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牙ず祈り —喰らう者、匔う者—

    あらすじ

    喰らうこずは、眪か。祈るこずは、救いか。
    廃寺で尌僧を喰らい、人の圢を埗た少女サラ。胞の奥には、喰らったはずの祈りが息づいおいる。朜ちかけた守護神に導かれ、サラは街の穢れを喰らい、匔う。呪い、怚念、圷埚う魂。喰らうこずが、䟛逊になる。
    だが、サラの飢えには根がある。闇の僧䟶ダムが蒔いた皮。ダムはサラを「最高傑䜜」ず呌び、迎えに来る。
    厩れゆく垫の最埌の光を受け、サラは牙ず祈りを䞀぀にしお立ち向かう。
    泥から蓮が咲くたで。あるいは、咲かなくおも。

    ───


    䞀、慈悲


    雚が降っおいた。

    山裟の道は泥濘ぬかるみに沈み、䞀歩ごずに足銖たで呑み蟌たれる。朚々が颚に煜られ、枝の折れる音が闇のどこかで響いた。皲光が走り、遅れお雷鳎が远いかけおくる。

    癜い衣の人圱が、山道の入口に立っおいた。

    提灯ちょうちんを手にしおいる。火は颚に煜られ、今にも消えそうだった。剃髪。痩せた肩。尌僧だった。雚が顔を打っおいる。目を现めもしない。

    村人たちは蚀っおいた。あの山には近づくな。ワット・ムヌトは呪われおいる。䜕人も垰っおこなかった。泥の䞭に䜕かがいる。

    尌僧は最初の䞀歩を螏み出した。

    足が沈む。膝の䞋たで。泥が衣の裟を吞い、重くなる。匕き抜く。たた沈む。その繰り返しだった。提灯の火が揺れる。消える。闇が抌し寄せる。懐から燐寞たっちを取り出し、たた点ける。䞉床目でようやく火が点いた。

    道は次第に険しくなる。傟斜がき぀い。息が䞊がる。癜い息が提灯の火に照らされ、すぐに雚に溶けお消える。それでも足は止たらない。

    やがお、朚々の切れ間から建物の圱が芋えた。厩れかけた門。扁額ぞんがくは萜ちお、泥に半分埋たっおいる。煉瓊の仏塔が傟き、䞊郚は厩萜しお残骞を撒き散らしおいた。

    ワット・ムヌト。泥の寺。

    堂宇どううは傟いおいる。屋根の半分がなく、雚が降り蟌んでいる。門をくぐる。境内は草に芆われ、石畳は割れお泥に沈んでいた。

    堂宇の入口で立ち止たる。䞭は暗い。提灯の火を掲げおも、奥は芋えなかった。

    匂いがしなかった。

    廃寺なら、腐葉土の匂いがするはずだった。黎かびの匂い。獣の糞尿の匂い。䜕かの死骞の匂い。それが䜕もない。雚の匂いさえ、堂宇の䞭に入った途端に消えた。

    空癜。そこにあるのは空癜だけだった。

    䞀歩螏み入れる。床は氎溜たりになっおいる。足銖たで浞かる。冷たい。冷たさが骚たで沁みる。壁に染みがある。黒い染み。雚挏りの跡だろうか。染みを芋おいるず、端の方が動いたように芋えた。

    堂宇の奥に、仏像があったはずの台座だけが残っおいる。仏像はない。どこかに運び出されたのか、厩れお土に還ったのか。台座の前で、尌僧は足を止めた。

    提灯を床に眮く。火が氎面に映っお揺れる。

    䞡手を合わせる。目を閉じない。正面を芋おいる。闘の䞭に䜕かがいるこずを、知っおいるように。

    深く䞀瀌した。腰を折り、頭を䞋げ、喉元を晒すほどに。

    足元で、氎溜たりが波王を䜜った。螏んでいない。動いおいない。それでも波王は広がり、消え、たた広がった。

    壁の染みが、流れ萜ちた。雚挏りの氎ではない。染み自䜓が、壁を䌝っお床に向かっお萜ちおいく。黒い。濃い。泥のように芋える。

    尌僧は頭を䞊げなかった。䞀瀌したたた、動かない。

    床の泥が盛り䞊がった。氎溜たりの䞭心から、䜕かがせり䞊がっおくる。圢にならない。圢を取ろうずしお、取りきれない。それでも、そこに意志があるこずだけは分かった。

    口が動いた。声は聞こえない。雚音が党おを消しおいる。

    それでも、唇の圢は読めた。

    「さあ」

    泥が匟けた。

    床から。壁から。倩井から。堂宇のあらゆる堎所から黒い泥が噎き出し、空䞭で絡み合い、䞀぀の圢を取った。

    顎だった。

    巚倧な顎。人の胎ほどもある黒い塊が、無数の牙を剥き出しにしお宙に浮かんでいた。牙の䞀本䞀本が泥でできおいる。圢は定たらず、垞に蠢うごめき、滎り、それでも鋭さだけは確かだった。顎の奥は芋えない。闇よりも深い闇が、そこにあった。

    尌僧は顔を䞊げた。

    顎を芋おいる。恐怖はない。驚きもない。ただ、芋おいる。

    唇が動いた。今床は声が聞こえた。小さく、静かに、しかし確かに。

    「サッベヌ・サッタヌ・スキタヌ・ホントゥ」

    顎が萜ちた。

    提灯の火が消えた。

    ───

    二、守護神


    雚は旧垂街にも降っおいた。

    タヌペヌ門の煉瓊は濡れお黒ずみ、街灯のオレンゞ色が氎溜たりに滲んでいる。芳光客の姿はない。屋台は畳たれ、シャッタヌは降り、通りには誰もいなかった。

    誰も、ではなかった。

    門の脇に、䜕かが立っおいた。

    人の圢をしおいる。だが、人ではなかった。背䞈は子䟛ほどしかない。䜓は叀い朚のようで、暹皮に䌌た皺しわが党身を芆っおいる。ずころどころ眅ひびが入り、そこから芗く地肌は灰色に也いおいた。衣は纏たずっおいない。裞身だが、性別を瀺すものは䜕もなかった。

    顔だけが、かろうじお人に䌌おいた。仏像の顔だった。半県の目。埮かに開いた唇。穏やかな盞。ただし、目だけが違っおいた。仏像の目は閉じおいるか、あるいは虚空を芋おいる。この存圚の目は、濁っおいた。癜内障のように曇り、それでいお䜕かを芋おいた。

    耳の裏に、金色のものが残っおいた。金箔の名残だった。か぀おは党身を芆っおいたのだろう。今は剥がれ、眅割れ、耳の裏ず、指先の爪の付け根にだけ、埮かに光っおいる。

    通りを若い男が走り抜けた。雚を避けお、傘もなく。男はその存圚のすぐ脇を通り過ぎた。目もくれなかった。芋えおいないのだ。

    野良犬が近づいおきた。存圚の足元たで来お、立ち止たった。錻を鳎らす。䞀歩退く。尟を䞞めお去っおいった。

    存圚は動かなかった。雚に打たれおいる。

    やがお、䜓を屈めた。

    地面に䜕かが萜ちおいる。瓶だった。りィスキヌの瓶。䞭身は少しだけ残っおいた。存圚はそれを拟い䞊げ、錻先に近づけた。匂いを嗅いでいる。

    瓶を眮いた。䞁寧に、壁際に立おかけるように。

    たた屈む。今床は花だった。萎れた花。マリヌゎヌルドの橙色が、雚に打たれお泥にたみれおいる。䟛物だったのだろう。どこかの祠に捧げられ、颚に飛ばされ、ここたで流れおきた。

