
人生終了のお知らせだと思ったけれど、あれは誤報だったらしい
もし今、
「もう無理かもしれない」と思っているなら。
もし今、
人生終了のお知らせが届いたような気持ちでいるなら。
このnoteは、そんなあなたに向けて書いています。
わたしはこれまでの人生で、リストラを経験しました。
流産も経験しました。
離婚も経験しました。
しかも、それがほぼ同じ時期にやってきました。
当時のわたしは本気で思っていました。
「もう人生終わったな」と。
未来なんて想像できませんでした。
前向きになろうとも思えませんでした。
「大丈夫だよ」と言われても信じられませんでした。
だって全然大丈夫じゃなかったから。
眠れない日もありました。
ごはんが食べられない日もありました。
気づけば体重もかなり減っていました。
あのころのわたしは、ただ今日を生きるだけで精一杯でした。
だから、このnoteは成功体験の話ではありません。
頑張って夢を叶えた話でもありません。
どん底から努力して人生を変えた話でもありません。
むしろ逆です。
わたしは特別頑張れませんでした。
未来を信じることもできませんでした。
ただ、泣きながらでも、情けなくても、なんとか今日を生きていました。
そうしたら、気づかないうちに少しずつ景色が変わっていました。
そして今のわたしは、再婚して、子どもがいて、
晩ごはん何にしようかなと考えながらスーパーを歩いています。
特売の豚こま肉を見つけて喜んだりしています。
あのころのわたしが見たら、たぶん信じないと思います。
だって当時は、ごはんを食べることすらしんどかったから。
だから今でも思うんです。
人生終了のお知らせだと思っていたけれど、あれは誤報だったらしい、と。
そこで、このnoteでは、
人生終了のお知らせだと思っていたわたしが、どうやって生き延びたのか。
そして、なぜ「あれは誤報だった」と思えるようになったのか。
その話を書いていこうと思います。
もし今つらい人がいたら。
未来を信じられない人がいたら。
このnoteが少しだけ隣に座る存在になれたらうれしいです。
【第1章】人生終了のお知らせが同時に3通届いた
「どこで間違えたんだろう?」
当時のわたしは、そればかり考えていました。
あのときこうしていれば
あのとき別の選択をしていれば
もっと頑張っていれば
もっと我慢していれば
なにかひとつ違っていたら、今とは違う人生になっていたんじゃないか。
そんなことを何度も何度も考えていました。
でも今振り返ると、あのころのわたしは、
人生終了のお知らせが同時に3通届いたような状態だったのだと思います。
最初の1通は、リストラでした。
次の1通は、流産でした。
そして最後の1通は、離婚でした。
【1通目】リストラ
当時のわたしは、ライターとして働いていました。
子どものころから文章を書くことが好きで、やっと叶えた仕事。
好きなことを仕事にできているのが嬉しくて、もっと頑張りたいと思っていました。
だから、リストラを告げられたときは本当にショックで、しばらく現実を受け止められませんでした。
社長に呼び出されたのは、会社のすぐ近くのカフェ。
会社の経営が厳しいこと。
人員整理をすること。
そして、その対象にわたしが選ばれたこと。
話の内容は今では細かく覚えていません。
でも、ひとつだけ忘れられない言葉があります。
「そろそろ家庭に入ることも考えてみては」
…………はぁ?????
