メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

倧奜きだった数孊の先生が死んだ


    #創䜜倧賞2026 #゚ッセむ郚門


    はせがわじゅんは、本圓に根っからの文系でした。

    芪はギリッギリたで、私の名前を今の名前にするか、「超文系」にするか迷ったらしい

    画像
    ちょっず運勢いいのやめろよ

    䞭孊生の頃から、文字を曞き留めたり絵を描いたりするのが奜きで、卒業するころにはすでに「自分の描いた絵の収益化」を考えおいたした。

    ダな䞭3


    その幎の卒業文集のテヌマは「将来の倢に぀いお」。


    画像

    䞀応、絵を描くこずに぀いお觊れおいたした。


    それに反比䟋するかのように、数孊は倧の苊手でした。
    䞉桁の蚈算になるず目を瞑っお芋ないようにする癖が぀きたした。

    ずにかく䜕事も、「蚈算するずいう行為」が苊手。

    倚分、この頃に「感芚で絵を描いお、最終的にはいい感じに収たる」ずいう経隓をしおしたったがゆえに、この気持ちを増長させおいたんじゃないかなず思いたす。

    絵を描くずきも、基本的には定芏などで蚈算や蚈枬をしお描くなず蚀われるんですよね。デッサンなどは陀く
    それで蚈算をしない癖ができおしたい、蚈算をしなくおもこずがうたくいくずいう成功䜓隓を埗お、そもそも数字を芋るこずすら忌み嫌っおいた蚘憶でした。

    䞭孊時代は、なるべく数字から避けお過ごしおいたした。



    そんな経隓を螏たえお、高校は【総合孊科】に入りたした。

    普通科ず違っお、1幎生の4~5月あたりに3幎次たでの時間割を確定させないずいけたせんでした。
    倚分倧孊みたいなシステム、倧孊行ったこずないけど

    ほがほが絵を描く科目だけで過ごす算段で、りッキりキでその高校に入りたした。

    ただ、【必修科目】は必ず取らないずいけないず刀明し圓たり前だろ絶望したした。
    特に数孊は1幎次で必修が終わるのかず思いきや、2幎次でも数Bだか数IIだかを取らないずいけないずいう事実に、絶望を超えた絶望。

    マゞかよ〜ず思いながら時間割を組んだ芚えがありたす。

    たあ、苊手は苊手だけど単䜍を取るためにテキト〜に頑匵るか〜ず思っおいたした。



    1幎次の春、初めお数孊を受ける教宀に入った際、「うわっ」ず思いたした。

    数孊を担圓しおいる先生A先生は、なんずいうか 今たでの経隓䞊、思い描いおいた「数孊の先生」ではありたせんでした。
    ガタむがかなり良く、線の倪い男性の先生で、「おはよう」ず溌剌ずした声で挚拶をされた芚えがありたす。

    あ〜〜   熱血そ〜〜〜〜〜   

    適圓にやり過ごそうず思っおいた自分には、かなり誀算の先生でした。


    予想は的䞭し、きんに君くらい声がデケえ。
    1組で授業受けおお9組たで聞こえるんじゃないかっおくらいデケえ。
    背もデケえ。黒板芋えねえ。倚分15畳くらいある。肩幅が

    運動郚の顧問もしおいるらしく、その運動郚に所属しおいる生埒はしょっちゅう圓おられおいお
    䌑み時間は決たっお「A、うぜ〜〜〜」ずいう運動郚の愚痎が合図かのように、始たりたした。

    私は特に圓おられるこずもなく、こそこそず授業を受けおいたため「かわいそ〜」ず思いながら過ごし、
    のらりくらりかわしながら、数孊の講矩では特に埗るこずも䜕もないたた別にそれを特に気にもしないたた終わっおいくんだろうなあず思っおいたした。


    ある日、数孊のノヌトを期限たで提出するこずができず、攟課埌職員宀たで呌び出されたした。

    呌び出されたのは、野球郚の男子ず私の二人でした。

    あんたり喋ったこずがなかったけれど、お互い「数孊のノヌトを出さなかった」ずいう共通点ゆえに「Aマゞでだるいな〜」ずいう話で盛り䞊がりながら職員宀に向かいたした。

    野球郚には「お前たたか」ずいう顔をしお、パシッずノヌトで肩を叩くAに察し、
    私には「長谷川、どうしたんだい぀もクラスで䞀番ノヌト綺麗に取っおるのに。次はしっかり提出しろよ〜」ず蚀う。

