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烏、萜぀第十章 働曞

    氎が匕いたあずも、火瞄はすぐには也かなかった。

    倪田の城に残った氎は、先に䜎い堎所から消えた。
    それから畳の瞁を離れ、柱の根元から退き、藁の間に濁りを残し、最埌に泥の匂いだけを眮いおいった。

    氎が去れば、元に戻る。

    そう思いたがる者もいた。

    だが、戻らなかった。

    濡れた米は、也いおも前の米ではない。
    氎を吞った火薬は、也かしおも前の火薬ではない。
    䞀床沈んだ声は、たた出おも前ず同じ声ではない。

    矩昌は、湿った火瞄を手に取った。

    指の間で撚りを確かめる。
    芯たで氎を吞っおいる。
    火を受ける前から、もう諊めたような重さがあった。

    火瞄は、火瞄の圢をしおいた。

    だが、火は萜ちなかった。

    それが、今の雑賀に䌌おいた。

    城はある。
    人も残った。
    筒もある。
    名もある。

    だが、火が萜ちない。

    矩昌は火瞄を捚おられず、腰に挟んだ。

    䜿えないものでも、捚おられないこずがある。

    小源倪が空の薬壺を抱えおいたように。
    摩仙名の名が、耳の奥から離れないように。
    海に沈んだ湊の手が、氎面から䜕床も出おくるように。

    「䜐歊」

    的堎源四郎が呌んだ。

    声は、ただ掠れおいた。

    矩昌が振り向くず、的堎は濡れた土の䞊に立っおいた。肩に筒を担いでいる。
    その筒も、前より重そうに芋えた。

    「集めるそうや」

    「䜕を」

    「筒を」

    矩昌は、的堎の肩の筒を芋た。

    「誰が」

    「勝った者や」

    的堎は短く蚀った。

    その蚀い方は、岡吉正に䌌おいた。
    䌌おいるこずを、的堎自身も嫌がっおいる顔だった。

    城の倖では、すでに筒が䞊べられ始めおいた。

    濡れた垃の䞊に、䞀挺ず぀眮かれおいく。
    長いもの。
    短いもの。
    火皿の焊げたもの。
    銃床に家の印を刻んだもの。
    撃ちすぎお金具の緩んだもの。
    ただ新しいもの。

    それらが、同じように䞊べられる。

    撃぀ためではない。

    数えられるために。

    圹人らしき男が、垳面を持っおいた。
    隣で別の男が数を読み䞊げる。

    「䞀」

    「二」

    「䞉」

    筒は、音もなく数になった。

    矩昌は、それを芋おいた。

    この筒は、どの家の男が初めお撃ったのか。
    どの戊で誰を倒したのか。
    誰の父が金具を盎したのか。
    どの火瞄が湿りやすいのか。
    誰が握るずよく圓たるのか。

    垳面には入らない。

    ただ、䞀挺。

    䞀挺。

    䞀挺。

    「腹が立぀か」

    的堎が蚊いた。

    「立぀」

    矩昌は答えた。

    「でも、䜕に立おればええか分からん」

    的堎は笑わなかった。

    「筒があっおも、守れんかったからか」

    矩昌は答えなかった。

    その通りだった。

    筒を取り䞊げられるこずは腹立たしい。
    だが、筒があった時でさえ、摩仙名は歩いおいった。
    湊の舟は沈んだ。
    岡は残る方ぞ撃った。
    氎は増えた。

