
令和の三十路、さだまさしが好きな理由
先日、さだまさしのライブに行ってきました

昨年も訪れそこでトークの面白さと曲の深さに取り憑かれてさだのファンになります
後は人間として多大なる影響を受けていることも大きいです
例えば、さだまさしは生涯現役を唱えていて、毎年新作のアルバムを制作しています
今回のアルバムは51作目のアルバムツアーです 74歳頑張りますね
本人曰くはファンが往来に入ってるので、長生きをして欲しいからと述べていました
この他にもライブもかなりの数をこなし、曲も作り、趣味のゴルフも勤しむ
人として尊敬する生き方をしていると感じます
そして疑問に思うことは、32歳のさだまさしの現役を知らない男がなぜこんなにもさだまさしが好きなのか
そのヒントが今回のライブでピンときました
今回のライブに限らず、前回のライブでも似たようなことを言ってました
年より臭いことは言いたくないけど、
ある年を境に日本の歌謡曲がリズム主体になり、
日本語の美しい表現が置き去りになっていると
最近、歌詞をみて自分なりに考えながら解釈をしましたか?と問われます
そこで引き合いに出されたのが『雨やどり』という曲です
この曲の解説で30分も語っていました(笑)
それはまだ私が神様を信じなかった頃
9月のとある木曜日に雨が降りまして
こんな日に素敵な彼が現れないかと
思ったところへあなたが雨やどり
冒頭だけですが、ここだけでも5分以上語っています
・神様を信じなかったころ=今は信じている
→何故なのか?
・9月のとある日の雨
→6月の梅雨と違い、乾いた日の雨
・こんな日に素敵な彼が現れ…
→昭和の女性の素直さが表している
・あなたが雨やどり
→偶然にも出会った 神様はいるのね
というさだまさし自らの解釈を語ってくれました
またそのときに冒頭の大事さも力説しており、『湖畔』という小説のインパクトも語っていました
この夏、拠処よんどころない事情があって、箱根蘆ノ湖畔三ツ石の別荘で貴様の母を手にかけ、即日、東京検事局に自訴して出た。
この掴み方がいい例だとすごく称賛をしていました
青空文庫で読めますのでよければ
要は、私は言葉の一つ一つを大事にして曲を作るレジェンドを拝みにきてるんだなと感じました
今の人が言葉を大事にしていないという話ではありません
ただ、
さだまさしと現代アーティストの
歌詞の置き方の違いの感覚を上手く伝えることはすごく難しいです
頑張って書くと
日本語の余韻とか、言葉の裏の意味がふんだんに使われているかどうかの差かなと思います
今は時間がないから
分かりやすい直接的な歌詞が響いているような気がします
例えば、瑛人の『香水』
夜中にいきなりさ いつ空いてるのってLINE
君とはもう3年くらい会ってないのにどうしたの?
何を相手が言い出すんだって気にはなるけど直接的な言い方ですよね
でもそれが悪いことだと思わない
そんな感じです
話が変わりますが、
私はハードボイルド小説を令和に復活させたいと望んでいます
そこに人としての生き方が表れている
と感じているからです
今回の件でさだまさしの言う、
"言葉の豊かさ"についても言語化されて確かになぁと考えさせられましたね
ハードボイルドにも通じるものがあります
直接的な表現を極力避け、
行動や言動から感情を想像させる読み方がハードボイルド小説の読み方です
文学というほど高尚なものではありませんが、言葉の余韻から風景を想像する点は共通しているのかなと思います
"言葉の豊かさ"という言い方は心にモヤモヤと残っています
さだまさしが生きてるうちは
その豊かさを学びに来年も通うか…
そんなことを思いながら聞き終えた1日でした