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Photo bytrunk_chiyo

あの日の後悔が教えてくれたこと

    今日はすこし真面目な話。
    一生忘れることのない後悔と、今私が大切にしていることを、エッセイとして綴ります。


    もう10年以上も前のことの話。
    私は祖父母と母と妹と、5人で暮らしていた。

    祖父は認知症になった。
    はじめは物忘れが多いかな、という程度だったが、
    それはゆっくりと、そして着実に悪化していった。
    失禁、夜間の覚醒。
    介護にあたっていたのは、高齢の祖母と、母で、
    私たち姉妹は二人を労うことが主だった。

    病識の低下や、プライドからなのか、祖父は自分の行動を認めなかった。
    あれ?それしたのはぼくじゃない、ととぼけたり、
    時にはちょっと怒ったり。
    祖母と母は明らかに疲れていて、それを見ていた私は、祖父のことがなんだか嫌になっていた。
    完全に、祖母と母の味方だった。

    そして、ようやく決まった祖父の老人ホーム入所。
    なかなか人気の施設だったと聞いている。祖母と母の努力の賜物である。

    施設入所当日、正直あまり寂しいと思えなかった。
    これでやっと、ばぁばとママが楽になれる、と安堵の気持ちが勝っていたのだ。

    「じゃあね、じぃじ施設でも頑張ってね」
    私が祖父にかけたのは、こんな感じの典型文だけ。

    「うん、ありがとう。〇ちゃん(私)も頑張ってね」
    そう返ってきたけど、きっと祖父は施設に入ること、もう家に戻ってこれないことを、理解できていなかっただろう。

    これが私と祖父の最後の会話だった。
    祖父は、ヨタヨタと迎えの車に向かい、そして、乗せられた。

    祖父が家を出てから、家には平和が訪れた。
    祖母や母は定期的に面会に行っていたが、私が祖父に会うことはなかった。変わり果てた祖父を見るのが怖かったから。
    面会に行った祖母や母から、
    「〇や◇(妹)のこと覚えてるよ」
    「元気そうにしてたよ」
    と聞いて、まだ大丈夫だ、と毎回ホッとしていた。

    それから数年後のある年末に、祖父は亡くなった。
    訃報を聞いてもあまり実感が湧かなかった。
    私にとって初めての家族の死。もっと悲しいものだと思っていた。

    親族のみのこじんまりとしたお葬式で、久しぶりに祖父と対面した。
    ちょっと痩せたけど、あまり変わらない、きれいな優しい顔だった。よく言う、「眠っているみたい」な顔。

    そして、ようやく、私の中で祖父の死が現実になった。
    冷たい態度をとってしまったこと、会いに行ってあげられなかったこと、湧き上がる後悔。
    昔から生粋のじぃじっ子で、祖父のことは大好きだった。例え、忘れてしまうことが増えても。

    もっと一緒に笑ってあげられていたら。
    もっと会いに行ってあげられていたら。
    いっぱいありがとうを伝えてあげられていたら。

    ごめんね、ごめんね、と涙が止まらなくなった。
    きっと、寂しかったよね。

    あの日、胸に残った悔いは、十年以上経った今も消えることはない。

    今、こうして綴っていても泣きそうになる。

    この経験から、私はひとつのことを心に刻んだ。

    かけがえのない人と過ごせる時間は、失ってから取り戻せるものではない。だからこそ、目の前にある「今」を大切に重ねていくしかないのだということ。

    「ありがとう」「大好き」

    伝えたい気持ちは、心の中にしまっているだけでは届かない。

    いつもそばにいてくれる、夫と息子。
    私は、今日も2人に愛と感謝を伝える。
    ぎゅっとハグをして。

    そして今、私には会いたい人がいる。
    当時祖父の介護にあたっていた祖母だ。
    彼女もまた、認知症になり施設で暮らしている。
    もう、目はほとんど見えていない。

    早く会いに行きたい。
    手に触れて、抱きしめたい。
    「ありがとう」と「大好き」を、ちゃんと伝えたい。

    あの日の私ができなかったことを、もう繰り返したくないから。


    #創作大賞2026

     
     

    nattou

     
     
    30代、一児の母。悩める医師。 一人の女性のゆるーい日常を発信するアカウント。 目下の課題は、今後どうやって働いていくかの選択。

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