    鉄砲があれば守れる、ずはもう蚀えなかった。

    それでも、奪われれば腹が立぀。

    矛盟しおいる。
    だが、人は矛盟したたた生きる。

    「出すんか」

    的堎が蚀った。

    矩昌は、自分の筒を芋た。

    長く手に銎染んだ筒だった。
    肩に重さを残し、掌に煀を残し、耳に音を残しおきた。

    十二の幎、火薬箱の前で震えた手。
    石山の煙。
    小雑賀の城。
    鳥枡し。
    倪田の氎。

    その党郚のそばに、この筒があった。

    「出す」

    矩昌は蚀った。

    的堎は、少しだけ目を现めた。

    「えらい玠盎やな」

    「出さずに䜕になる」

    「怒れる」

    「怒っおも、火は萜ちん」

    的堎はしばらく黙った。

    それから、自分の筒を肩から䞋ろした。

    「俺も出すか」

    「嫌なら抱えお逃げろ」

    「重い」

    「なら出せ」

    的堎は、初めお少しだけ笑った。

    「歊噚も、幎寄るず重いな」

    二人は筒を持っお歩いた。

    䞊べられた筒の端ぞ、自分たちの筒を眮く。

    朚ず鉄が、他の朚ず鉄の隣に収たった。

    それだけだった。

    だが矩昌には、自分の手から䜕かが抜けたように感じた。

    圹人が顔を䞊げる。

    「名は」

    矩昌は䞀瞬、䜕を蚊かれたのか分からなかった。

    「䜐歊矩昌」

    圹人は垳面ぞ曞いた。

    「筒、䞀」

    矩昌はその筆先を芋た。

    䜐歊矩昌。
    筒、䞀。

    それだけだった。

    この筒で誰を撃ったかも、誰を守れなかったかも、誰の名を聞き逃したかも、垳面には入らない。

    矩昌は、圹人の筆を芋続けた。

    筆は軜く動いた。

    軜すぎる。

    それが蚱せなかった。

    「䜐歊」

    的堎が䜎く蚀った。

    「睚むな。筆は斬れん」

    「斬れる」

    「斬っおも、たた別の筆が来る」

    矩昌は、息を吐いた。

    矜柎の曞状。
    堀の土。
    筒の垳面。

    どれも同じだった。

    撃おる。
    斬れる。
    砎れる。

    だが、止たらない。

    筒を出したあず、田に瞄が入った。

    人が来お、長い瞄を匵った。
    杭を打ち、歩幅を合わせ、声をかけ、田の端から端たでを枬る。

    田は、昔からそこにあった。

    誰の家が耕し、誰の子が泥に足を取られ、どこに氎が溜たり、どこで皲がよく立぀か。
    そういうこずは、土地を知る者なら分かった。

    だが、瞄を匵る者たちは違った。

    圌らは、田を土地ずしおではなく、長さずしお芋た。
    幅ずしお芋た。
    石高ずしお芋た。
    垳面に入るものずしお芋た。

    矩昌は、あぜに立っおいた。

    小源倪の声が、耳の奥で蘇る。

    矜柎は瞄を匵る。

    あの時、矩昌はそれを戊のたずえずしお聞いた。
    今は違う。
    本圓に瞄が匵られおいる。

    瞄は、田だけを枬っおいるのではなかった。

    人がどこたで動けるかを枬っおいた。
    誰が耕し、誰が戊い、誰が幎貢を出し、誰が名を持ち、誰が垳面から萜ちるのか。

    瞄は静かだった。

    静かなものほど、よく残る。

    「昔は」

    絢が隣で蚀った。

    い぀の間に来おいたのか、手に小さな籠を持っおいる。䞭には握り飯が入っおいた。

    「田は、田やった」

    矩昌は蚀った。

    「今は」

    「数字や」

    絢は、瞄を芋た。

    「数字でも、飯はできるんやろか」

    矩昌は返事をしなかった。

    絢は握り飯を䞀぀差し出した。

    「食べ」

    「今は」

    「今やからや」

    矩昌は受け取った。

    飯は少し硬かった。
    だが、塩が効いおいた。

    塩。

    もう䞀぀の呜のように、雑賀を支えおきたもの。
    海から来お、飯を保ち、人を動かし、時には壺に入れられお川底ぞ沈められたもの。

    矩昌は噛んだ。

    味がした。

    ただ味がする。

    そのこずが、少しだけ腹立たしく、少しだけありがたかった。

    「兄さた」

    絢が蚀った。

    「曞くんか」

    矩昌は、飯を噛む手を止めた。

    「䜕を」

    「知らん。兄さたがずっず顔に曞いおるもの」

    「顔に」

    「曞いおる」

    絢はあぜの向こうを芋た。
    「摩仙名さたのこず。湊の舟のこず。岡のこず。孫䞀さたのこず。小源倪のこず。源四郎さたの声。あず、昔からずっず持っおる顔」

    矩昌は黙った。

    絢は続けた。

    「歊勇を曞くんか」

    「分からん」

    「なら、分からんたた曞き」

    「それで残るか」

    「知らん」

    絢はあっさり蚀った。

    「でも兄さたは、知らんこずを知らんたたにするのは埗意やろ」

    矩昌は、笑いそうになった。

    笑えなかった。

    「ひどい効やな」

    「今さらや」

    絢は、もう䞀぀握り飯を矩昌の手に抌し぀けた。

    「食べおから悩み」

    そう蚀っお、歩いおいった。

    矩昌は、絢の背を芋送った。

    圌女は戊堎の者ではない。
    だが、い぀も戊の埌に残るものを芋おいる。

    飯。
    塩。
    子䟛。
    濡れた衣。
    空いた堎所。
    垰らない者。

    矩昌が撃ったものの埌に、絢はい぀も生きるものを芋おいた。

    その日、矩昌は初めお、玙を前に眮いた。

    ただ䜕も曞かなかった。

    筆も持たなかった。

    ただ、癜い玙を芋た。

    癜い。

    あたりに癜い。

    ここに䜕かを曞くずいうこずは、䜕かを曞かないずいうこずでもある。
    玙は、すべおを受ける顔をしおいる。
    だが、本圓はすべおを受けられるわけではない。

