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わたしの読書すごろく

    はじまりの書📗①あしたから出版社(島田潤一郎 著)

    最近ひとり出版社という言葉をよく耳にするようになった。きっかけは同じくひとり出版社の秋月圓。”シリーズ人間” の創刊がきっかけで『夏葉社日記』を知り読んでみようとしたところ、その「夏葉社」の創設について書かれた『あしたから出版社』という本があることを知り、先にこちらを読むことにした。
    ひとりの青年の青春期の煩悶を綴った日記のようなものをイメージしていたが、本そのものの概念が変わるような内容だった。

    島田さんは元々は読書家ではなかったそうだ。
    そして出版社に勤めていた頃は、編集者ではなく営業担当だったらしい。
    一般的なイメージと違うようだが、読み進めるうちそれが思い違いであることがわかる。
    本に対する思いは人一倍強く、その熱に押されるように創刊第一号の「レンブラントの帽子」が猛烈に読みたくなった。

    もつれた糸を解いて結び直す、帽子の話📗②レンブラントの帽子(バーナード・マラマッド 著)訳=小島信夫・浜本武雄・井上謙治


    バーナード・マラマッドのことをこのとき初めて知った。
    まずレンブラントという冠に惹かれた。レンブラントとはあの画家のレンブラントだろうか。
    インターネットで探してもなかなか見つからなかったが、図書館に行くとその日のうちに手に入った。奥付けを見ると初版第一刷とあった。
    業界でかなり話題になったと頭木かしらぎ弘樹さんの解説にあったから、図書館でも蔵書候補の筆頭に挙げられていたのかもしれない。
    2010年5月25日。出版された日付にこんなに意味を感じたのは初めてだ。

    1973年にニューヨークで出版された八つの短編集。
    1975年には日本でも翻訳版が出版された。
    復刻版ではここから三つが抜粋された。和田誠さんの手によるレンブラントの自画像をモチーフにした表紙をめくると、ピンクを基調にした美しい口絵が見える。モスクワにあるクレムリン宮殿と赤の広場である。これは表題作の次、二つ目の「引き出しの中の人間」の舞台だ。

    いわゆる翻訳小説独特のハードルはあまりない。
    たとえば私の場合は、カタカナ表記の長い名前が頻出して人物の見分けがつかないとか、地理や地形が浮かびにくくイメージが広がらないといったことだ。
    この本が推理小説や歴史小説といったジャンルではなく、人間の心そのものを描いた内容だからかもしれない。
    もちろん、推理小説や歴史小説にも人間の心は描かれるが、設定がそれを見えづらくするところはなきにしもあらずで、それがハードルを上げてしまうことがあるのだ。

    共産圏が舞台でユダヤにルーツを持つ人々が登場する。
    とくに「引き出しの中の人間」は小説家が登場すること、バーナード・マラマッド自身がロシア系ユダヤ人の移民を父に持つことから、この小説自体と重なる。
    最後に明かされる小説家の作品の内容とそれをめぐる経緯が幾重にも折り重なった一つの大きな物語を象徴しているようだ。

    三つ目の「息子に殺される」はとくに短い物語だが、50年以上前に書かれた異国の小説が現代の日本の若者が抱える問題と寸分違わない。
    環境の違いを除けばそのまま日本の小説として読める。
    そこにはモラトリアムという言葉で片付けられないものがある。

    三つの物語に共通しているのは、人と人とのすれ違いにスポットを当てていることだ。
    とくに標題作はほかの二作に比べ、すれ違いの明確な要因が見えにくい。
    いつの間にかこじれてしまった関係にどう向き合うのかをストレートに描いている。原因にスポットを当てるのではなく、それをどう捉え、どうアプローチしていくのかという再構築への手がかりを探す物語なのだ。
    世界を見渡したとき、とても大切なことが語られていると実感できる。

    いつか、1975年版に掲載された5つの物語も読んでみたい。
    また、それぞれの話に帽子が登場することにも小さな驚きと喜びを感じた。

    約束のない関係の気安さ📗③昔日の客(関口良雄 著)

    とても状態の良い本を手にいれることができた。
    布張り、カバーなし、口絵は版画がとても美しい紙に印刷されており、捲った瞬間、息を呑んだ。栞紐は新品同様だった。それだけで、この本を読む前から物語を感じる。

