
最終章 記憶の復元率100%
鏡の中の少女は、静かに微笑んでいた。
私は動けなかった。
胸が苦しい。
息が出来ない。
鏡へ映る少女の頬には、涙の跡が残っている。
私はそっと自分の頬へ触れた。
指先が濡れる。
温かい。
涙を流していたのは、鏡の中の少女ではなかった。
私だった。
電子音が鳴る。
記憶の復元率
100%
復元完了
表示が消えた。
その瞬間だった。
視界が揺れる。
鏡。
夕焼け。
昇降口。
すべてが砕けるように崩れていく。
私は思わず目を閉じた。
……
教室。
窓際の席。
笑い声。
友達が手を振っている。
私は笑い返す。
場面が変わる。
体育館。
合唱コンクール。
ピアノの前奏。
みんなと並んで歌っている。
さっき音楽室で聞いた曲だった。
あの時、自然と口ずさめた理由が分かった。
私は、この歌を何度も歌っていた。
場面が変わる。
放課後。
夕焼けの廊下。
友達と並んで歩いている。
何気ない会話。
笑い声。
その全部が愛おしかった。
知らないはずの景色。
でも。
胸が締め付けられるほど懐かしい。
場面が変わる。
保健室。
机。
『たすけて』
震える指で、その文字を書いている誰か。
私は息を止める。
場面が変わる。
屋上へ続く階段。
夕焼け。
風。
誰かの泣き声。
誰かの笑い声。
私は階段を駆け上がる。
その先は見えない。
見えないのに。
身体だけが震えた。
「いや……。」
思い出したくない。
そう思うのに。
記憶は止まらない。
電子音が鳴る。
復元データを保存しています……
私は鏡を見上げる。
そこには、まだ少女が立っていた。
制服姿。
乱れた髪。
涙で濡れた瞳。
胸元の名札。
相川 美里
少女はゆっくり右手を上げる。
私も同じように右手を上げる。
鏡だから。
同じ動きをするはずだった。
違った。
少女は、私へ向かって手を伸ばしていた。
私は息を呑む。
指先がガラス越しに重なる。
冷たい。
その瞬間。
鏡の表面が、水面のように揺れた。
私は反射的に手を引こうとした。
引けない。
鏡の向こうから、誰かが私の手を握っている。
冷たい手だった。
「……っ!」
力いっぱい腕を引く。
動かない。
鏡の中の少女は、悲しそうに微笑んでいる。
そして。
初めて、はっきりと口が動いた。
「――ありがとう。」
その声は聞こえなかった。
でも。
私は確かにそう聞こえた。
次の瞬間。
鏡の中から強い力で腕を引かれる。
世界が反転した。
夕焼けも。
昇降口も。
鏡も。
すべてが白く染まっていく。
私は叫ぼうとした。
声が出ない。
視界が真っ白になる。
電子音だけが、静かに響いていた。
復元データを保存しています……
保存完了
真っ白だった世界へ。
少しずつ色が戻ってくる。
夕焼け。
校舎。
昇降口。
鏡。
私はゆっくり目を開けた。
静かだった。
さっきまで聞こえていた靴音も。
歌声も。
何も聞こえない。
私は鏡を見つめる。
そこには、もう少女はいなかった。
映っているのは。
制服姿の私だけ。
私は震える手で鏡へ触れた。
冷たい。
ただの鏡だった。
私はゆっくり息を吐く。
「終わった……?」
返事はない。
電子音だけが鳴る。
復元データを保存しています……
表示がゆっくり進んでいく。
私は昇降口の扉へ目を向けた。
ガラスの向こう。
夕焼けに染まる校庭。
風に揺れる木々。
外だ。
私は助かった。
そう思った。
一歩。
また一歩。
扉へ近付く。
あと少し。
あと少しで外へ出られる。
私は扉へ手を掛けた。
その瞬間。
ガチャ。
鍵は開かない。
私はもう一度力を込める。
ガチャ。
動かない。
「どうして……。」
鍵は開いている。
それなのに。
扉だけが開かない。
私は焦る。
何度もノブを回す。
ガチャ。
ガチャ。
ガチャ。
その時。
鏡の方から、小さな音がした。
コツ。
私は振り返る。
誰もいない。
鏡には。
制服姿の私だけが映っている。
安堵した、その瞬間だった。
鏡の中の私は。
ゆっくりと。
こちらへ手を振った。
私は動いていない。
呼吸が止まる。
鏡の中の私は微笑んでいる。
私は笑っていない。
その笑顔は。
悲しそうにも。
安心したようにも見えた。
そして。
鏡の中の私だけが。
静かに後ろを向く。
私は鏡を見る。
後ろには誰もいない。
けれど。
鏡の中だけには。
教室で出会った女子生徒たちが並んでいた。
最初に笑っていた少女。
屋上にいた少女。
保健室の少女。
全員が。
鏡の中だけで。
私を囲んでいる。
誰も笑っていない。
誰も泣いていない。
ただ。
静かに立っている。
その中の一人が。
小さく頷いた。
次の瞬間。
世界が暗転した。
……
……
……
電子音。
復元データの保存が完了しました。
黒い画面へ白い文字が浮かび上がる。
記憶の復元率
しばらくして。
メニュー画面が表示される。
▶ はじめから
つづきから
私は息を呑む。
……私は?
さっきまで。
ここにいたはずなのに。
画面には私の姿はどこにもない。
カーソルだけが静かに点滅している。
誰も触れていない。
それなのに。
カーソルが。
ゆっくり。
ゆっくり。
「つづきから」
へ動いた。
決定音。
ピッ。
画面が暗転する。
数秒の沈黙。
やがて。
白い文字が一行だけ浮かび上がる。
Loading...
その下へ。
見慣れた電子音と共に。
新しい文字が表示された。
Bad End 1
救われない
画面はゆっくり暗くなっていく。
最後まで残っていたのは。
点滅を続ける、小さなロードアイコンだけだった。