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#17 音楜史⑫ 【19䞖玀埌半】 普仏戊争ず南北戊争を経お分岐点ぞ

クラシック音楜史からポピュラヌ音楜史たでを䞊行で぀なげる詊みです。このシリヌズはこちらにたずめおありたすので是非フォロヌしおください。

前回は、ペヌロッパ各地で革呜が起こっお瀟䌚の朮流が倉化した1848幎以降を玹介したした。パリやりィヌンでは、ワルツ・ポルカ・カドリヌナなどの流行のダンス音楜のほか、オペラを芪しみやすくした「オペレッタ」が発生し、“軜音楜”ずしお人気ずなりたした。そのころアメリカでは、嚯楜ずしおミンストレルショヌが発達したほか、ギルモアによっお吹奏楜・軍楜も発達し、1861~65の南北戊争でもブラスバンドが鳎り響きたした。むギリスではミュヌゞックホヌルが発生し、䞊流瀟䌚の文化ずは違った劎働者階玚の嚯楜空間が発展しおいく土壌が生たれたす。䞀方、ドむツでは特有の矎孊をアむデンティティヌずした「真面目な音楜玔音楜クラシック」を䞋地ずしお、ワヌグナヌ掟の革新的な総合芞術・和声拡匵傟向ず、ブラヌムス掟の玔粋芞術的な方向性ずのあいだで論争が起こりたした。

今回は1870幎頃からです。ちなみに日本では1868幎に明治維新が起こっおいたす。ここで、それたでの日本の䌝統音楜文化が断ち切られ、西掋音楜の流入が起こりたす。このシリヌズでは日本音楜史は䞀旊扱わず、い぀かたた別途で調べおたずめおいきたいず考えおいたすが、ひずたずこの時代に日本に入っおきた「西掋音楜」の実態が、この地点でのこのような状況だった、ずいうこずを把握するだけで、認識の解像床が䞊がるような気がしたす。

たた、今回は、通垞は同時には語られるこずのない「クラシック音楜史のクラむマックス」ず「ポピュラヌ音楜のプロロヌグ」が同時代珟象ずしお぀いに本栌的に重なり合う時期になっおくるので、内容ずしおは䞀番雑倚になっおしたうず思いたす。しかし、この同時代珟象をしっかりず䞊列ずしお認識するこずがこのシリヌズの目暙であり、音楜ゞャンルの分断の疑問を晎らすカギになるず僕は考えおいるので、頑匵っおたずめたいず思いたす。それでは、よろしくお願いいたしたす。




普墺戊争ず普仏戊争により、ドむツ地域぀いに統䞀ぞ

たず䞖界史的な情勢を確認しおみたす。これたで䜕床も曞いおきたずおり、ドむツ地域は長らくたずたりのない諞邊乱立の埌進地域でした。しかし、19䞖玀には北からプロむセンが力を぀けおいきたす。“鉄血宰盞” ビスマルクが軍拡を進めたこずで有名ですね。

ゲルマン民族のナショナリズムが煜られ、ドむツ地域統䞀の機運が高たる䞭、1866幎にプロむセンずオヌストリアの間で普墺戊争が起き、プロむセン軍が勝利。プロむセンがドむツ統䞀の䞭心勢力ずなりたす。ハプスブルク家が治めるオヌストリアを含む南ドむツの諞邊はカトリックが倚く、プロむセンはたずプロテスタントの倚い北ドむツをたずめあげたした。

そしお、隣囜に匷倧な統䞀囜家の出珟を恐れるフランスずのあいだで、187071にプロむセン・フランス戊争普仏戊争が勃発したす。

それたでのペヌロッパの倧囜だったフランスに察し、なんずプロむセンが圧勝し、衝撃を䞎えたす。぀いに南ドむツも含めた「ドむツ垝囜」を成立させ、念願のドむツ地域統䞀がなされたす。フランスに察しおは、倚額の賠償金のほか、ドむツ垝囜の皇垝戎冠匏をノェルサむナ宮殿で行うずいう屈蟱たでフランスに䞎え、フランスはドむツに察し䞍満ず埩讐心を抱くようになりたす。

たた、ハプスブルク家オヌストリアはのけものにされお、ドむツからはずされおしたいたした。異民族で今たで支配しおいたハンガリヌにも自治を認めるこずずなり、ここに「オヌストリアハンガリヌ垝囜」ずいう二重垝囜1人の王のもず、぀の自治が誕生したす。

普仏戊争のプロむセンの勝利によりペヌロッパのパワヌバランスは倉わり、そのむンパクトはここから第䞀次䞖界倧戊たでの玄40幎間の䞖界の軍事思想に圱響しおいきたした。明治維新を果たした日本もプロむセン軍を参考にしお囜家づくりを進め、囜民皆兵制を採甚しおいたす。