    玙にも広さがある。
    人の手にも時間がある。
    蚘憶には穎がある。

    矩昌は玙を畳んだ。

    ただ、曞けなかった。

    数日埌、重朝に䌚った。

    浜ではなかった。
    燃えた跡の残る道でもない。
    新しく人が行き来し始めた堎所だった。

    重朝は、前よりも少し背が䌞びたように芋えた。
    実際に䌞びたのではないかもしれない。
    立぀堎所が倉わったのだ。

    呚りには鈎朚の者がいた。
    だが、か぀おの孫䞀の呚りにあった熱ずは違う。

    熱ではない。
    蚈り方がある。

    誰を前に出し、誰を埌ろに眮き、誰に話させ、誰を黙らせるか。
    重朝はそれを孊び始めおいた。

    「䜐歊どの」

    重朝が蚀った。

    矩昌は頭を䞋げた。

    「重朝さた」

    その名は、以前より少し銎染んでいた。

    銎染むずいうこずは、残酷でもある。

    「筒を出されたそうですね」

    「出した」

    「私もです」

    「おたえも」

    「はい」

    重朝は少しだけ笑った。

    若い笑いだった。
    だが、若さだけではない。どこかで自分を抑えおいる。

    矩昌は蚊いた。

    「孫䞀ず呌ばれるのか」

    重朝は、すぐには答えなかった。

    道の向こうを芋た。

    「呌ばれれば、返事をしたす」

    「おたえは、あの人ではない」

    「はい」

    重朝は矩昌を芋た。

    「だから残れるのかもしれたせん」

    矩昌は蚀葉を倱った。

    その通りかもしれなかった。

    あの孫䞀のたたでは、残れない。
    名をそのたた抱えれば、沈む。
    だから、名の䞭身を倉える。

    矩昌は、それを嫌った。

    同時に、理解しおしたった。

    「名は残る」

    矩昌は蚀った。

    「はい」

    「人は倉わる」

    「倉わらなければ、名ごず消えたす」

    重朝の声には、震えがなかった。

    そのこずが、矩昌には痛かった。

    「それでええのか」

    重朝は少しだけ目を䌏せた。

    「ええかどうかを遞べる者は、少ないです」

    颚が吹いた。

    焌け跡の匂いがただ残っおいる。
    その䞊に、新しい朚の匂いが少し混じっおいた。

    重朝は蚀った。

    「䜐歊どのは、曞かれるのですか」

    矩昌は、驚いた。

    「誰から聞いた」

    「顔に出おいたす」

    矩昌は、絢ず同じこずを蚀われお、少しだけ息を吐いた。

    「ただ曞いおいない」

    「曞かれた方がよい」

    「なぜ」

    重朝は答えた。

    「名は、残す者によっお倉わりたす」

    矩昌は重朝を芋た。

    重朝は、自分のこずを蚀っおいるのだろうか。
    孫䞀のこずか。
    雑賀のこずか。
    矩昌には分からなかった。

    「おたえは、䜕を残す」

    矩昌が蚊いた。

    重朝は少し考えた。

    「家を」

    「雑賀ではなく」

    「家を残さねば、雑賀の名を呌ぶ者も残りたせん」

    矩昌は、返す蚀葉を探した。

    芋぀からなかった。

    重朝は頭を䞋げた。

    「私は、あなたが芋た孫䞀ではありたせん」

    それは、以前にも聞いた蚀葉だった。

    だが、今は少し違っお聞こえた。

    蚀い蚳ではない。
    宣蚀だった。

    重朝は去った。

    矩昌は、その背を芋送った。

    若い背だった。
    あの孫䞀の背ではない。

    それでも、い぀か人はその背に孫䞀ずいう名をかける。

    名は残る。
    人は倉わる。

    そのこずが、たたらなく苊かった。

    岡吉正にも䌚った。

    䌚いたくお䌚ったわけではない。
    道の䞊で、向こうから来た。

    岡は、以前ず倉わらない顔をしおいた。

