
第19回|DP Technology――AI for Scienceで本当に追うべき20社
北京発の「科学のOS」 Bohrium・SciMaster・Hermite・Uni-Labで、読む・計算する・実験するを一つのスタックに統合する
DP Technologyをこの20社連載で取り上げる理由は、中国で最も体系的なScience OS候補にある。出発点は2018年に北京で数理・物理・AI研究から創業で、現在はParticle Universe、Bohrium、SciMaster、Hermite、Uni-Labで科学Workflow全体をAI化。2026年の再確認では、2025年12月24日の8億元Series C、2026年1月のDeploy-Master公開を含むAI Scientist/Science-as-a-Serviceの強化という動きまで進んでいる。
目次
まず結論
第1部 科学計算の研究者が作った会社
第1章 E WeinanとZhang Linfeng――Deep Potentialの系譜
第2章 会社の成り立ちと拠点
第3章 分子のFoundation Model――Uni-MolとDPA
第2部 読む・計算する・実験するを一つにする
第4章 深势·宇知とBohrium――知識と計算の入口
第5章 SciMaster――汎用の科研エージェント
第6章 Uni-Lab――エージェントから実験装置へ
第7章 Uni-SMART――文献を「読む」モデル
第8章 HermiteとRiDYMO――創薬の計算設計
第3部 大学・産業・地方への展開
第9章 40大学と上海交通大学の「超級科研平台」
第10章 宜賓の乾湿閉ループ――電解液設計で10倍
第11章 オープンソースという資産
第12章 Series Cと資本の構造
第13章 二輪駆動の事業モデル
第4部 2026年の現在地と次の判定点
第14章 Deploy-Master――5万の科研ツールを動く状態にする
第15章 Science as a Serviceが前面へ
第16章 BohriumのData Governance
第17章 研究者の仕事はどう変わるのか
第18章 「AI for Scienceの安卓」という戦略
第19章 本連載の他社との比較――XtalPi、Schrödinger、Lila
第20章 米中の技術分断というリスク
第21章 日本にとっての意味
第22章 DP Technologyを評価するための指標
主要参考資料・関連リンク
ハッシュタグ
まず結論
DP Technology(深势科技)は、中国で最も体系的に「科学のOS」を作ろうとしている会社である。読む、計算する、実験する、という研究の全工程を一つのスタックに載せようとしている。
2018年、北京で数理・物理・AI研究を背景に創業。製品群はParticle Universe(基盤)、Bohrium(計算プラットフォーム)、SciMaster(科学文献・知識)、Hermite(創薬)、Uni-Lab(自動実験)と広い。Uni-Molに代表される分子表現モデルやDeep Potentialによる分子動力学も同社の系譜にある。
2025年末に8億元超のSeries Cを実施し、2026年はAI ScientistとScience-as-a-Serviceの強化へ進んでいる。
米国勢との違いは統合の思想にある。Lila Sciencesが自社ラボの垂直統合で閉ループを作るのに対し、DP Technologyは中国の大学・研究機関・企業が共通で使う公共インフラに近い形を取る。国家の科学研究基盤としての位置づけが強い。
日本にとっての意味は明確だ。日本には計算科学の個別技術は揃っているが、研究工程全体を統合する層がない。DP Technologyは、その層を国家規模で作るとどうなるかの実例である。
数字で見ると、その規模は既に国家インフラに近い。同社の発表によれば、文献・計算の入口である「玻尔(Bohrium)科学導航」は世界の1,000を超える大学・研究機関で300万人以上の科学者に使われ、累計で20億分を超える研究時間を節約した。企業側では150社を超える企業の研究開発に導入され、70社を超える生命科学企業の100本以上の研究開発パイプラインに深く組み込まれている。
2025年12月のSeries Cは8億元(約176億円)。投資家には民間の大手VCに加え、聯想(Lenovo)系のファンドと、北京市の人工知能産業投資基金・医薬健康産業投資基金が並ぶ。民間資本と地方政府系資本が同じラウンドに入る構図は、中国がAI for Scienceを戦略産業として位置づけていることを示している。
DP Technologyを追う意味は、米国勢と正反対の設計思想にある。米国のLila SciencesやPeriodic Labsは、自社の物理実験室を垂直統合して閉じたループを作る。DP Technologyは、大学・企業・地方の産業拠点が共通で使う開かれた基盤を作る。どちらの設計が科学の生産性をより大きく上げるかは、2030年代のAI for Scienceの勢力図を左右する。
本稿は四つの部で構成する。科学計算の研究者が作った会社の成り立ち、読む・計算する・実験するを一つにする製品群、大学・産業・地方への展開、そして2026年9月時点で見るべき判定点である。
第1部 科学計算の研究者が作った会社
第1章 E WeinanとZhang Linfeng――Deep Potentialの系譜
Chief Scientific AdviserのE Weinan、鄂維南はApplied Mathematics、Multiscale Modeling、Machine Learningで世界的研究者。Founder & CSO Zhang LinfengはDeep Potential系AI Molecular Simulationを率い、Founder & CEO Sun WeijieがResearch CommercializationとCompany Scalingを主導する。
DP Technologyの技術的な出発点を理解するには、Deep Potential(深度势能)という研究の系譜を押さえておく必要がある。社名のDPはこの頭文字であり、中国語の社名「深势」も深度势能から来ている。
分子や材料の振る舞いを原子レベルで計算するとき、最も正確なのは量子力学に基づく第一原理計算である。だが計算コストが極めて高く、扱える原子の数も時間も限られる。一方、経験的な力場を使う古典的な分子動力学は速いが、精度が足りない。Deep Potentialは、第一原理計算の結果を機械学習で学習させ、その精度をほぼ保ったまま、古典的な分子動力学に近い速度で計算できるようにする手法である。
