
『受け継がれし熱気』
第四話:手探りの冒険、アナログの熱量
「本当にスマホ、置いていくのね?」 結衣は楽しそうに、しかし少しだけ不安そうに微笑みながら、陸の部屋のテーブルに自分のスマートフォンを置いた。
陸も自分の端末をその横に並べ、液晶画面が静かに消灯するのを見届けた。
昨日、祖父・栄一から「手の温もり」の話を聞いた二人は、あるアナログな実験をすることにした。
「明日の13時、駅裏の古い純喫茶(jun-kissa)で待ち合わせ。
連絡は一切なし」 お互いの位置情報も分からず、遅刻のメッセージも送れない、不便極まりない約束だった。
「事故にでも遭ったんだろうか。それとも、場所を間違えているのか」 店の古い時計が刻む重苦しい音だけが、陸の焦りを限界まで高めていく。
誰かを心配し、会いたいと切望する生身の感情の熱量が、冷たいガラス画面の裏に隠されることなく、陸の胸の中で狂おしく爆ぜようとしていた。
前日の夜、陸がこの無謀な計画を口にしたとき、栄一はタブレットの手を止めて大笑いした。
栄一は当時、自分の若き日の手書きの業務日誌を、OCR機能とAIを使ってデジタルアーカイブへと整理する作業をしていた。
「待ちぼうけか。いいな、陸。ワシらの若い頃は、駅の伝言板(dengonban)と冷めたコーヒーだけが、相手を想う唯一の燃料だったよ」
そう言って栄一は、青く光るタブレットの向こうに、1996年(平成8年)の自分の姿を重ね合わせた。
当時59歳。還暦を目前に控えた栄一のオフィスに、巨大な「Windows 95」とインターネットという未知の革命が押し寄せていた。
長年使い慣れたそろばんや手書きの大帳は、容赦なく廃棄された。
机の上に並んだのは、灰色をした冷たいパソコンという「謎の機械」だった。
「もう定年だ。こんな心のない冷たい鉄の箱なんか触りたくない」
周囲のベテラン社員たちが次々と諦め、背を向けていく。
しかし、栄一だけは、額から脂汗を流しながら、人差し指一本でキーボードに向かい続けた。
老眼鏡を何度も押し上げ、キーを「叩く指先の確かな抵抗(teikō)」に必死で食らいつく。
周囲からは「物好きだ」「タイパが悪い」と笑われたが、栄一は指を止めなかった。
📖第5話:https://note.com/juicy_laelia8513/n/n74983cd9c616
📖第3話:https://note.com/juicy_laelia8513/n/nd39eb9112ffe
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