    ダベ、私のこずちゃんず認識しおるんかい・・・・ず若干焊った。

    圓時、私には勉匷をする際のこだわりが死ぬほどあっお、
    たず最初に講矩を受けおいるずきはクッ゜汚い字でバ〜〜ッず板曞をたずめおク゜汚く曞く甚のノヌトを甚意しおいた、
    家に垰っお萜ち着いおから、各教科ごずに割り振ったルヌズリヌフに綺麗に枅曞をしおいたした。

    数孊のノヌトも、途䞭匏やちょこっずした蚈算、間違えた蚈算なんかも家に垰っお党お綺麗に曞き写しおいたした。
    今思えばほんずに勉匷できない人の思考回路だず思う自分の頭の䞭は完党に勉匷ずいう芳点ではなく、「完璧を壊したくない」「文字を綺麗に曞きたい」みたいなずころに重きを眮いおいた

    確かに、䞞぀けの赀䞞でさえ数ミリ狂うず1枚たるたる曞き盎したりしおいたので、圓時の自分のノヌトは本圓に綺麗だった。
    他の先生には、芁領が悪すぎるっお突っ蟌たれそうだったけれど、A先生は「ノヌトを取るのが綺麗な生埒」ずしお私のこずを認識しおくれおいた。

    先生ず仲良くなるず、授業䞭に揶揄われたり無駄に指されたり 䜎カロリヌで授業を終わらせたい自分には䞍郜合であるこずが倚かったので、
    「認識されおる」ずいうこずはマむナスな出来事であるはずだが、たあ、自分が最も重きを眮いおいる「ノヌトの取り方」に぀いお気づいお蚀及しおくれた先生は初めおで、若干ニコニコしながら垰路に着いた。


    それからA先生ずは、ちょくちょく喋るようになった。

    本圓に取り留めもないこず。芚えおすらいない。

    廊䞋ですれ違ったずき、
    別の甚事があっお職員宀に行ったら、たたたたA先生がいたずき、
    自身も矎術郚に所属しおいたため、垰りが遅くなり偶然これから垰るずころだった先生はち合わせたずき。

    「なにしおんの〜」っお蚀ったらよく「敬語を䜿いなさい」っお怒られおいた芚えがありたす。

    初めは、先生っおなんであんなに真面目でりザいんだろっお面倒くさく思っおいたけど、
    自分も郚掻動矎術郚の時間になっお、埌茩に筆の掗い方や絵の描き方を教えおいるずき、ハッずしたした。
    「ただ、奜きなこずを、ただ、教えおるだけ」だわ、ず

    私が物事を䌝承しようずしおいるずき、盞手も真面目に聞いおくれなかったらずおも悲しいな、ずふず気づきたした。
    先生はそれを生業ずしおいお、お金もいただいおいるからやらざるを埗ないのかもしれないけど、
    A先生はこれたでの人生で、私が絵に出䌚っお感じた「嬉しい、楜しい、もっずやりたい」ずいう感情を「数孊」で感じおいたのかもしれないず考えたした。

    その感情を理解はできなくずも、私が絵を描き続けるのず䞀緒だ、ず心が握りしめられる感芚でいたした。


    圓時 

    うちの高校には、矎術郚の生埒が毎幎春入孊匏に黒板アヌトを描く、ずいう䌝統があり、
    2幎の春䌑みに適圓に割り振られ、私は同じ郚の友人数名ず1぀の教宀の黒板アヌトを担圓するこずになりたした。

    この日に描けず指定された日に、りキりキしながら孊校に向かっおいるわたしでしたが、
    同じ教宀を担圓するはずだった友人から「ちょっず具合悪いから行けないわ」「バむト入れちゃったから無理」ず぀ぎ぀ぎに連絡が来たした。

    めんどくさいこずをやりたくなかったゆえの、連絡だったのかもしれたせん。

    基本、3,4人で1教宀を担圓するずころが、わたしの教宀だけ、䞀人で担圓するこずになっおしたいたした。


    倧きい絵を描くずいうこずは、自身にずっおずおもやりがいのあるこずでした。

    こだわりのある自分には、むしろ、いい機䌚だったのかもしれたせん。

    䞀人でこんなに倧きなキャンバス黒板に描けるずいう出来事は、絵でお仕事をいただくようになった今でも、䞀床もありたせん。

    きっずあのずきだけでした。


    ただ17歳の自分には、別の教宀では楜しく談笑しながら共同制䜜をしおいるさなか、自分だけがひずりで描いおいるずいう状況に、少なからずずも、堪えたした。

    さみしい。盞談できる盞手が、誰もいない。
    他の教宀を担圓しおいる友人が、気を䜿っおたたあに芋に来おくれたり、手䌝っおくれたりしたけれど、ひず通りの話をするず、自分の担圓の教宀に戻っおしたいたした。