この系譜の研究は、2020年のACMゴードン・ベル賞を受けている。スーパーコンピュータを使い、1億個規模の原子を第一原理に近い精度でシミュレーションした成果である。高性能計算の世界で最も権威ある賞の一つが、AIと物理計算を組み合わせた研究に与えられたことは、AI for Scienceという分野の成立を象徴する出来事だった。
E Weinan(鄂維南)とZhang Linfeng(張林峰)は、この研究の中心にいた。DP Technologyは、学術研究として世界的な評価を得た手法を、産業の研究開発に使える製品へ変えるために作られた会社である。
第2章 会社の成り立ちと拠点
DP Technology、深勢科技は2018年創業の中国AI for Science企業で、北京、上海、深圳、宜賓などにR&D拠点を持つ。Missionは「Accelerate scientific discovery and unlock scientific value」で、AI ScientistとAutonomous Scientific Discovery Systemを作ることを目指す。
同社は2018年創業、本社は北京。上海、深圳、宜賓にもオフィスと研究開発拠点を持つ。国家高新技術企業および国家「専精特新」小巨人企業に認定されており、研究技術チームは中国科学院院士が率いる。数学・物理・AIの研究者100名超を擁する。
拠点の配置には、この会社の事業の広がりが表れている。北京は本社と研究の中心、上海は大学や製薬企業との協業の中心、深圳はハードウェアと電子産業に近い拠点である。そして四川省の宜賓は、新エネルギーと新材料の産業クラスターに近い。宜賓の拠点が電池の電解液設計で成果を挙げていることは、第4部で扱う。
国家高新技術企業と「専精特新」小巨人企業の認定は、中国の産業政策の中で、特定分野に強みを持つ中核的な中小企業として位置づけられていることを意味する。政府の支援を受けやすい一方で、産業政策の方向性と事業が強く結びつく。
第3章 分子のFoundation Model――Uni-MolとDPA
Uni-Molは3D Molecular Representation LearningのFoundation Model、DPA/Deep PotentialはAtomic Foundation Model/ML Interatomic Potential系としてMaterials、Battery、CatalystのSimulationを高速化する。
HermiteはAI4S-enhanced Computational Drug Design Platformで、Protein Structure、Docking、Virtual Screening、Lead Optimization、FEPを統合。Uni-FEPは50超Systemで検証、1000超FEP Calculationを8時間で完了すると公式は説明する。
Uni-Molは、分子の三次元構造を直接扱う表現学習のモデルである。多くの分子モデルが分子を二次元の化学構造や文字列として扱うのに対し、Uni-Molは原子の立体配置を入力にする。薬の分子がタンパク質のポケットにどう収まるか、材料の分子がどう配列するかといった、三次元の形が性質を決める問題に向いている。この研究は2023年に機械学習の主要な国際会議ICLRで発表された。
DPA(Deep Potential Atomic model)は、Deep Potentialの系譜を大規模な事前学習モデルへ発展させたもので、多様な元素と物質系にまたがる原子間相互作用を一つのモデルで扱うことを目指す。材料、電池、触媒のシミュレーションの基盤になる。
HermiteのUni-FEPは、自由エネルギー摂動計算(FEP)をAIで強化したものである。FEPは化合物がタンパク質にどれだけ強く結合するかを高い精度で予測する手法で、本連載第11回のSchrödingerがFEP+で長く市場を押さえてきた領域である。DP Technologyは、この領域に中国発の選択肢を用意しようとしている。
第2部 読む・計算する・実験するを一つにする
第4章 深势·宇知とBohrium――知識と計算の入口
Particle Universe、深勢・宇知はScientific Discovery Intelligent Engineの基盤で、Protein、RNA、Atom、Molecule、Scientific Literature、Characterizationなど複数Foundation Model/Toolを統合する。
BohriumはAI for Science Research Hubで、公式には170M Papers、170M Patents、20M+ Active Scholar Profilesを統合し、AI Search、Reading、Notebook、Compute Jobs、Files、Datasets、Uni-Lab Integrationを一体化する。
製品体系も整理しておく。基盤となるのが「深势·宇知®」(Particle Universe)科学発見インテリジェンス・エンジンである。その上に、文献を読む・計算する・実験するという三つの機能を担うツール群が載る。玻尔(Bohrium)科学導航は知識・計算資源・モデルを統合した入口で、高品質な英語文献1.7億本超、特許2億本超、中国語文献8,000万本を統合している。玻尔·智能計算には原子・分子・遺伝子・タンパク質などの方向で構築されたAI4S大規模モデルに基づく垂直応用モデルが1,000件以上組み込まれている。創薬チームはHermite®とRiDYMO®で標的発見から分子最適化までを計算設計でき、エネルギー材料企業はPiloteye®と玄鋳プラットフォームで電池電解液・正負極材料の設計検証サイクルを加速できる。玻尔·賽博実験室のUni-Lab OSは、多様な実験装置を統一的に管制する実験室オペレーティングシステムである。SciMaster、PharmMaster、MatMasterといった科学エージェントも並ぶ。
「読・算・做・智」――読む、計算する、実験する、そして知能化する。同社は自社の能力体系をこの四文字で説明し、その中心に「玻尔·科研空間站」を置いている。
計算の層には「玻尔·勒贝格智算」がある。クラウド、エッジ、スーパーコンピュータにまたがる計算資源を一元的に割り当てる基盤である。同社の公式ページでは、100万CPUコア、1万GPU規模の資源プールを掲げている。研究者は、どこにある計算資源かを意識せずに計算を投げられる。
