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Midlife colorfulness


    隣の席の同期が言った。

    「好きなことの中に縁があるんだよ。」
     北海道で大動物獣医師として働く私は、今年の春に7年間いた診療所から新しい診療所に異動した。
    大学卒業後からずっと同じ会社で働いている。診療所を変わるのは珍しくもない。3度目の転勤である。
    異動先の診療所には、10年以上会っていなかった女性獣医師の同期が働いていた。
    10年以上の間にお互い結婚を経て苗字も変わっていたが、彼女は私を呼ぶとき、旧姓+ちゃん付のあだ名、昔、結婚する前、誰もが私を呼ぶとき使ったあだ名を使ってくれた。
    自然私も、かつて彼女を下の名前で呼んでいたかもどうかも覚えていなかったが、彼女を下の名前+ちゃんで呼んだ。
    牛や馬の診療を行う大動物獣医師という仕事は、当直制度があることもあって、体力的にしんどいことの多い仕事で、かつて女性獣医師はほとんどいなかった。(というか採用枠もなかったらしい。)
    今でこそ、たくさんの女性獣医師が活躍しているが、17年目となる私たちの世代は年配の方である。
    そんな中でサバイブした私たちの間には長年会っていなくとも、お互いよくやってきたよね、という連帯感のようなものがすでにあった。
    ましてや40歳を過ぎた私たちは、midlife crisis の真っ只中、自分の人生を振り返り、先をぼんやりと眺め始める。必然として、同期とは、ついつい長話にも花が咲くというもの。
    仕事のこと、獣医学的なこと、仕事のこと、仕事のこと、人間のこと、人生のこと、、、。
    そんな中、結婚相手を見つけることについて、話題が及んだとき、彼女は言った。
    「私のポリシーはね、好きなことの中に縁がある、だよ。」
    彼女は長年の趣味の山登り仲間と結婚したことを聞いていたので、そっか、と思い、ついでに自分もかつてハマっていた格闘技のジムで今の夫に出会ったなと、妙に納得したのだった。
    そして好きなことの中に縁がある、という言葉は私の心に響いた。

     「縁」とは恋愛や結婚相手にだけあるものではない。仕事、友達、趣味、何にだって出会いがあり、「縁」がある。
    だから人は良い「縁」に巡り会えるように神頼みをする。
    自分が選んだ道の先に幸せな「縁」があるようにと願う。
    英語には「縁」にあたる言葉がない気がする。
    それは、I am から始まる言語があまりにも主体的だからか、日本人が良縁を神頼みするのが他力的過ぎるからなのか。
    知らんけど。(いつの時代も新しい力を持った言葉が生まれるから面白い!)
     そんなmidlife crisis なお年頃の40歳が、この中高年の危機という言葉、あまりにも悲観的過ぎる、もっと希望が欲しいとぼんやり思い、何か語呂が良くて縁起の良い言葉は、、、と思いながら書きました。

    サンライズ出雲が導く、縁結びの神社。

     もうすぐ9歳になる息子は、いつも好きなものがあり、「今、戦国武将ブームだから。」と宣言してくれる。
    そのブームが勉強に近ければ喜び勇んで本やら漫画やら買い与えてしまう親心。
    もちろん旅行先も子が喜ぶとこを選ぶ、子の喜ぶ顔ほど幸せなことはないのよね。
    善悪はしっかり教えているつもりだけれど、一人っ子なので甘やかしてしまうことも多いかもしれない。
    物心ついてから小学生に入るまでの彼のブームは、トミカ、ロケット、サンダーバード、マイクラ、ロケット、宇宙、戦国武将、、、と変遷を経ていた。
    小学生になったとき、彼は信長の野望というゲームを毎日やり、戦国武将ブームの中にいた。
    そこで私は歴史の勉強にもなると喜んで、休みが取れたら家族で日本のお城を訪ねた。
    小学校低学年の今が親と旅行に行ってくれる最後の機会かもしれないと、実家の埼玉から、会津若松日帰り旅行を決行したりと、隙あらば彼を旅行に誘った。

