
雨の日にだけ、世界は少しだけ優しくなる
雨の日は、少しだけ世界が静かになる。
そして私は、その静けさの中で、自分の呼吸を取り戻している気がする。
晴れの日には見えないものが、雨の日には見える。
聞こえない音が、静かに届く。
これは、そんな一日の記録だ。
窓と、雨と、コーヒー
朝起きると、部屋はまだ真っ暗だった。
時間を見ると、いつもの朝と変わらない。
電気はつけずに、そのままカーテンだけを開ける。
外はしとしとと雨が降っていて、空はまだ眠っているみたいだった。
耳を澄ますと、サーという音が遠くから聞こえる。
目を閉じていても、それが雨だと分かる。
この音が聞こえた瞬間、今日一日は、少し静かに過ごせそうだと思った。
お気に入りの、大きめのカフェテーブルに座る。
少し奮発して買ったそのテーブルは、
雨の日の朝によく似合う。
コーヒーを淹れると、
カップから立ち上る湯気が、冷えた空気に溶けていく。
そのまま窓の外を眺めながら、ゆっくりと口をつける。
窓を少し開けると、猫がやって来た。
外の匂いが気になるのか、
窓越しに鼻をひくひくさせて、雨の気配を確かめている。
しばらくすると満足したようで、
私の隣の椅子に飛び乗り、そのまま丸くなった。
雨の向こうの景色と、
窓辺でくつろぐ猫と、
湯気の消えていくコーヒー。
それらを交互に眺めながら、
私は何も考えずに、ただ朝を飲み込んでいく。
雨の日が好きなのは、こんなふうに、世界が少しだけ、私に優しくなるからだ。
そして同時に、私もまた、少しだけ優しくなれる気がするから。
レインコートと、ブーツの音
ゆっくりと雨の朝を過ごしたら、身支度を始める。
不思議と、いつもより丁寧になるのは、
たぶん雨の日だからだと思う。
外から聞こえる、一定のリズムの雨音。
それをBGMにしながら、
今日は急がなくていい、と自分に言い聞かせる。
お気に入りの傘と、レインブーツを用意する。
雨の日のために選んだものたちは、
こういう朝に、ちゃんと役目を果たしてくれる。
撥水加工の入ったジャケットを羽織り、
ジーンズをブーツにインする。
鏡の中には、私の好きな、ハンサムな私がいた。
髪をまとめて、
少し大きめの傘を手に取る。
この傘があるだけで、
雨の中に出ていくことが、少し誇らしくなる。
玄関を出ると、
ブーツが濡れた地面に当たって、軽い音を立てた。
その音が、今日の始まりを知らせてくれる。
向かう先は、
私の大好きな図書館。
雨の日の図書館は、
外の世界と切り離されたみたいで、
そこに行くだけで、心が整う気がする。
今日はきっと、本のページをめくる音と、遠くの雨音だけで、十分な一日になる。
そんな日を選べる自分を、少しだけ誇らしく思った。
電車と、雨音と、イヤフォン
駅まで向かう道を、
私は大好きな雨の日のBGMと一緒に歩く。
イヤフォンから流れる音楽は、
雨音と混ざり合って、
今日を少しだけ特別な日にしてくれる。
改札を抜けて、ホームに立つ。
電車を待つ間、
私はわざと一本、電車を見送る。
理由は二つある。
先頭に立ちたいことと、
電車が去ったあとの、
あの一瞬の静かな空間が好きだから。
人の気配が薄れたホームに、
雨の音だけが残る。
上から降ってくる雨を、
私は特等席から見上げる。
先頭に立つ理由は、これだ。
視界を遮るものが何もないこの場所で、
雨が落ちてくる様子を、
ただ、ぼんやりと眺めていたい。
この空間のすべてが、
私は好きだった。
やがて電車が入ってくる。
ドアが開き、乗り込むと、
窓にはすでに細かな雨粒がついている。
走り出した電車の中で、
窓を伝って流れる雨を眺める。
さっきまでとは、また違う景色。
同じ雨なのに、場所が変わるだけで、こんなにも表情が違う。
それが、雨の日の電車の、いちばん好きなところだった。
図書館の大きな窓
図書館まで、いつもの道を歩く。
雨の日の街は人が少なくて、
足音だけが、静かに残る。
しばらく歩くと、
大きな図書館が、変わらない姿で迎えてくれた。
二階建てで、
天井は筒抜けになっていて、
視線を上げると、そのまま空まで続いているみたいだ。
高さのある空間と、
壁一面に広がる大きな窓。
ここが、私のお気に入りの場所。