文献・特許の件数については、資料によって表記が異なる点に注意したい。2025年12月の中国側の報道では英語文献1.7億本超、特許2億本超、中国語文献8,000万本とされ、2026年9月時点の同社の英語版公式ページでは論文1.7億本、特許1.7億本、研究者プロフィール2,000万件超とされている。集計の範囲や言語の違いによるものとみられ、本稿では両方を併記する。
第5章 SciMaster――汎用の科研エージェント
SciMasterはGeneral-purpose Scientific AI Agentとして文献検索、計算、Tool利用、Experimentへの接続をOrchestrateする。Bohriumで情報を読み、Computeを動かし、Labへ進むAI Scientist構想の中心である。
SciMasterは2025年7月26日、上海交通大学、上海アルゴリズム創新院、そしてDP Technologyが共同で発表した。三者が共同開発した科学基盤モデルInnovatorを土台にしている。同社はSciMasterを「世界初の汎用科研インテリジェント・エージェント」と位置づけている。
発表で示された問題意識が印象的だ。19世紀以来、人類の文献の量は4,000倍に増えたが、人が文献を読む速度は2倍しか上がっていない。研究者が扱える情報の量と、存在する情報の量の差が、科学的発見の速度を制約している、という認識である。
SciMasterの動きは具体的に説明されている。研究者が問いを立てると、SciMasterはそれを複数のサブタスクに分解し、ウェブ検索、ウェブページの解析、論文検索といった手段を呼び出して、インターネット全体と文献全体を調べる。関連するデータ、論文、特許を集め、詳細な調査報告を作る。研究者は推論の途中でいつでも止め、論理を確認し、タスクの分け方や順序、重点を修正できる。同社はこれを「思考の連鎖の編集」と呼ぶ。
AIが答えを出すのを待つのではなく、AIの推論の過程に研究者が介入できる設計である。科学研究では、結論そのものより、どういう経路でそこに至ったかが重要になる。この設計は、研究者の判断を残したままAIの速度を借りるという、実務的な折衷になっている。
第6章 Uni-Lab――エージェントから実験装置へ
Uni-LabはLaboratory Software/Device Integration Layerで、Digital Scientific AgentをPhysical Experimentへ接続する。DP Technologyは「読む・計算する・実験する」を同一Stackで覆う点が大きな特徴である。
SciMasterの最も重要な機能は、実験系への接続である。SciMasterはUni-Labが提供するMCPサービスを直接呼び出せる。MCP(Model Context Protocol)は、AIエージェントが外部のツールやデータにアクセスするための標準的な接続方式である。これによって、実験装置とソフトウェアを統合し、ソフトウェア、ハードウェア、研究者、研究データを含む「乾湿閉ループ」――計算(乾)と実験(湿)を一つにつないだループ――を構成する。
使い方も説明されている。研究者はまず玻尔科研空間站で実験室のアカウントを登録し、装置を紐づける。その後、SciMasterの実験管理の機能で実験の要求をアップロードすると、システムが実験計画を作り、実験装置を呼び出して実行し、終わるとレポートを作る。
同社によれば、Uni-Lab OSは既に100種類を超えるよく使われる実験装置を接続している。多様なメーカーの装置を一つのOSで統一的に制御できることが、「機械の実験者」が登場する前提になる。
本連載第13回のAtinaryが、Chemspeed、Bruker、ABBといった装置メーカーと組んで顧客のラボを自律化しているのと、目指すものは近い。違いは規模と開放性である。Atinaryは31人の会社が企業顧客ごとに導入するモデルだが、DP Technologyは大学全体、地域の産業拠点全体に同じ基盤を敷こうとしている。
第7章 Uni-SMART――文献を「読む」モデル
「読む」の層を支える技術として、同社は科学文献のマルチモーダル大規模モデルUni-SMARTを開発している。 科学論文は文章だけでできているわけではない。化学構造式、反応式、表、グラフ、スペクトル、顕微鏡画像が、本文と同じかそれ以上の情報を持っている。一般的な言語モデルは文章を読むのは得意でも、構造式や図表から正確に情報を取り出すのは苦手である。Uni-SMARTは、こうした多様な形式の情報をまとめて理解することを狙う。
同社は技術レポートで、Uni-SMARTが複数の分野の文献読解でGPT-4を上回ったと主張している。ただしこれは同社の発表であり、比較の条件や独立した追試の結果は確認できていない。また、比較対象のGPT-4は2023年のモデルであり、2026年時点の最先端の汎用モデルとの比較ではない点にも注意が必要である。
それでも、科学文献に特化した読解モデルを自前で持つことの意味は大きい。文献・特許1.7億本を超える規模の知識ベースを、単なる検索の対象ではなく、構造化された知識として使えるかどうかが、SciMasterの調査報告の質を決めるからである。研究の出発点である「先行研究を正確に把握する」工程を、どれだけ速く正確にできるかが、エージェントによる研究の全体の質を左右する。
第8章 HermiteとRiDYMO――創薬の計算設計
RiDYMOはAI for Science-driven Hit Discovery Platformで、Target DynamicsやMacrocycle/Small Molecule Chemical SpaceをPhysicsとAIで探索し、Intracellular PPIなどChallenging Targetを狙う。
Hermiteは、タンパク質構造、ドッキング、仮想スクリーニング、リード最適化、FEPを一つのプラットフォームに統合した計算創薬の基盤である。創薬チームは、標的の発見から分子の最適化までを、この基盤の上で系統的に進められる。クラウドでの利用に加え、企業内に閉じた環境へのプライベート導入にも対応している。
RiDYMOは、従来の手法では薬にしにくい「難成薬標的」を狙う探索基盤である。タンパク質の動き(ダイナミクス)を物理とAIで捉え、細胞内のタンパク質間相互作用のように、固定した結合ポケットを持たない標的に対して、低分子や大環状分子の化学空間を探索する。
創薬の文脈で注目すべきは、同社のサービスが70社を超える生命科学企業の100本以上の研究開発パイプラインに組み込まれているという点である。DP Technologyは自社で薬を開発する会社ではない。他社の創薬を支える計算基盤を提供する会社である。本連載の他社でいえば、第11回のSchrödingerのソフトウェア事業に近い位置にある。