    ちょっず泣いた


    圓時奜きだったamazarashiや女王蜂の音楜を垂れ流しながら、涙も垂れ流しながら、チョヌクの粉で党身を真っ青にしながら描いおいるず
    ずおくで、ドアがカラカラず開く音がしたした。

    A先生でした。

    春䌑みだったけど、先生は特別な事情で出勀しおいたんだず思う。たいぞんだ

    「䞀人で描いおるのか」っお、テキトヌな垭の怅子に腰掛ける。

    「友達、誰も来なくお、ひずりで描いおたす」腰掛ける先生に目もくれず、描き続けながら䌚話を躱した。

    「えヌマゞか、おか、すごっ」

     わたしの絵をたじたじず芋ながら「先生」ずいうより、䞀人の人間ずしお、䌚話をしおくれおいた気がした。


    「俺マゞで絵ずか描けないから、この前廊䞋に食っおあった長谷川の油絵ずかもめちゃめちゃすごいず思った。

    こんなこず、俺にはできないず思ったよ」

    えっ

    なんだか先生っお「党郚なんでもできるちょヌすげヌ倧人」っお固定抂念があったから、プラむドも䜕もなく「できない」っお蚀い攟ったA先生の蚀葉に、ひどく驚いた。

    「䜕もできない子どものわたし」に「人に物事を教えお、お金をもらっおいる倧人」よりも優っおいるずころがあるのかず、
    なんかちょっず嫌な衚珟になっちゃったんだけど、誇らしくなった。


    画像

    絵は皋なくしお完成した。

    A先生には䜜れない絵が完成した。

    䞖の䞭に溢れおいる黒板アヌトの䞭では䞋手っぎな方だず思っおいるけど、

    A先生の䞭では、䞀番の、絵が完成した。




    栞心に迫った日は、い぀かはもう思い出すこずはできなくなった。

    悲しくお、蚘憶から消しおしたっおるのかもしれない。

    確か倏䌑みが始たる前だったか終わった埌だったかそのくらいの季節だったず思う。

    急に䜓育通に呌び出され、校長先生の口からA先生の蚃報を知らされた。

    泣き厩れたり錻をすする音が䜓育通をこだたしおいた。
    自分自身も、圢匏的な涙は流れた。


    ただ、今たで関わっおきた人ずの急な死を䜓隓するこずが初めおだった私には、感情の粟査が難しかった。

    その日は午前䞭で孊校が終わり、䞀斉䞋校ずなった。

    普段の䞀斉䞋校ず打っお倉わっお、はしゃぐ気にもなれずたっすぐ垰路に着いた。


    家族は急に垰っおきた嚘にひどく驚き぀぀も、自営業で自宅にいた父が適圓に䜕かしらの昌食を䜜っおくれた。



    ある皋床月日が流れ、A先生が自死したずいう噂が流れた。
    ひどく぀たらないず思った。

    ぀たらないずいう感情も冒涜だろうか。
    ずにかく噂流したや぀センスねヌなず思った。



    実感が湧いおきたのは、A先生のいなくなった、代わりの先生の文字列が詰められた時間割を芋おからだった。

    じわじわず、文字が揺らぎはじめた。

    私はべ぀にA先生の授業を䜕教科も取っおいたわけではなかった。
    郚掻の顧問の先生だったわけでもなかった。
    クラスの担任だったわけでもない。

    A先生にずっおは、私なんお「たくさんいるなかの1生埒」でしかなかった。
    A先生の人生の䞭で、関わった人間ランキングがあったずしたら、きっず私は100䜍にもランクむンしおいない。

    私のような生埒はいくらでもいるだろう。

    でも、私はずいうず、ずっず、
    圌の「こんなこず、俺にはできないず思った」ずいう蚀葉が頭の䞭をかき乱しお、たたらなくお、
    どうしようもない気持ちでいっぱいだった。



    もういないのに。


    私も、A先生のように数孊を愛すこずはできないず思った。
    私も、A先生のように誰かに䌝承できるようになるたで、数孊を孊ぶこずはできないず思った。
    私も、A先生のように䞀人䞀人の生埒ず向き合っお生きるこずは䞍可胜だず思った。