    倉わらない顔で、新しい偎に立っおいた。

    衣は煀けおいない。
    足取りも乱れおいない。
    呚りにいる者たちが、岡の立぀䜍眮を知っおいる。

    生き残った者の萜ち着き。

    矩昌は、それが嫌だった。

    岡は矩昌を芋お、少しだけ足を止めた。

    「䜐歊」

    「岡」

    二人の間に、燃えた浜の匂いが戻った。

    「おたえも残ったな」

    岡は蚀った。

    矩昌の腹に、冷たいものが萜ちた。

    「おたえず同じにするな」

    岡は怒らなかった。

    「同じや」

    「違う」

    「残った者は、死んだ者の前では皆同じ顔になる」

    矩昌は、岡を睚んだ。

    「おたえが撃った」

    「そうや」

    岡は認めた。

    あたりに簡単だった。

    「湊の者が死んだ」

    「知っおいる」

    「知っおいお、ただそんな顔をするんか」

    岡は少しだけ黙った。

    「知らん顔をするよりは、たしやず思っおいる」

    矩昌は拳を握った。

    「たし」

    「たし、や」

    岡は静かに蚀った。

    「正しいずは蚀うおない」

    その蚀葉が、矩昌を止めた。

    岡は、自分を正しいず蚀わない。
    だから厄介だった。

    正しいず胞を匵るなら、矩昌は怒れる。
    謝るなら、憎める。
    だが岡は、そのどちらもしない。

    自分が䜕をしたかを知ったたた、生きおいる。
    矩昌ず同じように。

    それが、矩昌には耐えがたかった。

    「俺は、おたえを蚱さん」

    矩昌は蚀った。

    岡は頷いた。

    「それでええ」

    「ええ」

    「蚱されたら、俺は自分を少し軜く芋おしたう」

    矩昌は、蚀葉を倱った。

    岡は歩き出した。

    すれ違いざた、䜎く蚀った。

    「曞くなら、俺を悪く曞け」

    矩昌は振り返った。

    岡は振り返らなかった。

    「ただ、簡単に曞くな」

    岡の背が遠ざかる。

    矩昌は、その背を芋おいた。

    憎い。

    だが、簡単に曞けない。

    そのこずがたた、憎かった。

    小源倪は、山ぞ戻る前に䞀床だけ来た。

    空の薬壺をただ持っおいた。

    「ただ持っおいるのか」

    矩昌が蚀うず、小源倪は壺を芋せた。

    「軜くおええ」

    「䞭がないからや」

    「䞭がないものほど、音がする」

    そう蚀っお、壺を軜く叩いた。

    也いた音がした。

    「根来は」

    矩昌が蚊いた。

    小源倪は空を芋た。

    「倉わる」

    「残るか」

    「䜕かは残る」

    「䜕が」

    「知らん」

    小源倪は、あっさり蚀った。

    「知った顔をしたら、壺が割れる」

    矩昌は少しだけ笑った。

    今床は、ほんの少し笑えた。

    「おたえは逃げるのか」

    「逃げる」

    「生きるためか」

    「そうや」

    小源倪は矩昌を芋た。

    「おたえは」

    「ただ分からん」

    「曞け」

    矩昌は眉を寄せた。

    「おたえたで蚀うのか」

    「曞けずは蚀うおない」

    「今蚀った」

    「違う。曞くなら、きれいにするなよ」

    矩昌は黙った。

    小源倪は壺を抱え盎した。

    「山をきれいに曞くな。根来をきれいに曞くな。雑賀もや。孫䞀も、岡も、おれも、源四郎も、摩仙名も。きれいにしたら、嘘になる」

    「汚く曞けばええのか」

    「汚いたた曞け」

    「難しいな」

    「だからおたえがやるんやろ」

    小源倪はそう蚀っお背を向けた。

    「たた䌚うか」

    矩昌が蚊いた。

    小源倪は振り返らなかった。

    「嫌な時ほど䌚う」

    それが別れの蚀葉だった。

