
遠く離れているからこそ
この前、また両親に防災グッズを送った。
南海トラフ地震のニュースや、大きな地震の速報を見るたびに、「大丈夫?」と連絡を入れる。
届いたあとには、決まって同じやり取りをする。
「使わないことを願ってるよ。」
「そうだね。使わずに済むのが一番だね。」
そんなメールを交わすたびに、少しだけ安心する。
2011年、私はすでにオーストラリアで暮らしていた。
あの日、一緒にいた韓国人の友人が慌てた様子で言った。
「日本、大変なことになってる。」
さらに「マグニチュード7だったかな」と話していた気がする。
私は思わず笑ってしまった。
「そんな大きな地震が来るわけないよ。」
近くにいた日本人同士でも、「冗談でしょう」と話していた。
でも、ニュースを見た瞬間、全身が凍りついた。
津波が街をのみ込み、信じられない映像が次々と流れていく。
すぐに家族へ電話をかけた。
何度かけても繋がらない。
あの時ほど焦ったことは、人生でほとんどない。
思い返せば、あれほど取り乱したのは、息子を出産する時に破水した瞬間くらいだ。
幸い、家族も友人も無事だった。
当時は千葉に住んでいた。
それでも、生きた心地がしなかったと後から聞いた。
あの日以来、「地震」という言葉に敏感になった。
私自身が経験した一番大きな揺れは、おそらく震度4くらい。
オーストラリアで暮らすようになってからは、地震のない生活が当たり前になった。
だからこそ、今の日本の地震が、どこか未知の恐怖にも感じる。
「何か起きてからでは遅い。」
そう思うようになった。
だから防災グッズを送る。
もちろん、本当に必要にならないことを願いながら。
これは両親のためでもあるけれど、きっと一番安心したいのは私自身なのだと思う。
海外に住んでいる私は、何かあってもすぐに駆けつけることができない。
飛行機に乗っても、何時間もかかる。
その距離が、とてももどかしい。
海外で暮らすことは、自分で選んだ人生だ。
後悔はしていない。
それでも、親が年齢を重ねるたびに思う。
あと何回、一緒に笑えるだろう。
あと何回、「おかえり」と言ってもらえるだろう。
だから、そろそろ帰国したい。
観光ではなく、親孝行のために。
何も起きない未来を願いながら、今年もまた、防災グッズを送る。
防災グッズは、使わないまま期限を迎えてほしい。
それが、私にとって一番うれしい"無駄遣い"だから。