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Photo byaries_sunrise

『チャルカ~糸車』

     千春は「潮音社」という新興出版社で、近年新設した文学賞に寄せられた原稿の束と格闘していた。この賞は下読みの段階からタイトルと本文以外の一切を伏せ、作品そのものを見るのが信条だった。応募総数は四十数編。千春はそのすべてに目を通す役目を負っていた。千春は何杯目かのコーヒーをすすりながら、次の作品を読み始めた。

    ——遥は大学の音楽サークルで、同級生たちとコピーバンドを組んでいた。ライブを目前に控えたある日、ドラマーが怪我で入院した。相談の末、以前サークルで同じ曲を多数演奏していたOBである秀に代理で叩いてもらった。ライブ後の打ち上げで、秀が小説を書いていることを知り、普段漫画しか読まない遥も興味を抱き「一作読んでみたいです」と言うと、秀は最近書きかけの短編を鞄から出し貸してくれた。

     千春は「そんなことある?」と、唇を噛んだ。

    ——遥は翌日、それを読んだ。「おもしろかったです。他にはないんですか」。遥の熱意に始まり、原稿と感想をやりとりし、やがて二人は交際を始めた。秀は遥にそれほど情熱もなかったが、自分を「才能ある人」と見てくれるのが心地よかった。遥は秀の小説をきっかけに、様々な小説を読み漁るようになった。本屋を巡り、図書館に通った。

     千春はペンで机をトントンと叩き、「ありえない」と言った。

    ——多くの優れた作品に触れるうちに、遥の目は肥え、秀の作品を批評し始めた。ここは説明がくどい、セリフが死んでいる、人物が類型的すぎ——。遥は彼のためにと、率直に指摘した。秀は顔をこわばらせながらも、ありがとう、と言った。しかし、苦心の成果を否定されたと感じ、「お前に何がわかる」と罵声を浴びせることもあった。しまいに、「もう余計なお世話だ」と、遥の言葉を封じた。

     千春はため息をつき、額に手を置いた。

    ——秀が最も力を注いだ作品は、ある文学賞で二次選考まで残った。だがそこ止まりだった。「お前が余計な口出しをしたからだ」と秀は言った。

     ここでいったんページが終わっていた。千春は両手で頬杖をつき、しばらく目をつぶり、指先で目をこすった。やがて、音もしないほどそっと次のページを開いた。

    ——「疫病神。もう出ていけよ」「言われなくてもそうするから」といって遥は立ち上がり、ドアを勢いよく閉めて出ていった。秀は一人部屋に残された。

     千春は目を見開いた。

    ——やがて秀は突然立ち上がり、彼女のあとを追い、駅の方まで駆けた。改札の付近で追いつき、頭を下げた。「頼む。戻ってきてくれ。この通りだ」。しかし遥は「私のせいにして。もう遅いよ」と、冷たく彼を拒絶した。秀はその場で土下座をした。「頼む。戻ってきてくれ。この通りだ」「ふざけないでよ。そんなことしても絶対に許さない」「行かないでください。なんでもしますから」。遥は秀を地べたに這わせたまま、改札をくぐった。

     千春は、「まんまじゃなかったんかい」と言い、作者を調べ、「谷口修司」の名前を確認した。遠い昔、大学時代の交際相手だった。千春は「だよね」と言った。
     修司に「出ていけ」と言われたときのことが千春の心に浮かんだ。千春は「お願い、別れないで、この通りです。なんでもします。ここにおいてください」と土下座した。そして修司の足にすがりついた。
     なんであんなことしたんだろう——。
     千春は椅子の背に寄りかかり、しばらく天井を見上げた。
     修司の応募作はほぼ事実に基づいていた。漫画しか読まなかったこと。バンドの話。交際。小説を猛烈に読んだこと。いろいろ指摘したこと。罵声を浴びたこと。「出ていけ」と言われたこと——すべて事実だっだ。土下座の部分以外は。
     なんで変えたんだろう——。

     千春はスマホを手に取り、美咲に電話をかけ、しばらく話した。

     電話の後、千春は最後の場面を読み直した。遥は誇り高く秀を拒絶し、彼を跪かせていた。千春はその部分を何度か繰り返し読んだ。
     千春は席を立って伸びをした。窓際に行き、夜の街を眺めた。ガラスに頬の緩んだ自分の顔を認めた。
     千春は席に戻ると、衣服の乱れを正して椅子に座った。目を光らせて、再度修司の原稿を追った。やがてペンのキャップを開け、評価欄に記入した。千春はふっと息をついた。

     
     

    hk

     
     
    【画像感謝】哲学勉強ノート、考え、エッセイ、読書メモ、調べ物などをひたすらアップする人。内容雑多(哲学・思想・言語・文明論・文芸・読書・生活・仕組み・AI・ロボット・イーサリアムなど)。書いてまとめる楽しさが原動力。スキが励みです。アマゾン・アソシエイト。

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