第3部 大学・産業・地方への展開
第9章 40大学と上海交通大学の「超級科研平台」
DP Technologyの普及の中心は大学である。同社は北京大学、上海交通大学、厦門大学を含む40を超える大学と提携している。
代表例が上海交通大学である。同大学はX実験室を基盤に「超級科研平台」を構築した。玻尔科研空間站を土台に、大学の図書館の資源、計算センター、分析試験センターを深く統合し、全学の教員と学生向けにエージェントのツール群を用意した。SciMasterはこの基盤のエージェント管理者として、各研究グループのプライベートなデータに接続し、教員や学生が自作したエージェントも統合する。
具体的な研究成果も報告されている。上海交通大学の張万斌教授のチームは、T5-AsymCatというエージェントを使い、複数の重要なキラル医薬品の製造プロセスの開発を加速した。董佳家教授は、クリックケミストリーと分子の構成要素ライブラリを組み合わせ、需要に応じた分子設計をAIで加速する仕組みを作った。
大学全体に共通の基盤を敷くことの意味は大きい。研究室ごとに別々のツールを使い、別々の形式でデータを持つ状態では、研究の知見は研究室の外に出にくい。共通の基盤があれば、ある研究室で作ったエージェントやワークフローを、別の研究室が使える。大学が一つの研究組織として知見を蓄積できるようになる。
第10章 宜賓の乾湿閉ループ――電解液設計で10倍
DP Technologyの展開で、日本の読者に最も示唆的なのが宜賓の事例である。 四川省の宜賓には、新エネルギーと新材料の数智創新センターがある。玻尔の基盤は、このセンターの乾湿閉ループの装置とクラウドで連動している。研究者が電池の電解液に求める性能を入力すると、専用の知識ベース、電解液の配合を扱う大規模モデルUni-ELF、自動化されたワークステーション一式、そして実験管理システムを組み合わせた閉ループの最適化が回る。同社の説明によれば、電解液の配合の研究開発と納品の効率を少なくとも10倍に高めたという。
宜賓は、中国の電池産業の主要な生産拠点の一つである。大手の電池メーカーが大規模な工場を構えている。その地域の産業拠点に、大学の研究室と同じ基盤が敷かれている。
この構図が示すのは、中国ではAI for Scienceの基盤が、首都の研究機関から地方の産業クラスターまで、同じプラットフォームでつながり始めているということである。日本にも電池や化学の産業集積地はあるが、それらを共通のAI研究基盤で結ぶ取り組みは、2026年9月時点で見当たらない。
なお、10倍という数字は同社の発表に基づくもので、比較の条件は公表されていない。第5回のRadical AIの加速率と同様、分母が何かを確認できない数字として扱うべきである。
第11章 オープンソースという資産
DP Technologyの競争力を支えるもう一つの資産が、研究者の間で使われているオープンソースのソフトウェアである。
Deep Potentialの手法を実装したDeePMD-kitは、機械学習による分子動力学の代表的なオープンソースのソフトウェアとして、世界中の材料科学や化学の研究者に使われてきた。Uni-Molも、コードとモデルが公開されている。研究者がこれらを使って論文を書けば、その論文を読んだ別の研究者がまた同じソフトウェアを使う。利用者の輪が、同社の営業とは無関係に広がっていく。
この構造は、商業的には二つの意味を持つ。一つは、人材の獲得である。オープンソースのソフトウェアに貢献した研究者や、学生時代にそれを使っていた若手は、同社にとって自然な採用の候補になる。もう一つは、有償の製品への導線である。大学でDeePMD-kitやUni-Molを使っていた研究者が、企業でより大規模な計算や企業向けの機能を必要としたとき、同社の有償の基盤が選択肢として最初に浮かぶ。
本連載第14回で扱ったBiohub(旧EvolutionaryScale)は、ESMCとESMFold2をMITライセンスで公開し、非営利機関として基盤モデルを開いた。DP Technologyも、基盤となる手法をオープンソースとして開きつつ、その上の統合された基盤と企業向けのサービスで収益を得る。公開と収益化の線をどこに引くかは、AI for Scienceの企業に共通する設計課題である。
第12章 Series Cと資本の構造
2025年12月、Series Cで8億元超、約1.14億ドルを調達したと報じられた。Fortune Venture Capital、Beijing系AI/Pharma Fund、Lenovo Capitalなどが参加し、中国の政策・産業CapitalがAI4SをStrategic Sectorと見ていることを示す。
まず資金調達である。2025年12月24日、深势科技(DP Technology)は8億元(約176億円、1元=22円換算)のSeries Cを完了した。投資家は達晨創投(Fortune Venture Capital)、聯想創投(Lenovo Capital and Incubator Group)、華創投資(Hua Capital)、北京人工知能産業投資基金、北京医薬健康産業投資基金など。国有系・地方政府系ファンドと事業会社系ファンドが揃って入っている構成であり、中国におけるAI for Scienceの国家的位置づけを反映している。同社の発表によれば、製品群は既に300万人の科学者に利用されている。
投資家の構成を読むと、この会社の性格がよく分かる。達晨創投は中国の大手民間VCである。聯想創投は、パソコン大手Lenovoのベンチャー投資部門で、同社は発表の中で、Lenovoのグローバルなサプライチェーンと産業エコシステムの強みを活かして、DP Technologyの科学インフラの整備と応用拡大を支援すると述べた。華創投資は半導体・ハードテックに強い投資会社である。そして北京市の人工知能産業投資基金と医薬健康産業投資基金は、地方政府系の産業ファンドである。
民間のVC、事業会社のCVC、地方政府の産業ファンドが一つのラウンドに並ぶ。中国のディープテック投資では珍しくない構図だが、AI for Scienceという分野でこれが成立したことは、この分野が国家と地方の両方の産業政策の対象になったことを示している。
第13章 二輪駆動の事業モデル
Business ModelはBohrium Subscription/Institutional License、Compute、Hermite等Software、Enterprise Solution、R&D Service、Lab Integrationを組み合わせるScience-as-a-Service型である。