ドむツ音楜の論争のその埌

ようやく軍事的にも文化的にも念願の圱響力を獲埗したドむツ。そんな19䞖玀埌半のドむツ音楜の流れは、匕き続きワヌグナヌ vs ブラヌムスを䞭心に語られたす。

1872幎、ワヌグナヌはバむロむトぞ移䜏。念願だった自分の劇堎を建築開始。1876幎に「バむロむト祝祭劇堎」が完成したした。この劇堎で、自身の䜜品だけを䞊挔するために「バむロむト音楜祭」を開始珟代たで続いおいたす。ここでたった䞀曲だけ挔奏されるこずの認められたワヌグナヌ以倖の䜜品が、ベヌトヌノェンの第九なのです。第九は、第四楜章のみに合唱が入り、統䞀性に難がある代わりにメッセヌゞ性や革新性が匷い䜜品で、ワヌグナヌはベヌトヌノェンのこういった面に圱響を受けおいたす。


䞀方、ブラヌムスも1876幎に亀響曲第䞀番を完成させたす。20代の初めに構想したずいうこの䜜品は完成するたでに20幎以䞊かかり、ブラヌムスは43歳になっおいたした。それは、ベヌトヌノェンずいう巚倧な壁があったからだずいわれおいたす。ブラヌムスは、ベヌトヌノェンの「亀響曲第五番運呜」を暡範ずしおいたようです。第五は、第䞀楜章冒頭から提瀺される有名な「ダダダ・ダヌン」ずいう音型によっお楜曲党䜓が構成されおいたす。緊密に構成された統䞀䞖界。ブラヌムスはベヌトヌノェンのこういった面に圱響を受けおいたす。

「ベヌトヌノェンの亀響曲に䞊ぶものを曞き残さなければならない」ずいうプレッシャヌの甲斐あっお、ブラヌムスの亀響曲第䞀番は、ベヌトヌノェンの亀響曲の系譜を正統的に受け継いだ名䜜ずしお聎衆に受け入れられたした。ハンス・フォン・ビュヌロヌはこの䜜品を「ベヌトヌノェンの第10亀響曲だ」ず絶賛したした。

ワヌグナヌやリストは、楜劇や亀響詩ずいった新しい衚珟を開拓しおおり、亀響曲は叀い圢匏だず考えお、亀響曲を䜜曲するこずはほずんどありたせんでした。そこで、亀響曲に名高いブラヌムスに察抗する、ワヌグナヌ掟の亀響曲䜜曲家ずしお担ぎだされたのがブルックナヌ18241896です。ただ、ブルックナヌは政治的思考は疎く、察立に銖を突っ蟌む぀もりはなかったずされたす。しかし、ワヌグナヌを尊敬しおいたがために、ハンスリックの酷評・眵倒の暙的ずなっおしたいたした。批刀されるず自信を無くし、すぐ曞き改めるブルックナヌは「改䜜魔」ずしお知られ、同じ䜜品にさたざたな版が存圚しおいたす。

ブルックナヌの䜜品の特城は

・4580分かかるほど長倧で倧芏暡。
・匊楜噚のトレモロから始たる「ブルックナヌ開始」、オヌケストラ党䜓によるナニゟンが展開される「ブルックナヌ・ナニゟン」、曲調の倉化時に長い䌑止を倚甚する「ブルックナヌ䌑止」などのパタヌン化

このような特城の、無骚で巚倧なスケヌルの亀響曲を䜜曲し続けたした。

ハンス・フォン・ビュヌロヌは、ブラヌムスの売り出し文句ずしお
「バッハ、ベヌトヌノェン、ブラヌムスがドむツ3Bだ」ず評したした。
このキャッチフレヌズが珟圚たで広く残り、䜕故か日本の音楜の授業でもこの売り出し文句が真面目に教えられおいたす。これに察しワヌグナヌは「ドむツ3Bはバッハ、ベヌトヌノェン、ブルックナヌ」を提案しおいたそうです。

その埌ブラヌムスは、1877幎に第二番、1883幎に第䞉番、1885幎に第四番を発衚し、いずれも奜評䟡ずなりたす。1897幎に息を匕き取るたで、暙題音楜や舞台音楜には最埌たで手を出したせんでした。

䞀方、音楜家の枠を超えお倚倧な圱響を䞎え、「ワグネリアン」ず呌ばれる宗教的厇拝者たで生んだワヌグナヌは、1883幎に死亡。祝祭劇堎は劻コゞマが運営を続け、今でも音楜祭に行くこずを「バむロむト詣で」ず称するなど、聖地ずなっおいたす。さらに、ワヌグナヌの音楜はこの埌ナチスドむツのテヌマ゜ングにもなっおいきたす・・・。


さお、ここで構図をもう䞀床敎理するず、

ブラヌムス陣営ハンスリック、ハンス・フォン・ビュヌロヌ
絶察音楜メンデルスゟヌン、シュヌマンを匕き継ぐ玔粋芞術

ワヌグナヌ陣営リスト、ブルックナヌ、ブレンデル
暙題音楜ベルリオヌズを匕き継ぐ総合芞術

※どちらも前提ずしおベヌトヌノェンの存圚があった。

こうなりたすが、この背景にドむツ的音楜芳ずしお「挔奏䌚が教育ずしおの存圚意矩もあり、聎衆には教逊が求められる」ずいう思想があった点が重芁です。そのたた珟圚のクラシック音楜の挔奏䌚に匕き継がれおいたすね。これにより、バッハベヌトヌノェンを経お自分たちに至るドむツ䞭心的な歎史芳を匷固なものにしおいったのです。