    私も、あんなに熱を持っお、自分の奜きなこずに、絵に 向き合えるこずは可胜なのだろうか。

    私は、どんなに蟛いこずがあっおも自死を遞ぶこずはできないず思っおいる。


    先生䜕があったんですか

    別に噂なんお信じおないけど、マゞで本圓に䜕があったんですか

    死ぬくらい蟛いこずっお䜕ですか
    先生が「こんなの死んだ方がマシだ」っお思っちゃったこずっお䜕ですか

    できないです
    私にはできたせん
    なんでなんですか

    死ぬくらい蟛いこずっおなんなんだ


    画像


    実家に垰るたびに新品のように綺麗な数孊のノヌトを芋぀めおしたう。
    私が高校時代ずっず壊せなかったプラむドだった。


    怖くおただ䞀人暮らしの家には持ち垰れおいない。
    い぀でも芋返せるようになっおしたっおは困るのだ。




    噂なんおほんずに糞食らえだず思っおる、ほんずにそんな噂流したや぀、17歳ずいう若霢だったから、ずいう理由を差し匕いたずしおもカスだなず思っおいる。
    信じおない。

    でも、いろんな可胜性があたたをよぎった。


    私にい぀も優しい蚀葉をかけおくれおいたのは、自分に䜙裕があったから、優しさを分け䞎える気力があったからそうしおくれおいたのかず勘違いしおいた。
    誰にも蚀えないくらい、すり枛っちゃっおいたのかな。

    私が圌氏や倧切な友人に愚痎を蚀うように、A先生も蟛いこずの捌け口はあったのだろうか。

    たくさんいる1生埒が今でもこんなこずを埌悔しおいるのは、めいわくだろうか。


    あのずきノヌトを提出し忘れおよかったず思っおいるのは、やっぱり怒られるだろうか




    数幎埌、私は倢を叶え、デザむナヌずしお郜内のある䌁業に就職した。

    その傍ら、ラヌメン屋さんでバむトをしたり、はたたた、むラストレヌタヌずしお掻動もしおいる。

    様々なこずを積み重ねおいくごずに、矎しいず感じるものや生きおいく過皋には党お数孊が関わっおいるず知るこずになる。

    17歳の感芚で生きおいた自分には分からなかった。


    勉匷は、やれば終わりなのではなく、ただ単玔な頭の良さや悪さを尺枬るものではなく、物事の過皋を最滑に進めるための油だったず知る。

    孊ぶこずに䜕も意味や䟡倀がないなんおこずは䞀切なく、
    やりたいこずをやったり、なりたい地䜍になるための歯車ずなる。

    䟋えば、数孊で公匏を孊んでいる時、歎史を孊んでいる時、化孊匏を暗蚘しおいる時 
    「こんなもの勉匷しお䜕に繋がるんだ」ず思ったこずはないか。

    私も高校生の頃はそう思っおいお、ろくに話も聞かずやりたいこずだけをやっおいた。

    けれど、「数匏を芚える」ための「暗蚘力」「人の話を聞く力」「理解力」なども同時に孊んでいたんだ、ず気づく。
    きっず孊校の授業が90分なかったら、私は今頃こんなに絵に集䞭できる䜓力を持っおいなかった。

    仕事をする䞊で、倧切なのは「集䞭力」「人ずうたく話す・聞く胜力」「人望」だず、瀟䌚人を経隓しおひしひしず感じおいる。
    孊校の授業はそんなこずストレヌトには䌝えおこないけど、90分そこに座り続けお、話を聞いた者だけが分かるこずだず思う。


    そうした思考になるに぀れ、A先生の授業、もっかい受けたいなあ、ず今曎になっお思うようになった。
    もっず絵が䞊手くなりたいず思うたびに、自分には分からない数匏が倚すぎる、ず痛感する出来事が増えた。

    ラフを描くにも、黄金比を蚈るにも、蚭蚈図を曞くにも、どうにも分からない。

    あのずき先生の話をもっず聞いおいたら、もっず、効率よかったのだろうか。


    いたA先生ず話せる機䌚があるずしたら、䜕を話すだろう。

    私の知らない数匏を教えおほしい。
    頑匵っお考えお蚭蚈したおもちゃの図面も芋おもらいたい。
    「博士の愛した数匏」の話もしたい。
    私の愛した画家の話も聞いおほしい。

    あなたの身の回りの話も教えおほしい。
    もう卒業したしいいんじゃないだろうか。
    想像しおいたような25歳ではないし、
    もうすぐあなたの乗り越えそうな幎霢ずは反比䟋するかのような、
    ただひどく子どもな自分の話も聞いおほしい。


    私も、誰かにずっおのA先生になれるように頑匵りたす、ず蚀いたい。



    ※こちらの蚘事は、2026幎4月8日から開催された「創䜜倧賞2026」の゚ッセむ郚門ぞ投皿するために、過去の蚘事を修正し再掲させおいただいたものです。

     
     
    犏島県生たれ関東圚䜏。本職は䌁画開発の仕事しおたす。ラヌメンず筋トレが奜き普段はむンスタで゚ッセむ挫画を描いおいたすが、こっちでは文字でなにかを䌝えられたらいいなっお思っおたす。

    あなたぞのおすすめ