
【青橙ノ余白|二つの背番号】48の記憶、5と歩む道─3カ月目の現在地
照山選手が栃木シティへ期限付き移籍をし、山口蛍選手も応援するようになってから、3カ月が過ぎた。
何となく、この生活にも慣れてきた……気がする。
長崎のサッカーを見ながら、栃木シティのサッカーも見る。
連戦が続いた時は、ブログの更新も重なってなかなか忙しかったが、遅れながらも何とかリーグ戦の観戦記は書き続けている。
読者の方もご存じの通り、照山選手の移籍がきっかけで、26-27シーズンから山口蛍選手を応援するようになった。
ただ、3カ月経っても、まだ少し不思議な感じがしている。
背番号5を応援することは、以前背負っていた48番を応援することとは、やっぱり違う。
照山選手だけを見ていた頃は、どちらかというと「成長を見守る」という感覚が強かった。
今日はスタメンだろうか。
出場するだろうか。
いいプレーが見られるだろうか。
試合の日は、そんなことを考えていた。
彼がボールを触れば嬉しい。
守備で相手を止めれば嬉しい。
ゴールに絡めば、もっと嬉しい。
そして、その先に長崎の勝利があった。
──照山選手のいいプレーと、長崎の勝利。
私の中では、その二つはかなり近いところにあった。
だから私は、照山選手を見ていればよかった。
もちろん、長崎の勝利が第一優先だ。
でも、照山選手の一挙手一投足に心を揺さぶられながら試合を見ることが、そのまま長崎を応援することにもつながっていた。
ところが、山口蛍選手は少し違う。
もちろん、山口蛍選手のプレーは気になる。
ボールを触っていなくても気になるし、味方に声をかけている姿も気になる。
試合中、背番号5がどこにいるのかを探してしまう。
でも、その背中にはどうしても「キャプテン」という肩書が乗っている。
だからなのか、私は以前よりも「チームが勝利すること」に貪欲になっている気がする。
山口蛍選手が良いプレーをしていても、チームが負ければ素直には喜べない。
逆に、山口蛍選手がそれほど目立たない試合でも、チームが勝てばほっとする。
そして、以前よりも「負ける」ということに痛みを感じるようになった。
もちろん、それは山口蛍選手を応援するようになったことだけが理由ではない。
J2時代とは違い、今の長崎は頂よりも降格圏の方が近い。
だからこそ、一つの勝利が切実なのだと思う。
それでも、ときどき分からなくなる。
……私は「キャプテン」を応援しているのだろうか。
それとも、「山口蛍」を応援しているのだろうか。
考えてみれば、不思議な話だ。
私は山口蛍選手を応援するために、ゲーフラを作った。
ポータブル神棚も作った。
所縁の食べ物を供え、グッズを買い、試合に行けば背番号5を目で追う。
そして、山口蛍選手のプレーをここに残している。
形だけを見れば、照山選手を応援していた頃と何も変わっていない。
でも、自分の中にある「応援している」という感覚は、少し違う。
……何だろう。
私はただ、照山選手の応援をそのままなぞっているだけなのではないか。
そんなふうに思うことがある。
でも、少し考えてみて、その理由が何となく分かった。
照山選手との間には、もう物語がある。
その結果として今の応援にたどり着いている。
もちろん、私が勝手にそう思っているだけなのかもしれない。
でも、私の中では確かにある。
古巣戦となった初めてのアウェイいわき戦。
雨の中で応援していたら、脳震盪で途中交代した。
しかも、その試合がJリーグ通算100試合目だった。
その100試合目のセレモニーが行われたのは、トラスタ最後の試合だった。
アウェイ今治では、泊まっていたホテルで偶然本人に遭遇した。
札幌戦では、療養中だった名倉選手を励ますために坊主にした。
そして、その名倉選手が戻ってきたアウェイ大宮戦で、照山選手は最高のパフォーマンスを見せた。
その先には、J1昇格があった。
スタメンの日もあった。
サブの日もあった。
なかなか出場機会がない日もあった。
それでも私は、ずっと見てきた。
だから今になって振り返ると、照山選手を応援していた時間そのものが、一つの物語になっている。