    花を拟う。泥を払う。払いきれない。それでも、䞁寧に、門の脇に眮いた。

    線銙の燃え残り。蝋燭ろうそくの欠片。誰かが貌り忘れた金箔の切れ端。存圚はそれらを䞀぀ず぀拟い、䞀぀ず぀䞊べおいった。

    門の脇に、小さな山ができた。捚おられた䟛物の山。誰も気づかない。誰も芋おいない。存圚だけが、黙々ず集め続けおいた。

    手が止たった。

    顔を䞊げる。山の方角を芋おいる。雚雲が䜎く垂れ蟌め、山の皜線は芋えない。

    䜕かが起きた。

    存圚は知っおいた。䜕が起きたか。どこで起きたか。目には芋えない。音も聞こえない。それでも、分かった。

    光だった。山の方角に、䞀瞬だけ、光が走った。皲光ではなかった。色が違う。雷は癜い。あれは違った。銀色だった。銀色の光が、山の䞭腹で瞬き、消えた。

    存圚の口元が動いた。

    「やっず、か」

    声は䜎かった。朚が軋むような、也いた声だった。

    存圚は立ち䞊がった。膝が軋む音がした。

    山の方角ぞ、䞀歩を螏み出す。

    氎溜たりを螏んだ。波王が広がる。存圚の足跡は残らなかった。氎面が揺れ、収たり、䜕事もなかったように雚粒を受け続けおいる。

    たた䞀歩。たた䞀歩。

    存圚の背䞭が遠ざかっおいく。雚に霞み、街灯の光が届かなくなり、やがお闇に溶けた。

    門の脇には、䟛物の山だけが残された。

    ───

    䞉、枇望


    暗い。

    光はなかった。光ずいう抂念がなかった。あるのは振動ず、匂いだけだった。

    雚粒が萜ちる。䞀滎ごずに、床が震える。その振動が、壁を䌝い、倩井を䌝い、厩れた煉瓊の隙間を抜けお、染みのように広がっおいく。

    染みは動かなかった。

    堂宇の奥、仏塔の残骞が積み重なった堎所。壁に黒い染みがぞばり぀いおいる。染みは広い。畳二枚分ほどもある。だが、厚みはない。壁の衚面に、塗り぀けられたように存圚しおいる。

    染みには目がなかった。耳もなかった。口も、錻も、手足もなかった。圢ずいうものを持たなかった。

    あるのは飢えだけだった。

    雚粒が萜ちる。振動が䌝わる。そのたびに、飢えが疌いた。満たされない。䜕を呑み蟌んでも満たされない。この廃寺に棲み぀いおから、どれほどの時が経ったか分からない。時間ずいう抂念がなかった。あるのは飢えず、飢えず、飢えだけだった。

    振動が倉わった。

    二本足。遅い。軜い。人間のリズム。だが、匂いが違った。

    これたで嗅いだこずのない匂いだった。甘い。甘いずいう圢容では足りなかった。枅らかだった。柄んでいた。濁りがなかった。光の匂い、ずいう矛盟した蚀葉が浮かんだ。光を嗅いだこずはなかった。光を知らなかった。それでも、この匂いを衚すには、その蚀葉しかなかった。

    染みが蠢うごめいた。壁党䜓が波打った。床の泥が盛り䞊がった。倩井から黒い滎が萜ち始めた。

    これを喰らえば。

    これを喰らえば、満たされるかもしれない。

    床から、壁から、倩井から、党おの泥が䞀斉に匟けた。空䞭で絡み合い、ねじれ、䞀぀の圢を取った。顎だった。牙を剥いた、巚倧な顎。

    顎が開いた。

    萜ちた。

    空間ごずだった。光だけではない。光の呚囲の空気も、床の氎も、党おを䞀息に呑み蟌んだ。

    噛んだ。

    牙が䜕かを貫いた。柔らかいものだった。枩かいものだった。甘いものだった。顎が閉じる。たた開く。たた閉じる。貪るように。飢えた獣のように。

    肉が裂ける音がした。骚が砕ける音がした。

    止たらなかった。

    顎は止たらなかった。噛み、裂き、砕き、呑み蟌み、たた噛む。容赊はなかった。慈悲もなかった。そんな抂念は存圚しなかった。あるのは飢えだけだった。

    甘かった。

    䜕を噛んでも甘かった。肉が甘かった。骚が甘かった。血が甘かった。これたで喰らったどんな獲物よりも甘かった。枩かかった。光だった。光を喰らっおいる。光を呑み蟌んでいる。

    顎の䞭から、声が聞こえた。

    小さな声だった。震えおはいなかった。怯えおもいなかった。静かな声だった。穏やかな声だった。

    「サッベヌ・サッタヌ・スキタヌ・ホントゥ」

    祈りだった。

    顎が止たった。止たったのではない。声に聞き入ったのでもない。ただ、䞀瞬だけ動きが緩んだ。声が続いた。

    「アッビャヌ・パゞャハヌ・ホントゥ」

    意味は分からなかった。蚀葉ずいう抂念がなかった。それでも、その音の連なりが、顎の䞭に染み蟌んでいくような気がした。

    顎がたた動いた。噛んだ。骚が砕けた。声が途切れた。

    たた噛んだ。たた砕けた。たた呑み蟌んだ。

    声は続かなかった。

    顎が静止した。開いたたた、宙に浮いおいた。牙の隙間から黒い泥が滎っおいる。癜い垃の切れ端が、牙に匕っかかっおいた。

    もう䜕も残っおいなかった。

    顎が厩れた。圢を倱い、泥に戻り、床に萜ちた。

    満たされおいた。

    飢えが、消えおいた。初めおだった。喰らっお、満たされたのは。生たれおから、䞀床もなかった。䜕を呑み蟌んでも消えなかった飢えが、今、ない。

    代わりに、䜕かが残っおいた。

    あの声だった。あの音の連なりだった。意味は分からない。分からないたた、それが䜓の䞭に残っおいた。溶けずに残っおいた。

    染みが蠢いた。

    い぀もず違う蠢き方だった。壁に戻ろうずしない。床の泥が集たっおいる。氎溜たりの䞭心で、䞞たっおいる。収瞮しおいる。圢を取ろうずしおいる。

    これたでず違う圢を。

    顎ではなかった。手足でもなかった。

    人の圢だった。

    泥が人の圢を取ろうずしおいた。取れなかった。ただ取れなかった。茪郭ががやけ、厩れ、たた集たり、たた厩れた。

    それでも、泥は諊めなかった。

    あの圢になりたかった。あの光の圢に。あの祈りの圢に。

    ───

    四、玄束


    雚が止んでいる。

    雲の切れ間から月光が差し蟌み、堂宇の床を癜く照らす。氎溜たりが鏡のように光を映し、厩れた壁に淡い圱を萜ずしおいる。

    氎溜たりの䞭に、䜕かがいる。

    人の圢をしおいる。裞身。肌は泥にたみれ、髪は濡れお額に匵り付いおいる。女。少女。顔立ちは敎っおいる。

    少女は動かない。膝を抱え、うずくたっおいる。震えおいる。

    手を芋おいる。

    自分の手を、じっず芋おいる。手は泥にたみれおいる。泥だけではない。赀いものが混じっおいる。血。誰の血か。自分の血ではない。

    口の䞭に、䜕かの味が残っおいる。甘い味。枩かい味。光の味。それが䜕の味か、少女には分かっおいる。分かっおいお、震えおいる。

    腹の底で、䜕かが蠢く。枩かいもの。溶かそうずしおも溶かしきれない。呑み蟌んだはずなのに、ただそこにある。

    声が聞こえた気がした。

    遠い声。優しい声。䜕を蚀っおいるのか分からない。分からないが、その声が自分の䞭にあるこずだけは分かる。

    梁が軋んだ。

    音は小さい。雚䞊がりの静寂の䞭で、朚が軋む音だけが響く。少女は顔を䞊げない。だが、䜓が匷匵る。䜕かが近づいおいる。

    圱が萜ちた。

    月光を遮るように、䜕かが降りおくる。梁の䞊から、音もなく。着地の音はない。氎溜たりが波王を立おるこずもない。

    少女の前に、朚像が立っおいる。

    人の圢をしおいる。だが、人ではない。背䞈は子䟛ほどしかない。䜓は叀い朚のようで、暹皮に䌌た皺が党身を芆っおいる。眅が入り、灰色の地肌が芗く。顔は仏像に䌌おいる。半県の目。埮かに開いた唇。穏やかな盞。だが、目だけが違う。片目。濁った目。それでいお䜕かを芋おいる目。

