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イラン革命を讃えた「フーコー」が袋叩きにあっている 左翼革命としてのイラン革命

    (ヘッダー画像は、Maarten BoudryのXポストより)



    大物左翼の黒歴史


    今イランがあーゆーことになっているので、1979年のイラン革命当時、革命を称賛していた左翼の大物思想家、ミシェル・フーコー(フランス人)への批判が、高まっています。

    たとえば、ベルギーの哲学者、マーテン・バウドリーのXのポストは、ハーバード大のスティーブン・ピンカーがリポストしたこともあり、拡散されて、多くのコメントがついています。


    いまだ左翼の巨頭であるミシェル・フーコーは、1979年にイラン革命を熱狂的に称賛した。なぜか? アヤトラたちは西洋の「帝国主義」に反対し、イスラム教は「精神的」覚醒の力として位置づけられたからだ。半世紀経った今でも、この党派主義的な妄想は依然として続いている。

    In 1979, Michel Foucault—still a towering figure on the Left—enthusiastically cheered the Iranian Revolution. Why? The ayatollahs opposed Western “imperialism,” and Islam was cast as a force of “spiritual” awakening. Half a century later, this campist delusion still endures. pic.twitter.com/RBloAnEnav

    — Maarten Boudry (@mboudry) January 11, 2026


    フーコーの名前や思想が、まるで彼が天才か聖人であるかのように、学界で尊敬の念をもって語られるのを聞くのはうんざりだ。

    I am sick of hearing Foucault’s name and ideas mentioned reverently in academia like he was a genius saint.

    — JackTheRooster 🐓 (@Jack_TheRooster) January 12, 2026


    フーコーは近代における最も邪悪で妄想的な思想家の一人です。

    Foucault is one of the most evil and delusional thinkers of modernity.

    — Niemandhatdasrechtzugehorchen🇩🇪 (@KeinGehorchen) January 11, 2026


    フーコーやチョムスキーのようなバカが今でも素晴らしい学者として尊敬されている

    dipshits like Foucault and Noam Chomsky are still revered as some amazing scholars to this day

    — John Wu (@SlavaUkrainiWu) January 12, 2026



    フーコーは「クィア理論」の父とも呼ばれる。アルジェリアに住んでいた頃、貧しい人々に金銭を支払って幼い息子を強姦させていた小児性愛者だった。フランスに帰国後、彼は議会に児童との性行為の合法化を求める請願書を提出した。サルトルとボーヴォワールもこの請願書に署名した。

    Foucault is also seen by some as the father of 'queer theory'. A pedophile who when living in Algeria paid poor people to allow him to rape their young sons. On returning to France he petitioned parliament to legalise sex with children. Sartre and de Beauvoir signed the petition.

    — Charlie Kennaugh #FBPE (@c_kennaugh) January 12, 2026



    まだまだ「悪口」はたくさん続きますが。

    日本でも神のごとく崇められているフーコーへの悪口が面白く、私もつい余計に引用してしまいました。


    資本主義社会に「ミクロな権力」を発見したフーコーのおかげで、国家権力の露骨な暴力でなくても、人々の日常的な振る舞いが「抑圧」や「差別」や「いじめ」とされるようになりました。

    「パワハラ」だ「セクハラ」だ、あるいは「マイクロアグレッション」だ、と、我々が日々、部下や同僚の告発や内部通報を恐れ、左翼勢力に屈服せざるを得なくなったのも、このハゲのせいです。

    それらが、資本主義の生産性を下げるための左翼のサボタージュだと、いい加減気づいてほしいものです。


    グーグル先生の解答


    ともあれ、そういう現代左翼思想の「礎石」的な大物、岩波書店のポストが毎年「誕生日」と「命日」にその名を讃えている聖人、人文系論文でずば抜けた引用数を誇り、「フーコーこけたら皆こける」的な大権威・大理論家のフーコーが、1979年前後にイラン革命を称賛していたのは事実です。

    それが批判されるのは、今回が初めてではありませんが、フランス国内での批判ではなく、世界的に議論されるようになったのは、比較的最近のことだと思います。


    フーコーは1984年に亡くなりましたが、2001年の9・11で、イスラム原理主義に関心が集まった時、彼がイラン革命を讃えていたことが、改めて英語圏で話題になりました。

    それから、ジャネット・アフレー他の『フーコーとイラン革命 Foucault and the Iranian Revolution』(2005、シカゴ大学出版局)あたりを皮切りに、ベローズ・ガマリ=タブリージの『イランのフーコー Foucault in Iran』(2016、ミネソタ大学出版局)など、フーコーとイラン革命の関係は、学術的な研究対象になっています。


