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掌編小説 | 夕日に飛ぶ

     どれもこれも、まともな求人がない。仕事を辞めて二か月、こうして毎日求人サイトを漁ってはいるが、自分に合いそうな仕事はなかなか見つからない。応募資格に大卒以上と書いておきながら、月給十八万とは、求職者を舐めているとしか思えない。
     二十九歳にして、四回目の転職だ。これまで、どの仕事も長くは続かなかった。二か月前に辞めた職場は残業代が出なかった。そんなブラック企業で働いていられるかと思い、入社半年で退職届を上司に突き付けたが、こんなに仕事が続かないとなると、職場ではなく、僕に問題があるのではないかという気持ちになってくる。僕の人間性が、社会に適合していないのだろうか。

     どの転職アプリを開いてみても、同じような求人ばかりなのに退屈し、SNSアプリを開いた。おすすめページに並ぶのは、日本政府への批判や、上司への不満ばかりだ。僕と同じように社会に適合できていなさそうな人間の言葉が並び、少し安心する。僕にももちろん問題はあるのだろうが、これだけ文句を言う人がいるということは、やはり社会にも問題があるに違いない。自分にも非があることを認識できているだけ、僕はこいつらよりはマシだ。

     おすすめのページを遡るのにも飽き、動画配信アプリを開いた。煽り運転の動画や、インフルエンサーの女がくだらない踊りを踊る動画が流れてくる。どれも興味が沸かず、画面をスクロールしていると、ライブ配信されている動画が目に留まった。「6時に飛ぶ。ばいばい世界」というタイトルで、制服を着た女子高生が胸元まで映っているサムネイルだ。自殺配信だろうか。どうせ釣りだろうが、少し気になり、動画を開いてしまった。まんまとインプレッションを稼がせてしまい悔しい。
     スマートフォンの画面に、女子高生が大きく表示される。長く伸ばしている黒髪はときどきさらりと風に靡き、目より少し上で真っ直ぐに切られた前髪を頻繁に整えている。可愛い顔を持って生まれ、たかだか十数年しか生きていないこんな女のどこに自殺しなければならない理由があるというのだろう。
     画面の中の女子高生は男に媚びるような喋り方でコメントを読み上げ、それに対する回答を繰り返していた。
    「『釣りだろこんなん』、釣りじゃないよぉ、見ててね」
    「『承認欲求の塊だな。死ぬなら一人で死ねよ』、最期くらいみんなに見届けて欲しいんだよぉ」
    「『まだ間に合う。今すぐやめよう』、もう決めたからやめないよ」
     コメントはどんどんと流れていく。彼女の行動を本気だと思っていない人間からの暴言が半分、心配する声が半分といったところか。コメントはしないが、僕の心の声もどちらかといえば前者だ。
    「『どうして飛び降りるの?』、うーん…みんな嘘ばっかりでなにも信じられなくなっちゃったからかな」
     こんな小娘に、いったいなにが分かるというのだ。嘘まみれの世の中でも、みんな我慢して生きているというのに。
    「『どこにいるの?誰かこの子のとこ行けない?』、屋上だよぉ」
     彼女の背景には白に塗装されたアイアンのフェンスと、その向こうには日が落ち始め朱に染まりかけた空が映っている。屋外にいることは推察されるが、どうせ公園かどこか適当なところにいるのだろうと思っていたが、画面がぐるりと反転し、インカメラの映像からアウトカメラの映像に切り替わると、そこには彼女のものであろうスニーカーが空中へとぶらりと投げ出され、その向こうには背の高いビルや入り組んだジャンクションが映った。映像はスニーカーから徐々に空へと移り、夕日の強い日差しに一瞬画面が真っ白になったかと思うと、再びインカメラの映像に切り替わった。
    「考え直しな?君には未来がある」、「俺で良かったら話聞くからDMして」、「誰かこの子の身元分かる奴いないの?」、コメント欄には先ほどよりも彼女を心配する声が増えた。
     六時まであと二十分を切り、視聴者数も僕が見始めた十分前から倍ほどに増えている。
     本当に飛び降りるつもりなのだろうか。