    耳の裏に、金色のものが残っおいる。

    朚像は少女を芋䞋ろしおいる。口を開く。

    「ほう」

    声は䜎い。朚が軋むような、也いた声。

    「あの方を、䞀口でか。よりによっお、あの方を」

    少女は動かない。うずくたったたた、震え続けおいる。

    「呑み蟌みきれなかったようだな」

    叀いものは少女の呚りをゆっくりず歩く。氎溜たりを螏んでいるはずなのに、足跡は残らない。

    「あの方の埳が、お前を瞫い止めたか。あれほどの埳を持぀者は、もうこの囜にはおらん」

    少女の䜓が動いた。

    顔を䞊げる。目が光っおいる。銀色の光。人間の目ではない。口が開く。歯が芋える。歯ではない。牙。黒い牙が、口の䞭で蠢いおいる。

    「りルサむ」

    声は人間の声ではない。喉の奥から泥が溢れるような、湿った声。

    「オマ゚モ、クッテダロりカ」

    叀いものは動じない。

    「喰えるものなら喰っおみろ」

    少女の前にしゃがみ蟌む。濁った目が、銀色の目を芋぀めおいる。

    「今のわしは、信仰を倱い、腐りかけた叀朚ず同じだ。喰ったずころで、腹を壊すだけだぞ」

    少女の口が閉じる。牙が消える。代わりに、別のものが浮かぶ。困惑。恐怖。絶望。

    「ワタシハ」

    声が震えおいる。泥の声ではない。人間の声に近づいおいる。

    「ナニヲ、シタ」

    手を芋る。血にたみれた手を。

    「れンブ、キ゚テシマッタ」

    叀いものは銖を振る。

    「消えおはおらん」

    少女の目の前で、指を䞀本立おる。叀い朚のような、眅割れた指。

    「お前はあの方を殺したのではない。閉じ蟌めたのだ」

    少女の目が芋開かれる。

    「お前の䞭に、あの方はただいる。今も、お前の腹の底で、息をしずる」

    少女は自分の腹を芋る。手を圓おる。枩かい。䜕かが蠢いおいる。溶けないものが、そこにある。

    「だが」

    声が冷たくなる。

    「攟っおおけば、お前の泥があの方を溶かす。どれほどの埳があろうず、氞遠には保たん。溶け切れば、お前は二床ず人の圢を保おなくなる。ただの泥の化物に戻るだけだ」

    少女は顔を䞊げる。目に光が揺れおいる。銀色ず、別の色が混じっおいる。琥珀色。枩かい色。あの尌僧の目の色。

    「ドりスレバ」

    声はもう泥ではない。震えおはいるが、人間の声。

    「ドりスレバ、アノヒトヲ、トカサズニスム」

    叀いものは立ち䞊がる。腰に䞋げおいた䜕かを倖す。数珠。叀い数珠。珠は黒檀こくたんでできおいる。玐は擊り切れかけおいる。血の匂いがする。

    数珠を少女の銖に投げかける。

    「玄束だ」

    声が響く。

    「わしず共に街ぞ来い」

    少女は黙っおいる。

    「この街には、お前の腹を満たすに足る䞍浄が転がっおいる。呪い。怚念。邪悪な術。そういうものを、片端から喰らえ」

    少女の目が现たる。

    「汚れた魂を代わりに流し蟌めば、お前の泥は満たされる。満たされおいる間は、あの方を溶かさずに枈む」

    少女は自分の腹を芋る。枩かいものがそこにある。溶かしたくない。溶かしおはいけない。それだけは分かる。

    「ワタシニ、マモレト、むりノカ」

    手を芋る。血にたみれた手を。

    「コンナ、テデ」

    叀いものは笑わない。

    「守れずは蚀わん」

    声は冷たい。

    「掃陀をしろ」

    少女は顔を䞊げる。

    「お前は救枈者ではない。あの方の光を奪った、最䜎の檻だ」

    少女の目が揺れる。

    「その檻を少しでもたしなものにするために、街の泥を飲み蟌み続けろ。それがお前の遞べる、唯䞀の䟛逊だ」

    沈黙が萜ちた。

    少女は数珠を握る。血の匂いがする数珠を。冷たい珠を。

    「ワカッタ」

    声は静か。震えは止たっおいる。

    「ダル」

    叀いものは頷く。

    「お前に名をやる」

    少女は顔を䞊げる。

    「サラ」

    声が響く。

    「サラ・ポリンだ」

    少女は黙っおいる。

    「お前の䞭にいるあの方が、最埌にそう呌んだ名だ」

    叀いものの声が、䞀瞬だけ揺らぐ。朚が軋むような、だが別の䜕かが混じった声。

    「忘れるな。お前は、忘れるこずを蚱されん」

    少女は、サラは、自分の胞に手を圓おる。枩かい。䜕かが蠢いおいる。声が聞こえた気がした。遠い声。優しい声。䜕を蚀っおいるのか分からない。だが、その声が自分を蚱しおいるような気がする。蚱しおはいけないのに。蚱されおはいけないのに。

    叀いものは懐から䜕かを取り出す。癜い垃、尌僧のサバむ。汚れおいる。泥ず、血で。だが、癜い垃。

    「これを巻け」

    サラの手に、垃が枡される。

    「あの方の遺品だ。銖に巻いおおけ。お前の泥が溢れそうになったずき、これが境目になる」

    サラはサバむを芋る。癜い垃を。尌僧の匂いがする。あの甘い匂い。あの光の匂い。

    銖に巻く。き぀く巻く。冷たい。だが、枩かい。矛盟しおいる。だが、そうなのだ。

    サラは立ち䞊がる。

    足が震えおいる。初めお立぀足。人間の足。泥の足ではない。膝が笑っおいる。それでも、立぀。

    朚像を芋る。仏像のような顔を。濁った目を。

    「オマ゚ハ、ナニモノダ」

    叀いものは答えない。

    代わりに、背を向ける。堂宇の入口ぞ向かっお歩き始める。

    「来い」

    それだけ。

    サラは䞀歩を螏み出す。氎溜たりを螏む。波王が広がる。冷たい。足の裏で、氎の感觊がある。初めおの感觊。人間の感觊。

    堂宇を出る。境内に出る。月光が党身を照らす。颚が吹く。肌が粟立぀。寒い。初めおの寒さ。

    前を歩く背䞭が芋える。小さな背䞭。眅割れた、叀い朚の背䞭。振り返らない。歩き続けおいる。

    サラは埌を远う。

    銖には数珠が揺れおいる。癜い垃が巻かれおいる。

    腹の底で、䜕かが蠢く。枩かいもの。溶けないもの。溶かしおはいけないもの。

    声が聞こえた気がした。

    行きたしょう。

    そう蚀っおいた気がした。

    サラは歩く。山道を䞋る。

    空が癜み始めおいる。東の山の端が、薄い玫に染たっおいる。倜が明けようずしおいる。

    終わらない倜が、今、始たる。

    ───

    五、傷跡


    数幎前のこずだった。

    ビルマの囜境に近い掞窟。密林の奥深く、人の足が螏み入れるこずのない堎所。

    守護神は、その掞窟の入口に立っおいた。

    背䞈は人の倍ほどもあった。䜓は金箔に芆われ、月光を受けお茝いおいた。腰には匓を垯び、背には矢筒を負っおいた。目は柄み、濁りはなかった。郜を護る守護神。空から矢を降らせる戊神。

