
オノマトペなし育児に口出しを控えた話
昔、友達に子どもができた時の話だ。
その友達が、こんなことを言っていた。
「たとえば『車』を教えるとき、『ブーブー』じゃなくて、ちゃんと『車』と教えるつもりだ」
なるほど、幼児教育では大事とされる「オノマトペ」を、あえて使わないということだ。理由を聞くと、「最初からちゃんとした言葉を覚えてほしいから」と言っていた。モンテッソーリ教育などでもそういう実践をする流派があるようだが、この人はどうやら独自のこだわりによるものらしかった。
実はこのとき、「言うべきか言わざるべきか」と、ひとつ迷ったことがあった。ちょうどその頃、今井むつみ・秋田喜美『言語の本質』(中公新書)を読んでいたためだ。
今井さんらの研究では、子どもはまず「ブーブー」など身体的な実感を伴う言葉によって、「音が何かを指し示す」ことに気づくなどし、言語に対する大局観を得る。そうした言葉を手がかりにして初めて、母語の巨大な体系を身につけていくのだという。
つまり今井さんらの研究は、「ブーブー」で教えたほうが良いことを示唆していた。
でも私はそれについて何も言わなかった。言うべきではないと思ったのだ。その人なりの考えや育て方があるし、余計なお世話だ。角が立つという思いもあった。そもそも子育てしたこともないくせに、生意気だ。
——それから数年後。
久しぶりに会ったその友達が言った。
「子ども、言葉の発達がちょっと遅くて……」
私はドキリとした。
もちろん、オノマトペで教えなかったことが発達の遅れと単純に結びつかないことは、よく分かっているつもりだ。それでも、思ってしまったのだ。「あのとき、もし言っていれば」と。
でも、何か言えただろうか?
「今読んでいる本だと、ブーブーで教えたほうがいいらしいよ」
言えるわけがなかった。