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    裏表紙には、店先に立つ在りし日の関口さん(版画/山高登 氏)


    読み始めると、3月の風の強い日が始まりだった。嬉しかった。
    今がまさに弥生三月、今日は寒の戻りで雹まじりの雨が降り、ここ数日スーパーの幟もバタバタと煽られる様子だったからだ。
    妙なこだわりだが、日記形式のものを読む際、季節が気になる。
    できれば同じ季節に読みたいのだ。

    最初の話は長年の敬慕の的たる正宗白鳥の蔵書に作家本人から署名をもらった話。初っ端から大ネタである。
    初訪問での対面は叶わず、夫人が対応するが、それが2時間に及んだ。
    そのさばけた様子は往年の杉村春子のよう。

    一方、関口さんは文士という感じだ。
    編集者と作家の関係にも特別なものを感じるが、古書店主と作家、または好事家との関係にも凡人には窺い知れない”粋”がありそうだ。
    文中には聞きなれない言葉もいくつか出てくる。

    たとえば ”ゆばり”。
    文脈から察せられるが、調べてみるとやはり”尿”とある。
    ”ゆばりの音”とはつまり”放尿の音”ということ。
    日本に ”乙姫” が定着して久しいが、こうして古書店主の文章から拾ってみると冬の深夜、時節柄、虫の音も絶え、雪の降る音すらもしそうな凍てつく夜には体温と生命を感じさせるようだ。

    また、”暗ったい” という言葉にもページを繰る手が止まる。
    初めて聞く響きだ。方言だろうか。
    しかし、”煙ったい” なら使うことがありそう。
    ”煙たい” より、いっそう目をしょぼつかせる効果がありそうだ。
    しかるに、強調の意味だろうか。

    また、某月某日の章が味わい深い。

    歳月や友健やかに汗拭ふ

    P103「某月某日」より 

    この章には短い文章で出会いと別れが記される。
    それは、まさに街角ですれ違うような感覚で、いちいち、これは誰それで、どういった関係で、と振り返るより、いっそ読み流したい。
    そんな中にも34°という東京の夏の日の気温が記録されていて、現代との比較が瞬間、頭をよぎる。日記に日付、曜日、天気を記入することにさほどの意味を感じたこともなかったが、貴重な記録だとわかる。

    古書店の細い交流が約束のないままに続く場合もあれば、ある時ぷつんと切れてしまうこともある。そんな日々がゆるゆると綴られている。
    約束のない関係っていいなぁと思う。

    以下の引用は、古書店での出会いにまつわる文章ではないが、
    日常の瑣末な出来事全般に通ずるもののようだ。

    それは私の人生に無用なものかもしれない。
    が無用の物の中にこそ、言い知れぬ味わいがひそんでいるものだと思う。

    P156「スワンの娘」より

    また、娘の結婚式に洋服を新調しようと勧める妻に、手持ちの背広で構わないという関口氏。
    奥方と同じ心持ちで読み進めていると、思わぬ文章に出会でくわし胸がじんわり熱くなった。

     私と一緒に、ふるさとの信濃路や、鳥取の砂丘にも旅をしたこの合着の服が、好きなのである。
     色がさめているわけではない。型がくずれているわけでもない。
     三月の一人娘の結婚式には、私のことをよく知っているこの濃紺の服に、
    臙脂のネクタイをして出席しよう。

    P163「洋服二題」愛惜こもるもの より

    古き佳きものを愛する古書店の主人ならではと言うのも野暮なような、
    関口氏を関口氏たらしめている感懐を覚えた。
    読み終える頃には、新品同様に見えた栞紐の先がすこし毛羽立っていた。
    購入した際、本の中にすっかり隠れていたのを不思議に思い、真っ直ぐ引き延ばした我が身の浅学を知った。
    そんなことは本書に書かれていなかったが、おそらく、紐の劣化を防ぐため、はみ出さぬよう仕舞われていたのだろうと思った。

    ページの余白は心の息継ぎ📗④さよならのあとで(詩 ヘンリー・スコット・ホランド/絵 高橋和枝)


