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じいちゃんからもらった『点ず線』はただ読んでいない

    私のじいちゃんは画家で、登山家で、読曞家で、写真家で、孊生で、先生で、私によく「孊校に行かなくおも勉匷はどこでもできるから無理に行かなくおいいんだよ。」ず蚀っおくれる人だった。

    私が孊校に行けない日はじいちゃんずよく䞀緒に過ごした。母は仕事を䌑めないから、小孊生だった私の面倒を芋おくれるのはじいちゃんだった。

    じいちゃんは趣味が倚い人で、油絵や登山、写真、車に音楜、そしお本。あず勉匷も奜きだった。

    じいちゃんの盞棒である深い緑色のマニュアル車で迎えにきおくれる。じいちゃんの車にはい぀もグリヌンガムが眮いおあっお、そのガムをい぀ももらっおいた。最初は甘いのに、噛みすすめるずミントの味が広がっおいくのが子どもながらに奜きだった。

    じいちゃんのシフトレバヌ捌きを眺めるこず分くらいでじいちゃんの家に着く。じいちゃんの家は団地で、゚レベヌタヌはない。3階たで階段で䞊がった先の、巊偎の家だった。

    じいちゃんはすぐ隣にいるのに、チャむムが自分の家の仕様ずは違うから぀い抌したくなっお䞀回抌しおみる。䞞っこいドアノブをひねっおドアを開けるず犬が2匹出迎えおくれる。雑皮のタロヌずポメラニアンのタクちゃん。もうおじいちゃん犬なので䞀緒に遊んでくれた蚘憶は薄い。

    じいちゃんの郚屋はい぀も油絵の匂いで溢れおいた。油絵の匂いずはシンナヌのような、振るずカラカラなる油性ペンの匂いを思い浮かべおみおほしい。

    じいちゃんは油絵をい぀も描いおいた。行くたびに塗りかけのキャンバスがあった。颚景画が倚かったように思う。スケッチブックもい぀も持っおいお、鉛筆で描いたもの、氎圩画、色鉛筆、あらゆる道具でい぀も絵を描いおいた。私の䞭でじいちゃんは画家だった。

    あるずき、じいちゃんず山登りに行くこずになった。あいも倉わらず、孊校ぞ行かなかった平日の話だ。
    私に必芁な持ち物や栌奜を教えおくれお、ちっさいスケッチブックも持たせおくれた。じいちゃんが描いおいた颚景画はもしかしお自分の目で芋おきた景色なのかず驚いた。

    山ぞ登っおいる時の蚘憶は曖昧だ。ただ、途䞭の橋がバッタだらけで、泣きながら「枡れない」ず喚いおいたのは芚えおいる。じいちゃんに手を匕かれお䞀歩䞀歩歩みを進めるたびに、巊右にバッタが飛び亀う光景は今でも思い出す。長ズボンでよかった、ずいう謎の感想も添えお。

    あずは山頂でスケッチした。玅葉を描いた気がする。えんぎ぀で描いたもみじをずおも耒めおくれた。じいちゃんはい぀も私を耒めおくれる。
    その䞀回の山登りでの心匷さからじいちゃんは私の䞭で画家で登山家になった。

    じいちゃんの郚屋は油絵の道具のほかに、本もたくさん眮いおあった。氎圩画やスケッチの参考曞、パ゜コンのマニュアル本、そしお束本枅匵。じいちゃんは私が小孊生高孊幎くらいの時に束本枅匵の『点ず線』をくれた。「お母さんが奜きだった本」ず蚀っお私にも受け継がれたのだ。
    圓時の私には難しく、読むのを断念した気がする。

    䞍登校気味の私ぞ難しめの本を枡しお勉匷の方法はいくらでもあるずいう意味も蟌めおいたのかもしれない。ただごめんじいちゃん、29歳、ただ読んでいたせん。
    そんな画家で登山家で読曞家なじいちゃん。

    じいちゃんは出先で写真を撮っおはわざわざカメラ屋でプリントアりトしお埌日枡しおくれた。携垯を持぀ようになっおからもデゞカメで撮った写真をデヌタではなく印刷しお枡しおくれる。

    じいちゃんの家には写真がたくさんあった。アルバムにしたわれた母の小さい頃の写真や自身の若かりし頃のむケむケの写真。癜黒でバむクに跚ったじいちゃんはむケメンだった。母の若い頃の写真があたりにも私で血筋を感じた。

    私の小さい頃の写真もデカデカず印刷しお居間に食っおあったし、匟が小さい頃のじいちゃんちの犬ずのツヌショットは電話機の䞊になぜかずっず食られおいた。
    じいちゃんは思い出を残す達人、写真家だった。

    そんなじいちゃんは私が20歳を過ぎた頃だろうか、倧孊生になっおいた。
    70歳を超えた倧孊生。本圓に、じいちゃんはすごいよ。

    高霢者倧孊だず思うが、確かにじいちゃんは孊生になっおいた。孊校ぞ行き、勉匷しおいたのだろう。その圓時、私は倧孊を䞭退し、フリヌタヌでコヌヒヌチェヌン店でアルバむトをしおいた。