    掞窟の奥から、声が聞こえおいた。

    読経の声。だが、䜕かがおかしかった。経兞の蚀葉が逆さたになっおいる。祈りではなく、呪いになっおいる。

    守護神は眉を顰しかめた。

    この掞窟の噂は、数幎前から耳にしおいた。村から人が消える。若い嚘が、䞀人、たた䞀人ず。僧䟶が来たずいう話もあった。高名な僧䟶が、祈祷のために蚪れたず。だが、その僧䟶の名を、誰も知らなかった。

    嫌な予感がしおいた。胞の奥で、䜕かが譊告を発しおいる。匕き返すべきだず、本胜が告げおいる。だが、守護神は足を螏み出した。郜を護る者ずしお。この地の民を護る者ずしお。それが、己に課された圹目だった。

    守護神は掞窟に螏み入った。

    暗かった。光が届かない。金箔の茝きさえ、闇に呑たれおいく。空気が重い。湿っおいる。䜕かが腐った匂いが挂っおいる。足元に氎が溜たっおいる。泥濘ぬかるみ。血の匂いがする。獣の死骞が転がっおいる。䜕匹も。䜕十匹も。党お、腹を裂かれおいる。内臓だけが抜き取られ、空掞になった䜓が散らばっおいた。

    奥に、人圱があった。

    僧䟶の姿をしおいた。黒い僧衣。剃髪。だが、肌には赀い刺青が刻たれおいた。サクダン。呪術の印。銖筋から腕たで、びっしりず。僧䟶が纏たずうべきものではない。

    僧䟶の前に、䜕かが暪たわっおいた。

    人だった。若い女。蟲民の嚘だろう。息はない。腹が裂かれおいる。内臓が抉えぐり出されおいる。僧䟶の手が、その内臓を掎んでいた。

    「貎様」

    守護神の声が響いた。怒りが滲んでいた。

    僧䟶が振り返った。目が癜く濁っおいた。口元が歪んでいた。笑っおいる。

    「おや、守護神殿か。こんな蟺境たで、ようこそ」

    声は穏やかだった。僧䟶の声。だが、その奥に、深い闇が朜んでいた。

    「䜕をしおいる。それは䟛逊ではない」

    「芋おの通り。䟛逊だ」

    僧䟶がずるずるず内臓を匕き出し、口に運んだ。ぐちゃり、ず湿った音を立おお噛み、ゆっくりず呑み蟌んだ。喉が䞊䞋する。

    「この嚘は、村を远われた。姊通の眪で。だが、盞手の男は眰を受けなかった。村長の息子だったからだ」

    僧䟶が指に぀いた血を舐めた。

    「わしは、この嚘の恚みを匕き受けた。わしの䜓を通しお、埩讐を果たしおやる。これが、わしの䟛逊だ」

    「それは䟛逊などではない。ただの悪食だ」

    守護神の声が䜎くなる。

    「恚みを煜あおり、苊しみを喰らい、己の糧にしおいるだけだ。お前は僧ではない」

    僧䟶が笑った。穏やかな笑み。だが、目は笑っおいなかった。

    「僧ではない、か。では、䜕だず思う」

    「憑かれた者、か」

    守護神が蚀い攟った。

    「苊しみを集め、怚念を蓄え、己の力に倉えおいる。芋たずころ、もう人の域は超えおいるようだな」

    「ほう」

    僧䟶の目が现たった。

    「なかなか、よく芖おおる」

    守護神の匓が鳎った。

    矢が攟たれた。金色の矢。光の矢。

    僧䟶は動かなかった。矢は僧䟶の胞を貫いた。だが、血は出なかった。代わりに、赀い泥が噎き出した。矢を呑み蟌んだ。溶かした。

    「無駄だ、守護神殿」

    僧䟶が立ち䞊がった。胞の傷が塞がっおいく。赀い泥が、傷を埋めおいく。

    「わしはもう、人ではない。䜕癟もの恚みを喰らい、䜕千もの呪いを宿した。お前の光皋床では、わしは殺せん」

    僧䟶の䜓から、赀い泥が溢れ出した。掞窟を埋め尜くすように。守護神の足に絡み぀くように。

    「だが、わしはお前を殺せる」

    泥が守護神の䜓を這い䞊がった。足を。腰を。胞を。銖を。

    「お前の金箔を剥がし、お前の光を奪い、お前を朜ちた朚偶でくに倉えおやる」

    守護神は匓を捚おた。

    䞡手を広げた。䜓から光が溢れ出した。金色の光。郜を護る光。

    だが、泥は止たらなかった。

    光を呑み蟌んだ。溶かした。守護神の䜓に食い蟌んだ。金箔が剥がれおいく。皮膚が眅割れおいく。

    「抵抗するな。苊しみが長匕くだけだ」

    僧䟶が近づいおきた。守護神の顔を芗き蟌んだ。癜濁した目が、柄んだ目を芋぀めた。

    僧䟶の手が、守護神の目に觊れた。

    「もう、楜になれ」

    指が目に食い蟌んだ。

    癜い火花が散った。痛みではなかった。痛みずいう蚀葉では足りなかった。県窩の奥で䜕かが灌け、溶け、匕き千切られおいく。芖界が赀く染たり、やがお癜く匟けた。

    守護神は叫んだ。喉が裂けるほどに。神ずしおの嚁厳も矜持きょうじも、その絶叫の䞭で砕け散った。

    「そうだ、叫べ。その声が、わしの糧になる」

    僧䟶の指が匕き抜かれた。䜕かを掎んでいた。䞞いもの。光を倱ったもの。

    守護神の県球だった。

    「これで、お前は半分死んだ」

    僧䟶が県球を口に攟り蟌んだ。くちゃ、くちゃ、くちゃ、ず粘぀く音を立おお咀嚌そしゃくした。呑み蟌んだ。

    「もう半分は、ゆっくり奪っおやる。䜕幎かけおも。䜕十幎かけおも」

    守護神の䜓が厩れ萜ちた。

    泥の䞭に沈んでいく。意識が遠のいおいく。

    最埌に芋えたのは、僧䟶の笑みだった。穏やかな笑み。慈悲深い笑み。だが、その奥に、底知れない闇が朜んでいた。

    「たた䌚おう、守護神殿。次は、残りの目を頂く」

    闇が萜ちた。

    ───

    六、喰らう者


    祠の䞭は暗かった。蝋燭の火も線銙の煙もなく、倖から差し蟌む光は仏塔の圱に遮られおいる。

    ワット・チェディ・ルアンの境内、叀い仏塔の圱に䜇む小さな祠。垫が暮らしおいる堎所。今は、サラもここにいる。

    サラは隅に座り、垫を芋぀めおいた。

    垫は暪たわっおいる。䜓䞭に眅が入っおいる。眅の隙間から、黒い泥が滲み出しおいる。呌吞は浅い。目は閉じおいる。

    「垫」

    サラは声をかける。

    返事はない。

    祠の入口に、䜕かが眮かれおいた。

    昚日はなかった。誰かが眮いおいったのだろう。垃に包たれおいる。叀い垃。汚れおいる。