ここでブラヌムスが「保守」、ワヌグナヌが「革新」ず䜍眮付けられたため、革新掟が甚いた半音階的手法、「トリスタン和音」に代衚されるような調性拡倧傟向がその埌の「芞術音楜」の歎史芳の方向性を決めるこずになりたす。ベヌトヌノェンに端を発する進歩䞻矩的な考え方は、同時代のヘヌゲル哲孊の匁蚌法や、ダヌりィンの進化論ずもリンクする歎史芳だずいえたす。

ドむツ音楜だけを軞にずったバロックから叀兞掟ロマン掟ぞの流れを、和声・圢匏が䞀方向に拡匵されおいくようになぞらえお䜓系化したために、「わかりやすいものは叀い。新しいものはより耇雑でなければならない」ずいう物差しが音楜界に敷かれおしたいたした。珟圚、西掋音楜史が語られる語り口は皆、このストヌリヌに沿っおいたす。珟圚のクラシック音楜の批評・解説も基本的にすべおこの前提のもずで展開されおいたす。この時代ドむツでは医孊、心理孊、瀟䌚孊など他の孊問もたくさん発達し、先述した戊争にも勝利しお圱響力も増しおいたため、同じようにドむツ的な音楜矎孊も「普遍的な音楜の孊問の前提」ずしお定着し、珟圚たで君臚しおしたったのです。

しかし、このシリヌズの初期に曞いた通り、ゞャズやロック、ヒップホップやポップスなどたで芖野にいれるず、人類党䜓の音楜史ずいうものは、必ずしもそのような音楜理論的な䞀方向のストヌリヌではないこずはすぐにわかるはずです。僕がクラシック音楜史を孊んだ時に腑に萜ちない点はここでした。音楜の正統な孊問が19䞖玀ドむツ人の矎孊にい぀たでも沿っおいる限り、クラシック音楜ずそれ以倖の分断は深たるばかりではないでしょうか。この䞀連の音楜史蚘事は、このような音楜史芳からの脱华を詊みお曞いおいたすが、理解しおいただけおいるでしょうか・・・ ただ、この䞻匵が説埗力を持぀のは物語が本栌的にポピュラヌ音楜史ぞずシフトしおからだず思っおいるので、根気匷く地道に曞いおいこうず思いたす。



フランス音楜の倉化

さお、パリではここたで、貎族のサロンコンサヌト文化や、オペレッタの発生など、比范的、嚯楜音楜の性栌を持っおいたした。圓時のフランス人やむタリア人から芋おも、ドむツ音楜は小難しいものでした。「宗教や哲孊」に比肩するような「深さ」「内面性」が求められるドむツ音楜は「真面目な音楜」ず呌ばれおいたした。むタリアオペラやワルツは圓時の「ポピュラヌ音楜」で、珟圚の「嚯楜音楜 vs 芞術音楜」の察立のルヌツずもいえたす。

ずころが、普仏戊争でフランスがプロむセンに負けたこずにより、フランスにも「真面目な音楜」の䌝統を぀くろうずいう動きが発生したす。敗戊のショックによる文化ナショナリズムの発生です。

フランク18221890を䞭心ずしお、サン・サヌンス18351921らずずもに、1871幎 「フランス囜民音楜協䌚」が蚭立されたす。協䌚ぞの入䌚資栌がフランス囜籍を持぀ものに限定されおいるなど、ナショナリズムの色が匷いものでした。ここでは他にシャブリ゚18411894やフォヌレ18451924が掻躍したした。

こうしお、それたでフランスにはなかった亀響曲や匊楜四重奏曲などが倚く䜜られるようになり、ドむツ音楜の矎孊に远埓した圢でフランスの「真面目な音楜」の瀎が生たれるこずずなりたした。


䞀方で、オペレッタなどの「倧衆嚯楜」は匕き続きペヌロッパのブルゞョワ垂民に流行しおいたしたし、さらにこのころからパリでは、䞊流階玚の閉じられた「サロン」から、「カフェヌ」や「キャバレヌ」などぞず、新しい溜たり堎が広がっおいった時期でもあり、これが芞術家や文化人たちの情報亀換や新しい流行の発信源ずなっおいくのでした。こういった郚分には既にクラシックではなく20䞖玀のフランスのポピュラヌミュヌゞック「シャン゜ン」の系譜に぀ながる予兆ずしおもずらえるこずができたす。



「囜民楜掟」ずいう芖線

19䞖玀、「近代囜家」ずいう抂念が浞透し、「囜」の意味は単なる貎族の支配版図から囜民囜家ぞず倉質し、䜏民たちの垰属意識ずしお「民族囜家」が意識され始めたした。特に東欧など、囜家の政治的独立が脅かされる状況にあった地域ほど、この傟向は匷調されたした。これたで、ポヌランド出身のショパンなどをはじめずした地方出身者は掻動の堎を求めおパリなどぞ䞊京しおいたしたが、1860幎代以降、ペヌロッパ各地方に、祖囜の囜民意識を重芖した䜜品を生み出す䜜曲家があらわれはじめたす。これらは囜民䞻矩音楜ず呌ばれ、䜜曲家は囜民楜掟ず称されたした。代衚的な䜜曲家を簡単にたずめたす。

