
闇チャリとグレーゾーン
高校時代、「闇チャリ」に乗っている友人がいた。「闇チャリ」というのは、高校から通学用の使用許可を受けていない自転車のことを指すヴァナキュラーな用語だ。
私がかつていた高校は、最寄り駅まで徒歩30分、バスで15分という微妙に辺鄙な立地にあった。だから、最寄り駅から学校まで自転車で通学することや、近隣に住む生徒は家から自転車で通学することが許可されていた。ただし自転車で通学をする、いわゆる「チャリ通」をするためには、毎年学校側の許可を受けて交付されるシールのようなものを自転車に貼る必要があるとされていた。
そうしたルールの隙間を縫って使用される、許可証の無い自転車、それが「闇チャリ」である。普段はバスや徒歩で――つまり自転車以外で――通学している私や私の友人のような人間でも、時に自転車が必要になることがある。例えば文化祭の準備で近くのスーパーやホームセンターに買い出しに行かなければならない場面、あるいは教室でかき氷をするために駅の傍にあるドン・キホーテに行きたい場面……随所で急に自転車が必要になる場面というのは案外学生生活の中であるものだ。そうしたときに活躍するのが「闇チャリ」なのである。
普段は駐輪場の隅にひっそりと(教員が気づくと撤去されるので)置かれている、あの「闇チャリ」は私の友人がブラスバンド部の先輩から譲り受けた相伝の闇チャリなのだという。闇チャリは個人というよりは、高校生が持つ移動に関わる欲望の結集でありdesire bicycleとでも呼べるような代物なのである。世代を超えて伝達されるアナーキーな欲望の結晶として闇チャリは存在している。私と、闇チャリを所有していた彼が高校を卒業してから3年が過ぎた。あの闇チャリは、今どうなっているのだろう。ブラスバンド部の後輩に相続されたのか、それとも教員に発見されて撤去されてしまったのか、それは分からない。

こうして思い返すと、あの闇チャリは、何か美しい記憶にばかり結びついていることにも気づく。文化祭の記憶に、高3のときに教室で開催したかき氷会の記憶に、高校生活最後のお菓子パーティーの記憶に……。そうした記憶の随所に、あの闇チャリを用いて行われる買い出しの風景は結びついている。それはきっと偶然ではなく、青の時代の若く美しい記憶というものが常に、絶えず何らかの反秩序的なもの、秩序の境界侵犯に関わるものだからだろう。
夕闇のようなグレーゾーンにしか存在しえない行為としての青春というものがある。そして、我々の闇チャリはいつも記憶の中の夕暮れの駐輪場に、その美しいグレーゾーンのただなかに、ひっそりと停まっている。
