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長編小説 | 喋る猫への良い便り #22


    ***


     あれから五年が過ぎた。

     アヤメさんと病院で会ったあの日から三年後、私と廉は三十二歳になる年の春に結婚した。私の誕生日の一週間前、「来週、千秋の誕生日にプロポーズするから、予定空けといてな」と、廉から連絡があった。そういうのはサプライズでするものではないのかと言う気も起こらず、廉の予告どおりレストランでプロポーズを受け、結婚することが決まった。交際開始からは八年が経過しており、ようやく結婚の報告にきた私たちに、廉のご両親は「待たせすぎやわ」と、少しうんざりしつつも祝福してくれた。

     結婚してからも、ふう太と暮らしてきた家を引き払うことはなかった。環境が変わることはふう太にとってストレスになると思ったからだ。
     引っ越したくないことを伝えると、廉はなんの躊躇もなく、「ほな俺が千秋の家に住むわ」と言った。1LDKの賃貸は、二人と一匹が過ごすには少し狭かったが、廉もふう太もそれに対する文句を言うことはなかった。
     私たちの家に新たに廉が加わることをふう太に話したときも、彼は一切嫌な素振りを見せなかった。私たちの結婚をどう思っているのかは分からなかったが、「あのばあさんとも家族になるっちゅうことか。伝説のばあさんが家族になるやなんて、千秋はついとるな」と言っていたので、どちらかと言えば祝福してくれていたのだろうと思う。

     私は、ふう太がアヤメさんとの最後の夜を一緒に過ごさなかったことを後悔しているのを忘れなかった。夜、寝るときには必ずふう太を寝室に誘った。気が乗らないときのふう太はリビングで眠ることもあったが、たいていは私が誘うと寝室に付いてきてくれた。廉と一緒に住むようになってからも、その習慣は変わらなかった。ふう太は寝室の隅に置いてあるふう太専用ベッドで眠ることもあれば、私たちと一緒にベッドで眠ることもあった。そのときはたいてい、私、ふう太、エビ、廉の順で並んで眠った。

     結局、ふう太が喋るということを廉には話さないままでいた。廉の前で、ふう太と私は普通の猫と人間の関係を貫いた。ふう太もそれに関してなにか言うことはなかったし、私とふう太二人だけの秘密にしておきたかった。

     私たちの結婚式には、廉のばあちゃんはもちろん、泰広さんもアヤメさんの写真を持って参列してくれた。泰広さんは私との約束通り、アヤメさんの病室を訪れた二か月後に、ふう太に会いに我が家を訪れてくれた。二人は、ふう太がアヤメさんのうちにいた十一年間の間、年に三回ほど定期的に会っていたようだが、ふう太はなんとなくしか泰広さんのことを覚えていないようだった。
     それでも、泰広さんはふう太との再会を心から喜んでくれた様子で、お土産には猫じゃらしとちゅ~るを持ってきてくれた。ふう太はもちろんちゅ~るのことは大いに喜び、猫じゃらしのことは嫌った。その二つのお土産のせいで、ふう太の中での泰広さんの印象はプラスマイナスゼロというところで落ち着いた。

     アヤメさんは、病室で握手を交わしたあの日から一年後、再びアヤメが彼女の庭を埋め尽くす季節に、病室で静かに亡くなった。泰広さんは、私と廉も葬儀に呼んでくれ、泰広さんの許可を貰って、アヤメさんの棺にふう太の写真を一枚納めた。アヤメの花に囲まれたアヤメさんは穏やかな顔をしていて、美しかった。アヤメさんは最期まで旦那さんからの愛に包まれていた。
     泰広さんの話によると、私と会ったあの日から、アヤメさんの様態は少し回復し、体調がいいときには、ふう太の話をしていたこともあったと教えてくれた。彼女は、ふう太のことをやはり忘れていなかった。私は、アヤメさんのことをよく知らない。それでも、棺の中の小さなアヤメさんが、愛する夫を亡くしたこと、ふう太と出会ったこと、孫やひ孫たちに囲まれていたこと、庭のアヤメを愛していたこと。いろいろな歴史を抱えながら生き、そして世界から消えていったのだと思うと、自然と涙が零れた。
     アヤメさんが亡くなったこと、ふう太のことをちゃんと覚えていたことを伝えると、ふう太は「そうか」と一言だけ言い、その後二日ほど静かに過ごしていた。ふう太の中で、なにかいろいろな想いを消化していたのだろう。