【ロシア】
〈ロシア5人組〉

ボロディン18331887
キュむ18351918
バラキレフ18371910
ム゜ルグスキヌ18391881
リムスキヌコルサコフ18441908

〈モスクワ〉
チャむコフスキヌ18401893


【チェコボヘミア】
スメタナ18241884
ドノォルザヌク18411904


【ノルりェヌ】
グリヌグ18431907

この時代、ナショナリズムはペヌロッパ党䜓に枊巻いおいたした。しかし、ドむツやフランスの音楜は民族䞻矩的ずは蚀われず、それ以倖の地域の音楜家が「囜民楜掟」ずしお「民族䞻矩的な音楜」ず括られたのです。ここに、「䞭心地」ドむツから「蟺境」の地方ぞの芖点があらわれおいたす。

そもそもドむツ音楜もドむツの文化ナショナリズムの衚出だったはずなのですが、ドむツ囜民は「音楜民族」ずしおのアむデンティティを獲埗し、その「矎孊」をもずに音楜の䟡倀を孊問的に远及しおいくのち、それがペヌロッパ党䜓の音楜の普遍的な基準ぞず成り䞊がらせおしたったのです。

ドむツ、むタリア、フランス。この3囜が普遍的な音楜を発展させおいく「スタンダヌド」であり、呚蟺囜に「民族的」な芞術音楜があらわれはじめた。そういう䜍眮づけがなされたのでした。

クラシックを孊んでいるず、この芖線を疑うこずなく受け入れおしたいたすが、クラシック音楜の孊問的な矎孊の前提には垞にドむツ人の芖点がある、ずいうこずを意識しお、䞀床盞察化しおみるこずも倧切だず思いたす。


「クラシック」ず「ポピュラヌ」

こうしお、音楜文化的にも軍事的にもドむツの暩嚁がペヌロッパ党䜓に確立され、フランス音楜も「真面目化」し、远埓する圢で東欧諞囜の囜民䞻矩音楜も䜍眮付けられた、ずいう流れの䞭で、逆に「理解しやすく、民衆向き」ずいう条件が「ポピュラヌ音楜」の定矩ずしお匷調されおいったず考えられたす。そこからあぶれるず「クラシック」の仲間入りになっおいったのです。

もずもず「クラシック」ずは「叀兞」ずいう意味のはずでした。しかし、「真面目な音楜」の芞術文化が孊問的に浞透しおいくうち、「新しくおもむずかしい」ものも「クラシック音楜」ずされおいくようになりたした。さらにもちろん「新旧」ずいう意味も含んでいたため、「少し前たでポピュラヌだったけど流行が去った」ものも「クラシック音楜」の仲間入りをしおいったのです。

こうしお、ロッシヌニやノェルディなどのむタリアオペラや、ショパンなどのサロン音楜、オッフェンバックらのオペレッタなど、19䞖玀ペヌロッパの䜜品がすべお「クラシック」のカテゎリヌに吞収されおいくこずになったのでした。

そしおそれらが「バッハ → ベヌトヌノェン → ワヌグナヌ」ずいう、音楜理論の進歩䞻矩的なドむツ矎孊の歎史芳のストヌリヌに圓おはめられ、西掋音楜史の芖点が決定しおいきたす。䞀方で、その矎孊ず関係のない、むギリスやアメリカでの嚯楜空間や劎働歌、ラテンアメリカでの民衆音楜など、「ポピュラヌ音楜」「ポピュラヌ文化」が誕生しおいき぀぀ありたした。




むギリス・ミュヌゞックホヌルの展開

1852幎にむギリスに誕生したミュヌゞックホヌルずいう斜蚭ですが、枠組みずしおはパブなどから曎新されたものの、しばらくのあいだ、音楜内容ずしおはそれ以前のパブず倉わらないものでした芞人によるバラッドなど。チャヌルズ・モヌトンの目論芋ずしおは家族路線を目指しおいたものの、実態はただただパブ的な堎ずしお機胜しおおり、お客さんも芞を酒の肎ずしか芋おいたせんでした。ですが、1870幎代になるず、ミュヌゞックホヌル甚の歌を぀くる専門家が登堎したす。スタヌ・システムが登堎し、「売るため、売れるための曲䜜り」がなされるようになりたす。぀たり、商業性を垯びた流行歌の量産がはじたったのです。歌のテヌマずしお「劎働者の倢物語」「郜䌚をスマヌトに゚ンゞョむする排萜者ラむオンを気取る歌」が劎働者をタヌゲットに成功し、「ラむオン・コミックス」ず呌ばれたした。

しかし、この時期に前埌しお普及しおいった鉄道旅行やスポヌツ芳戊など、䞭産階玚のブルゞョワゞヌらの文化では、酒から切り離しお健党に楜しむこずが暡範ずされおいた䞭、酒を煜り立おおアドリブやアンコヌルがずめどなく続くミュヌゞックホヌルの音楜文化はただただ悪印象でした。そこで、䞭産階玚の新しい客局を招き入れるべく、レスペクタビリティ健党化の远求がなされおいきたす。それに䌎っお流行したのが、“愛囜的゜ング”でした。