    余白の多い本だ。
    もしかしたら、ある意味ワークブックと言ってもいいのかもしれない。
    発行人の島田さんも次のように語っている。

    なにもない真っ白なページを、とにかくたくさん増やしていった。それは、編集の意図を、可能なかぎり「ゼロ」にするということでもあった。
     ぼくには、自分のかなしみのことはわかるけれども、ほかの人のかなしみのことはわからなかった。

    『あしたから出版社』P167より

    そもそもが短い詩であり、1冊の本にするには少ない分量だった。
    たぶん、もっと絵を多く、色鮮やかにする方法もあったはず。
    けれども、絵はシンプルでモノトーン。点数も抑えられている。
    絵を担当した高橋さんもまた、複雑な胸の内を抱えながらの作業だったことがわかる。

    けれども島田さんは、あえてこの形をえらんだ。
    そのことがよくわかる本だった。
    わずかな時間で読み切ってしまえる分量だが、1行で止まってしまい、
    そこでページを繰るのをやめてしまう、そんな本だ。
    空白は、読む人が自分の思いや、思い出や、思索や、そんなものが浮かび上がってくる余白なのだ。

    子どもの頃にやったみかんの汁で書いた文字が、炙れば浮き出てくるようなことが心のなかで起こるのではないだろうか。
    そして、高橋さんの100点に及ぶ絵の中から島田さんが選んだ絵は、
    そんな心の裡をほの明るく照らすような、
    誰かの思いを載せたとき完成する絵だった。

    高橋さんのイラストはどれもすばらしかったし、本に載せていない作品のなかには、本に掲載しているものよりも、完成度の高い作品がいくつもあった。
     けれど、ぼくはシンブルにつくるという方針に照らし合わせて、それらを外してしまった。
     ぼくは、高橋さんの、自信なさげに見えて、けれど強い意志がある、そんなイラストが好きだった。

    P170 同上

    書く人、届ける人、読む人、本を巡る循環📗⑤夏葉社日記(秋峰善 著)


    秋しゅうさんが秋月圓を始める前の、夏葉社での修行時代を綴った本。夏葉社にまつわる一連の本を読み終えて、いよいよ『夏葉社日記』に着手する。
    上に紹介した本の編集に関わられたのかと思い込んでいたが、秋さんが夏葉社に在籍していたのは2021年のことで夏葉社創業からすでに13年が経っていた。秋さんは島田さんのトークイベントに参加して以来、島田さんに心酔しているようだ。
    島田さんは、私が「あしたから出版社」を入手した、本のあるところajiroでもイベントを開催している。
    告知を見て、こういう催しで出会ったのかなと想像した。

    秋さんは本書が島田さんへのラブレターだと書いているが、その言葉通り、秋さんが島田さんに送った手紙から始まる。
    その後、夏葉社で週一回働くことに決まると、こんどは履歴書を送る。
    そこに秋さんは ”好きな言葉” を添える。
    好きな本から感銘を受けた箇所を抜き出した言葉や文を一覧にしたものだ。好きのパワーって凄いなと思った。島田さんが好きだから、自分の大切な言葉を伝えるのだ。

    ・・・自分も若い頃、知らなかった言葉やハッとする表現、琴線に触れた言葉をノートに書き出していたことを思い出した。
    それを見られたことがあり、茶化すような人ではなかったが、とても恥ずかしかった。
    これを見せていいと思えるのは、よほど心を許した人だけだと思うから、冒頭の手紙を読んだだけで秋さんの島田さんへの思いがわかる気がした。

    そして、”読む” 場面も出てくる。それは、夏葉社の勤務時間中に読書の時間があるから。十三時から十三時半がその時間だ。
    ・・・そう言えば学生時代 、図書の時間があった。図書室に行って本を選ぶところから始まり、決まったら読み始める。
    夏葉社では、ふだん読まない難しい本を選ぶというルールだったらしい。
    なるほど、そういうことなら "読む筋肉” を鍛えるには良い方法のように思える。

    さらに読み進めていくと、島田さんと秋さんの仕事風景が秋さんの興奮を載せて伝わってくる。そして、ある章で『あしたから出版社』の内容とシンクロした。それは、書店営業についての文章だ。