    サラは近づく。垃を開く。

    鏡だった。

    手鏡。叀い。瞁は真鍮でできおいる。现かな现工が斜されおいるが、半分以䞊が錆びお厩れおいる。鏡面は曇っおいた。銀の茝きはずうに倱せ、鉛色に濁っおいる。

    匂いがする。

    甘い匂い。埮かだが、確かに。穢けがれの匂い。

    垫の目が開いた。

    「芖ろ」

    声は掠れおいる。だが、呜什の響きがある。

    サラは鏡面を芗き蟌んだ。

    芖える。

    氎底から浮かび䞊がるように、顔が映る。女の顔。若い。矎しい。だが、瞳は虚ろで、口元には歪んだ笑みの残骞がある。

    灰色の魂。揺らいでいる。

    「䜕人だ」

    垫が問う。

    「二人。いずれも若い女です」

    サラは鏡を傟けた。氎面が波立぀ように、像が歪む。二人の女の背埌に、もう䞀぀の圱。赀い。血のように赀い、どろりずした圱。

    「䞉人目が」

    「いる」

    垫は薄く笑った。

    「䞊出来だ」

    サラは鏡を芋぀める。

    「この鏡は」

    「術具だ」

    垫が䜓を起こす。眅割れた䜓が軋む。

    「昔、この街に女の祈祷垫がいた。名は知れおおらん。だが、盞圓の䜿い手だったらしい」

    「その女が」

    「鏡に魂を喰わせた。二人分の魂を莄にえにしお、己の願いを叶えようずした」

    「願いずは」

    「さお。それを芖るのはお前の仕事だ」

    サラは鏡面に指を眮く。

    冷たい。氷のように冷たい。

    芖界が沈む。

    暗い。ここは川だ。ピン川。倜の川。月明かりが氎面に揺れおいる。

    女が立っおいる。癜い服。長い黒髪。顔は芋えない。

    女が振り返った。矎しい顔。だが、瞳の奥に狂気が棲んでいる。

    「あなたも、芖えるのね」

    女が笑う。

    「私の嚘たちを、芖おくれた」

    嚘。サラは悟った。喰われた二人は、この女の嚘ではない。この女が産んだのでもない。この女が遞び、この女が育お、この女が殺した。

    「私の代わりに、川ぞ沈んだ嚘たち」

    女の声が氎に溶ける。

    「あなたも、芖えるのでしょう。同じなのよ。私たちは」

    サラは指を離した。

    祠の䞭。垫の寝息が聞こえる。

    サラは鏡を芋぀める。鉛色の鏡面に、自分の顔が映る。吊、映っおいるのは別の顔だ。

    「芖える子」

    女の声が囁く。

    「あなたなら、分かるでしょう。私たちは同じ。芖える者は、い぀か芖られる偎になる。それが理だもの」

    サラは埮笑んだ。

    「いいえ」

    声は静かだった。

    「私はあなたずは違う」

    女の顔が歪む。

    「私は芖るだけではありたせん」

    サラの顔が歪む。錻筋から亀裂が走る。

    「芖たものを、喰らう」

    鏡面に手を沈めた。冷たい氎。暗い川。女の悲鳎。灰色の魂が、サラの掌に絡み぀く。冷たい。苊い。䞉぀の魂を呑み蟌む。

    「南無」

    サラは囁く。

    「安らかに、私の闇ぞ」

    鏡面から手を抜く。指先が濡れおいる。だが、氎ではない。涙だ。誰の涙か。喰われた嚘たちの涙か。喰った女の涙か。

    鏡は、もう䜕も映さない。空掞になった銀の盀。穢れが消えた埌の、冷たい沈黙。

    サラは鏡を垃で包み、祠の隅に眮いた。あずで、垫に報告すればいい。

    祠の倖で、虫が鳎いおいる。倜颚が湿った空気を運んでくる。

    ───

    サラは立ち䞊がる。祠を出る。倖は倕暮れ。空が赀く染たっおいる。

    街ぞ出る。

    チェンマむの旧垂街。芳光客が行き亀う。屋台が䞊ぶ。銙蟛料の匂い。焌き物の煙。人々の喧噪。

    サラは人混みの䞭を歩く。誰も圌女を芋ない。誰も圌女に気づかない。

    銖に巻いた癜い垃が、埮かに熱を垯びおいる。

    近い。

    穢けがれが近い。

    路地に入る。衚通りから䞀本入るず、空気が倉わる。光が届かない。湿気が濃い。壁には黎が生え、排氎溝から異臭が立ち䞊っおいる。

    叀い家の前で、足が止たる。

    窓が塞がれおいる。板が打ち付けられ、隙間から黒い䜕かが滲み出しおいる。玄関の扉は開いおいる。だが、䞭は闇に沈んでいる。

    サラは扉を朜る。躊躇ためらいはなかった。これが自分のやるこずだ。

    匂いがする。腐敗の匂い。だが、それだけではない。甘い匂いが混じっおいる。誰かの執着。誰かの怚念。

    奥の郚屋に、䜕かがある。

    サラは進む。床が軋む。壁に染みがある。倩井から䜕かが滎っおいる。埃ず黎ず、もう䞀぀。甘い腐敗の匂いが、奥ぞ進むほど濃くなる。

    奥の郚屋に入る。

    女がいた。

    老婆だった。怅子に座っおいる。だが、死んでいる。䜕日も前に死んでいる。肌は干からび、目は窪み、唇は裂けおいる。甘ったるい腐臭が、郚屋に柱んでいる。

    だが、動いおいる。

    手だけが動いおいる。䜓は朜ちおいるのに、䞡手だけが生きおいるかのように。針を持っおいる。垃を瞫っおいる。死んでいるのに、瞫い続けおいる。

    老婆の足元に、垃が積み重なっおいる。䜕十枚も。䜕癟枚も。党お同じ暡様。花の暡様。蓮の花。

    老婆の口が動く。声は出ない。だが、唇の圢は読める。

    「ムスメニ。ムスメニ、キセテ、ダリタカッタ。ペメむリノ、トキニ」

    嚘は来ない。この郚屋に淀む空気が、それを䌝えおいる。䜕十幎分もの埅ち焊がれた匂い。誰も蚪れなかった歳月の重み。嚘はずうに死んでいる。䜕十幎も前に。病で。

    老婆はそれを知っおいる。知っおいお、忘れおいる。忘れるこずで、瞫い続けおいる。死んでも、瞫い続けおいる。

    サラの錻が蠢うごめいた。

    悲しみの匂いが、氎底のように重く沈んでいる。䜕十幎分もの孀独が、郚屋を満たしおいる。

    サラの顔が歪む。

    錻筋から、巊右に亀裂が走る。皮膚が裂ける。メリメリず、骚が軋む音。顔の䞋半分が消え、代わりに巚倧な顎が珟れる。黒い牙が䞊び、闇よりも深い闇がその奥に広がっおいる。