商業化は二輪駆動と説明されている。一方はBohrium®やHermite®のような標準化・クラウド化されたSaaSプラットフォームによる市場拡大と規模収入。他方は革新薬や新エネルギー材料の大手顧客に対し、その研究開発フローへ深く統合されたカスタムソリューション(RiDYMO®、Piloteye®など)を提供することである。
企業向けの実績は、150社を超える先進的な企業の研究開発の高度化を支援し、70社を超える生命科学企業の100本以上のパイプラインに深く関わり、複数の大手物質科学企業にサービスを提供している、と説明されている。
二つの車輪の性格は大きく違う。SaaSの車輪は、利用者の数で伸びる。大学の研究者300万人という利用者の規模は、この車輪の強さを示す。カスタムソリューションの車輪は、顧客一社あたりの深さで伸びる。製薬や電池の大手企業の研究開発フローに組み込まれれば、乗り換えにくくなり、単価も高くなる。
収益の性格も違う。SaaSは月額や年額の利用料として積み上がる反復収益で、予測しやすい。カスタムソリューションは顧客ごとの案件で、単価は高いが受注の時期に波がある。二つを組み合わせることで、収益の安定性と成長性の両方を狙う設計になっている。
前者は利用者と知名度を、後者は収益を生む。大学で使い慣れた研究者が企業に就職し、企業でも同じ基盤を使う、という流れができれば、二つの車輪は連動する。これは、米国でMATLABやGaussianのような科学計算ソフトウェアが大学から産業へ広がった経路と同じである。
第4部 2026年の現在地と次の判定点
第14章 Deploy-Master――5万の科研ツールを動く状態にする
2026年に入って最も示唆的な成果がDeploy-Masterである。2026年1月、玻尔(Bohrium)+SciMasterチームは科研ツールの大規模自動デプロイに関する研究成果をarXivで公開した。50万件規模のオープンソース候補リポジトリを起点に、系統的な検索・重複排除・選別を経て、5万件超の科研ツール候補を自動コンパイル・デプロイのフローに投入し、再現可能かつ検証可能な実行環境を生成した。結果として、研究者と科学エージェントが直接呼び出せるAgent-Readyなツール単位が形成された。Deploy-Masterは玻尔プラットフォーム上で公開され、科研コミュニティに自動コンパイル・デプロイサービスを提供している。
この成果の意味を書いておく。AI Scientistが実際に機能するには、仮説生成モデルの賢さだけでは足りない。エージェントが呼び出せる道具が、動く状態で揃っている必要がある。オープンソースの科学ソフトウェアは膨大に存在するが、その大半は依存関係の問題で「そのままでは動かない」。DP Technologyがやったのは、この最も地味で最も面倒な層を1日で5万件規模で自動化したことである。第1回のLila Sciencesや第8回のPeriodic Labsが物理実験装置の自律化に投資しているのに対し、DP Technologyは計算ツールの自律化に投資した。どちらもAI Scientistの前提条件だが、後者の方がはるかに安く、はるかに速くスケールする。
第15章 Science as a Serviceが前面へ
2026年9月22日時点のDP Technology公式サイトでは、会社全体のProduct Narrativeがより明確に「Science as a Service」へ整理されている。深势·宇知をScientific Discovery Intelligent Engineの基盤に置き、Bohriumで文献・計算・Dataを扱い、SciMasterなどのScientific AgentがWorkflowをOrchestrateし、Uni-LabがPhysical Laboratoryへ接続する。「読む・計算する・実験する」を一つのStackへ統合する構造である。
Bohriumの現在の公式ページでは、170M Papers、170M Patents、20M+ Active Scholar Profilesを統合するResearch Hubとして説明されている。Compute側では100万CPU Core、1万GPU規模のResource Poolを掲げ、Scientific Software、Dataset、Notebook、Agent、Laboratory Integrationを同一Workspaceから扱える。これらは単純なCloud HPCではなく、Research Contextを保持したScientific Workspaceを狙う設計である。
Agent Layerも具体化している。現在のBohrium CLI DocumentationではAgent Sessionの実行・監視、Artifact管理、SciMasterによるPaper SearchやManuscript Review、Cloud/Local Sandboxの選択まで提供されている。研究者がChatで回答を受け取るだけでなく、AgentがToolを使い、WorkflowをRunし、Result Artifactを残す方向へ進んでいる。
一方、2025年12月のSeries Cを上回る新たな大型資金調達や、臨床・製造に相当する決定的Milestoneは、2026年9月22日時点で公式サイト上に確認できない。したがって現時点の更新ポイントは、個別の新製品発表というより、Particle Universe/深势·宇知、Bohrium、SciMaster、Hermite、Uni-Labを「Science as a Service」の一体構造として商用化している点にある。
9月22日時点の公式英語サイトでは、Science-as-a-Serviceの構成要素としてBohrium Science Navigator、Bohrium Lebesgue Intelligent Computing、Hermite、Piloteye、Bohrium Uni-Lab、SciMasterに加え、Discovery-scale InfrastructureとR&D Servicesまで明示されている。つまりDP TechnologyはSoftware Licenseだけでなく、計算資源、Scientific Agent、専門Tool、Lab OS、研究開発Serviceを一体で提供する方向へ進んでいる。
