
【青橙ノ余白】上からかけるもの─誰にも嫌われないサッカー
読者の皆さんは、「上からかけるもの」と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。
私は、真っ先に照明器具が思い浮かんだ。
昔ながらの和室によくある、四角い照明器具だ。
今はもうシーリングタイプに代えているが、昔、私の寝室の照明器具がそのタイプだった。
紐が短かったので、怠惰な私は寝ながらでも引っ張ることができるように、ビニール紐で延長していた。
……一体、楓さんは何を言っているのだろうと思われるかもしれない。
まぁ、聞いてほしい。
今日、私は仕事が忙しく、朝食も昼食も食べるタイミングを逃した。
Xでは少し言及したが、先週はとある事情で仕事ができなかったため、今週は日曜日からさっそく仕事に追われている。
だから、今日は少し昼食が遅かったのだ。
何の気なしに遅めの昼食を取りながらテレビを見ていると、いつもは見ないクイズコーナーが始まった。
「20代の方から70代の方までアンケートを取りました。『上からかけるもの』を1位から10位まで当ててください」
確か、1位はハンガーだったと思う。
私が想像した照明器具は2位だった。
途中はよく覚えていないが、10位がブランコだったと思う。
私はその番組を見ながら思った。
──果たして、この情報を知りたい人はいるのだろうか。
まぁ、これはお昼の番組のワンコーナーだ。
気軽な感じで作られたコーナーなのだろう。
だから、別にこの企画が悪いと言いたいわけではない。
ただ、何というか。
私は、少し虚しさを感じてしまったのだ。
誰に向けたのか分からないコーナー。
誰かを怒らせることもない。
誰かを傷つけることもない。
おそらく、誰からも苦情は来ない。
でも、私の心には残らない。
そして、ふと思った。
──多分、こういうものを生み出したのは、我々視聴者なのだろう。
昨今、テレビの表現方法は以前よりも慎重になっている。
少しでも誰かを傷つける可能性があれば問題になり、とがった表現は丸くされる。
お笑い芸人さんが、時代に合わせて表現をアジャストするのに苦労しているという話も聞く。
もちろん、時代が変われば表現も変わる。
誰かを傷つけることを「面白さ」の免罪符にしていいわけでもない。
それは分かっている。
ただ、そうやって一つ一つ「これは危ない」「これは苦情が来る」と削っていった先に、
「上からかけるもの」
のような、誰にも怒られないけれど、誰の心にも引っかからないものが残ってしまうのだとしたら。
私は、それで本当にいいのかなと思う。
そして、そのことを考えていると、昨日の鳥取戦のことが気になった。
試合は見ていない。
だから、内容については何も言えない。
ただ、長崎はリーグ戦と遜色ないメンバーをスタメンに並べ、鳥取はサブメンバー中心だった。
それでも、結果は0-2だった。
それだけは知っている。
SNSを見れば、当然のように批判が並んでいた。
これは仕方のないことだと思う。
試合に負ければ悔しい。
期待していた試合なら、なおさらだ。
私だって長崎が負ければ腹が立つ。
「何やってるんだ」と思うことだってある。
だから、批判する人を否定したいわけではない。
むしろ、応援しているからこそ、言いたくなることもあるのだろう。
ただ、その光景を見ていて、ふと思った。
批判されたら、長崎は変わるのだろうか。
そして、変わったとして。
──それは、本当に良いサッカーになるのだろうか。
ここで、私は少し難しいことを考えてしまった。
「批判されないサッカー」を目指すことは、一見すると、とても分かりやすい。
勝てばいい。
勝ち続ければ、少なくとも負けたことに対する批判は減る。
でも。
そんなことは、できない。
サッカーは勝ち続けられない。
どれだけ強いチームでも負ける。
どれだけ準備しても、思い通りにならない試合がある。
内容が良くても負けることがあるし、逆に、内容が悪くても勝つことがある。
だから「批判されないこと」を目標にするというのは、突き詰めれば「勝ち続けろ」と言っているのと、ほとんど同じなのではないか。
そんなこと、誰にもできない。
では、負けたときに批判されないために、どうするのか。
批判された部分を一つずつ直していくのか。
SNSで多かった意見を拾っていくのか。
「こうすれば怒られない」という答えを探していくのか。
もし、それを続けた先にあるのが、
「誰にも嫌われないサッカー」
だとしたら。
──私は、それを見たいのだろうか。
テレビの話に戻る。
「上からかけるもの」というクイズは、たぶん誰も傷つけない。
ハンガー。
照明。
ブランコ。
正解しても、外しても、誰も困らない。
でも、私はあのコーナーを見ながら、少しだけ寂しくなった。
「これでいいのかな」と思った。
サッカーも、少し似ているのかもしれない。
もちろん、勝つことは大切だ。
勝つために戦っているのだから、負ければ悔しい。
勝てるチームを作ってほしいとも思う。
でも、勝ち続けることはできない。
だったら、負けたときにどうするかのほうが、実は大切なのではないだろうか。
批判されたから変える。
もちろん、それも一つの方法だと思う。
でも、「批判されないために変える」のと、
「自分たちが目指すものをより良くするために変える」のでは、少し違う気がする。
私は、その違いが何なのか、まだ上手く説明できない。
ただ、少なくとも、
「誰にも批判されないものを作ればいい」
とは思わない。
そんなものは、たぶん存在しないからだ。
私は、負けたときに何も言わないサポーターになりたいわけではない。
たぶん、これからも腹を立てるだろう。
「なんでだよ」と思うだろう。
SNSに書きたくなることもあると思う。
それでも、その声がすべてクラブの進む方向を決めるものではあってほしくないと思う。
我々サポーターが見ているのは、その日の90分だ。
クラブが見ているのは、その先にある何年もの時間なのだろう。
だからこそ、負けた日の声だけではなく、
「このクラブは、何を目指しているのか」
というものを、ちゃんと持っていてほしいと思う。
批判されないことではなく。
誰かに褒められることでもなく。
勝ち続けることでもない。
もちろん、勝ちたい。
ものすごく勝ちたい。
でも、勝ち続けられないことを知った上で、それでも「これをやりたい」と思えるもの。
私は、そういうものを見ていたいのかもしれない。
……と、ここまで書いておいて。
もし次の試合で長崎がまた負けたら、私は普通に落ち込むと思う。
「これが目指しているサッカーなのだから、負けても仕方ない」
なんて、たぶん思えない。
そんなに物分かりのいいサポーターではない。
だから、これもきっと矛盾している。
勝ってほしい。
良いサッカーをしてほしい。
負けたら悔しい。
でも、負けたときの批判だけを見て、進む方向を決めてほしくはない。
サポーターというのは、ずいぶん勝手なものだ。
でも、たぶん。
そういう矛盾を抱えたまま応援していくものなのだろう。
昼食を食べながら見ていた「上からかけるもの」のように、誰にも嫌われないものを作るのではなく。
たまには、誰かに怒られるかもしれない。
たまには、失敗するかもしれない。
それでも、
「これが長崎なんだ」
と言えるものを。
私は、そんなものを見てみたい。
……まぁ、負けた翌日に、また同じことを言えるかどうかは分からないけれど。
◆あとがき
ここまで書いて、ふと、矛盾に気づく。
「上からかけるもの」。
記事の中では、誰の心にも残らないものとして書きました。
でも。
私は、それが気になった。
だから、この記事を書きました。
……つまり、「誰の心にも残らないもの」は、少なくとも私の心には残ったわけです。
そう考えると、あのクイズも、案外悪くなかったのかもしれませんね。
