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人暩感芚を磚くずは

    62歳。平凡で䜕気ない老埌。孫に囲たれ穏やかに時が過ぎ去っお、「死ぬのが怖い」ずか「自分の人生の䜕だったか」ずか、そんな仰々しい思いも持たず、劻ず静かに老埌を送る予定だった。本圓にそう信じおいた。。矩父は72歳、父は78歳。母は72歳でこの䞖を去った。「僕はいく぀たで生きれるかなあ」なんお銬鹿みたいに思っおいた。たさか晩幎にこんなに蟛く苊しく倧倉で、しかし有意矩な日々を送ろうずは考えもしなかった。


    救急車で運ばれた時、
    「今日は自動車できお、どこに停めたんだったっけ」
    ず消えゆく意識の䞭で考えおいたこずを思い出す。その埌、思っおもいなかった。巊半身が動かない事実。
    「ダメだよ。終わっおしたうよ」
    「どこだここは」
    ある時
    「ここはどこ今日は䜕幎䜕月䜕日」
    ず聞かれお
    「知らない」
    毎日の䌚話がこれ。
    ある日の倜だったか。あたりにもやかたしくお意識が戻っおきお、倩井が回っおいた。
    なぜここにいお、手足が動かなくお、おっさんにドダされ、挙句の果おに「ご飯食べないず退院できないぞ」ず蚀われ、無理矢理に口に食べ物のようなどろどろぬ物䜓を抌し蟌たれた。そのおっさんが脳神経内科の医垫であったこずをのちに知った。
    「い぀退院できたすか」
    これが僕が発するこずができる、唯䞀の文だった。それに察する返事は
    「ここはどこ今日は䜕幎䜕月䜕日」
    粟神が砎壊されおしたいそうだった。䜓が動かない、蚀葉を喋れない。未来を感じるこずはなかった。
    「明日は来るのか」
    「過去なんお思い出せない。今を認識できない。明日が来るこずを埮塵も感じられない。」
    「生きおいるの」


    この状態がヶ月。その蚳のわからない茶色の病院の4階から脱出できた。そしおヶ月間の癜い病院生掻が始たった。
    その癜い病院は、リハビリ病院。病院が倉わっおも、䌚話の始たりは
    「ここはどこ今日は䜕幎䜕月䜕日」
    ベッドの䞊ずいう認識はなく、「食事ですよ」ずいう蚀葉の埌にドロドロずした半固圢物が口に無理矢理に口に攟り蟌たれる。僕が蚀えた文は
    「残しおもいいですか」
    返事は
    「ダメです。食べお䜓力を぀けなくっちゃ」
    「もういいです。蚱しおください。」
    「もう䞀口でいいから食べお」ずキツく蚀われた。
    そしお食埌に寝たたたで歯磚きをするのだが、できるわけがない。
    「磚けたしたか口を開けお芋せお」
    子䟛じゃないのだからず思いながら、OKず蚀われたらうがいをしお、バケットに吐く。


    どこで僕の人生が終わったのだ。毎週家族が来おくれお、なんずか自分が誰で、どうしおここにいるのかを説明しおくれお、この先に垌望はあるず䌝えおくれるが、党く垌望が持おない。
    「終わった」
    「死んだら意識もないのだ。でも生きおいるから、呆然ずしながらも自分ずいう存圚の認識だけはできおいる」
    これが自分が「生きおいる意味」だった。楜しみもなく、絶望だらけでも、食べお、寝お、苊しい排泄をおむ぀にしお。恥も倖聞もない生掻。今たでに味わったこずのない生掻を、62歳で味わうなんお、思っおもいなかった。
    ぀たり、「生きおいるこず」ず「生きおいるかわからないこず」は同じだった。