Bohriumの収益化は、抽象的なEnterprise Licenseだけではない。2026年9月時点の公式Docsでは、Compute JobやDevelopment NodeをMachine-hourで課金し、Paper Searchは標準0.05元から、Patent Searchは0.1元から、PDF Parsingは1ページ0.05元、AI Mentorは1 Session 2元というUsage-based Pricingが公開されている。SciMasterは別建てのUsage-based Billingである。つまりDP TechnologyのScience-as-a-Serviceは、大企業向け契約だけでなく、研究者単位で使った計算・検索・Agent Taskへ細かく課金するCloud型Economicsも持ち始めている。
この料金体系には、もう一つ見落とせない特徴がある。課金の情報が、人間向けの料金表だけでなく、機械が読める形でも公開されている点である。Bohriumの外部向けOpenAPIの仕様書では、課金対象の各エンドポイントに機械可読の価格情報が注記され、説明文の末尾に人間向けの課金行も付く。論文検索は1回0.05元といった単価が、APIの定義そのものに埋め込まれている。仕様書はGitHub上のbohrium-skillsというリポジトリで管理され、エージェント向けの「Skill」ごとの記述から生成されていると説明されている。
これは、Bohriumの主な利用者が人間の研究者からAIエージェントへ広がることを前提にした設計である。エージェントは、どのツールを何回呼べばいくらかかるかを、実行の前に自分で計算できる。SciMasterのような科研エージェントが外部のツールを組み合わせて調査や計算を行うとき、コストを見積もりながら手順を選べるようになる。料金体系そのものが、エージェントが読むインターフェースになっている。
なお、Bohriumは北京科学智能研究院(Beijing AI for Science Institute)との協力のもとで開発されたと紹介されている。文献検索の回答生成にはDeepSeek R1などのモデルが使われ、無料枠として1,500クレジットが提供されているとする第三者の紹介記事もある。
第16章 BohriumのData Governance
Scientific AI Platformが企業や大学に普及するには、Model性能だけでなくResearch Dataの扱いが重要になる。Bohriumは現在、Research DataをSecure and Confidentialに保ち、Personal DataをTrainingへ使用しないと明示している。HermiteはCloudだけでなくPrivate Deploymentもサポートする。
これは中国の製薬・材料・化学企業がAI for Scienceを導入する際の重要条件である。未公開Molecule、Material Formula、Process Data、Experimental Failureは企業のCore IPであり、Public Modelへ流出する懸念があればResearch OSは採用されにくい。DP TechnologyがInstitutional License、Private Deployment、Cloud/HPC、Lab Integrationを同時に持つ意味はここにある。
DP Technologyの次の評価点は、AgentのBenchmarkだけではない。Bohrium上で何件のResearch Workflowが完結し、どれだけUni-Labへ接続され、企業R&DでRepeat Deploymentされるかである。もしDigital AgentからPhysical Experimentまで一つのIdentity、Data Model、Audit Trailで管理できれば、中国版Science OSという表現が単なる比喩ではなくなる。
第17章 研究者の仕事はどう変わるのか
DP Technologyの基盤が普及したとき、研究者の仕事は具体的にどう変わるのか。同社が公開している機能から考えてみる。
最初に変わるのは、先行研究の調査である。SciMasterは、問いを分解し、文献と特許を横断して調べ、調査報告を作る。これまで研究者が数日から数週間かけていた作業が、短時間で下書きの形になる。研究者の仕事は、ゼロから調べることではなく、AIが作った報告の論理を検証し、見落としや誤りを直すことに移る。SciMasterが推論の過程を途中で止めて修正できる設計になっているのは、この役割分担を前提にしている。
次に変わるのは、計算の実行である。Deploy-Masterで5万件を超える科研ツールがエージェントから呼び出せる状態になれば、研究者は個々のソフトウェアのインストールや環境構築に時間を使わなくてよくなる。どの計算をすべきかを決め、その結果を解釈することに集中できる。
そして最後に変わるのが、実験である。Uni-Labで装置がつながれば、実験計画から実行、レポートまでをエージェントが担える。研究者は、実験の目的と制約を定め、結果が意味するところを判断する。
三つに共通しているのは、研究者の役割が「手を動かす人」から「判断する人」へ移ることである。これはAI for Science全体に共通する方向だが、DP Technologyの場合、それを一つの研究室や一つの企業ではなく、大学全体、地域全体の単位で起こそうとしている点が特徴である。変化の規模が大きいぶん、研究者の育成や評価の仕組みも合わせて変える必要が出てくる。
第18章 「AI for Scienceの安卓」という戦略
DP Technologyの戦略を、中国のメディアは「AI for Scienceの安卓(Android)」と表現している。
共同創業者のZhang Linfengは、オープンソースのコミュニティの本質を「弱いつながりのコミュニティから、開かれた開発システムへの進化」と説明している。従来の科研ソフトウェア会社は、ソフトウェアを売れば取引が終わり、利用者は孤立していた。DP Technologyは、世界中の科学者がこの基盤の上で新しいアルゴリズムを開発し、新しいモデルをアップロードすることを習慣にしてもらおうとしている。新しい利用者が加わるたびに、データとフィードバックが基盤に戻り、土台の「宇知」モデルを強くする。
Androidがスマートフォンのメーカーではなく、多くのメーカーが使うOSとして市場を押さえたように、DP Technologyは実験装置も薬も作らず、それらをつなぐOSとして科学研究の入口を押さえようとしている。Uni-MolやDeePMDのようなオープンソースの成果が研究者の間で使われていることが、この戦略の土台になっている。