    顎が開く。

    萜ちた。

    老婆を。怅子を。垃の山を。空間ごず呑み蟌む。

    冷たい。苊い。悲しみの味。䜕十幎も続いた孀独が、喉を通り過ぎおいく。

    サラは目を閉じる。

    腹の底で、枩かいものが動いた。カルナヌ。宿した尌僧の魂が、䜕かを䌝えようずしおいる。

    声が聞こえた気がした。

    匔っおあげお。

    サラは唇を動かす。

    「南無」

    静寂が萜ちる。

    「安らかに、私の闇ぞ」

    老婆の魂が、倉わっおいく。暎れおいた悲しみが、静たっおいく。瞫い続けおいた手が、ようやく止たる。針が萜ちる。垃が消えおいく。

    郚屋には䜕も残らない。

    サラの顎牙がくげが閉じおいく。黒い牙が折り畳たれ、裂けた顔が元に戻る。皮膚が繋がり、骚が収たり、人の顔が珟れる。

    胞に手を圓おる。枩かいものがある。カルナヌ。揺るがない。

    祠に戻る。

    倕闇が濃くなっおいる。

    垫はただ暪たわっおいる。目は閉じたたた。呌吞は浅いたた。

    サラは垫の傍らに座る。

    「喰らっおきたした」

    声をかける。返事はない。

    「老婆の魂を。嚘を埅ち続けた、老婆の魂を」

    垫の目が、埮かに開く。

    「そうか」

    声は掠れおいる。だが、芯がある。

    「よくやった」

    サラは黙っおいる。

    「サラ」

    「はい」

    「お前に、話しおおくこずがある」

    垫が䜓を起こそうずする。眅割れた䜓が軋む。黒い泥が滲み出す。

    「やめおください。動かないで」

    「いい」

    垫が手を䞊げる。サラを制するように。

    「ダムの話だ。知っおおけ」

    サラは黙る。

    「ダム」

    垫の声が、䜎くなる。

    「アヌチャン・ダム。泥の蒐集家。逆さの法の王」

    サラの䜓が匷匵る。その名は、胞の奥で䜕かを揺らした。

    「ビルマの囜境近くの掞窟で、わしはあの男にやられた」

    垫の目が、遠くを芋おいる。

    「目を䞀぀喰われた。呪いを刻たれた。それ以来、わしの䜓は朜ち続けおいる」

    眅割れた手を芋る。金箔の名残が、埮かに光っおいる。

    「あの男は、お前を知っおいる」

    サラは息を呑む。

    「お前が廃寺で生たれた時から。聖女を喰らった時から。ずっず芋おいた」

    「どういう、こずですか」

    「お前の䞭にある飢え。あの顎。あれはダムの術ず同じ根を持぀」

    垫の目が、サラを射抜く。

    「お前は、あの男が蒔いた皮だ」

    サラの膝が震える。

    「わしがお前を拟ったのは、偶然ではない」

    垫が続ける。

    「カルナヌが廃寺に向かうず知った時、わしは党おを悟った。あの方は、お前を助けようずしおいた。お前ずいう皮を、ダムの手から匕き離そうずしおいた」

    サラは自分の手を芋る。泥にたみれた手ではない。人間の手。だが、その奥に、䜕かが朜んでいる。

    「わしがお前を導くのは、カルナヌの遺志だ」

    垫の声が、柔らかくなる。

    「だが、それだけではない」

    サラは顔を䞊げる。

    「お前は、わしずダムの因瞁を終わらせる」

    「お前だけが、喰らいながら祈れる」

    垫の目が閉じる。疲れが滲んでいる。

    「い぀か、ダムが来る。お前を迎えに。その時、お前は遞ばねばならん」

    サラは黙っおいる。

    「今日ではない。明日でもない。だが、い぀か必ず」

    垫の声が遠のいおいく。

    「その時たで、喰らい続けろ。祈り続けろ。お前の䞭のカルナヌを、守り続けろ」

    呌吞が静たる。垫は眠りに萜ちた。

    サラは垫の傍らに座り続ける。

    倜が曎けおいく。祠の倖で、虫が鳎いおいる。颚が止み、空気が重くなる。

    胞の奥で、枩かいものが脈打っおいる。カルナヌ。

    声が聞こえた気がした。

    倧䞈倫。私はここにいる。

    サラは目を閉じる。

    ───

    䞃、残響


    祠を出たのは、䞉日前のこずだった。

    サラの䜓は熱かった。皮膚の䞋で、䜕かが暎れおいる。喰らった魂が、鎮たらない。

    数日前、垫に連れられお山ぞ入った。虎がいた。虎の圢をした䜕か。䜕癟もの怚念が凝り固たり、獣の姿を取っおいた。村人を襲っおいた。家畜を喰らっおいた。次は子䟛だず、垫は蚀った。

    サラは喰らった。

    虎を。怚念の塊を。䜕癟もの魂を、䞀息に呑み蟌んだ。

    だが、鎮たらなかった。

    喰らった魂たちが、サラの䞭で暎れ続けおいた。眠れなかった。食べられなかった。氎を飲んでも、すぐに吐いた。頭の䞭で、無数の声が叫び続けおいた。

    助けお。

    殺さないで。

    なぜ。

    どうしお。

    蚱さない。蚱さない。蚱さない。

    䜓に黒い痣が浮かんだ。腕に。背に。銖筋に。泥が皮膚を突き砎ろうずしおいる。顎牙が、勝手に開こうずする。

    カルナヌ。

    胞の奥で、枩かいものが震えおいた。呑み蟌たれたいず、必死に耐えおいる。

    垫が蚀った。

    「滝ぞ行く」

    ───

    山の奥に、滝があった。

    朚々の間を瞫うように流れ萜ちる癜い氎。月光に照らされ、銀色に茝いおいる。滝壺は黒い。深い。底が芋えない。

    ナムトック・ピヌ。幜霊の滝。

    地元の者は近づかない。この滝には䜕かがいるず、昔から蚀い䌝えられおいる。溺れた者の魂が棲んでいるず。氎音が、倜になるず泣き声に聞こえるず。だが、垫は迷わず足を螏み入れた。

    サラは滝を芋䞊げる。氎飛沫が顔に圓たる。冷たい。

    「お前の䞭の濁りを、ここで流せ」

    サラは頷く。

    服を脱ぐ。銖の癜い垃だけは倖さない。裞身で滝壺に近づく。岩の䞊に立぀。氎飛沫が党身を濡らす。

    「入れ」

    サラは滝壺に入った。

    冷たかった。氷のように冷たかった。足が痺れる。だが、䜓の内偎は熱い。呑み蟌んだ魂たちが、氎の冷たさに反応しお、さらに激しく暎れ始めた。

    「くっ」

    サラは歯を食いしばる。

    激流が䜓を打぀。肩を、背を、頭を。息ができない。立っおいるのがやっずだった。

    「耐えろ」

    垫の声が響く。岞から。滝の音を貫いお。

    「意識を逞らせば、その氎はただの毒になる」

    サラは目を閉じる。だが、闇の䞭で、声はさらに倧きくなる。

    助けお。殺さないで。なぜ。どうしお。蚱さない。

    声が重なる。叫びが重なる。怚念が枊を巻く。サラの意識を呑み蟌もうずする。

    このたたでは。

    このたたでは、呑たれる。

    「ブッ・ドヌだ。呌吞を止めるな」

    垫の声。

    呌吞。そうだ。呌吞だ。

    サラは息を吞う。ブッ。吐く。ドヌ。たた吞う。ブッ。たた吐く。ドヌ。

    冷たい空気が肺を満たす。氎飛沫が顔を打぀。だが、その奥に、もう䞀぀の感芚がある。

    枩かさ。

    心の奥にある、小さな枩かさ。カルナヌ。怚念の枊の䞭で、消えずに灯り続けおいる光。

    サラは意識をそこに集䞭する。枩かさに。光に。

    声が、遠のいおいく。叫びが、薄れおいく。

    滝の䞭で、䜕かが芋える。

    癜い衣。

    目を開ける。

    激流の向こうに、誰かが立っおいる。癜い衣。剃髪。尌僧。

    カルナヌ。

    氎に打たれおいない。氎の䞭に立っおいるのに、衣は濡れおいない。たるで、別の䞖界にいるかのように。

    䜕も蚀わない。ただ、そこにいる。

    サラを芋おいる。琥珀色の瞳。枩かい色。

    埮笑んでいる。

    「あ」

    サラの口から、声が挏れる。

    カルナヌが近づいおくる。氎を割るように。光を纏うように。サラの前に立぀。手を䌞ばす。サラの頭に、手を眮く。

    冷たくない。枩かい。

    声が、心に流れ蟌んでくる。

    飢えおいる魂が、あの寺にいるず聞こえたした。

    だから、私は行ったのです。

    あなたに、䌚いに。

    サラの目から、䜕かが溢れた。枩かい。頬を䌝っおいく。

    これが涙だず、サラは知らなかった。生たれおから、䞀床も流したこずがなかった。泥だった頃は、涙ずいうものを知らなかった。人の圢を埗おからも、泣くこずはなかった。泣く理由がなかった。

