たいがい暗く描かれる。それも偏見だろう。

    連合国側が勝つよりも、明るい未来だったかもしれない。


    連合国が負けたら、イスラエル建国はなかったかもしれず、そうするとパレスチナ人は追い出されず、中東は今より平和だったかもしれない。

    日本が負けなかったら、満洲はそのままで、共産中国は生まれなかったかもしれない。そうすれば、文化大革命もなかったし、毛沢東主義のポル・ポト革命もなかったから、何千万の命が助かった。

    日本とドイツがソ連を滅ぼしていたら、粛清による被害も防げ、ロシア圏の繁栄と平和が早く来たかもしれない。

    まあ、もちろん、そうなれば、朝鮮の「解放」はなかったかもしれない。台湾も日本統治のままだったかも。

    でも、インドやアフリカや太平洋諸国の独立は、現実より早く来たかもしれない。


    そして、その世界線では、アメリカの「原爆投下」が、「ホロコースト」よりも絶対悪として裁かれているかもしれない。

    アメリカが、敗戦間近に苦しまぎれに日本人を大虐殺したことに関して、世界中のインテリたちが深刻に考える。

    哲学者は、原爆を落としたアメリカの指導者の「悪の凡庸さ」について論じ、チャーチルやローズベルトやトルーマンを極悪人として描く映画やドラマが世に満ちている。

    そして戦後80年ぐらいたって、「そういえば、戦争中にユダヤ人をたくさん殺した。あれも悪かったかも」という声が、ようやくぼんやり上がる。


    その世界線では、編集者の先輩は、

    「ぼくの人生の目的は、なぜアメリカが原爆で日本人を虐殺したのか、それを知ることです。なぜ人間が人間にあんなひどいことができたのか。それを解明したい」

    と私に語ったことでしょう。



    <参考>



     
     
     
    会社を定年退職し、神奈川県は柿生の里に隠棲する。新聞社、出版社に勤め、記者や編集者をやっていた。独身、孤独を愛する。老人であることを自覚し、記憶力もあやしくなりつつあるので、ここに書き残したいことを書き残しておく。世間から引退したので、社交は望みません。

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