40.諦めたつもりだった
夫が統合失調症として治療を始めて、3年になる。
今は、うつ病なのかもしれないと言われている。
診断名は、まだわからない。
私はこの3年間で、何度も諦めてきた。
子どもと一緒に公園に行く父親の姿。
家族4人で出かける休日。
夫婦で「今日どうだった?」と話しながらする子育て。
期待するたびに、傷ついた。
「今日は起きられるかな」
「一緒に出かけられるかな」
期待して、できなくて。
また期待して、また傷ついて。
そのうち思った。
諦めた方が楽だ。
期待するから苦しい。
期待するから傷つく。
だったら最初から望まなければいい。
そう思った。
でも正確に言うと——
諦めたんじゃない。
諦めるしかなかった。
願いを手放すたびに、悔しかった。
手放したくて手放したわけじゃなかった。
ただ、持ち続けるのが、もう限界だった。
割り切る前は、公園に行くたびに羨ましかった。
子ども2人を夫婦で分担している家族。
パパと子どもが遊ぶのを、ベンチで眺めているママ。
その景色を見るのが苦しかった。
休日におしゃれして、何も気にせずスカートを履いていた頃もあった。
今じゃ公園は私も全力で遊ぶから、ズボン一択になった。
自分に言い聞かせた。
もう期待しない。
父親らしくしてほしいなんて思わない。
家族で出かけたいなんて思わない。
そう唱えていると、少し楽になった。
実際、楽だった。
休日に寝室から出てこなくても傷つかない。
子ども達を連れて出かけるのが私ひとりでも、腹が立たない。
期待しなければ、失望しない。
でも、それは願いがなくなったわけじゃなかった。
感じないようにしていただけだった。
夫の調子が少し良くなるたびに期待した。
リビングにいる時間が増えると嬉しかった。
子どもに話しかけるだけで、希望を持った。
諦めたはずなのに。
唱えたはずなのに。
思うようにいかないと、また落ち込んだ。
また傷ついた。
諦めていたんじゃない。
諦めようとしていただけだった。
先日、夫が次男を公園に誘った。
休日の夫は、ほとんど寝室にいた。
たまに一緒に出かけても、
「車で寝てる」
と言ったまま降りてこないことも多かった。
だから私は、もう見られないと思っていた。
父と子が、玄関から出ていく後ろ姿。
見たいと思うことすら、やめていた。
それなのに。
二人が出ていく後ろ姿を見た瞬間、胸の奥がぎゅっとなった。
嬉しかった。
びっくりするくらい、嬉しかった。
ああ。
私はまだ願っていたんだ。
玄関を閉めた。
静かだった。
久しぶりに、家の中に自分一人がいた。
洗い物をした。
誰にも声をかけられなかった。
洗濯を干した。
途中で止まらなかった。
夫婦で効率よく分担することが、この3年、ほとんどなかった。
今回公園に連れ出してくれた40分が、次男が生まれてから初めてだった。
家事を終えて、執筆作業も少し進んだ。
二人が帰ってきたとき、私は子どもと遊べた。
追われていない状態で、ただ一緒にいられた。
こんなことが、したかったんだ。
父と子が公園に行く景色だけじゃない。
その40分も。
その先に子どもとちゃんと向き合える時間も。
全部、ずっと願っていた。
私はこの3年間で、
期待することをやめようとした。
傷つかないために。
前を向くために。
実際、それで楽になった部分もあった。
でも今回気づいた。
願いは、なくなっていなかった。
ただ見ないようにしていただけだった。
夫がどうなるかを、
人生の軸にすることはやめた。
それは今も変わらない。
でも、
父と子が公園へ向かう後ろ姿を見たいと思う気持ちまで、
消す必要はなかったのかもしれない。
願いを持つことと、
その願いに人生を預けることは違う。
叶うかどうかはわからない。
また思うようにいかない日もあると思う。
それでも、
あの日感じた嬉しさは本物だった。
私はまだ願っていた。
そして、
そんな自分がいたことを、
ただ認めた。
※病気の症状や経過は人それぞれです。これはあくまで、私たち家族の記録です。
