
【第二回一枚の写真から文芸賞】心中ごっこ
八雲青波という友人には、奇妙な癖があった。
正確には、癖というより職業病だろうか。
例えば旅行先で訪れた名所、特に山だの海だの、人の手があまり加えられていない風光明媚な場所でこんな言葉を口にする。
「ここだったら死ねるかな」
長年ご当地グルメのライターを生業にしている身からすると、昨今の観光地というものは、大抵が安全面を考慮した作りになっている。手摺や柵、防犯カメラなども設置されていて、そう簡単に事故や事件は起こり得ない。
治安の面でも有り難いことなのだが、いち創作者としては面白くない、と八雲は口を尖らせる。
八雲は小説家なのだ。
「自殺の名所なんて言われてる場所も“命大事に”なんて看板がでかでかと掲げられてたりして、物語の舞台としては興ざめだったりするんだよね」
現実はいつだって身も蓋もない。
夢とも妄想ともつかない幻想的な作品を得意としながら精密な取材を好む青年作家は、凪いた海面から目を離さない。
白いペンキで塗り重ねられた手摺は一見真新しいが、潮風による劣化も甚だしい。何より高さも不十分で、平均的なサイズの成人なら簡単に乗り越えられるだろう。
水の深さは、外から見ただけでは計り知れない。清流であればある程浅く見えるものだし、濁りのある水であれば水底など伺えもしないのだ。
耳鳴りに似た低い汽笛が響く。
穏やかな波の音が絶え間なく打ち寄せる。
何の感情も含まないフラットな声が重なった。
「ここだったら死んでくれる?」
夢とも妄想ともつかない絵空事を思い浮かべる。
視界いっぱいに広がる紺碧の中、どこまでとも知れぬ深淵へ向かって沈んでいく。海水は凍える程に冷たかろう。
人の視覚や触覚がどの程度の深度まで通用するのか知らないが、臭覚など初めから機能しまい。聴覚とて、流動する水の音に塗りつぶされては当てにならない。
矮小な肉体は誰にも看取られることもなく朽ちて、分解され、正しく次の生命へと繋がっていく。クジラの死骸のように生態系を形成する程の影響は出なくとも、私というたんぱく質によって生き永らえた海洋生物の遺伝子は鼓動を刻み続けるだろう。
それはなんて。
「どうせ死ぬなら、桜の花の満開の下が良い」
現代人の感覚だと、桜と言えば狂い咲くソメイヨシノを連想しがちだが、時代的な指摘をするなら、あれは山桜のことらしい。生命息吹く山中にあって慎ましくさりげなく、しかし凛と咲く淡い花。
山桜の寿命は百年から三百年。クローン体であるソメイヨシノに至っては、人間とさほど変わらない八十年程度。海の深さはあまりに果てしなくて、星の寿命は長すぎる。
「待たせるのも待っていてあげるのも、せいぜい百年が限度だよ」
「桜なの、百合なの」
含み笑いを漏らしてようやく振り返った。
凪いた紺碧を映す瞳は、無邪気な子どものような輝きに満ちていた。悪意なく美しい桜の枝を手折ってしまうような、無垢な光だ。
「たった一言」
潮騒を背後に八雲が微笑う。
何の感情も含まないフラットな声が重なった。
「死んでも良いわと応えてくれたなら、夜空の月だって取ってくるのに」
「表側しか見せてくれない石ころなんていらないってば」
本心からの返答に八雲が嘲笑う。
月の裏側か、深海の淀みか、見せつけるように八雲は咲う。
「桜の下には死体、月の裏側には兎。深淵に這い寄るのは何だろうね」
見たければ、どうぞご自由に。自分自身の裏側も見られる覚悟があるならな。
ーーそんな台詞が聞こえたような気がして、通り過ぎたはずの汽笛がまた響く。あれはきっと警告音だとぼんやり思う。
潮騒が騒がしくなった。
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