程よく距離を保つように並んだ、
リクライニングチェアと小さなテーブル。
棚をゆっくり巡って、
今日は読む本を、数冊だけ選ぶ。
ふかふかの椅子に身を沈めると、
視界の先には、窓を伝って流れる雨。
耳に届くのは、
ページをめくる音と、遠くの雨音だけ。
静かで、
外は雨で、
音は、心地よいBGMになる。
こんな時間が、
日常の中にあることを、
私はとても大切に思っている。
気づけば、お昼時になっていた。
隣接しているカフェで、
サンドイッチとコーヒーを頼む。
窓際の席で、
雨を眺めながら、ゆっくりと食べる。
誰にも急かされない、
静かなランチ。
食べ終わると、
また自然と、あの場所へ戻っていた。
本を読み、
少し疲れたら、椅子に身を預けて目を閉じる。
それからまた、
大きな窓を流れる雨を、ぼんやりと眺める。
何もしなくていい時間。
何かを生み出さなくていい時間。
雨の日の図書館は、
私に、そういう贅沢をくれる。
帰り道と、雨と、ラーメン
午前中に図書館へ着き、
気づけば時計は、十五時を少し過ぎていた。
本と雨に包まれた時間は、
思っているよりも、体力を使うらしい。
少しだけ、小腹が空いた。
駅へ向かう途中、
細い通りにある、小さな喫茶店に入る。
昔ながらで、どこかアットホームな空気。
こういう店に入れるようになったのも、
大人になった証拠だと思っている。
アフタヌーンティーセットを頼み、
テーブルの片隅にある、
百円を入れると占える星座占いを、ぼんやり眺める。
ほどなくして、
温かいコーヒーと、ミルクレープが運ばれてきた。
休みの日は、
どうしてもカフェインを摂りすぎてしまう。
反省はするけれど、
この香りを前にすると、やっぱり頼んでしまう。
雨の日なら、なおさらだ。
店内には、静かにジャズが流れている。
誰にも急かされず、
ただコーヒーを飲んでいるこの時間が、
少し誇らしく感じられる。
――大人になって、よかったな。
そんな言葉が、心の中に浮かぶ。
ゆっくりとした時間を楽しんだあと、
帰りはバスに乗ることにした。
この時間帯は、あまり混まない。
後部座席の、少し高くなった席が、私のお気に入りだ。
車や電車にはない、
街を見下ろすような視線が、心地いい。
イヤフォンからは、
雨の日用に作った音楽リスト。
窓を流れる雨を眺めながら、
ありもしない出会いを、少しだけ想像する。
誰かと、
こんな雨の日を共有できたらいいな、なんて。
家の近くに着くと、スーパーに立ち寄った。
雨の日は、ラーメンを食べると決めている。
やっぱり、スープだよね。
そう心の中で唱えながら、
何味にしようか、少しだけ迷う。
雨の日は、
何も特別なことが起きなくても、
一日を、ちゃんと贅沢にしてくれる。
だから私は、
きっとこれからも、
雨の日が好きなままだ。
湯気と、雨音と、明日のこと
家に着くと、まずお風呂にお湯をはる。
雨の日の休みは、必ず湯船に浸かると決めている。
お気に入りの入浴剤を入れて、
丁寧に身体を洗ってから、少し長めにお湯に沈む。
深く息を吐くと、
一日分の力が、静かに抜けていくのが分かる。
丁寧な暮らしとは、きっと程遠い。
それでも、この時間があるだけで、
今日は十分に良い一日だったと思える。
いつか、
都内の高層階にあるホテルみたいな場所で、
夜景を見ながらお風呂に入れたらいいな、なんて。
そんな目標を思い浮かべながら、
また明日も頑張ろうと思える。
お風呂から上がると、
冷蔵庫からお気に入りのビールを取り出す。
ラーメンと一緒に、野菜炒めも作る。
湯上がりに料理をしながら飲むお酒は、
どうしてこんなに美味しいのだろう。
そうしていると、
お腹が空いた猫が、足元に擦り寄ってくる。
それが合図みたいで、少し笑ってしまう。
出来上がったご飯を、
猫の気配を感じながら食べる。
窓を少しだけ開けると、
外から雨音が流れ込んできた。
今日の出来事を、
特別でもないまま、ゆっくり振り返る。
自分の機嫌は、自分で取る。
それがうまくできた日は、
理由もなく、ニンマリしてしまう。
心も身体も、ちゃんと満たされたら、猫と一緒に、少し早めにベッドに入る。
明日もまた、同じように一日を終えられますように。
そしてできれば、また雨が降りますように。