この戦略の強みは、ネットワーク効果である。利用者が多いほど、基盤に集まるツールやモデルが増え、基盤の価値が上がり、さらに利用者が集まる。弱みは、収益化の難しさである。Androidが無償のOSとして普及し、収益は別の経路で得たように、DP Technologyも基盤の普及と収益を別々に設計する必要がある。大学向けの普及と、企業向けのカスタムソリューションという二輪駆動は、この課題への答えである。
第19章 本連載の他社との比較――XtalPi、Schrödinger、Lila
DP Technologyの位置を、本連載で扱った他社と並べて確認しておく。 最も近いのは、同じ中国発の第4回XtalPiである。XtalPiは2015年にMITの3人の研究者が創業し、2024年に香港取引所に上場した。AIと自動化ロボットの実験室を組み合わせ、創薬と新材料の研究を受託し、自社でもパイプラインを持つ。DP TechnologyとXtalPiはともに中国のAI for Scienceを代表するが、戦略は対照的である。XtalPiは自社の実験室を大規模に持ち、深圳と上海にAIロボット実験ステーションを展開している。DP Technologyは自らは大規模な実験室を持たず、Uni-Labで他者の装置をつなぐ。XtalPiは実験を「する」会社、DP Technologyは実験を「つなぐ」会社である。
事業の形では、第11回のSchrödingerに近い。Schrödingerは物理ベースの計算化学のソフトウェアを35年かけて産業のインフラにし、その上にエージェントのBunsenを載せた。DP Technologyも、Deep Potentialという物理と機械学習を組み合わせた計算手法を土台に、その上にSciMasterというエージェントを載せている。ただしSchrödingerが創薬と材料の企業向けソフトウェアに集中しているのに対し、DP Technologyは大学の研究者300万人という利用者の基盤を持ち、文献から実験までを一つにしようとしている点で、範囲がはるかに広い。
そして思想の上で最も遠いのが、第1回のLila Sciencesである。Lilaは自社のAI Science Factoryで閉じたループを作り、科学的方法そのものを製品にしようとしている。すべてを自社の中で回すことで、データの質と一貫性を確保する。DP Technologyは逆に、ループを開き、多くの参加者が同じ基盤に乗ることで規模を得ようとしている。
閉じたループはデータの質で勝ち、開いた基盤は規模で勝つ。どちらが科学の生産性をより大きく上げるかは、まだ分からない。だが、米国の代表的な企業が閉じたループに賭け、中国の代表的な企業が開いた基盤に賭けているという対比は、2030年代のAI for Scienceを考えるうえで重要な構図である。
第20章 米中の技術分断というリスク
最大Moat候補はE Weinan/Zhang Linfeng系Scientific Research、Atomic/Molecular Foundation Models、中国の大規模Researcher Base、Bohrium Entry Point、政府・産業Capital。最大Riskは米中Technology RestrictionsとProduct Matrixの広さによるFocus分散である。 DP Technologyに固有の最大のリスクは、米中の技術分断である。
計算基盤としての規模は、GPUの調達に左右される。同社は1万GPU規模の資源プールを掲げているが、米国の輸出規制によって、最先端のGPUを中国企業が調達することは難しくなっている。計算資源の制約は、大規模なモデルの訓練と、多数の利用者への計算の提供の両方に影響する。
もう一つは、国際的な普及の制約である。DP Technologyは世界の1,000を超える大学・研究機関で使われているとしているが、米国や一部の同盟国では、中国企業の研究基盤に研究データを載せることへの警戒が強まっている。未公開の分子や材料の配合を扱う企業ほど、その警戒は強い。BohriumがプライベートなデータをAIの学習に使わないと明示し、Hermiteがプライベート導入に対応しているのは、この懸念への対応でもある。
逆に言えば、中国国内の市場では、米国の研究基盤に代わる選択肢として、DP Technologyの位置はむしろ強まる可能性がある。米国の科研ソフトウェアやクラウドの利用が制約されるほど、国産の代替への需要は高まる。米中の分断は、DP Technologyにとって国際展開のリスクであると同時に、国内市場での追い風でもある。
第21章 日本にとっての意味
日本にとっての含意は、Deploy-Masterを見るといっそう明確になる。日本には計算科学の個別技術も、優れたオープンソース科学ソフトウェアの蓄積もある。欠けているのは、それらを「エージェントが呼び出せる状態」に揃える層と、それを国家規模で行う主体である。装置を買う予算より、この統合層に人を張る方が費用対効果は高い。 日本がDP Technologyから学ぶべきことを、具体的に三つ挙げておく。
第一に、大学全体に共通の研究基盤を敷くことの価値である。上海交通大学の超級科研平台は、図書館、計算センター、分析センターを一つの基盤に統合し、全学の研究者が同じツールを使えるようにした。日本の大学では、研究室ごとに計算資源もデータの形式も分かれていることが多い。
第二に、大学と地方の産業拠点を同じ基盤でつなぐことである。宜賓の電解液の事例は、大学で開発されたAIの手法が、そのまま地方の産業の研究開発に使われる経路を示している。
第三に、オープンソースの科学ソフトウェアを「動く状態」で揃える層の重要性である。Deploy-Masterが示したのは、既存のソフトウェアを整備するだけで、AIエージェントが使える道具が5万件規模で増えるということだった。日本にも優れた科学ソフトウェアの蓄積はある。それらをエージェントが呼び出せる状態に揃える作業は、新しいモデルを作るより安く、速く効果が出る。
第22章 DP Technologyを評価するための指標
最後に、DP Technologyを今後追うための指標を整理する。 第一に、企業向けの深い導入の件数。150社、70社、100本という数字が、今後どう伸びるか。とくに、パイロットではなく継続的な導入に移った企業の数が重要である。
第二に、Uni-Labの接続の広がり。100種類を超える装置が接続されているとされるが、実際に乾湿閉ループが回っている拠点がどれだけあるか。宜賓のような成果が、他の地域や産業で再現されるか。
第三に、SciMasterとエージェントの利用。研究者がエージェントに実際に研究の工程を任せ、成果が論文や製品になった事例が増えるか。