     会津若松の武家屋敷には、弓道体験200円というアクティビティがあった。
    結構本格的で的が遠かった。
    絶対当たらないよね、と確信して、でもやりたがる息子に、
    「当たらなくてもがっかりしないんだよ!」
    と慰めてから?やらせたほどである。
    そしたら、小学校2年生の彼は、的に当てたのである。
    驚きのあまり、奇声を上げて喜ぶ私と私の父の声がたくさん入った面白い動画が撮れた。
    そして、息子は、家に帰ってからも弓がやりたいと望んだ。
    小学生の彼には、弓道は早いようで少年団がなかったが、近所にアーチェリー少年団があることを私は知った。
    ちょうどアーチェリーの子供向けの体験会があるようだったので連れて行ってやり、その週から毎週行くようになった。
    今息子はアーチェリー少年団で矢を射ている。
    ボール系も走る系も身体接触系も好まない彼は、アーチェリーに出会った。
    彼は戦国武将という好きの中に自分のスポーツの縁を、見つけ出してきたのだ。
    その後、お城にハマってさらに全国を巡って知見を深めたら、、、面白いのだが、戦国武将ブームは終わりを告げた。
    お城に行くのに、小学生Suicaをぴよぴよさせながら、電車に乗っていたら、彼は電車が好きになったのだ!!
    「戦国武将はもういい、今は電車だ。」
    電車を使わない北海道に住む子鉄の爆誕である。
    主に、埼玉の実家付近の路線を好み(よく乗ったからね)、熱狂して裏紙に駅名や路線図を書きなぐっていたりした。
    音鉄というらしいが、電車の発車メロディも好きで、電子ピアノで一生懸命弾いた。(ピアノは習っていない、完全独学で弾いている。好きってすごい。)
    そして電車ブームの中、彼は寝台列車に乗ることを熱望した。
    寝台列車かあ、、、乗りたいよね、確かにロマン感じるよね。
    かくして、寝台列車の旅行が計画された。
    日本に現存するお城は12しかない、現存十二天守だ、そのうち国宝は5つしかない。(息子のおかげでこんな知識がついた。)
    では、日本に定期運行する寝台列車はいくつあるか、1つしかない。
    サンライズ出雲である。(サンライズ瀬戸もあるので行き先は2つ。)
    だから寝台列車の旅はサンライズに乗る旅である。
    出雲でも瀬戸でもよかったのだが、乗るのはなんとなくサンライズ出雲に決まった。
    日本人なら誰でも知っている、出雲大社があるから。
    10月の呼び名が島根県だけ、神在月、日本中の神様が集まる所だから。
    そして出雲大社は、最強の縁結びの神社である。


    旅立つ直前まで予習してなかった。

     サンライズ出雲の旅は5月を予定したが、前年度のだいぶ前からツアー会社を通して予約した。
    日本に唯一残った寝台列車はとても人気があって、予約が難しそうだった。予約に失敗したら、息子ががっかりしてしまうのは目に見えていたので、初めから、早め早めにとツアー会社というプロに予約を全てお願いしたのである。サンライズ出雲のみならず、ホテルや帰りの新幹線もチケットをお願いできる。楽でよかった、、、。
    安心した私は、大動物獣医的に多忙な5月を理由に、旅先の予習はほとんどしていなかった。
    そして直前にyou tubeで予習して知った。
    出雲大社は縁結びの神様として有名なんだ!!
    そして縁は恋愛だけではない。
    良い職場や、出会いも含む。
    これは、夫の仕事の縁も神頼みせねば、、、。

     夫はいわゆる氷河期世代のあおりをもろに受けた人である。
    この人ほど仕事に縁がなかった人も珍しい。
    真面目で正義感の強い彼はかつて警察官を目指していたそうだ。
    当時勉強はあまり好きでなかったみたいだが、専門学校を卒業した後、3度試験を受けた。
    そして3度、落ちたらしい。
    彼は警察官の道を諦めて若干?似ていた警備の会社に入った。
    就職氷河期の真っ只中である。
    しかし、警備の仕事には夜勤があって、生活も不規則となり、その仕事は長くはやらなかったようである。
    当時を振り返り、義父は、「夜勤のある仕事に不安はあったが、何せこちらの仕事も大変な時期で次男が就職したことにホッとして、強く止めてやることはなかった。」とコメントしていた。義父も大変な苦労をして、家族を養っていた人だった。
    その後、夫は他の職種を必死に渡り歩いていたようだが、あまり縁のある仕事はなかったみたいだった。
    傷心の彼は故郷に戻った。
    彼の履歴書はまんま、戦歴書となっている。
    そして辛くて自分を鍛え直したくて門を叩いたのが格闘技のジムだった。
    その格闘技が後に私と引き合わす縁をくれるが、それはまた別の話。