    「これ、エスペランサの屋上じゃね?」
     一瞬のうちに流され消えて行ったコメントだったが、良く見慣れた単語が僕の目にははっきり留まった。
     エスペランサはうちから自転車で十分弱のところにあるデパートだ。先ほど彼女のアウトカメラに映った映像にも見覚えがあった。
     どうしよう。行ってみようか。人が飛び降りる瞬間なんて、めったに見られるものではない。その瞬間を目にすれば、自分の人生をもっと真剣に生きようと思えるだろうか。それとも、彼女を止め、ヒーローになれば、もっと自分に自信を持つことができるようになるだろうか。

     悩んでいる時間はない。自分でも何をしに行くつもりなのかは分からないが、配信動画をつけたままのスマートフォンをズボンのポケットに突っ込むと、玄関へと向かった。靴箱の上に置いてある自転車の鍵を掴み、扉を開けると、差し込んできた西日の強さに狼狽えた。そういえば、一週間以上外に出ていなかったような気がする。なるべく信号のない道を選んだが、少ない信号にことごとく引っかかった。

     久しぶりに訪れたエスペランサは、エレベーターの場所が分からず、エスカレーターを小走りで屋上に向かった。途中、横並びで立つカップルのせいで、彼らが目的の階に辿り着くまでの間はその後ろに立ち止まったまま登らなければならなかった。間に合わなかったらどうしてくれるんだと思ったが、声を掛けて追い越すことはしなかった。
     エスカレーターは最上階のフロアまでで、屋上までは階段で登らなければならない。小学生の頃、親に黙ってエスペランサの屋上で友人たちと集会を開いていたときのことを思い出す。確か、フロアの一番奥、旅行代理店の裏に階段があったような気がする。
     頼りない記憶をもとに階段まで辿り着くと、スマートフォンを取り出し、画面を確認する。時刻は五時五十八分、画面の中の彼女は先ほどと変わらない深刻さのない表情でなにか喋っている。ぎりぎり間に合ったようだ。

     スマートフォンを手に握ったまま屋上へと続く階段を駆け上がる。静かに扉を開けたが、彼女の姿は見当たらず、扉とは反対側へと回り込むと、強い西日に目が眩んだ。左手で庇を作ると、フェンスの向こうに影が動くのが分かった。あの女子高生がちょうど立ち上がったところだった。彼女が右手に持ったスマートフォンをフェンスの手摺りの上に置くのを見ると、僕も反射的に自分のスマートフォンの画面を見た。オレンジ色の空に、灰色がかった薄い雲がいくつか浮かんでいて、その雲の形は、今僕の真上にあるものと完全に一致していた。
     どうしよう、止めようかと、再び彼女の方へ目をやる。両手を広げた彼女の長い髪は風に靡き、真っ赤な西日に包まれたうしろ姿は黒い影となり、その輪郭は白い光で縁取られていた。その姿を美しいと思ったその瞬間、彼女の重心はゆっくり前に傾き、空中へとその体がふわりと投げ出された。
     先ほど見た美しいうしろ姿は、落下した彼女の体が再び浮き上がり、そのまま眩しい西日の中へと消えていくのではないかという幻想を僕に見せたが、現実の彼女の体は重力に従い、どこか遠くでなにか大きな音がしたような気配だけが僕の耳に届いた。

     僕は西側の出入り口を避けて駐輪場へ向かった。日はだいぶ傾き、西日の眩しさが僕の帰路を邪魔することはなかった。

     
     
    適応障害で休職過去3回/30代/夫と二人暮らし 綺麗事のない文章を。 ※当アカウントはAmazonアソシエイト・プログラムに参加しています。

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