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芋出し画像

゚ゎ、それでも流儀


    母の笑い声。

    その隣の郚屋で、父は䞀人、息を匕き取った。

    父の耳に、それは届いおいたのだろうか。


    薄れゆく意識の䞭、

    父は䜕を思い、

    この䞖を去ったのだろうか。




    第䞀話 生きおいるご先祖様


    写真すら芋たこずがない、明治の幕開けに生たれた母の祖父。

    「子䟛はお客の前でチョロチョロするな」
    「呌ばれたら、すぐに来い。甚事があるから呌んでいるんだ」

    着物の䞊に赀いマントを矜織り、長い杖を突いおいたずいう。躟に滅法厳しい人だったらしい。
    母の語る曟祖父は、絶察的な存圚感。私にずっおは憧れの人だ。

    二十歳の時の亀通事故。
    䞉日間の集䞭治療宀の末に、私は目が芚めた。今、埌遺症もなく生きおいる。

    子宮倖劊嚠。
    町医者に芋萜ずされ、深倜に激痛が走る。病院に着いお即手術。
    危なかったず蚀われたが、生きおいる。

    私は぀くづく運がいい。死ぬ䞀歩手前で生還する。
    芋えないご先祖様のお陰。あるいは私の血に組み蟌たれた生存システムのお陰かもしれない。

    ご先祖様ずは䞀䜓どこからを指すのだろうか。死んで墓に入っおからなのだろうか。あの芪もそのうちご先祖様になる。なら今は「生きおいるご先祖様」だ。

    人生は、自分が遞ぶもの。
    だが、始たりは違う。
    子は芪を遞べない。

    子に向けた無償の愛は、
    期埅ず支配に䟵食され、
    やがお「育おおやった」ずいう免眪笊にもなる。

    䞖間ず戞籍は、芪子関係を切らせおはくれない。
    事件を起こせば、「その芪」「その子」。
    葬儀ずなれば関わらされる。

    芪子ずは、実に厄介だ。

    この䞖界をくれた芪ぞの恩は、その死に際で垳尻を合わせる。

    䜙皋でなければ、私を産んだ芪が誰であっおも同じ話だ。

    それが私の流儀だから。

    䞡芪は八十近い。
    かなり長いこず䞡芪ず距離を眮いおいた私だが、理由もなく連絡した。その時、父が倧きい手術をするこずを知った。

    その手術の埌、癌が芋぀かり、半幎の䜙呜宣告を受けた。あっずいう間に死ぞのカりントダりンが始たった。

    嫌いな父だが、最期は看取るこずを決めた。




    第二話 芪の䜜品


    子䟛の頃から、父が嫌いだった。

    高校生の頃、朝、鏡の前で髪をずかしおいた。
    「なに色気づいおんだ」
    背䞭越しに父が蚀った。

    勉匷ばかり。圌氏、化粧、流行りの服。
    すべおが無瞁だった。
    䜕も蚀い返さなかった。

    姉は医孊郚に行った。私も医孊郚を志望した。
    「うちから医者は二人芁らない」
    私に「逆らう」ずいう遞択肢はなかった。

    「お前は䞉十、四十になっおも、芪に『金を貞しおくれ』ず蚀いそうだな」
    あたりに唐突な父の蚀葉だった。
    その蚀葉の理由は、今もわからない。

    孫ができおも、倉わらない。
    「子䟛が芪の蚀うこずを聞くのは、圓たり前だろ」
    最埌に出るのは、い぀もこの蚀葉だった。

    姉ず私にかけたカネ。
    向けた期埅ず、埗られた結果。
    それらすべおが、父ず母の色耪せぬ茝きだった。

    姉は早くに䞡芪ずの関係を切った。
    だが地元に戻った私は、䞡芪ずの関係を絶おずにいた。



    私は母も嫌いだった。

    「優秀なお子さんたち、どう育おられたんですか」

    䞖間的にできのいい二人の嚘は、母の自慢だった。

    幌少の頃、母に可愛がられた蚘憶はある。だが成長ず共に、私は芪の䜜品に倉わっおいった。そしお、䜜者の意向は匷すぎた。

    離婚をした私の元倫を、母は奜きだず蚀った。

    「だっお、いろいろ、ものくれたもの。ね、お父さん」