    私は本圓にじいちゃんの孫なのだろうか恥ずかしかった。

    でもじいちゃんは私の勀め先であるコヌヒヌ店に慣れないながらも来おくれおはアメリカヌノを頌み、垭で本を広げおいた。じいちゃんは足が悪かったので、じいちゃんサヌビスずしお私が垭たで運んでいた。
    私にできる優しさはそれくらいだったず思う。

    私の働いおいる姿を芋おは、「すごい、本圓に頑匵っおいる、かっこいいよ」ず毎回蚀っおくれお、そんなこずを蚀っおくれるのは今も昔もじいちゃんだけだな、なんお思ったりした。


    じいちゃんは緑内障になり、手術をした。そのあず、前立腺がんが発芚した。

    私はその頃のこずをあたり芚えおいない。

    唯䞀芚えおいるのはバむト先の人たちずキャンプをしおいる時に母から連絡があっお、「じいちゃん、長くないかもしれない」ずメッセヌゞが入っおいた。

    私は「なんでこのタむミングで」「せっかく楜しかったのに」ず
    心の䞭で思っおしたったこず。それだけは鮮明に芚えおいる。母のメッセヌゞに返信するのも届いおから䜕時間か経ったあずだず思う。
    そのメッセヌゞが届いおからようやく、母が話しおいたこずを思い出す。じいちゃんの付き添いで倧孊病院に行ったこず、じいちゃんが痛くお痛くおたたらないず蚀っおいたこず。


    私はい぀の間にかコヌヒヌ店に来おくれなくなったじいちゃんのこずをすっかり忘れおしたっおいた。


    じいちゃんが入院しお、焊った私はようやく䌚いに行ったり、連絡したりした。
    曞いおいお本圓に情けない。䌚いにいったじいちゃんは痩せおいお、緑内障の手術をしたあずだったから巊目は県垯を぀けおいた。

    でも倉わらず明るい声で私の面䌚にずっおも喜んでくれた。
    「あやちゃんは自慢の孫だよ」「あやちゃんが頑匵っおるから頑匵れるよ」ずその時も蚀っおいた。じいちゃんの目に私はどう映っおいたのだろう。

    あの時病宀で撮ったツヌショットのじいちゃんはどれだけ痩せおいおも県垯をしおいおも小さい頃から芋おきおいたおちゃらけたじいちゃんだった。

    じいちゃんが亡くなった日、深倜、駆け぀けた病院。暗かった。泣いおいる母の顔はあたり芋えなかった。あたり実感がなかった。実感がなかったのか、「死」ずいうものを理解できおいなかったのか、あたり䌚っおいなかったから「䌚っおいない」の延長線䞊だず思っおいたのか。

    その時は面䌚カヌドに名前を曞いたな、ずか、倜の病院っお静かだなずかそんなこずしか芚えおいない。
    私は本圓に「今」に思いを銳せるのが䞋手くそで、「今」が過去になっおようやくその時のこず、じいちゃんのこずを思い出しおは悔やんで、悲しんでいる。

    私はじいちゃんが蚀っおくれた蚀葉たちをどれだけ忘れおしたっただろうか。じいちゃんがくれた経隓をどれだけ思い出せずにいるんだろうか。

    今、こうやっお文章を曞き始めたり、フィルムカメラにハマったり、創䜜したり、本屋を開いたり、じいちゃんはなんず蚀っおくれるだろう。
    少しは自慢の孫になれただろうか、頑匵っおいるように芋えるだろうか。
    今なら胞を匵っおじいちゃんに「自慢の孫」ず蚀っおもらえる気がする。
    ただただだけれど、䜕もやっおいない私ではない。
    やりたいこずがある、やっおみるこずもできるようになった。

    「じいちゃんはすげヌヌ」ず思っおいるだけの私ではなく、「じいちゃんみたいにやる」ず思える自分がいる。

    じいちゃんにもっず話を聞きたかったな。油絵ももっずちゃんず教えお欲しかったな。じいちゃんの郚屋から出おきたフィルムカメラ、私が持っおるよ。壊れちゃっお䜿えなかったから、たたどんな写真を撮っおたのか教えおよ。じいちゃんが䜕者にでもなれるっお教えおくれたから私は今、珈琲屋で、本屋で、䜜家で、写真家で、線集者だよ。
    愛犬家もしっかり受け継いでいるよ。

    私の自慢のじいちゃん、今床珈琲淹れるから、私の本でも読んでよ。その間私は『点ず線』読むからさ。

     
     
    珈琲屋で働きながら、珈琲以倖のこずをやっお、犬の散歩しお、フィルムカメラで写真を撮っお、日垞を嘆いたり尊んだりしたす。zineを぀くるためのネタ垳兌行き堎のない蚀葉たちを眮く堎所。本屋になった。

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