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嫉妬の時代

    かつて心理学者の岸田秀が『嫉妬の時代』という本を出した。

    最近も、どこぞの精神科医が、いまは嫉妬の時代だ、というのを聞いた。


    まったくそのとおりだ、と私が思うのは、嫉妬深さでは私は人後に落ちないと思うからだ。

    昨日、宮台真司を嫉妬して記事を書いたときもそう自覚した。

    私が嫉妬深いのは、いまの時代が悪いのである。


    *


    嫉妬という感情は、古代から人々の注目を集め、多くの哲学や文学の主題になってきた。

    ダンテの「神曲」の中では、嫉妬者は瞼を縫い付けられ、煉獄山で苦しみ続ける。


    古来、「嫉妬」と「憤怒」は別の罪とされたが、現代では、嫉妬は「怒り」の一種と考えられていると思う。

    動物にも「嫉妬」はある。

    2匹の動物の飼育箱を並べて、一方に大量のエサ、他方に少量のエサを与えつづけ、それがお互い見えるようにすると、エサの少ない動物は、その少ないエサの量でも十分だとしても、怒りを表し、ストレスを溜め、やがてエサの多い方を攻撃しようとする。(そんな実験結果を読んだが、細部はちがうかもしれん)


    嫉妬は、古来から劣情、つまり、倫理的に不適な感情とされる。

    しかし、嫉妬が、人間を含めた動物に残っているのは、それが進化の上で必要だったからである。

    嫉妬深い俗人の方が、嫉妬しない聖人より、たぶん生き残る確率が高かった。


    *


    私は最近、フィリピン・ミンダナオ島のYouTuber、Issaさんが、嫉妬のメカニズムをうまく説明しているのを見た。

    フィリピンの女性は一般に、やきもち焼き、嫉妬深いとされる。

    それは、フィリピーナの情が深いからだとされる。

    しかし、Issaさんによれば、そうではない。

    Aというフィリピーナの愛人がいる日本人男性が、Bという別のフィリピーナと浮気したとき、Aが怒るのは、男性への愛情が深いからではない。

    フィリピーナにとって日本人男性は「カネづる」であり、Aが怒るのは、本来Aが得るはずだったカネが、Bに流れたからだ。

    つまり、Aは、Bに、カネを奪われた、と認知する。だから怒るのだ、と。

    ま、そういうことだと思う。


    上の例で、もし女Bが女Aを直接に襲って、カネを奪おうとし、Aが怒ってBを殴っても、たぶん正当防衛だ。

    しかし、女Aが、自分の男の浮気相手のBを嫉妬で殴ったら、(たぶんフィリピンでも)正当防衛とは認められないだろう。

    嫉妬が「劣情」であるのは、同じ「怒り」でも、その怒りの正当性が、世間的に認められないからだ。

    嫉妬という怒りは、正当に「解消」されることが難しい。

    それゆえ、それは何より、本人を苦しめる。

    だから、嫉妬するな、と嫉妬をいましめるのは、正しい。

    だが、いましめられても、嫉妬は自然な性情として起こる。


    *


    身分差別がはげしい社会は、いじめを社会ぐるみでやっているのと同じだ。嫉妬という怒りがうずまく生き地獄になりやすい。

    だから、身分のちがいを正当化する世界観を流布したり、身分別に住地を厳格に分けるなどして、嫉妬心が「発火」しないように工夫するしかない。

    (ダンテは「自負・嫉妬・貧欲は、人の心に火を放てる三つの火花なり」と言った。)


    むかしの日本の村では、貧乏人を怒らせると金持ちの家がまっさきに打ち壊されるから、金持ちはいつも腰を低くして村の雑用などを引き受け、祭りのさいには最大の寄付をする、というように気を使ったそうだ。

    しかし、現代は、身分差別があるにもかかわらず、身分差別はないという欺瞞が流布されてしまっている。(この欺瞞の特徴は、識者が指摘するように、悪いのは時代や社会ではなく、「あなた」であると思わせるーーつまり「不幸の個人化」にある)

    そして、貧乏人も、自分の家から少し移動すれば、金持ちの家があり、金持ちの生活がのぞけたりする。


    最近の金持ちは厚かましく、頭(ず)が高く、ただ初期条件がよかっただけなのに、あたかも自分の実力のごとくふるまって、われら貧乏人を睥睨している。

    そのうえ、その様子をSNSでみせびらかしたりする。

    そらあ、嫉妬するわな。


    私は昔から、「嫉妬してなぜ悪い」と開き直っている。

    私が嫉妬深いのは、私が貧乏な身分に生まれたことと、時代が悪いのであって、私が悪いわけではない。

    死ぬまで嫉妬して、死んだらおとなしく「煉獄山」につれていかれるつもりです。



    <参考>




     
     
     
    会社を定年退職し、神奈川県は柿生の里に隠棲する。新聞社、出版社に勤め、記者や編集者をやっていた。独身、孤独を愛する。老人であることを自覚し、記憶力もあやしくなりつつあるので、ここに書き残したいことを書き残しておく。世間から引退したので、社交は望みません。

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