    父はニコニコしお頷いた。

    独り身になった私に、ある日父が蚀った。

    「四十過ぎた女、誰が盞手すんだよ」

    その蚀葉に私はバグを起こした。
    父の頭の䞭の解析を詊みたが、父の蚀う「家族ぞの愛」がノむズずなり、最埌たで答えは出なかった。




    第䞉話 残りの呜


    父は、胆嚢党摘の手術の䞭で癌が芋぀かった。死を受け入れお䜙呜を党うするか、その猶予を延ばすために手術を受けるか。
    私は父ず共に、医者の話を聞いた。
    取り乱す姿は父になかった。

    いくら寄り添い、悲しんでも、「死」を告げられた人間には、決しおなれない。

    治るず信じたのか、それずも瞋りだったのか。父は、手術を受けるこずを決めた。




    第四話 母の秀



    父が激しい痛みを蚎えたこずがある。
    二幎前の倜遅く、母から電話があった。

    「お父さん、お腹が痛いっお蚀うんだけど、どうしよう」

    痛みはしばらくしお萜ち着いた。
    次の日は病院ぞ行く予定が入っおいた。
    その時に医者に話すず母は蚀った。

    埌から母に様子を聞いた。

    「お腹のこず、先生に蚀わなかった」
    「歯医者の予玄があったから。お腹のこず蚀ったら、間に合わないじゃない」

    救急車を呌ぶか迷うほどの痛みだった。

    呜の秀の暪に、
    歯医者の予玄が䞊んでいた。




    第五話 最埌の桜



    癌の手術に向け、連日の怜査ずなった。
    転移も芋぀かり、遠くの病院ぞも行った。

    「すたないね」
    父から出る蚀葉は少なくなった。

    母ず私は車内で蚀い争いになる。
    助手垭の父が匱々しく蚀った。

    「やめおくれ。お父さんは、みんなに仲良くしおほしいんだよ」

    送迎の際に、それは繰り返された。

    歩き、バスの乗り継ぎ。父ず母が二人で通院するこずもあった。

    「お父さんずゆっくり歩いお垰ったよ」
    倕飯の頃、母から電話があった。

    時間ず䜓力を削った先は、手術䞍可胜ずいう医者の刀断だった。

    父が泣いおいたず、母から聞いた。
    死に向き合う人にかける蚀葉は、容易くは芋぀からない。それでも私が䜕か話せば、父が「死」ず向き合う時間が僅かでも枛る。そう思った。

    父は嚘に匱い姿を芋せる人ではない。
    だが父にずっお私は、涙を芋せられる盞手ではなかった。
    そういうこずだったのかもしれない。

    「お母さんを頌むね」
    「玄束しおね」
    そう繰り返す父に私は頷くしかなかった。

    「芪の家に来お『おはようございたす』も蚀えないのか」

    「酒がたずくなる」

    それらの父の蚀葉を、なかったこずにはできなかった。父に聞きたかった。私が䜕をしたずいうのか。

    「家族のため」

    父は最期たでそう蚀い続けた。私にその蚘憶はない。
    父の目に映る「この家族」の圢は、私ずは違っおいた。




    「仲の良い家族」
    「家族を倧切にした父芪」

    父が最埌たでそう蚀い続けるのなら、少しでも叶えおあげよう。
    父に顔を芋せるよう、離れお䜏む姉を説埗した。

    「お父さんだけなら、行っおもいいけど」

    やはり、姉は拒んだ。
    姉の顔を芋ぬたた、父を逝かせるわけにはいかない。私は懲りずに姉に連絡した。

    十幎以䞊ぶりに、父は姉の顔を芋るこずができた。それは画面越しの再䌚だった。

    実家の玄関に倧きな「桜」の絵がある。
    父が気に入っお買ったものだ。
    父、母、姉、そしお私。

    私は桜を思わせる色で絵を描いた。


    画像


    寝たきりの父が芋える堎所に、私が描いた絵を眮いた。
    父が本物の桜を芋るこずは、倚分もうない。
    父の最埌を、少しでも幞せに倉える。
    それは間違いなく、私の゚ゎだ。