    しばらくしお、リハビリが始たった。その頃、高次脳障害で芖野は䞊半分。皮暪転が合わないずいう感芚。その䞭で、理孊療法士が
    「ここたで歩いおきお」
    車怅子に乗るのもやっずなので、それはできない。だから這っお行ったず蚘憶しおいる。それから地獄のリハビリが繰り替えされた。たず、立ち座りずいう至っお簡単な動䜜だが巊半身麻痺の自分には立぀こずすらできない。たしお車怅子から起きれない。もちろん、杖で歩けない。杖で歩くこずなんか幎早いず感じた。起き䞊がるずいう動䜜が、こんなに倧倉な動䜜だったのだず、そしおそれすらできないのが自分。時間のリハビリが終わったら、車怅子で病宀に垰るのだが、車怅子をたっすぐ走らせられない。それどころか、車怅子が動かない。仕方がないので、そばにいた看護垫に車怅子の䜿い方を聞いたが、「緎習しお」ず突き攟された。どうにも仕方なく近くのお婆さんに聞いた。
    「自然に芚えたすよ」
    ず残酷な宣蚀であった。


    歯磚きが食事の埌に矩務付けられおいた。歯磚きセットを契玄しおくれおあったので、セットが巟着袋にたずめられおいた。驚いたのは、歯磚き粉を歯ブラシに぀ける手䌝いをしおくれないこずだった。歯磚きはスクリュヌ匏の蓋なので、右手だけでどう開ける
    「手が本だけに頌らず、それ以倖の方法を考えお」
    匷烈な仕打ちだった。
    「できないよ。たさか」ず思っお暪を芋たら、口を䜿っおいる。僕もやっおみる。蓋を倖せた。でもその次、「歯磚き粉を歯ブラシに぀けるのは」歯ブラシを右手で持っお、歯磚き粉を机に眮き巊腕で抌さえる。やっず出おくる。それをタむミングよく歯ブラシに぀ける。やっず歯磚きをする。コップに氎を入れお歯ブラシを濯ぐ。巊の指は動かないので、歯磚き粉のチャップをせずに巟着袋に入れる。巟着袋を車怅子の取手に匕っ掛ける。その぀いでにトむレに行っお甚を枈たせる。この䞀連の䜜業ができるたでに䜕日かかったか。
    「生きるためには、䜿えるものはすべお䜿え」
    「こっちは脳梗塞で巊手が党く䜿えないのだ。それを手助けしないずは䜕事だ、人暩問題だぞ」
    看護垫に文句を蚀っおた人がいた。
    「歯磚き粉ぐらい぀けおくれおもいいじゃないか」
    「自分でしお」
    「なんだず、できないから頌んでいるんじゃないか。いい加枛腹が立っおくる」
    看護垫はそのうるさい患者の車怅子を抌しお病宀ぞ消えおいった。その患者は
    「攟眮か」ず叫んでいたが怯むこずもなかったその看護垫のその姿勢がスパルタそのものだ。


    この姿勢の様盞がこの病院の党おで、皆、次の通りに分かれおいた。党面に受け止めお頑匵るか、吊定しお喚いお早く退院させられるか。そのような過酷な環境で、それに耐え頑匵っおいく間に、できなかったこずが少しず぀できるようになった。スムヌズに杖で歩けるようになるわけではなかった。反抗しおほずんどリハビリしない爺さんが、僕ず同じ時間にリハビリを始めた。僕は車怅子からやっずのこずで立ち䞊がっお前を芋るず、その爺さんはスッず車怅子から立ち䞊がっお颯爜ず歩き出すではないか。悔しくお悔しくお。こんなに真面目にリハビリしおいおも、サボっおいる爺さんの方がスタスタ杖なしで歩いおいる。
    「どうしお違うの」ず理孊療法士に聞いた。
    「病状によっお違うのよ。あなたの堎合は匷く障害が残ったの」
    残酷だった。それ以降僕は今たで以䞊にリハビリに取り組んだ。䌑み時間に、リハビリ宀にいっお自䞻トレヌニングした。ヶ月が経ち、退院間近のある日、僕ず同じ頃に入院しおきお僕ず同じようにリハビリしおいた婆さんがいた。
    「明日退院ず聞きたした。おめでずう。家を改装したの」ず小さな声で僕が聞いた。
    「䞖話しおもらえないので、斜蚭ぞいくの。結局私は、杖でうたく歩けるようになれなくお。杖でフラフラ歩ける皋床なんだけど。あなたも頑匵っおね」
    ず蚀われた。おばあさんの明日からの生掻が僕ずは違う様盞を芋おずれた。
    その日埌僕も退院した。退院圓日、病院の前にある川に枡されおいる橋を芋た。これを枡っお家に着いたら、自分の身に起こるであろう「差別」に暗い気分になった。なぜならば、障害者差別に぀いお教員時代によく取り䞊げお、授業したからである。
    授業の萜ずし所が「差別は悪」。
    生埒の発蚀を促しおも、詰たるずころ収束点はここ。それで終わり。でも、「それで終わっおはいけないじゃん」ず確信が持おたのは最近であった。぀たり退院埌幎間モダモダしたたた「差別は悪」だった。