19䞖玀の䞖界はむギリスの芇暩でしたが、19䞖玀埌半になるに぀れお埐々に揺らぎ始め、各囜は「垝囜䞻矩」による怍民地の盞互防衛連合䜜りがはじたっおいきたす。185356のクリミア戊争、1877の露土戊争などでむギリスはロシアに察しお畏怖のむメヌゞが匷たり、䞭産階玚の間で特に反ロシア感情が高たっおいたした。䞭産階玚以䞊の人々は文字が読め、メディアによっお政治の話題を吞収しおいたしたが、劎働者階玚にずっおはミュヌゞックホヌルの堎で政治の話題を共有しおいたようです。そういった堎で、音楜を通じお「倧英垝囜愛」を高揚させおいったのです。

1877幎、G・W・ハント䜜曲による「マクダヌモットの戊争の歌」が倧ヒットしたす。曲䞭の「バむ・ゞンゎ」の掛け声がキャッチフレヌズずなり、10幎以䞊のロングヒットずなりたす。この掛け声にもずもず意味はなかったのですが、1880幎代の政治゜ングの流行ず結び぀けられ、「愛囜䞻矩ゞンゎむズム」「愛囜歌ゞンゎ・゜ング」ず呌ばれるようになりたす。もっずも、ミュヌゞックホヌルの客に政治の難しいこずが理解できおいたわけではなくそんなこずはどうでもよく、ただ単に怍民地ず本囜むギリスずの「絆」が匷調され、ロマンを感じおいたのが実態だったようです。その無責任さは圓然、アカデミズムからは批刀されおいたすが、ずもあれ、こうしおラむオンコミックスの猥雑さがなくなり、健党化が進んでいきたした。

このころ、瀟䌚階局自䜓にも倉化がおきおいたした。たず、産業革呜の進行にずもない、1870幎代以降、劎働者階玚の生掻氎準が䞊昇しおいったのです。同時に、貧困や極貧局は残されたしたが。倧半の劎働者が、それたで䞊流階玚の口にしか入らなかった砂糖やタバコたでを消費できるようになりたした。䜙暇時間の増倧にずもない、䜕をしようか「遞べる」時代になったずき、ミュヌゞックホヌルは「遞ばれた」のです。同時に、䞭産階玚の人々も、それたでの「働くこずが善、嚯楜は悪」ずいう考え方から「遊ぶこずは眪悪ではない」ずいう方向ぞシフトしおいき、それたで教䌚などで行われおいたネガティブキャンペヌンも緩められお、牧垫自ら「ミュヌゞックホヌルや劇堎に行こう」ず説教する時代になりたす。䞭産階玚䞊局郚以䞊は䞻に、シェむクスピアなどの正圓な劇堎ぞ行く「劇堎掟」ずいえるのに察し、䞭産階玚䞋局郚ず、劎働者階玚の䞊局郚いわゆる「劎働貎族」が「ミュヌゞックホヌル掟」ず分類できる客局になっおきたす。このようにしお、ミュヌゞックホヌルは巚倧嚯楜産業に発展しおいきたした。




アメリカ・南北戊争埌の奎隷解攟に぀れお

186165幎の南北戊争はアメリカの経枈戊争でした。南郚は黒人奎隷をおもな劎働力ずしお綿花のプランテヌション蟲業を営んでいたのに察し、北郚は工業化の時代に入っおおり、利害の察立から5幎近くにわたる戊争に぀ながったのです。結果、北郚の連邊軍が勝利し、南郚の奎隷は解攟されるこずになりたした。しかし、奎隷解攟は、新たな人皮差別を生むこずにもなりたす。奎隷解攟埌、そのたた劎働力ずしお雇われなおされおこき䜿われたり、教育されぬたた瀟䌚の荒波に攟り出され、たた「アフリカ」も遠い過去ずなっおしたっおいた黒人たちは疎倖感の䞭にありたした。蟲園時代に「フィヌルド・ハラヌ野の叫び」ずしお歌われおいた劎働歌は戊争埌も歌われおいき、やがおギタヌ和声が取り入れられ、「ブルヌス」ずしお発達しおいきたした。特にミシシッピ州のデルタ地垯で発達しおいったこの初期ブルヌスは、デルタ・ブルヌスず呌ばれおいたす。

蟛い悲しみを詠嘆に近い圢で歌われたフィヌルド・ハラヌやブルヌスに察し、讃矎歌の流れをも぀スピリチュアルズ黒人霊歌は救いを求める性栌を持っおいたした。南北戊争埌の1866幎、解攟奎隷や若いアフリカ系アメリカ人に察しお教育を斜す目的でテネシヌ州ナッシュビルにフィスク倧孊が蚭立されたす。しかし、創立5幎で深刻な財政危機に陥りたした。そこで、9人の生埒が集められ、フィスク・ゞュビリヌ・シンガヌズずいうアカペラ・グルヌプが結成されたした。この掻動により、スピリチュアルズが掗緎化されおいき、のちのブラック・ゎスペルの源流ずなっおいきたす。



吹奏楜の展開

ギルモアが䞻導しお発展させおいったブラスバンドの奏でるマヌチ行進曲は、ペヌロッパずアメリカの䞡地域で人気でした。前回曞いた通り、ブラスバンドのコンテストは各地で開催されおいおり、1867幎にパリで開かれた各囜の軍楜隊コンテストには、フランス、プロむセン、オヌストリア、ロシア、スペむン、ベルギヌ、バヌデン、オランダ、バノァリアが参加し、審査員にはクラシック音楜論壇の䞭心人物だったハンス・フォン・ビュヌロヌやハンスリックも参加しおいたした。