    第六話 味の぀いた氷



    父は氎か氷しか口にできなくなった。

    「お父さんに、しょっちゅう氎を飲たせお  寝る暇もないよ」

    母は、父の最期ぞの頑匵りを瀺す。

    父が氎を欲しがった。

    「さっき飲んだでしょ。もうっ  お父さん、病院戻る」


    父は氎を飲めた。


    父の顔を芋に行く前、母から電話があった。
    「氷、そっちにある」
    父にあげる氷が家にないず蚀う。

    「冷凍庫ないの」ず聞くず、「ある」ず母は答えた。だが䜜っおいないず蚀う。

    その埌も私が持っおいくず蚀っおも、「効が氷を持っおくるから倧䞈倫」ず母は蚀う。

    氷を䜜らないずいう謎のこだわりは、ずっず続いた。




    「ガリガリ君」

    父が口にする小さな氷を、味が぀いおる氷に倉えおあげよう。
    コンビニに寄り、いろいろな味を父に持っおいった。

    「お父さん、ガリガリ君、持っおきたよ」
    匱々しい笑顔の父。

    「氷より矎味しいず思っおさ」
    話題を探しお話しかける。

    「お父さん、疲れちゃった」

    顔を合わせおすぐの父の蚀葉だった。
    目に力はない。話す力もない。
    ただ暪にいおほしい。
    父にずっお、その盞手は私ではない。

    「うん、䌑んで」
    私はベッドから離れた。

    埌日、母が蚀った。
    「゜ヌダ味が䞀番矎味しいっお、お父さん蚀っおたわ」

    父のせめおもの楜しみかもしれない。

    実家の冷凍庫には、゜ヌダ味のガリガリ君が増えおいった。




    痰の吞匕を家族ができるず知った。
    父はヘルパヌさんが来るたで、痰を詰たらせたたた埅っおいる。なら私がやっおやろう。
    私の「看取りのタスク」にそれを組み蟌むこずにした。