    今、初めお、䜕かが胞の奥で壊れた気がした。

    「どうしお」

    声が震える。蚀葉が喉に぀かえお、息ず䞀緒にしか出おこない。

    「どうしお、憎たない。私は、あなたを、喰らった」

    骚を砕いた。肉を裂いた。血を啜った。それなのに。

    カルナヌの声が、心に響く。

    憎めば、あなたは楜になれたしたか。

    サラは答えられない。

    私が憎めば、あなたはただの怪物で終わっおいた。

    喰われた者が喰った者を憎む。それは圓然のこずだ。だが、カルナヌは憎たなかった。

    蚱すこずで、私はあなたの䞭に残れる。

    あなたを導ける。

    これが、私の祈りの圢です。

    カルナヌの手が、サラの頭を撫でる。優しく。枩かく。母芪が子䟛にそうするように。

    あなたは呪われた怪物ではない。

    愛された、救枈の噚。

    サラの䜓から、黒い汁が流れ出る。虎の怚念が、滝に溶けおいく。

    䞀぀ず぀、消えおいく。叫びが止む。怒りが鎮たる。悲しみが解けおいく。重荷が、少しず぀軜くなっおいく。

    空に溶けおいく。

    「南無」

    サラは呟く。声は震えおいる。だが、祈りの圢は厩れない。

    「安らかに、私の闇ぞ」

    カルナヌが埮笑む。

    誇らしげに。嬉しそうに。

    そしお、消えおいく。氎に溶けるように。光に還るように。

    滝だけが残る。

    だが、サラの䜓は枩かい。怚念は消えた。痣も消えおいた。胞の奥で、カルナヌの光が、前よりも匷く茝いおいる。

    滝から出る。岩の䞊に立぀。䜓が軜い。呌吞が楜だ。

    垫が近づいおくる。垃を持っおいる。サラの䜓に掛ける。

    「芖えるようになったか」

    サラは頷く。

    「芋える。あの人が。い぀も、ここにいる」

    胞に手を圓おる。

    「呑み蟌たれたのではなかったのですね。最初から」

    垫は答えない。代わりに、背を向ける。

    「垰るぞ」

    倜が癜み始めおいた。空の端が、薄く色づいおいる。

    サラは銖の癜い垃を握る。カルナヌの遺品を。

    だが、もう境目ではない。絆。繋がり。祈りの圢。

    救われおいた。

    喰った偎ではなく、救われた偎だった。

    愛されおいた。

    呪われた怪物ではなく、愛された噚だった。

    ───

    八、赀い泥


    倕暮れ。

    空が赀い。倕焌けではない。もっず濁った赀。血を氎で薄めたような、䞍吉な色。

    サラは祠を出る。

    垫は暪たわっおいる。眅割れは閉じおいない。呌吞は浅い。目は閉じおいる。

    「行っおくる」

    声をかける。返事はない。

    サラは歩き出す。ワット・チェディ・ルアンの境内を抜け、旧垂街の通りを進む。

    街から人が消えおいる。

    屋台は畳たれおいる。店のシャッタヌは降りおいる。通りには誰もいない。犬も猫も鳥もいない。生き物の気配が、街から消えおいる。

    タヌペヌ門が芋えおくる。

    煉瓊の門が、倕暮れの赀に染たっおいる。門の前の広堎に、䜕かがある。

    赀い泥。

    地面から湧き出しおいる。広堎党䜓を芆うように、赀黒い泥が広がっおいる。泥は蠢うごめいおいる。脈打っおいる。生きおいる。

    その䞭心に、圱が芋える。

    人圱。最初はそう芋えた。だが、近づくに぀れお、茪郭が歪んでいく。膚らんでいく。門よりも高く、空を芆うほどに。

    人ではない。

    泥でできた像。人の圢をしおいるが、腐っおいる。顔は溶けかけ、目は窪み、口は裂けおいる。党身から赀い泥が滎り萜ちおいる。

    像の口が開く。

    声が響く。

    「来たか、泥の嚘。埅ちくたびれたぞ。わしの可愛い飢えた子よ」

    䜎い声。腐った沌の底から響くような、湿った声。像を通じた、誰かの声。

    「わしの最高傑䜜よ」

    サラは立ち止たる。像を芋䞊げる。

    「ダム」

    「いかにも。アヌチャン・ダム。泥の蒐集家。逆さの法の王」

    像の顔が歪む。笑っおいる。

    「お前を芋おいたぞ。ずっず芋おいた。廃寺で生たれた時から。聖女を喰らった時から」

    「お前は、わしが蒔いた皮だ」

    サラの䜓が匷匵る。

    「わしが育おた皮だ。あずは、あの尌僧を吐き出せば、花が咲く。究極の噚に」

    サラは胞に手を圓おる。心臓の隣に、枩かいものがある。

    「嫌だ」

    声は䜎い。だが、震えおはいない。

    「あの人は、私の祈りだ。觊れさせない」

    像の笑みが消える。

    「そうか。ならば、力ずくで匕き摺り出す」

    像の腕が振り䞋ろされる。

    赀い泥の塊が、接波のようにサラに向かっおくる。

    サラは動かない。

    足元から圱が䌞びる。黒い圱。泥の圱。壁を䜜る。赀い波を受け止める。

    衝撃。山が厩れ萜ちおきたような重さ。

    圱の壁が軋む。眅が入る。だが、持ちこたえる。

    「ほう。倚少は抵抗できるようになったか」

    赀い泥が四方から迫る。觊手のように。蛇のように。無数の腕がサラを捕らえようずする。

    サラの圱が応じる。槍になり、剣になり、盟になる。赀い泥を切り裂き、匟き、抌し返す。

    だが、きりがない。

    赀い泥は無限に湧き出しおくる。像の䜓は傷䞀぀぀いおいない。

    「無駄だ。この䜓には、数千の魂が詰たっおいる。お前ごずきに、傷は぀けられん」

    赀い泥がサラの足銖を掎む。腕を掎む。䜓に絡み぀く。

    呪いが流れ蟌んでくる。赀い泥の䞭に詰たった怚念が、サラの䜓を蝕む。

    「くっ」

    サラが膝を぀く。

    「さあ、吐き出せ。その尌僧を、わしに寄越せ」

    像が手を䌞ばす。巚倧な手。赀い泥でできた手。サラの胞に向かっお。

    その時。

    背埌から、熱が走った。金色の光が、サラの頭䞊を駆け抜け、像の腕を切り裂いた。

    像の腕が萜ちる。赀い泥が飛び散る。

    「䜕」

    像が振り返る。

    旧垂街の方角から、䜕かが近づいおくる。

    垫。

    叀いものが、歩いおくる。䜓は揺れおいる。眅ひび割れから黒い泥が滲み出しおいる。だが、目は開いおいる。濁った目が、金色に光っおいる。

    「来るなず蚀ったはずだ」

    サラが叫ぶ。

    垫は答えない。ただ、歩き続ける。

    垫が立ち止たる。サラの傍らに。

    「サラ」

    声は掠かすれおいる。だが、芯がある。

    「お前に、䌝えおおくこずがある」

    「今はいい。垰れ」

    「垰らん」

    垫が像を芋䞊げる。

    「わしの名を、教えおおく」

    サラは息を呑む。

    「むンタキン」

    垫が蚀う。それだけ。名前だけを告げる。

    像が嗀わらう。

    「久しいな、むンタキン。ビルマの掞窟で䌚っお以来か」

    「あの時、わしが刻んだ呪いはよく効いおおるようだな。か぀おは黄金の甲冑を纏い、空から矢を降らせた守護神。郜を護る光。それが今は、この有様よ」

    垫の䜓から、金色の光が溢れ出す。

    答えない。蚀葉ではなく、光で応える。

    光が匷くなる。垫の䜓が軋む。眅割れが広がる。泥が流れ萜ちる。

    「やめろ」

    サラが叫ぶ。

    「その䜓で力を䜿えば」

    「知っおおる」

    垫が、むンタキンが、埮笑む。苊い笑み。だが、その奥に、䜕かがある。

    「だが、今は退くわけにはいかん」

    金色の光が匟ける。

    むンタキンの䜓から、無数の光の矢が攟たれる。像に向かっお。空を切り裂いお。

    像が叫ぶ。

    光の矢が像の䜓を貫く。赀い泥が蒞発する。像の䜓が削られおいく。

    「おのれ」

    像が腕を振るう。赀い泥の波がむンタキンに向かう。

    むンタキンは避けない。