     そして、廉のばあちゃんについて。ばあちゃんは、私たちが結婚した半年後に亡くなった。前日まで、ばあちゃんはいつものように庭に一日座っていた。しかし、次の日、いつものラジオ体操の時間に起きてこないばあちゃんを心配して、お母さんが部屋に様子を見に行ったときには、すでにもう亡くなっていたそうだ。
     ばあちゃんの訃報を受け、あんなにくっきりと世界に存在していた人でも亡くなってしまうのかと、私は狼狽えた。私だけではなく、野洲中の人々がばあちゃんの訃報に狼狽えた。それから半年ほどの間、野洲中が喪に服しているかのように、どんよりと暗い空気が漂っていたという。

     ばあちゃんは火葬されるまでの最後の二日間を自宅で過ごし、葬儀も自宅で執り行われた。火葬までの間、ばあちゃんに最後の別れを言うための来客が絶えなかった。廉の実家の前には行列ができ、お父さんが列の整備係として出動しなければならないほどだった。
     ばあちゃんの死を悲しんでいたのは、人間たちだけではない。昼間は人だかりができる廉の家に、猫たちが姿を見せることはなかったが、人間たちが立ち去った夜の間に、彼らはばあちゃんを悼みにやってきていた。火葬されるまでの二日間ともに、朝になると、ばあちゃんがいつも座っていたテントの中のアウトドアチェアの上には、小さな山ができるくらい花や葉っぱ、木の実や紙の切れ端などが置かれていた。それらの花や葉っぱは、棺に納められ、ばあちゃんの最期を彩った。一見するとただの雑草やごみのようなものを棺に入れようとする廉一家に、葬儀会社の人は眉を顰めたが、なにも言わなかった。

    *


     そして、ふう太について。
     ふう太は、十九歳まで生きた。ふう太の誕生日は定かではないため、もしかしたら二十歳を超えていた可能性もあるが、私とふう太は私たちが出会った十一月を、毎年ふう太の誕生日としてお祝いしていた。私たちが決めた誕生日に基づいてカウントすると、二十歳まではあと半年ほど足りなかった。ふう太が亡くなったのもまた、アヤメが咲く季節だった。
     ふう太がキャットタワーに登れなくなったころから、私は可能な限りそばでふう太を看取ることを決意していた。つまり、延命のための入院を伴う手術を検討しなければならなくなっても、その選択はしないでいようと思っていた。しかし、実際にその選択を迫られる日は、私たちには訪れなかった。幸いにも、最期が近づいたふう太は、大きな苦しみを抱えてはいないと思われ、自然に任せればいいだろうと田沢先生に診断された。だから、決意はしていたものの、実際にそのときが訪れていたら、本当に延命しないことを選ぶことができていたかというのは怪しいものだ。
     ふう太の腎臓は年々悪くなっていたが、幸いにも重い病気には罹らず、最期は老衰で亡くなった。亡くなる数日前まで、ふう太は私と会話してくれていた。私たちは死や別れの話を避け、思い出話に花を咲かせた。何度もふう太の前で泣きそうになったが、一生懸命涙をこらえた。ふう太も最期まで弱音を吐くことはなかった。私は、どこか痛いところがありませんようにと祈るばかりだった。
     ふう太がもう言葉を発することもなくなり、命がもうわずかなことを悟った私は有休を取り、最期の二日間をずっとふう太のそばで過ごした。ふう太のぬくもりを忘れないように、何度も何度もふう太を撫でた。
     ふう太の棺には、ふう太の大切なエビとアヤメの花を一輪、あとはちゅ~るを三本入れた。


    *

     ふう太が亡くなって半年経った今日は彼が二十歳になるはずの日だった。半年経っても私はまだ、ふう太の死を乗り越えられずにいる。毎日、悲しみを忘れるために今までよりも一生懸命仕事に取り組んだが、ふと気を抜くとふう太のことを思い出し、涙が零れた。そんな私を、廉はいつもと変わらない様子で見守ってくれている。廉もふう太がいなくなってきっと悲しいに違いなかったが、この世の終わりのように泣きわめく私を、黙って抱きしめていてくれる。静かな優しさが、本当にありがたかった。――愛はな、もっと静かなもんやねん。得意げなふう太の顔を思い出す。ああ、ふう太の言う愛が、こんなにも近くで私を守ってくれている。
     私がふう太の死を乗り越えられる日がいつかやってくるのか、想像もできない。でも私はこれからも、ふう太との輝かしい思い出、ふう太との別れの悲しみを抱えて生きていく。そしていつか私の寿命がきたとき、直面する死に怯える私の枕元には、ふう太の幽霊がやってきてくれるだろう。
    「おい、千秋。そないびびらんでも大丈夫や」
     そんなことを言いながら、得意げな顔で笑っている。その日を迎えるために、私は生きていく。


    (了)

     
     
    適応障害で休職過去3回/30代/夫と二人暮らし 綺麗事のない文章を。 ※当アカウントはAmazonアソシエイト・プログラムに参加しています。

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