     私と家庭を持った彼は、田舎では珍しい子育て主夫となった。
    単純に獣医師という私の仕事の方がタイムコストパフォーマンスが高かったゆえ。
    まだまだ男性が主夫をしていると珍しいようで、世間ではヒモ扱いされたようである。特に、パート先の年配の男性から露骨に評価された。
    しかし彼は、そんなジジイ達とは一線をかし、家庭を陰日向と支えた。
    今も家計の足しに、パートを続けるが、不遇な目にちょいちょいあっているようだ。
    そんな夫に、良い仕事縁がありますように。
    出雲大社で縁結びのお守りを夫に買うことが決まった。
    (ちなみに夫は彼の仕事とペットのお世話のため、お留守番してくれた。かわいそう!ありがとう!)

    夫は聞き返した。え?色とりどり?

     多少世間より男女の役割が一般的でないにしろ、平々凡々に暮らす私達夫婦にもたまには暮らしに刺激がある。
    夫がフィンランド人の友達を連れてきたのである。

    それは、家族で外食した定食屋さんから始まった。
    私は食いしん坊なので、定食屋さんが大好きである。
    ご飯とおかず、の定食屋さんが好き。
    独身の頃は、当番明けに、定食屋さんで夕飯を食べることを至福としていたくらい。
    結婚して子供のいる今は一人では流石に行かないが、たまに外食する時は定食屋さんが好き。
    ある日、息子と同じ名前の定食屋さんを見つけ、そこがお財布に優しく、口コミも良いことから家族3人で食べに行った。
    そこが気に入って、何回か行った。
    2回目か3回目だったかの時、留学生とおぼしき若い人が、女将さんと母国に帰ったら日本のお味噌汁を作るとかなんとか会話しているのを横目に食べた日があった。(私はそりゃもういつも美味しく頂いていた。)
    帰り路に私が今日も美味しかったねえとご飯の感想を話す横で、夫が妙に興奮しながら、ああいうのいいなあ!と見かけた留学生の話をしていたのは覚えているが、なんと実は、彼が自らの国際交流が好きという気持ちに気づいた瞬間であったそうである。
    私は定食屋さんが好き、、、。

     以後夫は、英語を勉強し出した。
    そして市の国際交流ボランティアに登録したいのだと言った。
    怖いから?一緒についてきて欲しいと。
    私達はJICAの世界の国のご飯を食べられる食堂に行ってから、夫のボランティア登録を見守った。
    私は、いろんな国のご飯を食べるのも好き。

     夫は市のイベントのボランティアに、学生さんに混ざって、おじさんながらがんばって何度か参加して、ある日言った。
    フィンランド人の友達ができたんだ、今度一緒にスタバ行くんだ。

     フィンランド人の友達Matti(仮名)は、市で働いている日本文学の好きな頭のいい優しい青年だった。
    すぐ我が家に招かれ、私達に北欧の素敵な国フィンランドの話をたくさんしてくれた。
    私達夫婦は彼に夢中?になり、Mattiとの縁を繋がんと隙あらば彼を自宅に招いた。(Mattiは車を日本では持っていないので、送り迎え付きである!)
    以後Mattiは月に一度我が家に招かれる大切な友達である。(月に一度以上はなかなか都合を合わせられない。)

    Mattiは航空券が安く、フィンランドで気持ちいのいいらしい季節、6月にフィンランドに帰省をする。
    だから、5月中にMattiと会わないとしばらく会えない。
    5月は毎週末息子のアーチェリーの試合に勤しんでいたが、なんとか試合の後、Mattiと鶏肉の美味しい定食屋さんに行くことができた。

    ちなみにMattiは語学に堪能で、英語日本語もちろんフィンランド語を話せる、トリリンガルである。
    私達は拙い英語ではあったが、Mattiが日本語ペラペラなのもあって英語で話して(話そうとして)いた。わからなければ、Mattiが日本語に切り替えてくれるのである。