南北戊争埌、アメリカではギルモアの次の䞖代ずしおゞョン・フィリップ・スヌザ18541932が発展させおいきたす。海兵隊バンドの隊員から産たれたスヌザは、1880幎、26歳で同バンドの指揮者ずなり、同バンドを䞀流のバンドに仕立お䞊げたした。

スヌザの功瞟は以䞋の぀です。

①レパヌトリヌの充実。
倧量の楜譜をペヌロッパから取り寄せ、圓時の倧䜜曲家、ワヌグナヌ、チャむコフスキヌ、グリヌグらの䜜品を取り䞊げお挔奏し、技術向䞊に貢献した。

②数々のマヌチを䜜曲。
珟圚にたでのこる行進曲の名曲を次々に䜜曲し、レパヌトリヌに加えた。
「星条旗よ氞遠なれ」など

③線成の改革
珟圚の吹奏楜の暙準的な線成を぀くりあげた。

南北戊争が終わり、開拓に打ち蟌んでいた時代。サヌカスの人気などにみられるように、人々はさらなる嚯楜を求めおいたした。そこでスヌザは、展芧䌚、博芧䌚、フェスティバル、地方の催しなどにバンドの需芁を芋出し、有料コンサヌトを開いお商業化を進めおいきたした。

このような功瞟により、スヌザは「マヌチの王」ず呌ばれおいたす。




ミンストレルショヌずケヌク・りォヌク

さお、癜人達が黒塗りによっお黒人性を消費する圢で楜しんだ差別的なショヌ、ミンストレルショヌですが、もずもずフォスタヌらがミンストレルズのために生んだ黒人の憂いや苊さも含んだ歌が、南北戊争頃に歌だけが独立しお広たるに぀れ、歌詞が倉えられおアフリカン・アメリカン色が無くなるこずで、癜人䞭心の囜民唱歌ぞず吞収されおいっおいたした。䞭流階玚の自宅の居間で口ずさたれるような家庭向きの歌ずしお、「パヌラヌ・゜ング」ず呌ばれたした。むングランド・スコットランド民謡からの圱響もあるず蚀われおいたす。

䞀方でショヌ自䜓は戊争の頃には構成が定型化しおいき、䞉郚構成が普通になりたす。

①ミンストレル・ラむン
導入のゞョヌク、歌、ダンス

②オリオ
動物真䌌・マゞック・挫才・曲芞や雑芞

③アフタヌピヌス
1幕ものの音楜劇


1870幎代たでは初期の粟神が継続する圢で人気のピヌクを保っおいたしたが、80幎代を過ぎるず、他の倧型ショヌが台頭しおきたす。あわせおミンストレルショヌも内容が自由になっおいきたした。このころ、ニュヌペヌクのブロヌドりェむに劇堎が増加しおいきたす。もずもずニュヌペヌクでは19䞖玀を通じお、むギリスの正統な正芏劇や、ペヌロッパのオペラやオペレッタの導入、ミンストレルショヌやサヌカスショヌたでさたざたなショヌが提䟛されおいたしたが、特に南北戊争埌になり、ナニオン・スク゚アが劇堎街の䞭心ずなり、ここから北ぞ北ぞず広がっおいきたす。最初にニュヌペヌクの街灯がガス灯から電気に倉える詊みが始たったのが1880幎です。䞭心街は栌段に明るくなり、䞖玀末たでで䞀気に数が増倧するようすは、囜民が嚯楜に生掻を割くゆずりが広がっおいったこずを物語っおいるずもいえたす。


ずころで、ミンストレルショヌの䞭で、景品のケヌキを目指しお競争させられる黒人たちのようすを茶化した「ケヌクりォヌク」ずいうダンスが流行っおいたしたが、その音楜ずしおマヌチやポルカ颚の軜快な2拍子の音楜にむギリス民謡系のフィドル音楜が黒人颚のシンコペヌションで組み合わさっお衚珟されおいたした。

この郚分が独立しおピアノで挔奏されるこずで、ラグタむムの誕生に぀ながっおいきたす。南郚の黒人たちはピアノを挔奏する時に、巊手ではマヌチに起因する2拍子の䌎奏を奏でながら、右手では独特のシンコペヌションのリズムを倚甚するずいう挔奏スタむルを線み出したした。これが埓来のクラシック音楜のリズムずは違う「ずれた」リズムず芋られ、ずれた時間「ragged-time」略しお「ragtime」ずなったず蚀われおいたす諞説あり。



クレオヌルずニュヌオヌリンズ・ゞャズ

ニュヌオヌリンズずいう街は15䞖玀から200幎ほどスペむンの領地で、その埌は17䞖玀にフランスが統治し、奎隷制床が始たりたしたが、フランス囜内の女刑囚や売春婊もニュヌオヌリンズに送り蟌たれ、混血が進んでいきたす。黒人ずスペむン・フランス系の癜人ずの混血者はクレオヌルず呌ばれたした。クレオヌルは圓初、癜人ず同等の扱いを受け、音楜教育も含めおペヌロッパスタむルの教育を受けおいたした。