当時の会社は若い人が多いベンチャー企業で、わたしは最年長でした。
だからだったのかもしれません。
でも、その言葉を聞いた瞬間、わたしのなかでは別の声が響いていました。
「わたしの人生、お前が決めんなよ」
悔しかった。
ただただ悔しかった。
仕事を失うことも悲しかったけれど、それ以上に、自分で選んできた人生を否定されたような気がしたんです。
話が終わったあと、わたしは会社に戻れませんでした。
会社の駐車場に停めた愛車のラパン、その影に隠れて泣きました。
誰にも見られたくなかった。
情けなかった。
悔しかった。
そして腹が立っていました。
家に帰ってからも泣きました。
社長から、
「経営不振だと言うと若い社員が不安になるから、表向きは自主退職ということにしてほしい」
そう言われたことを思い出しては泣いていました。
怒りと悔しさで、ぐちゃぐちゃでした。
【2通目】流産
でも、その少しあと。
以前から妊活に励んでいた甲斐があり、わたしは妊娠しました。
正直に言うと、そのときのわたしは少しだけ救われた気持ちになりました。
ライターの仕事はなくなった。
でも、お母さんになれる。
だったら、これからは家庭を大事にして生きていけばいい。
そう思ったんです。
今思えば、必死だったのだと思います。
失ったものの代わりになる希望を探していました。
お腹に宿った小さな命、この希望を大切に育てていく。
そう思っていた矢先、突然の不正出血。
不安に押しつぶされそうになりながら病院に電話すると、
「安静にしてください」と言われました。
そうしてリストラ退職まであと数日だった仕事を休み、自宅で安静に過ごすことに。
でも、あるとき。
下腹部に違和感を覚えてトイレに駆け込みました。
真っ赤。
便器の中が真っ赤になりました。
その瞬間、
「あ、だめだったんだ」
と思いました。
怖くて、トイレに座ったまま、ひとりで泣きながら夫の帰りを待ちました。
翌日、病院で診察を受け、流産を告げられました。
診察をしてくれたのは、妊活の相談もしていた先生です。
先生は優しく言ってくれました。
「お母さんが悪いわけじゃないからね。自分を責めないでね」
……ちょっと待ってよ先生
先生の言葉に、わたしはボロボロと泣きました。
だって、わたしはお母さんになれなかったと思っていたから。
お母さんになれなかったわたしを、先生だけがお母さんと呼んでくれました。
仕事を失った
母親になる未来も失った
わたしはもう幸せになれないのかもしれない
帰り道は、そんなことを本気で思っていました。
家に帰ってからも泣いていました。
夫はいつも通りでした。
そのことも悲しかった。
この悲しみを共有してもらえないんだ。
そう思いました。
【3通目】離婚
実はそのころには、夫への気持ちはかなり冷めていました。
結婚生活もうまくいっていませんでした。
それでも、
子どもが生まれたら変わるかもしれない
家族になれたら幸せになれるかもしれない
そう思っていた部分がありました。
だから流産は、子どもを失った悲しみだけではありませんでした。
最後の希望が消えたような感覚でもあったんです。
そして離婚。
「出ていけ」
と言われたのは、父の誕生日の前日でした。
午後3時ごろだったと思います。
場所は自宅のリビングでした。
そのころのわたしは、食事の支度もできず、毎日泣いて過ごしていました。
そんなわたしに夫が怒ったのです。
もともと父の誕生日を祝うために、翌日からわたしだけ実家へ泊まりに行く予定でした。
でも、予定を一日早めました。
二泊分の荷物だけを車に積んで。
車を運転しながら考えていたことを覚えています。
「こんな気持ちで、どうやってお父さんのお祝いをしたらいいんだろう」
父の誕生日なのに。
本当ならおめでとうと言う日なのに。
わたしの人生はぐちゃぐちゃでした。
勤め先からいらないと言われた。
母親にもなれなかった。
夫からも出ていけと言われた。
全部をまとめて、
「わたしは誰からも必要とされていない」と思い込んでいました。
27時の住人
あのころのわたしを一言で表すなら、“停止中”です。
カーテンは閉めっぱなし。
昼なのか夕方なのかも、よくわかりませんでした。
テレビを見ても笑えない。
スマホを見ても苦しい。
SNSには友達の楽しそうな報告が流れてくる。
それを見るのもしんどかった。
毎日、夜になっても眠れませんでした。
時間の感覚も壊れていました。
だから当時SNSに書いていた詩には、“27時”という言葉がよく出てきます。
夜でもない。
朝でもない。
そんな曖昧な時間を生きていました。
夕方になると、近くの川沿いの土手や公園を歩いていました。
空を見たり、月を見たり、ぼんやり歩いたり。
でも前向きになろうとは思っていませんでした。
未来を信じようとも思っていませんでした。
ただ、その日を終わらせることだけで精一杯でした。
どこで間違えたんだろう?
だから当時のわたしは、ずっと考えていました。
どこで間違えたんだろう。
あの会社に入らなければよかったのかな。
あのとき別の選択をしていればよかったのかな。
もっと頑張ればよかったのかな。
もっと我慢すればよかったのかな。
でも今のわたしは思います。
あのころのわたしは、間違えたから苦しかったわけじゃなかった。
ただ、いくつものつらい出来事が重なってしまっただけだった。
そのことに気づくまでには、ずいぶん時間がかかりました。
そして、その先の話を、これから書こうと思います。
人生終了のお知らせだと思っていたわたしが、どうやって生き延びたのかを。