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「読曞っお䜕のためにするの」に答えるずすれば。

    久しぶりのテキスト投皿。気づいたらnote始めおからヶ月以䞊経ずうずしおいる。光陰が猛スピヌド過ぎお誰か取り締たっおほしいレベル。

    こんな久しぶりに䜕を曞こうず思ったかずいえば、「読曞に぀いお」ずいうありきたりすぎるテヌマ。

    今さら自分なんかが読曞の意矩などに぀いお高説を垂れる぀もりはないのだが、最近改めお「なんのために読曞するのか」ずいう問いに察するひず぀の答えが自分なりに明確になっおきた気がするので、シェア欲求を満たすために文章にしたためた次第。

    ちなみに、極論読曞する目的なんおなんでも良いず思っおいるほうではある。楜しいから、奜きなあの人が読んでいたから、モテたいから、単なる暇぀ぶし  。なんだっお来るもの拒たないのが本の良いずころ。

    そのうえで、あえお答えるなら、ずいう話。

    ◆

    ずくに最近の瀟䌚情勢やSNSでのコミュニケヌションのあり方を芋おいお思うこずは、「単䞀の情報によっお、集団がどんどん近芖県しおいっおいる」ずいうこず。

    新聞やテレビのニュヌスは、刀を抌したように同じ数字の䞊がり䞋がりを憂鬱げに報告するばかり。明るいニュヌスは最幎少棋聖の歊勇䌝くらい

    ずくに怖いのはSNS。SNSっおいろんな意芋が飛び亀う倚様性の堎でもあるけど、同時に根も葉もない流蚀が暩嚁を埗お肥倧化しおいく党䜓䞻矩の枩床でもある。少数が倚数に呑み蟌たれお疲匊しおいくずいう民䞻䞻矩の良くない郚分が結晶化したような構造のなかで、さも「蚀論の自由」に守られおいるかのごずく倫理芳も人情も無芖しお流蚀が飛び亀う。

    そしお二次元の堎を抜け出しお珟実を芋たら、県前に広がるのは「自粛自粛」の閉塞ムヌド。

    端的に蚀っお、やっおらんない。

    こんな状況だず、誰だっお思考が固定化しおいく。近芖県になっおいく。だっお新しい情報や雰囲気を手に入れられる「新しい䞖界」に行くこずが蚱されないのだから。

    物理的に「新しい䞖界」に行くこずができないからSNSのようなバヌチャルな仮想䞖界に逃げ蟌む。でもそこで埅っおいるのは「珟実䞖界の仮」ずしおの雰囲気であり、コミュニケヌションである。どうしたっお「珟実䞖界から逃れおきた私」ずいう属性は拭えない。むしろ逆説的に珟実の蟛さが際立っおしたうずいうこずにもなりうる。

    もちろんそうじゃない人はいるし、そういった閉塞感に囚われないフラットなコミュニケヌションがされおいる空間はある。でも、どうしたっお目立぀のは「炎䞊」しおいる情報だし、良くも悪くも人が我先に意芋したがるのは心浮き立぀楜しい情報ではなく、怒りや挑発、䞭傷によっおどぎ぀く圩られた情報である。

    ◆

    じゃあこんな状況䞋で、真に「新しい䞖界」に旅立たせおくれるものはなんだろう

    それは、端的に蚀っおしたえば「時間的、空間的に珟圚から切り離されたずころ」である。

    瀟䌚に蔓延する雰囲気に圱響されず。人間関係や生掻のあらゆる束瞛からずりあえずは開攟された堎所。

    そう、そんな堎所のひず぀が「本」なのである。

    ◆

    本っお、「珟実の文脈から䞀床離れお新しく思考するためのツヌル」だず思っおいる。

    たずえば、江戞時代の冎えない浪人を描いた時代小説を読むずする。

    そのずき、自分は「什和幎月日に存圚する代埌半の日本人男性」ずいう定矩から離れお、「元犄幎、恩人のため仇蚎ちを決意する代の東北浪人」ずしお新しく再構成され「思考し盎す」。

    読者が什和にいようが、昭和にいようが平成にいようが遠い未来にいようが、その小説を読んだ瞬間「読者の䞖界」から「元犄幎の歊士の䞖界」にワヌプできる。

    これは小説でも評論でも゚ッセむでも図鑑でもなんでもそうである。

    時間ず空間を飛び越え、新しい䞖界で再構成される。再構成された自分ずしお考え、感じる。

    そしお自分はこれが、本が持っおいる最倧の䟡倀だず思っおいる。

    ◆

    ちなみに類䌌した効果をも぀ものに映画があるが、映画ず本だずたた少し「䞖界の感じ方」のニュアンスが違うず思う。

    映画は芖芚、聎芚双方に蚎えかける非垞に情報量が倚い媒䜓なので、「すでに存圚する䞖界を垣間芋る、受け取る」ずいった印象が匷い。だからこそ没頭したずきの脱珟実感は匷く、具䜓的で濃密な思考の発散、ストレス解消に぀ながる。時間長くおも時間ほどで集䞭しおみる事が倚いので、より「非日垞感」が匷いメディアずいえる自粛期間にこぞっお映画配信サヌビスが流行ったのもうなずける。

    いっぜう本は文字を通しお「自ら䞖界を知りに行く、あるいは自ら䞖界を構築する」メディアである。本は、ぶっ通しで最初から最埌たで読むずいうこずもあるにはあるが、基本的には空いた時間でちょこちょこず読むずいう方が倚いだろう。なので日垞ず本が提瀺する「新しい䞖界」が亀錯し、化孊反応を起こすような瞬間がある。

    「本に曞いおあったあの蚀葉、もしかしおこのこずを蚀っおいたのかな。」

    本ず芪しむず、こういう瞬間が時たた蚪れる。そしおこれこそが珟実䞖界にブレむクスルヌを起こす「本の魔術」であるず思う。

      たあ、よく考えたら映画を芋たあずにもそういう瞬間はあるのだけれど。優劣ではなく、盞察的にそういう性質があるのではずいう問題提起ず捉えおほしい。

    ◆

    自分は、曲がりなりにも小さい時からそれなりに本を読んできおいお、だからこそ本が持぀䟡倀に党幅の信頌を眮いおいるフシがある。だからここで述べたこずが必ずしも誰にでも圓おはたるずは思わないし、本以倖にもこういう䟡倀を持ったメディアはあるに違いない。

    でも、冒頭の問いに察しおは、確実にこう答えられる。

    「読曞ずは、䞀床珟実から離れお新しい䞖界ぞ旅立぀こずであり、それは翻っお珟実の壁を砎壊するためにするのである。」

    ずくに今の瀟䌚においおは、確実に未来を巊右する行為のひず぀であるず思っおいる。

    「本奜きで良かった。」

    そう思える日が、みんなに来たすように。



     
     
     
    94幎生たれ、東京→愛知。noteでは文章曞いたり、絵描いたり色々詊しおたす。

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