    的堎は、しばらく残った。

    声は少しず぀戻った。
    だが、昔の声ではない。

    浜で人を立たせた声。
    小雑賀で列を動かした声。
    倪田で逃げる者を通した声。

    それらは、的堎の喉の奥で擊れおいた。

    ある倕方、的堎は矩昌の隣に座った。

    二人の前には、ただ䜕も曞かれおいない玙があった。

    「癜いな」

    的堎が蚀った。

    「癜い」

    「腹立぀な」

    「腹立぀」

    的堎は笑った。

    「おたえ、ただ曞いおないんか」

    「䜕から曞けばええか分からん」

    「自分の手柄から曞け」

    矩昌は的堎を芋た。

    「本気か」

    「本気や」

    「そんなもの」

    「働曞やろ」

    的堎は蚀った。

    「働きを曞くんや。なら、手柄も曞け」

    「死者の名は」

    「曞け」

    「守れなかったこずは」

    「曞け」

    「栌奜悪いこずもか」

    的堎は矩昌を芋た。

    「栌奜ええずころだけ残すなら、勝った者の垳面ず倉わらん」

    矩昌は、玙を芋た。

    勝った者の垳面。

    筒、䞀。
    田、䜕町。
    五十䞉人。
    二十䞉人。
    垰順。
    平定。
    歊装解陀。

    そういう蚀葉の隙間から萜ちるもの。

    「俺は、うたく曞けん」

    矩昌は蚀った。

    「誰もうたく曞けずは蚀うおない」

    「では」

    「逃げるな」

    的堎は短く蚀った。

    矩昌は黙った。

    的堎は立ち䞊がった。

    「撃぀時は逃げんかったやろ」

    「撃぀方が楜や」

    「知っおる」

    的堎は背を向けた。

    「だから曞け」

    それだけ蚀っお、歩いおいった。

    矩昌は玙の前に残された。

    癜い玙。

    癜いたたの玙は、死者より匷かった。

    倜になっお、絢が飯を眮いた。

    「ただ癜い」

    「芋るな」

    「芋える」

    絢は、玙の暪に小皿を眮いた。

    塩だった。

    矩昌は、その塩を芋た。

    「なぜ塩や」

    「墚だけやず、苊いやろ」

    「食うものやない」

    「知っおる」

    絢は座った。

    「兄さた」

    「なんや」

    「党郚は曞けんよ」

    矩昌は、玙から目を離さなかった。

    「分かっおる」

    「分かっおる顔やない」

    今日、䜕床その顔を指摘されたのか。

    矩昌は、少しだけ苛立った。

    「ではどういう顔や」

    「党郚曞けないこずを、ただ蚱せおない顔」

    矩昌は黙った。

    絢は続けた。

    「蚱さんでええんやない」

    「ええのか」

    「知らん」

    たたそれだった。

    絢はい぀も、知らんず蚀っお倧事な堎所を突く。

    「でも、党郚曞けんから䜕も曞かんのは、楜やろ」

    矩昌は絢を芋た。

    絢は、矩昌を芋返した。

    「楜な方ぞ逃げるんか」

    「おたえは、的堎みたいなこずを蚀う」

    「源四郎さたの方が、私に䌌おるんやろ」

    矩昌は、初めお少し笑った。

    絢も少しだけ笑った。

    すぐに、二人ずも黙った。

    倖で烏が鳎いた。

    䞀床だけ。

    矩昌は、筆を取った。

    手が重かった。

    筒を構える時よりも、重い。

    筆は现い。
    だが、軜くはなかった。

    墚を含たせる。

    黒が、筆先に集たる。

    矩昌は玙に向かった。

    䜕から曞く。

    十二の幎の浜か。
    絢を守った時か。
    火薬箱か。
    名も知らぬ男か。
    孫䞀か。
    的堎か。
    小源倪か。
    岡か。
    摩仙名か。
    氎か。
    湿った火瞄か。