    ヘルパヌさんにやり方を聞く私を、母が止めた。

    「なんで、あんたがヘルパヌさんに聞くの」

    出しゃばりず思ったのか。父を看る母の領域を䟵されたくなかったのか。
    父の痰の吞匕は、倉わらずヘルパヌさんに任された。

    「お父様はかなりお匷い方ですね。痛みは盞圓あるず思いたすよ」

    ヘルパヌさんの蚀葉で、力なく笑う父が耐えおいるこずを、その時知った。




    第䞃話 掚定の最期



    父はいよいよ長くない。誰もがそう感じおいた、ある日。

    「今日あたり、もしかしお  」

    母はその蚀葉を聞いおいた。
    朝の血圧の数倀を芋お、ヘルパヌさんが蚀った蚀葉。

    その日、父が寝おいる隣の郚屋で、母はい぀ものように自分の効ず談笑し、誰にも気づかれない䞭で、父は息を匕き取った。

    母から連絡が来たのは、父が亡くなったこずに気づいおからだった。

    父が亡くなったのは、十二時から十四時。

    母が傍にいたのに、掚定。




    「お父さんが亡くなった」

    連絡を受けお実家ぞ行くず、母ずその効、葬儀屋の人たちがいた。

    い぀も寝おいた父。暪たわる姿はい぀もず倉わらなかった。

    涙が出ない。
    䞀人の人生が終わった。
    それを静かに芋おいる自分がいた。

    「お父さヌん」

    母は父の䜓に瞋っお泣いた。
    あのように泣ける人間を矚む自分がいた。


    よく芋るドラマの画。


    離れお、私はそれを芋おいた。




    通倜の食事を終え、皆が垰ろうずした時だった。

    「みんな、垰っちゃうの」
    「えヌ、怖い」

    長幎連れ添った、明日焌かれる父。

    だが、母にずっおは「死䜓」
    そしお、最埌の倜は「恐怖」

    皆は垰り、母は父ず、二人で過ごした。




    お坊さんを呌ばない葬儀。戒名もない。姉も来なかった。

    火葬を埅぀数時間、母はよく喋った。

    「今日は泣いたり笑ったり、忙しいよ」

    炉から出た父は、あっずいう間に癜い骚になった。

    「どの骚を、どうするんだっけ」

    私ず母の空気は違った。




    母は実家に「父の堎所」を䜜った。
    棚の䞊に癜い骚壷。父ず母、二人の写真。
    線銙、おりん、䜍牌はない。

    「墓参りはしない」ず豪語する母。
    そんな母らしい「父の堎所」だった。

    毎幎、海倖旅行ぞ出かけた䞡芪。
    実家には䞖界の眮物がたくさんあった。
    ピラミッド、マトリョヌシカ、バリの猫  。壁にはむギリスの路䞊で描いおもらったずいう、父ず母の絵があった。

    葬儀のあずも、父ず行った囜々のこずを、母は楜しそうに話した。
    父が亡くなっおも、母の様子は倉わらない。ひず぀の甚事を終えただけのように芋えた。

    もしかするず、父はこの家族の様子を芋おいるのかもしれない。


    「父の堎所」で私は手を合わせた。

    「お父さん  私はお父さんずの玄束を守れそうにありたせん」




    第八話 愛の正䜓



    䞀人で暮らすようになった母から、遊びに来るよう床々連絡が来た。

    母から埌悔を聞いた。
    良かれず思った遞択が父を匱らせ、䜙呜半幎ず蚀われた父が䞀ヶ月もせずに亡くなったこず。

    だが、父の看取りに぀いおの埌悔は、母から䞀床も聞いおいない。

    父が亡くなり、母ず揉めるこずはなくなった。

    「海倖旅行、行こうよ。お金はあたしが出すから」

    母には誰かが必芁なのだろう。
    母は別に、私でなくおもいい。そんな気がする。それに海倖に行っおたで母ず揉めるのは埡免だ。

    「私が死んだら、お父さんの骚ず䞀緒に海に撒いおね」

    その願いは、叶えおやる。

    「私に優しくしおよね。優しくしないず、土地はあげないからね」

    「別に芁らないよ。お母さんの土地だから奜きにしなよ」

    私はすぐに実家をあずにした。

    その時が来たら、母に「優しい嚘の姿」を芋せる。

    それが私の流儀だから。

    「お母さんを頌むね」

    私に蚀うなら、母にも蚀うべきだった。だが父は、最期たで䜕も蚀わなかった。

    「お母さんが䞀番。子䟛は二番目に倧切」

    父の蚀っおいた「愛」の正䜓がわからない。

    母のどんな蚀葉も、母のどんな振る舞いも、最期たで父は肯定し続けた。

    蚱すこずが、愛なのか。
    芋ないこずが、愛なのか。

    いや、実はそこたで考え方が同じだったのだろうか。

    䞡芪でなければ、関わるこずはなかった。
    だが私は嚘だった。

    生きおいるご先祖様に、最埌は瀌を尜くす。

    私は父のように「愛」ずか「家族」を仕立お䞊げはしない。


    「愛」の向けどころは、
    私が決める。




     
     
    䞖間ずズレた蚀動。それでいい。 思ったたた感じたたたを綎るだけ。

    あなたぞのおすすめ