
正義の裏にある「制裁要求」という欲望
最近ふと耳にした言葉に「制裁要求」というものがあります。
なんだか物騒な響きで嫌な感じですが、要するに人間には
【誰かが不正やルール違反をしたとき、罰を与えて気持ちよくなる】という本能があるらしいです。
元々、人間なんてのは少数のコミュニティで狩りや農耕をして生きていた時代の方が長い生き物。
その中でサボっているやつがいると全体の生命にかかわる訳だ。
だから異端者を裁くと脳内物質が出て「気持ちいい」と感じるように、脳にインプットされている。との事。
言われてみれば、SNSでは飽きもせず【学級会】や【正義厨】が繰り返されていますね。
他にも、不祥事を起こした芸能人や政治家に対して「謝罪だけじゃ足りない」と声があがるのも同じ。
感情的に【罰】に注目してしまうのは、僕らの心のどこかに「制裁要求」があるからでしょう。
▼なぜ罰すると安心するのか?
面白いのは、制裁要求って単なる怒りのエネルギーだけではなく、安心を求める心でもあることらしいです。
「悪いことをした人がちゃんと罰を受けた」というストーリーは昔から繰り返されてきましたね。
因果応報、勧善懲悪、お天道様は見ている。
子供のころから聞いてきた倫理観の一つです。
だから不正が野放しにされると「こんなんじゃルール守る意味ない」と憤りを感じるんでしょう。
つまり制裁要求は、自分が直接被害を受けていなくても湧き上がるもんなんです。
道で割り込みされたときや、SNSでモラルのない発言を見たとき。
湯沸し器みたいに「不正だ! 罰せられろ!」と思ってしまうのも、この感情の仕業ってこと。
▼【正義】との距離感
あるマンガで読んだ『七つの大罪にあと一つ足すなら【正義】』と言っていたものがありました。
たしかにこの制裁要求が暴走すると、大罪のように【正義執行】を望んでしまうのかもしれません。
SNSで他人の小さなミスを大げさに糾弾したり、当事者でもないのに炎上に加担したり。
正義をふりかざしているつもりが、気づけばただの石投げ大会に参加してしまうかも?
正直、僕だって心の中で「ざまあみろ~!」なんて思ったこと、もちろんあります。
仕方ない。異端審問はドーパミンがドバドバ出るらしいです。脳内物質で強制的に気持ちよくなるって事。
でも、その【気持ちよさ】に浸りすぎると、行き過ぎてしまうんだと思います。
▼「制裁要求」は善意である。
やっかいなのは「制裁要求」には悪いことをしている意識がないこと。
なぜなら本人は「悪いやつを懲らしめてる」だけだから。本人には大義名分があるから仕方ない。
だから僕らの生活のあらゆる場面に潜んでいて、被害者にも加害者にも簡単になれるんです。
舞浜のテーマパーク界隈や写真・コスプレ界隈でもよくある【学級会】なんてまさにです。
善意で行っている晒し上げです。
「みんな~○○ちゃんがこんなことやって、いけないと思いま~す」ってやつ。
人類が集団で生きてきた歴史の中で「ルール違反者はみんなで罰する」という仕組みが必要だったから
その感情がDNAに刻まれているんでしょう。
▼僕と【正義】の距離感
ここまで書いておいてなんですが、最近の僕は「制裁要求」を感じたら、ちょっと立ち止まるようにしてます。
「本当にこれは【正義】なのか? それとも自分が気持ちよくなりたいだけなのか?」
特に考えるのは「これをリアルで言ったら周りが引かないか?」ということだ。
思うのは仕方ないけど、言葉にしないほうがいいことは見極めましょう。
王様の耳はロバの耳、叫ぶなら裏垢にしておこうって話。
なにより、制裁を望む気持ちに飲み込まれすぎると心が荒む。
他人にそんなカロリー使いたくありません。リソースに余裕があって羨ましい。
だから僕は「どう改善できるか」とか「またやってるw」くらいの距離感で受け止めるようにしています。
▼おわりに
人間は正義を求める生き物なんですね。
人を救うこともあれば、人を追い詰めることもある。
異端審問でドーパミンが出るのは仕方ないですが。それに酔って石投げ始めたらただのダサい人だよね。って事。
僕は「制裁要求」を自分の中の一つの欲望として認めつつ、できるだけ健全な方向に使いたいと思います。
「どうしたらもっと良くなるか」を考えるほうが楽しいと思うんですけどね~。
まぁ、僕も割り込みされたら
「そんな生き急いで大変な人なら譲ってあげないと可哀そうだ」
って、心の中でめちゃくちゃ嫌味言いますけど。