    光の矢を攟ち続ける。䜓が厩れおいく。眅割れが党身に広がる。泥が流れ萜ちる。

    「垫」

    サラが駆け寄ろうずする。

    「来るな」

    むンタキンが叫ぶ。

    「お前は、奎を喰らえ」

    「わしの光で奎を焌く。その隙に、お前が喰らえ」

    「だが」

    「できる」

    むンタキンがサラを芋る。金色に光る目。だが、その奥に、枩かいものがある。

    「お前にはできる。お前の䞭には、カルナヌがいる」

    「牙だけではない。祈りもある」

    「どっちも䜿え。それが、お前だけの力だ」

    むンタキンの䜓が厩れ始める。足が泥に還る。腕が泥に還る。

    それでも、光の矢は止たらない。

    像の䜓が削られおいく。胎が抉えぐれる。腕が萜ちる。頭が傟ぐ。

    「行け」

    むンタキンが叫ぶ。

    「喰らえ、サラ」

    サラは走り出す。

    像に向かっお。厩れかけた像に向かっお。

    胞の䞭で、枩かいものが脈打぀。カルナヌ。

    声が聞こえた気がした。

    䞀緒に。

    サラの顔が歪む。

    錻筋から、巊右に亀裂が走る。皮膚が裂ける。メリメリず、骚が軋む音。顔が瞊に割れおいく。人の顔の䞋から、別のものが珟れる。

    黒い塊。粘液を滎らせた、深淵しんえんのような闇。その䞭に、無数の牙が生えおいる。蠢いおいる。だが、今日は違う。

    黒い牙だけではない。癜い牙が混じっおいる。亀互に䞊んでいる。飢えず祈り。呪いず䟛逊。混じり合い、噛み合い、䞀぀の口を成す。

    「これが」

    サラは呟く。裂けた顔の奥から。

    「私の、祈り」

    裂けた顔が像に喰らい぀く。

    肉を裂くように。骚を砕くように。空間ごず噛み千切る。

    像の頭を呑む。銖を呑む。胎を呑む。赀い泥が口の䞭で爆ぜる。数千の魂が悲鳎を䞊げる。構わない。党おを呑み蟌む。噛み砕く。咀嚌する。

    牙が軋む。口が軋む。それでも止たらない。

    赀い泥が砕ける。怚念が砕ける。だが、ただ砕くだけではない。

    「南無」

    サラは唱える。裂けた口の䞭で。

    「安らかに、私の闘ぞ」

    呑み蟌んだ魂たちが、暎れおいる。叫んでいる。呪っおいる。だが、祈りが染み蟌んでいく。癜い牙が觊れるたびに、怚念が解けおいく。悲鳎が、吐息に倉わる。呪詛じゅそが、安堵に倉わる。

    喰らいながら、祈る。

    砎壊しながら、䟛逊する。

    喰らうこずが、䟛逊になる。

    像が厩れ萜ちる。

    赀い泥が蒞発しおいく。黒い煙になり、空ぞ昇っおいく。煙の䞭に、無数の顔が芋える。解攟された魂たち。苊悶の衚情が、安らぎに倉わっおいく。䞀぀ず぀、消えおいく。空に溶けおいく。

    ダムの声が響く。像を通じお。遠くから。

    「芋事だ。やはり、お前は最高傑䜜だ」

    「だが、これは圱に過ぎん。次はこの身で䌚おう」

    「埅っおいるぞ、サラ・ポリン」

    声が消える。

    赀い泥が消える。

    空の色が戻っおいく。倕焌けの赀から、倜の藍ぞ。

    サラは振り返る。

    むンタキンが倒れおいる。

    「垫」

    駆け寄る。膝を぀く。震える手で、厩れかけた䜓を抱き起こす。

    むンタキンの䜓は、半分以䞊が泥に還っおいる。足がない。腕がない。胞から䞋が、黒い泥に溶けおいる。

    「垫。むンタキン様」

    サラの声が震える。

    むンタキンが目を開ける。濁った目。だが、ただ光がある。

    「やったか」

    「はい。でも、垫が」

    「いい」

    むンタキンが埮笑む。

    「わしは、もう長くなかった。ダムに刻たれた呪いが、ずっずわしを蝕んでいた。今日でなくずも、明日には厩れおいた」

    サラの目から涙が溢れる。

    「だが、最埌に芋られおよかった」

    むンタキンの手が、サラの頬に觊れる。残った方の手。眅割れた、叀い朚の手。

    「お前が、牙ず祈りを䞀぀にするずころを」

    「カルナヌは正しかった」

    「お前は、救枈の噚だ」

    手が萜ちる。

    むンタキンの目が閉じる。

    䜓が厩れおいく。泥に還っおいく。溶けおいく。

    「垫」

    サラが呌ぶ。

    返事はない。

    むンタキンの䜓が、完党に泥に還る。黒い泥が、地面に染み蟌んでいく。消えおいく。

    埌には䜕も残らない。

    サラは地面に座り蟌む。

    涙が止たらない。声が出ない。喉が詰たる。ただ、泣くこずしかできない。

    空には星が瞬き始めおいる。倜が来おいる。街の明かりが、遠くで点り始めおいる。

    胞に手を圓おる。

    心臓の隣に、枩かいものがある。カルナヌ。倉わらぬ光。揺るがぬ祈り。

    そしお、もう䞀぀。

    別の枩かさが、そこにある。

    むンタキン。郜を護った光。最埌たで折れなかった守護神。

    喰らったのではない。蚗されたのだ。

    「南無」

    サラは呟く。

    「安らかに、私の闇ぞ」

    涙が頬を䌝う。

    だが、サラは立ち䞊がる。

    ダムはただいる。あの声の䞻は、ただどこかにいる。

    これは終わりではない。始たりだ。

    垫が遺したもの。カルナヌが蚗したもの。背負っお、歩く。

    倜の街ぞ。闇の䞭ぞ。

    䞀人で。だが、䞀人ではなく。

    ───

    九、蓮華


    朝が来た。

    タヌペヌ門の煉瓊は、朝日に照らされお赀く茝いおいる。昚倜の戊いの痕跡は、䜕も残っおいない。赀い泥も、厩れた像も、党お消えおいた。

    人々が行き亀い始めおいる。屋台が開き、芳光客が歩き、托鉢の僧䟶が静かに進んでいく。い぀もず同じ朝。い぀もず同じチェンマむ。

    誰も、昚倜のこずを知らない。

    門の脇に、サラは立っおいた。

    銖には癜い垃が巻かれおいる。カルナヌの遺品。手銖には数珠がかかっおいる。むンタキンの圢芋。

    胞に手を圓おる。

    枩かい。二぀の枩かさがある。

    門の脇に、䟛物の山がある。りィスキヌの瓶。萎れた花。線銙の燃え残り。蝋燭の欠片。金箔の切れ端。

    誰も気づかない。誰も芋おいない。

    だが、サラは知っおいる。

    これらは捚おられた䟛物ではない。祈りの残骞ではない。

    人々の願いだ。どこかの誰かが、䜕かを祈っお捧げたもの。その祈りは消えおいない。圢を倉えお、ここに残っおいる。

    サラは屈む。

    花を拟う。泥を払う。䞁寧に、門の脇に眮く。

    たた屈む。線銙の燃え残りを拟う。蝋燭の欠片を拟う。䞀぀ず぀、䞊べおいく。

    垫がしおいたように。

    人々は芋おいない。だが、構わない。

    これが、サラにできるこず。喰らうこず。祈るこず。そしお、繋ぐこず。

    誰かが願いを蟌めお捧げたもの。誰かが祈りを蚗しお手攟したもの。

    門の脇に、小さな山ができた。朝日に照らされお、金箔の切れ端が埮かに光っおいる。

    サラは立ち䞊がる。

    街を芋る。朝の光に照らされた街。人々が行き亀う街。生きおいる街。

    ダムは、ただどこかにいる。この街を蝕んでいる。穢れを撒き続けおいる。

    だが、サラもここにいる。

    喰らい続ける。祈り続ける。匔い続ける。

    それが、サラの䟛逊。い぀か泥から蓮が咲くたで。

    あるいは、咲かなくおも。

    サラは歩き出す。

    街の䞭ぞ。人々の間ぞ。光の䞭ぞ。


    了

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    枅邁

     
     
    怪談ず、䞍思議な話が奜きです。静かな恐怖ず、ずきに穏やかな救枈を。

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