
【青橙ノ余白】選手も一人の人間であるということ ― 照山選手との距離感について
私が照山選手を応援するようになったのは、正直に言って、ほんの些細なきっかけだった。
ファン感謝デーでの挨拶。
以前から長崎にいたかのような冗談も交えつつ、独走状態に入りたいという野心的な言葉に魅了された。
そして何より、あの目の形。どこか夫に似ていて、それが妙に親しみを感じさせた。
最初はそんな程度だったのに、FC今治さんや、いわきFCさんでのプレーや人柄を調べていく内に、もう気がついたら、私にとって照山選手は特別な存在になっていた。
余談だけど、照山選手を応援している人で、まだ見てない人がいたら、FC今治さんのYouTubeのラジオを聞いてほしい。照山選手がサービス精神が旺盛な事がとてもよく分かる。
応援を重ねる中で、時に、私の理想像を照山選手に重ねてしまうことがある。
例えば、髪型。私は2024年の短髪のほうが好きだ。
2025年になって少し髪が伸びているのを見て、少しだけ寂しく感じた。
おそらく短くしていたのは、前年、いわきFCさんにお世話になっていたからだろうと思った。
ただ、そこに照山選手の自由があり、選手として、ひとりの大人の男性としての意思がある。
そう思うと、むしろ尊重したいと思えるようになった。
最近は、去年よりも痩せて見えて少し心配している。親でもないのに、ふとした瞬間にちゃんと食べてるのかなと思う。こんな気持ちを持つ自分が厚かましいと思ってしまうがこればかりはしょうがない、もう、色々末期だ。
長崎のサポーターには周知の事実だが、照山選手はCBの選手である。
だから、どうしてもポジション上、失点に絡んでしまう事がある。
こんな事を書くと他の長崎サポーターに怒られそうだが、DFというのはそういうものだと私は思っている。
ただ、まぁ、さすがに今季は点を取られすぎなので、そこはどうにかならないかなと思うけど、その苦しみも含めて応援するのが後ろの選手を推している者の宿命なんだろう。
後方推しの皆様、お疲れさまです。
比較的、割り切って照山選手を応援している私だけど、プレー面で、1度だけがっかりしたことがある。
具体的な試合については、あえて言及しないけど、あの時、サイドライン際に飛んでいったボール、照山選手が追わず、逆サイドにいたエドゥアルド選手が猛然と追いかけたあの場面。
本当に珍しく、私には諦めたように見えてしまった。
でも不思議なことに、それがきっかけで、照山選手も、完璧じゃないと実感できたのかもしれない。
そしてその瞬間、照山選手のことをある意味、本当の意味で好きになったんだなとも思う。
ミスをしない人なんていないし、プレーに迷いがある日もある。
でも照山選手は、ミスを正面から語り、自分の責任を受け止めてきた。
あの、富山戦後のインタビュー、「長かった…」の一言に今まで照山選手が抱えてきたものが垣間見えた気がした。
ちなみに、長崎にきてから、色々なインタビューに答えているが、個人的にはこの富山戦後のインタビューが一番、照山選手の人柄が現れていて、私は好きだ。
自分のプレーに向き合う誠実さと、言葉を選びながらも自分の感情を載せる一種の危うさこそ、私が照山選手を推したくなる理由だけど、それが如実に現れていると感じる。
「選手も一人の人間である」という言葉は、簡単なようで、奥が深いと思う。
照山選手だって、お腹もすくし、トイレにも行く。
もしかしたら、失点した日の夜に、ヤケ酒をあおっていることもあるかもしれない。
そんな想像をして少し笑ってしまうくらいが、私にとってはちょうどいいのかなと最近感じる。
神様でも、アイドルでもなく、「人」として見ること。
それが、私なりのファンとしての礼節なのだと思う。
これからも、照山選手の縦パスのセンスに感動し、空中戦ではまた脳震盪にならないか心配し、尊重すると言った髪型の変化にやっぱり少し首をかしげながら、それでも応援し続ける。
それが、私と照山選手のちょうどいい距離感なんだろうと思いながら、今日も私は推しグッズを作るために100均を物色する。
いつか、照山選手が長崎を去る日が来たら、この作ったグッズはどうしようかなと思うけど、その時がきたら、また、考えればいいや。