
街の光をあつめて
ふと、思ったことだ。
いまの若い人たちのあいだや、世間という場所では、もうすっかり当たり前のように使われている言葉がある。
「陽キャラ」と「陰キャラ」。
僕自身、高校生の頃だっただろうか、周囲の誰かがそう口にしているのをなんとなく聞きはじめた記憶が、かすかに残っている。
ただ、僕はこれらの言葉があまり好きではなくて、自分の口から会話の中で使ったことはあまりない。
誰かのことを「陽」だとか「陰」だとか、外側から勝手に評価したり、決めつけたりしてしまう空気に、どこか馴染めないものを感じるからだ。
とくに「陰」という響きには、ネガティブなニュアンスが乗せられてしまうことが多い気がして、どうにも居心地が悪い。
もちろん、ひとりの人間の中に「陽」の部分と「陰」の部分、その両方が同居しているのは当然のことだと思う。
けれど、それを他人が勝手に推し量って、その人の良し悪しまでを判断してしまうのは、なんだか少し違うのではないか、と思ってしまうのだ。
少なくとも、100パーセント「陰」だけで出来ている人間なんて、この世界にひとりも存在しないと思う。
どんな人にだって、寝食を忘れて一生懸命になれることや、心から好きだと思えること、自分だけの幸せを感じる瞬間や、寝ても覚めても夢中になれる何かが、きっとあるはずだ。
だから、どんな人であっても、その人にしか放てない輝きを、世界のどこかしらで必ず放っている。
僕は、そう信じている。
カメラのファインダーを覗くとき、時間の流れや風景の捉え方が、いつもと違う感覚になる。
たぶん、僕自身もきっと、その瞬間は「夢中」になっているのだ。
そんな心地よい夢中の中で、街にあふれるかすかな輝きを見つけては、そっとシャッターを切るのだった。