    日本語耳な私達にMattiの流暢な英語は時に、空耳ワードを生み出す。
    美味しい鶏肉を食べながら、何について話していたのだったか、Mattiはintroduction、と言ったのだと思う。
    introduce紹介するの名詞形である。
    私は聞き取れたが、夫はcontrast(対照)と聞き違えたようだ。
    そしてテレビのコントラスト、をイメージしたらしい。
    突然言い放った。
    「えっ 色とりどり?」
    色とりどり!!!
    私はこの、日本人誰もが心の奥底に秘めたる教科書的なワードにツボってしまった。
    誰もが知っている言葉、でも日常では使わない言葉だと思う。
    小学3年生の息子は色とりどりという言葉がわかったが、Mattiは意味がわからないようだったので私は訳した。
    「colorfulness」
    色彩を表す言葉豊かな日本語の、優しくて可愛い言葉、色とりどり。

    I wanna go to shinkansen.

    Mattiとご飯を食べた数日後、私と息子は夫に飼い犬と飼い猫を任せ(ありがとう!!)、東京に飛び立った。
    午前中に東京につき1日遊んでから、21時26分発サンライズ出雲に乗るのである。
    埼玉に住む両親が東京駅で夕飯を一緒に食べてくれた。
    そしてサンライズに乗り遅れたら大変と、一時間以上前から人混み溢れる東京駅で時間が経つのを待った。

     インバウンドな日本、外国から来た観光客の人たちがたくさんいた。
    そして東京駅のベンチに座って、両親と雑談をしていた時、外国人観光客がまっすぐ近づいてきて、言い放った。
    「I wanna go to shinkansen!」
    私は、突然だったので咄嗟に何も答えられずに、固まった。息子はポカンとしていた。母は、誰か違う人に話しかけたのかと後ろを振り返っていた。壁があったようだ。
    父は、冷静に答えた。
    「Ticket?」
    父はもう引退しているが、医師として長らく働いてきた人だ。
    落ち着いて静かに話し、口数は少なく、昔から言葉を適切に選んで話す。言葉を選んでいる間、口が少しモゾモゾする、私は小さい頃からその口元を見ていた気がする。
    モゾモゾと口が音なく動いた後、父はいつも適切な言葉を、論理的に話す。
    今回は母国語でないからか、いつもよりさらに短い言葉で父は返した。
    ただ一言「Ticket?」
    それはあまりにも父らしく、的確で、私は感心した。
    父は、新幹線のチケットの取り方がわからないのか、チケットを買う場所か、新幹線の乗り場自体を知りたいのか、という全ての意味を一言で表した!(と私は認識した。)
    そういえば、以前も父と電車に乗っていたら、なんだか海外から来た方に英語で話しかけられていて父は、一言で返していた。「Next.」と。
    残念ながらその後、I wanna go to shinkansenの外人さんは、彼女の連れにあっちに行くぞと促されそれ以上の会話はできなかった。
    どうして彼女は私達めがけて話しかけてきたのだろう。
    多分スマホを見てない人の良さそうな日本人が隙だらけな感じでのんびり雑談していたからだろう。
    娘の私が言うのも何ですが、私の両親は見るからに善良そうに見えるし、実際そうなのだ。

     両親は善良で優しいので、自分たちが乗らなくても夜の22時近くまで寝台列車のお見送りを待っていてくれた。
    埼玉の家に帰ったのは23時近かっただろう!
    お見送りをしてくれた両親に手をふり、私と息子はサンライズ出雲に大興奮しながら乗り込み寝台列車の旅に出たのだった。

     あの外人さんは無事にshinkansenに乗れたかな?

    神様の国、出雲を旅し埼玉に戻った。

     サンライズ出雲は東京駅の在来線のホームに到着し、出発した。在来線のホームという日常に滑り込んだ非日常の寝台列車、サンライズ出雲の姿はもう超かっこいい。大人も大興奮間違いなし。
    父もホームに到着したサンライズ出雲を見て、珍しく大きめな声で感想を述べていた。
    「かっこいいじゃん!」
    息子は嬉しくてニコニコしていた。

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    たくさんの人達が興奮して写真を撮っていた


    その特別な寝台列車の夜、ちょっと夜更かしして、寝て起きたら、そこはもう滋賀県だった。
    そこからさらに数時間、ゴロゴロしながら旅する寝台列車は快適だった。
    そして、ついにサンライズ出雲は出雲に着いた。

     サンライズ出雲が連れてきてくれた神様の国で、歴史溢れる出雲大社、稲佐の浜を観光し、私と息子はたくさんたくさん歩いた。
    歩きすぎて疲れて出雲大社での写真は全然撮ってないか、指が入っていた!