私は、照山選手の「今」だけを見ていたわけではなかった。
「あの時があったから、今がある」
そんなことを、何度も何度も見てきたのだと思う。
だから、照山選手のプレーを見ていると、その背後にこれまでの時間が見える。
では、山口蛍選手はどうだろう。
私が応援を始めて、まだ3カ月だ。
山口蛍選手には、私なんかが想像できないほど長い歴史がある。
Jリーグ通算450試合。
その数字だけでも、途方もない。
450試合目は、アウェイ柏レイソル戦だった。
もちろん、私もその試合を見ている。
ただ、その試合のことは青橙ノ記憶には書いていない。
なぜなら、その翌日には栃木シティの照山選手がサガン鳥栖と対戦する予定があり、私は鳥栖へ向かったからだ。
金曜日に山口蛍選手の450試合目を見て、土曜日には照山選手のいる栃木シティを見に行く。
今振り返ると、何だか象徴的だなと思う。
私は山口蛍選手の450試合目を見ていた。
ちゃんと見ていた。
でも、その日のことを文章に残そうとはしなかった。
一方で、翌日の鳥栖での照山選手の試合は、青橙ノ記憶に残した。
それは、どちらが大切なのかという話ではない。
ただ、私の中に積み重なっている時間が違うのだと思う。
山口蛍選手には、450試合分の歴史がある。
でも、その450試合のほとんどを私は知らない。
それは山口蛍選手自身が歩いてきた歴史であって、私が一緒に歩いてきた時間ではない。
一方で、照山選手には、Jリーグ100試合から始まった、私自身の記憶がある。
いわきの雨も。
トラスタ最後の日も。
今治のホテルで偶然会ったことも。
名倉選手を励ますための坊主頭も。
その名倉選手が来た大宮戦も。
そして、J1昇格も。
スタメンの日も、サブの日も、なかなか出場機会がない日も、私はずっとスタンドから見つめてきた。
だから、今の私の中には、照山選手の「今」を見るだけではなく、「ここまで」を振り返ることができる時間がある。
山口蛍選手にも、もちろん物語がある。
ただ、それは私がこれから知っていく物語なのだ。
そう考えると、今の私が感じている違和感も、少し分かるような気がする。
私は、照山選手を応援していた時と同じように、山口蛍選手を応援しようとしている。
ゲーフラを掲げる。
神棚を作る。
グッズを買う。
食べ物を供える。
プレーを記録する。
でも、同じ形をしているからといって、同じ応援になるわけではない。
照山選手の「48」を追いかけていた時間と、山口蛍選手の「5」を追いかけている時間。
同じようでいて、まったく違う。
だから私は、まだ少し戸惑っているのだと思う。
……でも、もしかすると、それでいいのかもしれない。
物語というものは、最初から「物語を作ろう」と思って作るものではないのだろう。
試合を見て。
勝って喜んで。
負けて悔しがって。
たまたま何かを見つけたり。
思いがけない出来事に出会ったり。
そういう時間が少しずつ積み重なって、ずっと後になって振り返った時に、
「あれも物語だったのか」と気づくものなのかもしれない。
だから今は、まだ分からないままでいいのだと思う。
山口蛍選手を応援し始めて、まだ3カ月。
まだ、物語の最初の数ページなのだから。
これからどんな試合を見るのか。
どんな勝利に立ち会うのか。
どんな負け方をするのか。
どんな姿を見て、何を感じるのか。
それは、まだ分からない。
山口蛍選手には、450試合分の歴史がある。
私が知らない時間が、たくさんある。
でも、その450試合目を私は見た。
──そして、そこから私は山口蛍選手と歩き始める。
もしかしたら、いつか何年か経って、この3カ月を振り返った時に、「あの頃は、まだこんなことを考えていたな」と思う日が来るのかもしれない。
その時には、今はまだ名前のついていない出来事のいくつかが、私の中で一つの物語になっているかもしれない。
「あの時があったから、今がある」そう思える日が来るのかもしれない。
だから今は、まだ分からないまま、背番号5を追いかけていこうと思う。
照山選手の「48」とは違う。
私がまだ知らない、山口蛍という選手の物語を。
──450試合目から始まる、その先の物語を。
