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【Netflix】「エマージェンシー:ニューヨーク」 コロナ後の医療と「臓器移植」

    <概要>

    ネットフリックスの新作ドキュメンタリー。

    大都市ニューヨークの医療の最前線で働く人々が、仕事のストレスとプライベートとのバランスをとりながら日々職務に励む姿に密着した、緊迫のドキュメンタリーシリーズ。(Netflix公式サイトより)


    本作は、2020年に公開され、絶賛を受けたドキュメンタリー「レノックスヒル 医師たちの奮闘記」の続編(スピンオフ)にあたる。


    「レノックスヒル」は、コロナが広まるところで終わったが、「エマージェンシー」は、コロナがほぼ収まった後の状況を追っている。

    「レノックスヒル」は1つの病院の4人の医師(神経外科、救急救命、産婦人科)に焦点を当てたものだが、今回はレノックスヒル病院含めた複数の病院で、臓器移植と小児科も同等のウエイトで描いている。

    また、医師だけでなく救急隊員もクローズアップされている。

    「エマージェンシー:ニューヨーク」は3月末に公開され、「レノックスヒル」同様、アメリカ国内で高い評価を受けている。


    <評価>

    コロナ後の医療最前線


    タイムリーでもあり、非常に見応えあるドキュメンタリーだ。

    番組の中で、コロナ後の状況を、医師たちが以下のように述べている。


    ・コロナで病床を独占されていた間に検査や治療ができなかった病人が、病状を悪化させて押し寄せている。

    ・同時に、外出規制が解けて、戸外や旅行中の事故が急増している。

    ・一方、コロナ期間中の疲労で、うつや不安、パニックが増えた。

    ・また、この間にホームレス含む貧困層が放置されたため「健康格差」が広がった。


    ドラマのような実話


    ニューヨークらしいのは、銃傷、薬物中毒者、ホームレスの治療が多いのと、患者や医療スタッフの民族・人種が多様であることだろう。

    とくに銃による子供の犠牲が多く、銃規制を訴えているのが本作の特徴だが、その部分は日本人の私には(幸いにも)ピンと来ない。

    私のような日本人は、タトゥーしている人が多いのに驚いた。外科部長みたいな役職者にタトゥーは少ないけど、看護師など病院のスタッフもタトゥーしてる。患者は裸になるシーンが多いからどうしても目立つ。

    「この手術跡のところにタトゥーしよう」

    なんて会話もあって笑う。


    1回約40分で全8回のシリーズ。

    ニューヨークには、1時間に300本の救急コールがあるという。

    それにしても、8回分も材料が持つのか、と思うだろう。

    実は前半4回と後半4回をつなぐ、ある「ドラマ」がある。

    前半で治療にあたっていた医者が、後半に病人として担ぎ込まれてくるのである。

    そのエピソードによって、人生、何が起こるかわからない、と実感させられる。


    生々しい手術映像


    「レノックスヒル」もそうだったが、見どころは、外科手術を隠すことなくバッチリ見せるところだろう。

    脳手術、内臓移植手術、帝王切開など、地上波では自主規制するであろう場面を鮮明に見ることができる。

    だから、そういうのが苦手な人は注意したほうがいい。私も帝王切開シーンはちょっとビビった(「レノックスヒル」のより、さらに詳細だった)。

    ただ、成功した手術しか流していないから(病院と本人の許可を得た映像しか使わないから当然だが)、その点は安心していい。


    病院スタッフの「思い」と「重圧」に重点を置いた、ヒューマンな切り口のドキュメンタリーで、ちょっと「感情過多」な感じもある。


    アメリカの臓器移植の多さ


    印象的なのは、臓器移植が頻繁に行われることだ。

    このドキュメンタリーの中で、腎臓移植が2回、肝臓移植が1回、心臓移植が1回、見られる。

    とくに腎臓移植は生体移植であり、1つは親から子へ、もう1つは職場の同僚から同僚への移植である。

    隣り合わせの病室で、一方でドナーから臓器を取り出し、一方でそれを移植する。透析の苦しみを味わわせたくない、というのがドナーの気持ちで、親はまだわかるが、職場の同僚が、というのは、日本では稀なのではないだろうか。


    2021年の資料で、100万人あたりの臓器提供者数は、アメリカ41.88に対して、日本は0.62と、下手すると2ケタ違う。韓国(8.56)と比較しても10分の1以下だ。


    なぜ日本人は臓器提供が非常に少ないのか。

    2つある腎臓の1つがなくても日常生活に普通不便はない、とは知っているはずだ。

    透析は大変で気の毒だ、ということも知っている。

    でも、じゃあ自分の腎臓を、と提供する人は少ない。

    これは文化の差なのだろうか。

    血はまた体内で作られるから、献血はするけど、もともとあるものを永久に失うのは怖い。

    父親に生体肝移植した河野太郎も、以下のように言っている。


    移植のために切り取った肝臓は再び大きくなります。しかし、腎臓移植では提供された腎臓は永久に失われてしまいます。最近行われるようになった生体肺移植では、提供するために切り取られた肺は元に戻りません。近々生体移植が実施されると言われる膵臓も、切り取られれば機能は大きく低下します。一人の命を救うために、もう一人の健康な人間の健康が失われても良いのでしょうか。


    これは日本人の一般的感覚だろう。

    私も、死んだあとならOKだが、生きているうちは嫌だな、と思う。

    なんか、生まれたままの姿を壊したくない、「親にもらった体を〜」みたいな感覚があるのかな。

    アメリカ人が、生体移植に日本人ほど抵抗がないのは、タトゥーが平気なのと関係があるのか、と思ったり。

    キリスト教とか、「寄付」の文化の違いかな。

    あまり考えたことがない問題だったが、しかし、自分が移植を待つ立場だったら、どうにかしてほしいと思うだろう。

    それが臓器の不法売買の原因にもなってしまう。

    少なくとも臓器の死後提供に関し、今は生前に意思を示さないと提供されない制度(OPTING IN)だが、生前に拒否していない限りは提供を許す、という制度(OPTING OUT)に変えた方がいい。

    また、こういうドキュメンタリーで、臓器移植が普通に行われている現場を見せるのも、日本人への「教育」になるのではなかろうか。

     
     
     
    会社を定年退職し、神奈川県は柿生の里に隠棲する。新聞社、出版社に勤め、記者や編集者をやっていた。独身、孤独を愛する。老人であることを自覚し、記憶力もあやしくなりつつあるので、ここに書き残したいことを書き残しておく。世間から引退したので、社交は望みません。

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