    でも、日本では、あまり紹介されてないのではないでしょうか。

    やっぱりフーコーでメシを食ってる学者が多いから、「悪口」と取られるものは、翻訳も出しにくいのでしょう。


    最近の研究を含め、Google先生ならよく知っているでしょう。

    ということで、GoogleのAIに、「フーコーはイスラム革命を讃えましたか? foucault praise islamic revolution?」と聞くと、以下のように答えてくれました。


    はい、ミシェル・フーコーはイラン・イスラム革命の参加者に深い共感と称賛を示し、それを西洋近代への挑戦となる独自の精神的政治、「政治的精神性」、そして典型的な革命ではなく深遠な「生成」と捉えました。しかし後に、彼は台頭する神政政治の厳しい現実と結果を見逃していた可能性があるとして批判に直面しました。彼は抑圧に対する集団的意志と精神的エネルギーを称賛しましたが、イスラム共和国の具体的な形態を完全に予測しておらず、西洋の権力構造からの脱却という革命体験そのものに焦点を当てていたことでも知られています。

    Yes, Michel Foucault expressed deep sympathy and admiration for the Iranian Islamic Revolution's participants, seeing it as a unique spiritual politics challenging Western modernity, a "political spirituality," and a profound "becoming" rather than a typical revolution, though he later faced criticism for potentially overlooking the harsh realities and outcomes of the emerging theocratic government. He praised the collective will and spiritual energy against oppression but was also noted for not fully anticipating the specific form of the Islamic Republic, focusing instead on the revolutionary experience itself as a break from Western power structures. 


    フーコーの視点

    • 精神政治:フーコーは革命を、単なる政治的・経済的なものではなく、抑圧的な西洋近代主義に対する精神的な蜂起、つまり新たな政治活動の形態と捉えていた。

    • 革命体験:彼は人々の変革体験と集団的意志を重視し、革命と抵抗という行為を、最終的な政治構造よりも重視した。これはコリエレ・デラ・セラ紙への寄稿にも見られる。

    • 反近代主義:彼は革命運動を、西洋の覇権に対する力強い拒絶、異なる非西洋的な道への希求と捉えていた。

    • 「ホメイニはそこにいない」:フーコーは、革命家たちが求めていたのは伝統的な聖職者国家ではなく、精神的な刷新であり、「預言者ムハンマドの時代のイスラムへの回帰であると同時に、光り輝く遥かな地点への前進でもある」と有名な​​言葉で述べ、ホメイニを単なる原理主義者と見なす考えに異議を唱えた。

    Foucault's Perspective

    • Spiritual Politics: Foucault saw the revolution as a new form of political action, a spiritual uprising against oppressive Western modernity, not just a political or economic one.

    • Revolutionary Experience: He emphasized the transformative experience and collective will of the people, prioritizing the act of revolution and resistance over its eventual political structure, as seen in his reports for Corriere della Sera.

    • Anti-Modernity: He viewed the movement as a powerful rejection of Western hegemony, a desire for a different, non-Western path.

    • "Khomeini is not there": Foucault famously stated that the revolutionaries weren't seeking a traditional clerical state but a spiritual renewal, a "coming back to what Islam was at the time of the Prophet, but also of advancing toward a luminous and distant point," challenging the idea of Khomeini as a simple fundamentalist.


    批判とその後の議論

    • 結果の誤判断:多くのフランス知識人は、フーコーが革命の熱狂に惑わされ、出現した聖職者による支配の抑圧的な性質を予見できなかったと批判した。

    • 経験への焦点:フーコーは、革命の過程とその結果とを同一視するのは誤りであると主張して自らの立場を擁護したが、この主張は批評家たちを完全に納得させることはできなかった。

    • 永続的な関連性:特にベローズ・ガマリ=タブリージのような学者による後年の分析は、フーコーが「政治的精神性」に焦点を当てたことは、たとえ具体的な政治的軌跡を予測していたわけではないとしても、彼の後期の著作を形作った重要な洞察であったと述べている。

    本質的に、フーコーは革命精神とそれが西洋の政治規範から脱却したことに魅了され、それを深遠な精神的・政治的行為と見なしていた。しかし、それはある意味で彼自身を含め、多くの人々を失望させる政府をもたらしたのである。

    Criticism and Later Debate

    • Misjudging the Outcome: Many French intellectuals criticized Foucault for being seduced by the revolutionary fervor, failing to foresee the repressive nature of the clerical rule that emerged.

    • Focus on Experience: Foucault defended his position by arguing it was wrong to equate the revolutionary process with its outcome, but this defense didn't fully satisfy critics.