第四に、資金と上場。2025年12月のSeries Cの後、次の資金調達がどの形で行われるか。中国の科創板などへの上場は、情報開示を通じて同社の事業の実態を外部から検証できるようにする。2026年9月22日時点で、上場の申請は確認できていない。 第五に、国際展開。米中の分断の中で、海外の大学や企業での利用がどう推移するか。
加えて第六に、研究成果の質。DP Technologyの基盤を使った研究から、どれだけ影響力のある論文や実用化された材料・医薬品が生まれるか。基盤の利用者数ではなく、その上で生まれた成果の質こそが、科学のOSとしての価値を最終的に示す。利用者300万人という数字は、あくまで入口の大きさを示すものにすぎない。
DP Technologyは、本連載の20社の中で、中国のAI for Scienceを代表する存在である。その成否は、一企業の業績にとどまらず、国家規模の研究基盤というモデルが機能するかどうかの試金石になる。
本稿の表記について。本稿は日本円換算を1ドル=160円で統一している(第19回の人民元換算は1元=22円)。会社が自ら公表した内容は「発表ベース」、報道機関が関係者証言などを基に報じた内容は「報道ベース」として区別した。URLは実在を確認したものだけを掲載している。企業名・製品名・技術用語は英語表記を原則とし、日本語の定訳が定着しているものだけ日本語にした。
以下は本稿の執筆・改訂にあたり、一次情報および主要報道で照合した事項である。 ・2025年12月24日のSeries Cは8億元。投資家は達晨創投、聯想創投、華創投資、北京人工知能産業投資基金、北京医薬健康産業投資基金など。
・玻尔科学導航は世界の1,000超の大学・研究機関で300万人超の科学者に利用され、累計20億分超の研究時間を節約。企業では150社超の研究開発に導入され、70社超の生命科学企業の100本以上のパイプラインに関わる(いずれも会社発表)。
・文献・特許の件数は、2025年12月の中国側報道で英語文献1.7億本超・特許2億本超・中国語文献8,000万本、2026年9月の英語版公式ページで論文1.7億本・特許1.7億本・研究者プロフィール2,000万件超と表記が異なる。本稿では両方を併記した。
・SciMasterは2025年7月26日、上海交通大学・上海アルゴリズム創新院・DP Technologyが共同発表。基盤モデルはInnovator。Uni-LabのMCPサービスを呼び出して実験装置に接続する。Uni-Lab OSは100種類超の実験装置を接続(会社発表)。
・宜賓の新エネルギー・新材料数智創新センターでの電解液配合の効率「少なくとも10倍」は会社発表で、比較条件は非公開。
・Deep Potentialの系譜の研究は2020年のACMゴードン・ベル賞を受賞している。Uni-Molは2023年のICLRで発表された。 ・2026年9月22日時点で、Series Cを上回る新たな資金調達や上場申請は確認できていない。
・9月22日時点の公式サイトでは、深势·宇知を基盤にBohrium、SciMaster、Hermite、Uni-Lab等を束ねるScience as a Service構造が前面に出ている。
・Bohriumは170M Papers、170M Patents、20M+ Active Scholar Profilesを掲げるResearch Hubへ拡張している。
・2025年12月の8億元Series Cを上回る新しい大型資金調達は公式情報で確認できない。2026年9月時点の動きはProduct/Platformの現在仕様を中心とする。
本回は2026年9月22日時点で、企業の公式発表・IR資料・SEC提出書類・学会発表・主要メディアの報道に当たって照合した。AI for Science領域は資金調達と提携の動きが速く、掲載後に数値が更新される可能性がある。金額・段階・人数はいずれも本稿執筆時点のものである。
・Bohriumの外部向けOpenAPI仕様書には、課金対象の各エンドポイントに機械可読の価格情報が注記されている(論文検索1回0.05元など)。仕様書はGitHubのbohrium-skillsリポジトリで管理される。Bohriumは北京科学智能研究院との協力で開発されたと紹介されている。
主要参考資料・関連リンク
DP Technology公式
https://www.dp.tech/en
About
https://www.dp.tech/en/about
Bohrium
https://www.dp.tech/en/product/bohrium
Hermite
https://www.dp.tech/en/product/hermite
RiDYMO
https://www.dp.tech/en/services/medicine
Materials
https://www.dp.tech/en/services/materials
8億元Series C完了の報道(2025年12月24日、量子位)
https://www.qbitai.com/2025/12/365728.html
DP Technology公式
https://www.dp.tech/
Bohrium Docs / Agents
https://bohrium-doc.dp.tech/en/docs/bohrctl/agents/
Hermite
https://www.dp.tech/product/hermite
Series C完了と企業向け導入実績(北京大学創新創業学院)
https://sie.pku.edu.cn/xwgg/xwdt/7ec4edc34bc74017ba7c70ea623dc2f4.htm
「AI for Scienceの安卓」としての戦略(品玩)
https://www.pingwest.com/a/310184
SciMaster発表(2025年7月26日)
https://ex.chinadaily.com.cn/exchange/partners/82/rss/channel/cn/columns/6ldgif/stories/WS68888b3fa310a07bb590ad2f.html
会社概要(深势科技)
https://www.dp.tech/about
Bohrium Pricing
https://bohrium-doc.dp.tech/en/docs/bohrctl/pricing/
Bohrium OpenAPI(論文・特許検索と計費の注記)
https://apis.io/apis/dp/dp-bohrium-paper-search-api/
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