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    なぜか出雲大社の松を撮る
    もっとすごそうなとこたくさんあったしょ!と自分にツッコミをいれる。
    きっと畏れ多くて遠慮したのだ。


    歩きすぎて疲れた私は息子とラーメンを食べた後、ホテルであっという間に寝た。
    息子は一生懸命電気を消したりして私のお世話をしていた。(ごめん。)
     AIを駆使できるお年頃の息子は、夕飯を食べる場所や時間が余った時の行き先も一緒に考え、調べ連れて行ってくれた。
    小学校3年生ってなんでもできる。

     次の日に行った松江では国宝!松江城に行き、城下町を歩いた。松江の小泉八雲記念館には、朝ドラの影響でたくさん人が来ていた。
    私はラフカディオハーンさんと小泉八雲さんが同一人物であることも認識していなかったが、日本を愛し、帰化し、怪談を書いた小泉八雲さんにMattiも興味を持つだろうと思った。
    そして小泉八雲さんは40歳を過ぎてから、初めて日本に来て、家庭を持ち帰化したことにも驚いた。
    40歳過ぎてから異国で大挑戦した彼の人生に思いを馳せた。
    この朝ドラの存在は今回初めて知ったけど、帰ったら見ようと思った。

     私は出雲で夫に縁結びの糸を買い、松江でMattiに小泉八雲の英語と日本語の書いてある本をお土産に買った。

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    そして職場や両親や義両親にお土産を買った。
    5万円おろして財布に入れてきたがあっという間になくなった。
    もっとたくさんの人にお土産を買いたかったが、財布に入れた5万円はあっという間になくなっちゃたんだ!
    日本のお土産文化は縁を大切にするからこその文化であるが、インフレの波に脅かされる文化でもある。

     関東にshinkansenで戻り、埼玉の地元の駅に迎えに来てもらい、私と息子は私の両親の家に一泊した。
    母の作ってくれたハヤシライスとハンバーグとマカロニサラダを夕飯に食べた。今回の旅で一番美味しかった。

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    母の作るハヤシライスは祖母の味だ。ハンバーグは母の味、今では私の味にもなっている。
    ハンバーグのたれは中濃ソースとケチャップ半々というのが、母の味、それは母が結婚したとき初めて父に作ってあげた、中学校の家庭科の味、らしい。
    美味しいご飯を食べて優しい両親と話せば、私の口も饒舌になるというもの。
    気づけば私は両親にこう宣った。
    「物書きになりたいんだよね。書くのが好きなんだよ。
    今の時代、書いたら簡単に投稿できる場がネット上にある。何か書いて投稿し続ければ、はしにもかかるかもしれない。」
    父は適切に言葉を選んで応じた。
    「箸にも棒にもかからない、は、逆の意味。」

    Midlife colorfulness

    私と息子のサンライズ出雲の旅は、こうして終わった。
    日本一の縁結びの神様にお参りした私は、両親と話している時に自分のやりたいことを改めて認識した。
    私は書きたかったんだ!
    私達40代はMidlife crisis(中年の危機)の中にいるかもしれないけれど、好きの中に縁があることを知っている。
    縁を繋いでみんな一生懸命色とりどりな人生を歩んできた。
    私は書いてみたい。
    私が見てきた、colorfulnessな世界を。
    私達の人生は危機の中にいるのではない。
    豊かな縁の色彩の中にいる。

    Midlife colorfulness

    #創作大賞2026 #エッセイ部門


     
     
    自分はかつて関東で中学受験をしました。現在、技術職につき北海道在住。夫 小3男児 🐕 🐈🐈 中学受験のない田舎で自分と同等の教育、越える経験をさせていってあげたい。なんか勉強得意なんだけど、と思わせてあげたい。広い世界を知り、楽しい人生を歩んでいってほしい。

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