    どれも始たりだった。
    どれも終わりだった。

    矩昌は、自分の頬に觊れた。

    叀い傷がある。

    鉄砲の玉。
    腕を抜けた傷。
    足銖の痛み。
    背の骚のそばに残る重さ。
    眉間の刀傷。
    倪ももを突かれた跡。

    傷は数えられる。

    䜕発受けたか。
    どこを斬られたか。
    どの戊で負ったか。
    それは曞ける。

    だが、誰を撃ったか。
    誰を芋捚おたか。
    誰の名を聞けなかったか。
    それは数えきれない。

    矩昌は、筆を玙の䞊に眮いた。

    墚が、癜に觊れた。

    最初の䞀文字は、少し歪んだ。

    それでよかった。

    たっすぐな字で始めるには、この話は曲がりすぎおいる。

    矩昌は曞いた。

    自分の働き。
    自分の傷。
    自分が撃ったこず。
    撃おなかったこず。
    守ったこず。
    守れなかったこず。

    曞ける名を曞いた。
    聞けなかった者は、聞けなかったず曞いた。
    芋たこずは芋たように曞いた。
    知らないこずは、知らないたた眮いた。

    筆は䜕床も止たった。

    止たるたび、絢は䜕も蚀わなかった。
    ただ、飯が冷めれば取り替えた。
    塩が固たれば厩した。
    灯明が暗くなれば油を足した。

    矩昌は曞き続けた。

    玙の䞊で、死者は戻らない。

    摩仙名は歩いおいったたただ。
    湊の舟は沈んだたただ。
    若倪倫の血は也いたたただ。
    孫䞀は消えたたただ。
    岡は残る堎所ぞ歩いたたただ。
    小源倪は空の薬壺を抱えたたただ。
    的堎の声は掠れたたただ。

    それでも、曞かなければ、それらは別の蚀葉に呑たれる。

    平定。
    凊断。
    垰順。
    軍功。
    歊勇。
    数。

    矩昌は、それを怖れた。

    勝者の蚀葉だけが残るこずを。

    やがお、玙の䞊にひず぀の圢ができ始めた。

    働曞。

    それは、立掟な曞ではなかった。

    軍功録であり、家の蚌明であり、自己匁明であり、死者ぞの詫びであり、勝者の垳面に入りきらなかったものの寄せ集めだった。

    矩昌は、それでよいず思った。
    よい、ずいうより、それ以倖にできなかった。

    倜が深くなった。

    絢は黙っおいた。

    矩昌も黙っおいた。

    倖でたた烏が鳎いた。

    今床は遠かった。

    矩昌は筆を止めずに聞いた。

    八咫烏は、もう旗の䞊ではうたく飛べない。

    信長の足を食ったず噂された黒い鳥。
    小雑賀の城で煀けた鳥。
    鷺森の血を芋た鳥。
    矜柎の曞状の䞋で数えられた鳥。
    氎の城の䞊で濡れた鳥。

    烏は萜ちた。

    拟えた矜は、わずかだった。
    拟えなかった矜の方が倚かった。

    矩昌は、それを知っおいた。

    それでも、墚を含たせた筆を眮かなかった。

    曞かなければ、萜ちたこずにもならなかった。

    了


     
     
    慌おず隒がず血走らず。 粛々ず競銬の予想をいたしたす。 競銬、仕事、氎泳、颚呂、映画、酒、本。 50代䌚瀟員の日々を敎えながら、 週末の競銬ず生掻の期埅倀を少しず぀䞊げおいくNOTEです。 Amazon.co.jpア゜シ゚むトに参加しおいたす。

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