    • Enduring Relevance: Later analysis, especially by scholars like Behrooz Ghamari-Tabrizi, argues that Foucault's focus on "political spirituality" was a crucial insight that shaped his later work, even if he didn't predict the specific political trajectory.

    In essence, Foucault was captivated by the revolutionary spirit and its break from Western political norms, viewing it as a profound spiritual and political act, even as it led to a government that disappointed many, including himself in some respects.


    左翼革命としてのイラン革命


    ただ、左翼とイスラム革命の結びつきは、もう少し深いところにもあります。

    それを象徴するのが、アリー・シャリアティ(Ali Shariati)というイランの思想家です。

    フーコーも、1978年のインタビューで、イラン革命の重要な思想家としてシャリアティの名前を出しています。


    アリー・シャリアティは、イスラム-マルクス主義者とでも呼べる人でした。

    1933年に熱心なイスラム教徒の家に生まれましたが、1959年にフランスに留学して、サルトル、毛沢東、チェ・ゲバラ、フランツ・ファノンなど、左翼思想の影響をモロに受けました。

    左翼の多くは無神論者でしたが、シャリアティはイスラム信仰と革命思想を融合させ、マホメットもマルクスも平等社会を夢見た点で同じといった考えを、詩的な比喩で表現して、当時のイランの若者に多大な影響を与えました。

    シャリアティは、イラン革命直前の1977年にイギリスで客死しますが、イラン革命の本を書いたクリスチャン・カリルは、以下のように書いています。


    (この時期のイランに)シャリアティほどの影響力を持った者はいない。知的成果と理想主義によって、政治的行動を促したのは、彼だけの業績だった。イランにイスラム革命をもたらしたゲリラや過激派を鼓舞したのは、彼の講義だけだった。シャリアティはタネを蒔いた。他の人々がそれを育て実らせることになる。
    クリスチャン・カリル『すべては1979年から始まった』(草思社、2015)p162

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    アリー・シャリアティ


    こうした事情から、ホメイニは革命後、左翼に対しては寛容な態度を取っています。

    この思想的関係を考えれば、同じ1960年代のフランス左翼思想界を担ったフーコーがイラン革命を讃えたのも、まったく不思議ではありません。


    1979年という特異年


    日本でも、全共闘世代は、イラン革命に肯定的でした。

    たとえば、「全共闘世代文学」である冒険小説の直木賞作家、船戸与一は、イラン革命防衛隊員を「いい奴」として主人公の一人にした小説を書いていました(「砂のクロニクル」など)。


    私のような1960年前後生まれには、10年以上年上になる左翼世代のこういう感覚が、ずっとわかりませんでした。

    今でも、イラン反体制デモに沈黙する左翼たちの気持ちが、正直よくわかりません。


    ただ、イラン革命が起こった1979年には、私も20歳前後でしたから、当時のことは記憶にあります。

    1979年は特異年で、歴史の分岐点となる大きな事件が重なりました。


    ・ソ連のアフガニスタン侵攻(覇権主義と批判されソ連の権威失墜、弱体化)

    ・鄧小平が中国の最高指導者(党中央軍事委員会主席)に(厳密には1978年12月から 毛沢東主義の否定、思想より経済へ)

    ・サッチャーがイギリス首相に(労働党政権の終わり)

    ・イラン革命(1978年に始まり79年に終了)


    左翼としては、ソ連に失望し、中国に失望し、ヨーロッパの労働運動に失望し、いよいよ追い込まれていたわけです。

    だから、イラン革命に希望を抱き、飛びついた、という事情があるでしょう。

    同じ時期には、カンボジアのポル・ポト革命にも飛びついていました。

    直後の1981年には、アメリカでレーガンが大統領になり、その10年後、ソ連が消滅するという歴史の流れになります。

    (ちなみに、鄧小平は1920年代に、ポル・ポトは1940年代に、上述のアリー・シャリアティは1950年代に、フランスに留学しました。みんなフランスで赤くなる)


    とにかく「蜂起せよ」。後は知らん


    イラン革命に「熱狂」した左翼は、その前に、キューバ革命にも「熱狂」しています。

    今、そのツケを払わされているようです。


    左翼としては、とにかくアメリカと資本主義への「蜂起」であれば、なんでもよかったのです。

    その「蜂起」の結果に対し、責任をとった左翼思想家を、私は一人も知りません。




     
     
    会社を定年退職し、神奈川県は柿生の里に隠棲する。新聞社、出版社に勤め、記者や編集者をやっていた。独身、孤独を愛する。老人であることを自覚し、記憶力もあやしくなりつつあるので、ここに書き残したいことを書き残しておく。世間から引退したので、社交は望みません。

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