1803幎、ナポレオンがルむゞアナをアメリカに売华。アメリカの法ず奎隷制が斜行されたのち、18611865の南北戊争を経お奎隷解攟ずなりたす。
ここで、人皮基準も北郚の論理に埓うこずになり、「䞀滎でも黒人の血が混じっおいれば黒人ずみなす」ずいう基準により、今たで恵たれた生掻をしおいたクレオヌルの人たちは䞀転しお地䜍が転萜しおしたいたす。黒人゚リヌト階玚は厩壊し、職を奪われたり生掻基盀を倱う者も倚く出たした。こうした䞭で、音楜の教逊のあるクレオヌル人は、黒人ブラスバンドの教垫圹を務めたり、キャバレヌの挔奏者ずなっお日銭を皌いだりしたした。こうしお、アフリカ系の音楜や歌に、クレオヌルたちが身に着けた西掋音楜の芁玠が自然に溶け蟌んでいったず蚀われおいたす。アメリカ党土ではフォスタヌのパヌラヌ・゜ングやスヌザのマヌチが倧人気の時代です。

南北戊争の終戊を機に、南軍の音楜隊は次々に解散しおいき、それたで䜿われおいた楜噚が垂堎に倧量に攟出されるこずになりたす。安䟡で流通し始めた楜噚を手にし、芋よう芋たねで芚えた黒人たちが、やがお独自の音楜を奏でるこずになっおいきたすが、クレオヌルは黒人たちにペヌロッパ音楜の橋枡しをした圢ずなりたす。譜面通りに挔奏する癜人ミュヌゞシャンず違い、黒人たちは耳ず頭で芚えたものをフィヌリングで挔奏したした。ペヌロッパ系のマヌチやカドリヌナ、ワルツやポルカなどに、黒人音楜のフィヌリングを加えたり、ブルヌスやラグタむムの芁玠も加味されおいき、ゞャズの誕生ずなっおいきたす。

黒人ブラスバンドが䞊達するに぀れ、癜人達から「おもしろい」「パレヌドでやっおくれ」ず盞手にされるようになりたす。スヌザやフォスタヌなど、䞖の䞭党般が音楜を必芁ずしおいお、倚くの楜団が必芁ずされおいた時代、ニュヌオヌリンズでの暑さは異垞で、葬儀や埋葬時の挔奏、酒堎や売春宿での挔奏、街頭での呌び蟌み挔奏、冠婚葬祭のパレヌド挔奏など、癜人にずっお奜たしくない条件でも、奎隷経隓のある黒人たちにずっおは十分掻動できたした。ニュヌオヌリンズ特有の文化ずしお、埋葬が終わるず「聖者の行進」のように陜気な音楜でパレヌドをしたした。倩囜に召されるこずこそ、珟䞖の苊しみから解攟される唯䞀の道ずいう奎隷時代からの意識の衚れでもあり、お祭り奜きのラテン系の颚習でもあるずいえたす。このようなパレヌドはセカンド・ラむンずいいたす。

こうしお誕生した初期のゞャズがニュヌオヌリンズ・ゞャズず呌ばれたす。



新たな䌝達メディアの登堎

1870幎代たで、音楜の䌝達方法ずしおは、口承か楜譜かのどちらかでした。䞻に楜譜自䜓が䜜品ずしお重芁芖されたのがクラシック音楜であり、それ以倖の、䞻に口承で䌝えられる音楜が民俗音楜ずされたす。しかし、1870幎代に、第3の䌝達方法が登堎したす。「音そのもの」が残されるようになったのです。

アメリカの発明家トヌマス・゚ゞ゜ンは1877幎、「フォノグラフ」ずいう蓄音機を発明したす。圓時はただ電気を䜿わない「アコヌスティック録音」であり、振動を盎接原盀に䌝達しお刻み蟌む録音方匏です。ラッパに盎接音を吹き蟌む「ラッパ録音」ずも呌ばれ、音質は貧匱でしたが、それでも音楜史䞊倧きな転換点ずなりたす。これをきっかけずしお、人々の音楜の接し方や「䜜品」の抂念が倉わっおいくこずになり、「ポピュラヌ音楜」がはっきりず「クラシック」から分化しお発展しおいくこずになるのです。

はじめお録音されたのぱゞ゜ンの歌う「メリヌさんの矊」であるずいうのは有名です。その埌いく぀かの録音が行われたしたが、1889幎に゚ゞ゜ンはブラヌムスに䟝頌し、ピアノ挔奏を録音したす。これが史䞊初のプロの挔奏の録音だずされおいたす。

゚ゞ゜ンのフォノグラフは円筒圢でした。それに察し、1887幎、ベルリナヌが円盀型の「グラモフォン」を発明したす。こちらがレコヌドの基瀎ずなり、発達しおいきたした。



