
【シロクマ文芸部】仁志くんの嫌いなもの #シャボン玉 #死生観
「シャボン玉は良いですよ、屋根まで飛べたんだから」
何の含みもなくそう言ってから、あ、しまった、と思った。
途端気遣うような苦笑いを浮かべる友人に、内心舌を打ちそうになる。浅はかな謝罪でもされていたら、本当に舌打ちくらいしたかもしれない。
善意と優しさから生まれる気不味さ程、仁志史郎の嫌いなものはない。
(兄さんは成人まで生きられなかった、なんて言わなくて良かった)
休日の部活帰り。今日は他の部との兼ね合いで午前中だけの活動だったので、まだ正午を回ったばかりの時間帯。
ファストフード店でも寄るか、マックとすき家ならどっちの気分、などと駄弁りながら通り掛かった公園で、春風に運ばれて来たシャボン玉が目についた。
もう帰るよ、と声をかける父親らしき男性に、返事だけは素直に返す子どもが、なおも飛ばし続けるシャボン玉。
「小1くらいかな」
思わず、といった様子で足を止めた友人は微笑ましいものを見る目をしていた。妹が二人もいるからかしましくて困る、などと文句を述べていた彼が、性根の底まで世話焼きなのは周知の事実というやつで。
「シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ」
ようやくシャボン玉のストローから口を離した子どもが、男性の手を握って歌い出す。ほんの少し調子外れの、元気いっぱいの歌声だ。
「屋根まで飛んで 壊れて消えた」
ちょうど、病弱だった兄が死んだ時の自分があれくらいの歳だった、なんて思っていたせいだろうか。
「シャボン玉は良いですよ、屋根まで飛べたんだから」
何の含みもなくそう言ってから、あ、しまった、と思った。
ーーただ家族の話をしただけなのに、聞いた人は勝手に罪悪感を抱いて謝ってくる。そんな経験は、仁志の心にほんのりとした人間不信となって根付いてしまった。
兄と死に別れて十年。共に暮らした日々より長い時間が過ぎた今となっては、本当に世間話のつもりでしかないのだが、そう受け取ってくれる人間は少ない。
「シャボン玉は液にガムシロップ入れると高く飛ぶらしいぞ」
「何ですか、その腕白トリビア」
だから、頓珍漢な言動になってでも核心に触れようとしないのは、この友人なりの優しさなのだろう。
「あと、湿気が高いと壊れにくいから、雨上がりや曇りの日の方が良く飛ぶらしい」
つい、湿度など一切感じさせない笑顔のまま早々逝った人を思い出す。内心の機微などもはや推測すら出来ないが、少なくとも年の離れた弟の前では、いつだって陽だまりのように笑っていた人。
「今度雨が降ったら、皆でシャボン玉飛ばしましょうか。駒澤君とか佐原君とか、こういうの好きでしょう」
「好きだろうなぁ」
塩水やら蜂蜜水やら集め出しそう、と予想を立てる友人は、陽だまりのように笑っていた。
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今回は恋愛要素ないけど、この二人↓と同じ子達です。
以下、ちょっと解説。
幼少期に身近な人の死を目の当たりにした子どもって、思考パターンの基礎的な所でDead or Aliveが組み込まれてることないですか。
「美味しいものって太るよね〜」くらいのノリで「人間って死ぬよね〜」って思ってたりする感じ。
仁志くんもそういうタイプだけど、案外人間って「人は死ぬもの」だと普段は意識してない方が多数派っぽいとは理解してる。何度もドン引きされてションボリしたから、流石に覚えた。