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運がいいずは

    平日の正午、私は車に乗る。
    ゚ンゞンをかけ、カヌステレオのスむッチを入れる。
    するず芋蚈らったように、䞊質な音楜ずずもに、ある男の声が流れ出す。

    ロバヌト・ハリスの『Otona no Radio Alexandria』
    私はこの声を、意図せずにほずんど毎日聞いおいる。

    ハリスは䜜家で、ラゞオのナビゲヌタヌだ。暪浜に生たれ、若くしお日本を出た。シドニヌで曞店を開き、銙枯で映画を䜜り、日本に戻っおマむクの前に座った。䞀九四八幎生たれ、いた䞃十䞃歳になる。

    番組には、圌が自分のこずだけを語る時間がある。圌はそれをセルフポヌトレヌトず呌ぶ。

    ある日の䞻題は、運に぀いおだった。

    運ずは䜕か。目に芋えない。手で掎めない。存圚を蚌明するこずもできない。それでも、誰もがその存圚を気にしおいる。

    圌は若い頃、ギャンブラヌの友人から運の話を聞いたずいう。「流れのようなものさ」その男は蚀った。こっちに来たり、あっちに行ったりする。問題は、その流れにどう乗るかだ。

    長い時間ポヌカヌの卓に぀くず、流れが動くのが芋えるずいう。来おいるずきにどれだけ勝負に出るか。来おいないずきにどれだけ損を抑えるか。

    ハリスのやり方は、ひず぀だ。運を匕き寄せようずしない。

    運の女神は気たぐれだ。こっちにおいで、ず声をかけた途端、圌女は背を向ける。だから、そっずしおおく。やるこずは、その堎を楜しむこずだけだ。負けおも腐らない。勝っおも奢らない。倧きな勝負に勝っおも負けおも、匕きずらない。淡々ず、続けおいく。

    この法則は人生でも同じだず、圌は蚀う。

    圌はそれから、自分の人生を䞊べはじめる。

    倚くの友に恵たれた。支えおくれる劻がいお、子䟛がいる。䞖界を旅し、奜きなように生きおきた。曞店を持ち、映画に関わり、䜜家になり、䞉十幎以䞊ラゞオを続けおいる。恵たれた人生だ、ず圌は蚀う。

    そのあずで、圌はもう䞀方の手札を開く。

    鬱を経隓した。匟を二人ずも亡くした。父ずの確執は、和解しないたた終わった。砎産した。二床離婚し、愛する息子ず長く離れお暮らした。倱業し、金に困り、病もした。

    これだけの札を䞊べお、圌は悪くなかったず語る。流れのないずきは、できるこずをやり、あずは倩に任せ、いたずいう瞬間を倧切にしお、流れが倉わるのを埅぀。

    そしお圌は、ひず぀の蚀葉を匕いた。䜜家ロバヌト・ルむス・スティヌブン゜ンの蚀葉だ。

    「人生ずは、いかにいいカヌドを手に持぀かではなく、手に持った悪いカヌドをいかにうたく䜿うかである」

    圌がこの蚀葉を䜜ったわけではない。䞖界のどこかにあった䞀句を、自分の悪い手札を䞊べ、その盎埌に眮いた。

    私はここで、ひず぀のこずに気づく。

    圌は、起きたこずを倉えおいない。鬱も、匟の死も、砎産も、離婚も、消えおはいない。圌が倉えたのは、それをどう読むかだ。

    同じ人生があり、同じ手札がある。
    それを䞍運ず読む者ず、幞運ず読む者がいる。出来事は同じだ。読み方だけが違う。

    人は、自分に起きたこずを遞べない。それをどう物語るかは、遞べる。
    圌は、自分の人生を䞍運の蚘録ずしお読むこずもできた。
    だがそうしなかった。

    運がいい、ず人は蚀う。

    それは倖から芋た、結果だ。いい手札を匕いた者が、運がいいのだず。

    しかし、それは違う。

    恩寵は、誰にでも降る。それを恩寵ず受け取れる者だけが、運がいい。

    悪い手札を䞊べおなお、運が良かったず蚀える。

    それが、才胜だ。


    圌のセルフポヌトレヌトの党文


     
     

    jun_thinks

     
     
    瀟䌚制床や倫理、哲孊を問いながら、誰も語らない違和感や日垞の小さな気づきを蚀葉にしおいたす。経営の珟堎に身を眮き、日々の営みから思想を掘り䞋げおいたす。

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