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何を汚いジャイアンと思っているか?

音羽しーなさんの、こちらの記事を読みまして。

ふむー、と思いました。
なるほど、とも。わかる気がするんです。

私も、比較的綺麗なジャイアンで出している気がします。悪いことじゃないし、綺麗なジャイアンも、私なんですけどね。

ここ↓とか、本当に頷きまくりです。そうなんですよねぇ。

たぶん、わたしは綺麗なジャイアンの化粧を落としたいわけではない。服を全部脱ぎ捨てて、「こっちが本当のわたしです」と言いたいわけでもない。綺麗なジャイアンも本当のわたしだから。ただ、いつもオーディションで落としてきた、もうひとりのわたしにも、舞台に立たせてやりたいのだと思う。

「綺麗なジャイアンは好きですか?」より

そして、汚いジャイアンもいます。
けれどどちらも、たぶん複数人いるんです。分裂しがち。

汚いジャイアンにも複数人いて、「こっちはいいけど、そっちはちょっとな、また今度かな」と言って、ずっと出番は来ない。


で、しーなさんからいただいたコメントで、ふと考えたんですよね。

「私は、私のどこを汚いジャイアンを思っているのだろう?」と。


これはあくまでも個人的な感覚なんですけど、前提として、所属しているコミュニティによって、何が汚いジャイアンかは変わると思うんです。
要は、「どのジャイアンなら、このコミュニティで好かれやすいのか」は変わってくるから、「どのジャイアンが汚いジャイアンになるのか」も、大なり小なり変わってくるということ。

人によって、見せる面は違うから。
いわゆる、平野啓一郎さんの「分人主義」の考え方に近いです。


で、その上で。

「あわい雪」は、何を汚いジャイアンと思っているか、というと。

複数あるんですけど、ひとつは、「厳しすぎる自分」だと思います。
自分にも他人も厳しくなってしまう自分。

イメージで言うなら、「気難しいし、やたらと厳しいお局様」みたいな感じの人でしょうか。

厳しい人って、職場でもどこでも、敬遠されがちな気がするんです。
時代の影響もあるかもしれません。
仮に、そこに愛や理由があっても、じゃあ万人に受け入れられるか、って言ったら難しい。私も、苦手です(苦笑)


自分でも苦手な自分を、他者に受け入れてもらうって、それこそ難しいよなぁ、と思いつつ。

でも、だからこそ、このジャイアンには出番がないんです。
それこそ、定期購読マガジンや有料記事では時々顔を出していますが(だからこそ、読んでいただけるとびっくりするくらい嬉しいんですけど)。

そして何より、みなさんが思っている「あわい雪」のイメージとは、真逆だよなぁ、って。

もしかしたら、「ずるい!」「私も褒められたい!」っていうジャイアンよりも、出しにくいかもしれません。
実は綺麗なジャイアンをしーなさんの記事で初めて知ったので、イメージ違っているかもしれないんですけど(汗)

だから、登場させるなら、有料記事か、紙で製本するZINEに出したらいいかな、と。
あ、言われてみると、今度文学フリマ大阪で出すエッセイZINE新刊は、ちょこっとこの汚いジャイアンも出てる気もします。


閑話休題。

汚い、というか厳しいジャイアンは、出しにくいです。
それこそ、「可愛げ」とか「愛嬌」とは対極にいる気がして。
「愛される」要素が、自分では見つけられなくて。

意地悪かつ厳しいジャイアンって……って、なるんですよね(苦笑)
でも、確かにそういう私もいます。

ちょうどいい塩梅で、ダブルキャストができたらいいのかもしれません。
どっちも好きになってもらえたら、それこそうれしーな、です。

(了)


しーなさんの記事を読んでいて、ふむふむと考えながら書きました。
悩ましく、興味深いテーマです。

ふぅ。それでは今回はここまで。
1回休憩しましょう。お茶でも飲みましょう〜。
みなさんも、無理なさらず。

ここまで読んでいただいて、ありがとうございました。


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