    秋さんの文章は営業日誌のように一つひとつの書店について記されていた。
    いくつかは私の知る街であったり、訪れたことのある書店だったが、それは誰もが知る有名な場所だから、驚くことはない。
    しかし、一軒、住んでいた地域の書店が出てきて手が止まった。
    あまりの懐かしさにモノクロの写真を食い入るように見つめた。
    ・・・この隣にたしかこんな商店があって、こちら側はロータリーになっていたはず、と記憶のかけらを寄せ集めた。

    ”最新刊の横には何年も前の本が置かれている” という記述に、回転ラックを連想した。店先によくある、小型で正方形の幼児向けの昔話や童話が並べてあるイメージだ。その断片の一部はこの書店だったのかもしれないと思った。いま住んでいる街にも、そんなラックのある書店がある。
    ベビーカーの親子が立ち寄り、買ったら袋に入れずベビーカーの中の幼児に持たせるのだろう。

    秋月圓を立ち上げた現在地から眺めると、夏葉社での時間は出版社を立ち上げる前の研修のように見ることもできるが、それよりもずっとシンプルに ”書くこと” と "読むこと” に向き合った時間だったのかなと思った。
    もちろん、大手出版社でシステムの一部だけを担当するのと、企画から流通まですべてに関わるというのは素人目にも別次元のことで、とても大きく、得難い経験だろうと思う。
    一方で、島田さんが秋さんに伝えた最大のものは、向き合う姿勢、であることが読み手にも伝わってくる。

    久しぶりに手書きの楽しさを思い出した。
    書き間違えたら二重線でシャッシャッと消す。
    スマホにメモしたりするが、痕跡も残すことなく消せる文章は整っている。実際、整えているのだけど、思考の跡も一緒に消えてしまう。
    この本は、紛れもなく秋さんが手で書いたという感じがした。

    読み終えると、秋さんが繰り返し語る
    『くらやみに、馬といる』(河田桟/カディブックス)が読みたくなった。


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    ようやく出発点に戻る

    「あしたから出版社」 文庫版あとがき(頭木弘樹)


    このあとがきがまた面白い。
    立ち上げから出版第一号の書名まで出版業界の声をリアルタイムで拾った当時の空気が伝わってくるようで、まるで『あしたから出版社』のB面のようだ。絶版になった本の復刊というドラマティックさ、選ばれた作品の意外性、装丁が和田誠さんであるという驚きが手に取るように伝わってくる。
    そして、第二号となる『昔日の客』の装丁が布張りの豪華本であることに頭木さんは度肝を抜かれる。こんな大胆な技を繰り出すのはどんな人なのか?
    謎の人物Mr.Xとして島田さんに対する妄想が膨らんでゆくところも、とても愉快に読める。

    本稿の、あとがき


    本屋にしょっちゅう通っていた頃は、通学通勤のお供に、もっぱら文庫本を求めた。その後は贔屓の作家の新刊を追いかけた時代を経て、本棚があふれてからは図書館に通うようになった。手に入りにくそうな本は最初から買うが、それ以外は手元に置いておきたい本だけを買うようになった。

    返却する必要のない本は、いつでも読めると思ってなかなか手が延びない。一番の原動力はこうして感想を書くことだったりする。

    今回読んだ本の中にも記述があったが、1冊の本が作られ、読者に届くまでには、たくさんの人が介在している。著者、編集者、書店のほかにも装丁家、校正者、印刷・製本会社、運送会社。
    そう、栞紐を作る人も。紙も重要なファクターだ。知らないだけできっとまだある。
    そして、いち読者もこうして感想を綴ることで、届ける人になれると初めて気づいた。

    夏葉社のホームページに ”何度も、読み返される本を” とある。
    たしかに、私はこれらの本をきっと読み返す。

    本を再読するということは再会、というより出会い直すことかもしれない。
    うっすら残っている当初の感覚が、今の自分にとって意外だったり、昔は読み流していた部分に思いがけず反応したり、新しい発見がある。

    さぁ次は、また新たな課題図書をめぐる旅に出よう。
    こうしてすごろくは、ゆるやかにつづいてゆく。(了)


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    完売のところもあったが、運良く手に入った。

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