
息子の「ママがいい」への本音と工夫とご褒美
あれは、ある日突然はじまった。
「まままままままま」
抱っこをしている息子が、妻がいる方向に両手を伸ばしながら叫んでいる。息子が大好きな絵本を読もうと提案しても、大切にしているぬいぐるみを見せても、肩車をしようとしても、落ち着く気配はない。
ママが近くにいることを息子が把握しているときは、ママが抱っこしないと気が済まないのだ。
「ママがいいモード」の存在は知っていたし、覚悟はしていた。けれど、実際に抱っこした息子が僕ではない人を求めていると(しかも必死に)、かなりショック。今までの息子との思い出を、黒いクレヨンでぐしゃぐしゃと塗られるような感じ。
「え、あんなに抱っこしてきたのに?」って。
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ママがいいのはわかる。十月十日、お腹の中にいたんだから。産まれてからも、ママと過ごす時間が1番長くて、息子にとって1番安心する存在だって理解しているつもり。
だけど、「お父さんでもいいじゃん」と思ってしまう。子どもと過ごす時間が短けれが諦めがつくけれど、産まれてからどれだけ抱っこしたことか。
頭で「ママがいい」という時期が来ることはわかっているのだけれど。「はいはい、そういう時期ね」と右から左に受け流せない自分がいる。
とはいえ、子どもの「ママがいい」は、父親の気持ちでなんとかなる現象ではないこともわかっている。
「ママがいい」で何度も心を削られながら、「お父さんでもいいじゃん」をグッと心の奥に封印する。そして、将来の「お父さんがいい」を夢見て、今できることをするのみ。
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幸運なことに、息子の「ママがいい」が発動する前に、その対処法をYouTubeで見ていた。
大切なのは「ママがいい」を否定しないこと。無理に「パパでもいいでしょ」と抱っこし続けるのは、子どもに「パパは気持ちをわかってくれない」と思わせてしまい、「ママがいい」から「パパは嫌だ」になってしまうかもしれない。
ふむふむ。
我が家では、3人で家を出て、妻は職場へ、僕が息子を保育園へ連れて行くことがある。
途中まで3人で歩き(息子は僕が抱っこしている)、妻と別れるところで大泣きする息子。「ママがいい」と言わんばかりに、妻の方に両手を伸ばして、僕の抱っこから抜け出そうとする。
でも、妻は職場へ行かなければいけないし、僕は息子を保育園へ連れて行かなければいけない。
妻と別れ、泣き止まない息子を抱っこして歩きながら、息子の「ママがいい」に共感する。
「ママがいいよね」
「ママと一緒が良かったんだよね」
「お父さんもママと一緒に行きたいよ」(振り返ると謎の声がけ)
そして、丁寧に説明する。
「でも、ママはお仕事だから、お父さんと一緒に保育園行こう」
「お迎えはママだよ」
「家に帰ったら3人で遊ぼうね」
少し落ち着いてくる息子。こうなれば、あとは気持ちを切り替えるだけ。
「保育園、なにするかな?」
「先生やお友だちと遊ぶの楽しみな人?」
「帰ったら図鑑しようか?」
息子は気持ちの切り替えが上手だから、気づいたら「ギャハハ」と笑いながら、一緒に歌を歌ったり、抱っこしながら小走りしたりして保育園に行ける。ありがたい。
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こうやって「ママがいい」で凹みながらも、上手いこと対処している。けれど、凹みっぱなしでもない。
ツンデレや飴と鞭とは少し違うけれど、ご褒美もある。
朝、息子が起きると「とっとー」と目をこすりながら抱っこを求めて手を伸ばしたり、手をつなごうとしたりしてくる。
産まれてすぐから、朝は僕が息子の相手をするのが定着している。妻は夜間授乳があるから、朝はゆっくりしてもらうため。
息子にとって、朝起きたら父親が相手をすることが当たり前になっているみたい。
隣で寝ている妻ではなく、少し離れたところで座っている僕の方にハイハイで抱っこされにくるときもあった。愛おしすぎる。
「ママがいい」はショックだけど、「お父さんがいい」もあると、「これまでたくさん接してきてよかった」と報われる。
もちろん、数時間後には「ママがいい」が発動して、「さっきまでの父親欲求はどこにいったの?」と凹むことになるのだけれど。
やっぱり今はまだ「ママが1番」。でも、将来はどうなるかわからない。
いつか「お父さんがいい」と言われて「ママと一緒に行きなよ」なんて余裕の対応ができるように、今のうちから息子とたくさんの時間を過ごして、2人で出かけよう。
「今はまだ、ママがいいとき」
今日も「ママがいい」に凹みながら、息子を抱っこして、絵本を読んで、ご飯を食べさせよう。