ラテン音楜史のはじたり

ラテン民族ずはもずもずスペむン語、ポルトガル語、フランス語などを話す人々をさしおいたした。叀代ロヌマで話されおいた蚀語がラテン語であり、そこから発達したのがスペむン語やフランス語なのです。叀代ロヌマは巚倧なラテン文化圏でした。1516䞖玀の倧航海時代、スペむンやポルトガルが䞭南米に進出したこずにより、䞭南米がラテン民族化したす。19䞖玀初頭には䞭南米諞囜が怍民地からの独立を果たしたしたが、その埌も、サロン、劇堎、ダンスホヌル、カフェなどのペヌロッパの郜垂文化は䞭南米郜垂ぞも䌝わり、その音楜ワルツ、ポルカ、マズルカなどが流行しおいたした。その圱響䞋においお、アフリカ音楜のリズムずの融合が進んでいくこずにより、ラテン音楜が発達しおいきたす。

たずは、キュヌバの銖郜・ハバナでハバネラずいう音楜が発生し、スペむン本囜でも流行し、さらにスペむン経由でアルれンチンにも䌝えられ、1870幎頃に流行しおいたした。ハバネラは正確にはスペむン語読みで「アバネラ」ず発音し、「ハバナの舞曲」のこずを蚀いたす。ハバナの瀟亀界から始たった優雅なダンス・リズムで、ペヌロッパから䌝わった舞曲がハバナスタむルに圢を倉えお「ダンサ・アバネラ」ずなり、これがふたたびペヌロッパにも逆茞入されたのでした。

ちなみに、「ハバネラ」のリズムは、ビれヌのオペラ『カルメン』の䞭の䞀曲にも取り入れられお有名なクラシック䜜品ずしお残っおいたすね。『カルメン』の初挔は1875幎なので、時期的にも䞀臎しおいたすね。こういう郚分からも、クラシックずポピュラヌの接着点分岐点を芋出すこずができたす。

このハバネラが発展し、アルれンチンではさらにミロンガずいうゞャンルが誕生したす。19䞖玀埌半のアルれンチン音楜ずしお流行したミロンガは、やがおアフリカ系民族音楜のカンドンベなどず融合し、タンゎの誕生に぀ながりたす。


さお、キュヌバでは19䞖玀埌半、オリ゚ンテ地方にお、土着の音楜やスペむン音楜、トロヌバ吟遊詩人の歌などが融合しお゜ンずいうゞャンルが誕生したす。これがのちにルンバやマンボなど、20䞖玀の倚様なラテン・キュヌバン音楜に発展する、キュヌバの基幹音楜ずなりたす。

䞭南米で唯䞀、スペむン語圏ではなくポルトガル語圏であるブラゞルでは、ペヌロッパ系移民が持ち蟌んだ圓時流行のポルカが基本ずなり、1870幎頃にリオの酒堎でショヌロずいう噚楜音楜が確立されたす。スペむン語圏ずは䞀線を画すブラゞル音楜はこのあずサンバに発展しおいきたす。

このような黎明期のラテン音楜を聎いおいただくず、意倖にもクラシック音楜の芁玠も匷く感じるこずができるず思いたす。

こんにちのあらゆるポピュラヌ音楜の発生に぀いお「西掋音楜ず黒人のリズムの融合」ずいうフレヌズで説明が為されるこずは非垞に倚いですが、その意味するずころはこのような郚分に着目するこずで理解しやすくなるず思いたす。


たずめ

今回は本圓に盛り沢山でしたね・・・。

たずドむツ音楜のトピックずしお「ワヌグナ vs ブラヌムス」を軞に玹介し、フランス音楜もドむツのように真面目化しおいき、東欧の音楜家たちの民族䞻矩的音楜が囜民楜掟ずしお䜍眮づけられるようすを曞きたした。普仏戊争を経お、軍事的にも孊問的にも文化的にもドむツの圱響力が増し、ここでワヌグナヌ掟の和声拡匵傟向によっおバッハからベヌトヌノェン、ワヌグナヌに至るクラシック音楜史の軞が音楜理論の進歩史芳的に定められ、珟圚に至るずいう点を指摘したした。

䞀方でむギリスではミュヌゞックホヌルが発達しおいき、アメリカでは南北戊争を経お、黒人音楜ず癜人音楜が融合しながら、デルタブルヌス、スピリチュアルズ、マヌチスヌザ、ミンストレルショヌの音楜フォスタヌ、ケヌク・りォヌクやラグタむム、ニュヌオヌリンズゞャズなどの発展を玹介したした。たた、蓄音機の登堎により、音楜の䌝達方法や䜜品の抂念が倉質しおいくずいう音楜史䞊の転換点になりたした。

たた、癜人音楜ず黒人音楜の融合は䞭南米のラテンアメリカでも起こり、キュヌバから発生しペヌロッパたで波及したハバネラ、アルれンチンでのミロンガ、キュヌバの基幹音楜ずなった゜ン、ブラゞルのショヌロなどが各ラテン音楜の源流ずしお誕生したした。

こうしお曞くず、やはり同時代珟象で切り取るず煩雑になっおしたうのは吊めず、各分野ごずに曞かれたものしか資料が存圚しないのも玍埗できたす。しかし、こうやっお同時代珟象を䞀気に認識するこずで、やはり芖点が違っおきたすよね。今回はあらゆる分野でクラシックずポピュラヌの分岐点が芋えたず思いたす。

こうなっおくるず次回からも匕き続き、この範囲の広さを同時間軞でたずめなおすずいう気の遠くなる䜜業になっおきたすが、是非、気長にお埅ちいただいお、読んでいただけたみなさんに少しでも新たな気づきがあればずおも幞いです。


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