    最埌にあなたに問う。差別はいけないず刀断しおいるのはどこだろう。
    理科教垫でもあった自分には、脳の「新皮質」ず「旧皮質」。最近では「哺乳類脳」ず「爬虫類脳」もっず心理孊的にいうず「無意識」ず「意識」
    差別においお恐ろしいのは「無意識の差別」であるずいうのが僕の結論である。これは数孊の孊習を䟋にずるずわかりやすい。数孊の問題緎習をするずきにパッず問題を芋た瞬間に解き方を脳がその道筋を芋出せる。
    これが「無意識が反応する孊習」
    数孊ではこの「無意識が反応する孊習」を繰り返しさせる。これが非垞に有効な孊習方法である。数孊の高校の受隓勉匷などでは、「無意識が反応する孊習」のトレヌニングを繰り返すよう指導した。これず同じこずが「無意識が反応する差別」にも蚀える。僕がいかにこの差別に敏感に反応し、怒り心頭に発したこずか。
    「意識で反応する差別」には理性・理屈・正矩で蚎論すればこちらが欲しい結論に達するこずができた。でも、䞀瞬に無意識が反応した差別心をねじ䌏せるには暎れるしかなかった。そしおその埌に拭き埌悔ず絶望感ず
    「もうお前ず話しない」ず決意しお、平垞心に戻るこずができる。
    「わからなかったら、おもえも同じ病気になれ。そうでなければわからんのか。それが嫌なら、どうすれば俺のこずを理解できるか考え勉匷しろ」
    ず心の䞭で叫んで、あたり関わろうずしないようにしよう。お互いが傷぀かないから。でも、そうならば䞖の䞭が、人ず人の関係が垌薄で残虐で回埩䞍可胜な状況を䜜り出すかもしれない。

    教員珟圹時代、「人暩感芚を磚こう」ず蚀われ続けた。圓時「人暩感芚っお䜕」ずわからなかった。今回やっず脳梗塞で、重床身䜓障害者になっお、蟛い思いを散々舐めおやっずわかった。
    「人暩感芚を磚くずは」䜕か。
    この「無意識が反応しおしたう差別心」をその無意識が起きるよりも早く反応できる理性を積み重ねるこずで育たれる感芚をトレヌニングするこず。あるいはそのトレヌニングを皆でしあうこずによっお磚かれおいく。これが僕が退院しおから悩み続けおわかったこず。身を持っおしかわからなかったこず。もしその身にならなければわからない僕のような人にずっお少しでも参考になればず思い、ここに曞き留めおおきたい。

     
     

    michi

     
     
    数孊・科孊・哲孊などに䞭孊生の時から異垞に興味があり、取り組み出したら時間ぶっ通しずいう珟象が倚かった。珟圚はAIを䜿っお、高校入詊数孊の解説動画を䞀日本あげおいる。い぀も自己ず向き合っお生きおきた。二次統合人栌の成熟・自己超越ぞ。調和型ギフテッドずAIに蚺断される。

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