
小説「悪質案件」エピソード -出会‐
本からふと目をあげて、足音の持ち主を見た。
初めてみる子だな。
何冊も本を抱えて小走りで向かう。
彼女が本を落とすのと、俺が本を受け取るのはほぼ同時だった。
肩にも届かない彼女の顔を覗き込む。目が合った。
…きれいな子だ…濃いブラウンの髪、大きく見開いた目、はにかんだ笑顔を見せる口元
多分、もうその時に“恋”に落ち始めていたんだろう。
「あ、あの、本ありがとうございます」
我にかえる。自分でも顔が赤くなっているのがわかるから、急いで背を伸ばす。
「最近、入ってきたんですか?」確認もせず中国語で話しかける。
彼女はくすくす笑いながら
「日本人です。留学生。追いつきたくて、こんなに本借りてきちゃった」
「失礼、じゃぁ教室までご一緒してもいいですか、これはちょっと重すぎますよ」
恋に落ちるのに時間はいらない。
彼女は強い人だった。
単身アメリカまで乗り込んできて、英語はもはやネィティブに近い。
成績はあっという間にトップクラス入りをし、でも奢ることがない。
他の留学生の面倒を何人も見ている。「おせっかいおばさん」と彼女は言うけれど。
おせっかいだけで、あんなに君の周りに人は集まらないよ、といつも返す。
強く、しなやかで、笑顔しか見せない。
でも俺の前でだけは違った。
泣き言もいう、日本が懐かしいともいう、俺の両親たちの国にも連れて行って、と甘えてくれる。
愛おしかった。「俺の嫁さんは日本人になるのかぁ」と軽口もいった。
でも生涯、ともにするのはこの人だ、と確信を持ったのは、彼女が泣いてくれた日だった。
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父親の訃報が届いたあの夜。
「やっと、やっと泣ける…」
しがみついて涙が枯れるまで彼女は泣いた。
彼女の震えが、ようやく少しずつおさまっていくのを感じながら。
絶対に彼女を守る。何があっても守りぬく、一生。
そう誓った。
今もその想いは変わらない。