メインコンテンツへスキップ
見出し画像

桜と珈琲

    #創作大賞2026 #エッセイ部門

     人にはその風景を目にすると、ふっと肩の力を抜ける場所というものにあこがれ。
     時間と資力に余裕のある人は、それ目当てに旅行に行くであろうし、風光明媚な土地に住んでいる人は、散歩がてらにその場所に行くのであろう。
     私も若い頃は旅行もしたし、札幌という土地柄、少し足を延ばせば風光明媚な場所を見つけることはさほど難しくない。
     しかし、最近、在宅介護をしている父が、一層認知能力が低下し、せん妄状態が頻繁に起こるようになってきてからは、それも難しくなった。
     ただ、土曜日の朝は、金曜日まで仕事と介護を頑張ったご褒美に、家から車で数分のところにあるフランチャイズの喫茶店にモーニングを一人で食べるついでに、隣接するお宅の立派なお庭を見て心を休めることにしている。
     モーニングは、珈琲一杯の値段で、トーストとバターと小倉あんが付いてくる。良心的であるが、このご時世、トーストと言っても、5枚切りの4分の1ぐらいの大きさになってしまった。
     この喫茶店には、父が認知症初期にリハビリのご褒美に、同伴して通い始めてから、足掛け7年程度になる。
     旅行も行かず、仕事も出張がないので、四季折々は、平日は自宅と仕事場の往復、週末はこのフランチャイズの喫茶店で迎えることになる。

     このフランチャイズの喫茶店には大きな駐車場がある。父と同伴して通っていたころは、父が歩行に障害があるため、車をなるだけ入口に近いところに停めていた。
     しかし、2年前、父がもうほとんど歩けなくなった頃、一人でこの店に来るようになってから、バンパー付近を当て逃げされたことがあって、それからは、車の置き場所にこだわり始め、一番奥の入口から離れたところに停めている。
     そこは入口から離れており、少なくとも他の場所よりは、横に駐車する車の頻度が少ないからである。
     その駐車場所から私用道路を挟んで向かいには、100坪もあるだろうか、広い庭がある小さな戸建ての古いお宅があった。
     庭いじりの好きな家主であったのであろう。いつも何らかの花が咲き、木々が整然と刈られていた。
     私も園芸にほんのちょっとだけ興味があるので、たまにその手の雑誌を図書館で読むぐらいなので、間違っているかもしれないが、最近は野山の風景から切り取ったかのような自然な感じのお庭が主流なような感じがする。
     しかし、このお庭は、間違いを覚悟で言えば、龍安寺の石庭なのである。その木々の配置と形に力強さが込められている。
     木々の一つ一つが主張するのである。リーンと張りつめた雰囲気漂ってくるような感じである。ただ、それを和らげているのは、四季折々に咲く花壇に植えられた花であった。
     どことなく、木々の整然さと花の和やかさが今ひとつ調和できていないような気もしたが、毎年、4月の桜の咲く時期になると、木々の緊張が、桜の花の華美ではない柔らかさによってほぐれ、草花の芽が息吹きだすことと相まって、このお庭が本当に調和のとれたものになるのであった。
     だから、雪解けが始まると、車を停めるたびにこのお庭を眺め、心充たされるのである。

     去年の秋も深まった頃のことである。早朝、いつものように車を停めると、そのお宅の前に車が2台駐車されていて、小学生になるかならないかの男の子と、そのお庭の所有者であろう白髪の80歳は優に超えている中肉中背のご亭主がキャッチボールをされていた。
     キャッチボールと言っても、小さな男の子が投げるボールは狙いが定まらず、ご老人は右往左往しながら受けては走り、走っては受けて、私が車を停めて喫茶店に向かう頃には、もうキャッチボールも終えられていた。
     ただ、そのご老人の表情には、なんとも言えない満足感が漂っていた。老人がキャッチボールを終えて小さな男の子に歩みよると、傍らで立って見守っていたその小さな男の子のお母さんらしき女性も近づいてきた。その小さな男の子は、そのご老人にとって、お孫さんにあたるのであろう。
     背後には、花が枯れ、落葉した木々があるお庭が、幸せそうな三人を寂しそうに見送っていた。
     
     去年の冬から今年の春にかけて、札幌は観測史上最大の積雪であった。
     今でも記憶に残っているのは、道路から除雪された雪が、ゆうに2メートルを超える雪壁を作り、通勤時道路と歩道を隔てる雪壁、歩道と公園を隔てる雪壁双方に挟まれた間を歩く区間があり、その底から見上げると灰色の空が見えたことである。
     この年、衆議院選挙があり、この雪壁の一か所に候補者の掲示板が立てられていた。この雪壁に囲まれた歩道は選挙が近づくにつれて除雪もままならぬなくなり、誰も歩かなくなった。誰も通らない雪壁の間に立っている掲示板で、候補者が笑顔で愛想を振りまいているポスターは本当に滑稽で久々に大笑いした。傍から見れば、おかしな奴と思われたに違いない。
     
     片側2車線道路が、排雪が追い付かず1車線になり、まして、家の前の道路が除雪が入らず、車が埋まるか、埋まらなくても車がすれ違えなくなってからは、車を運転することは、危険が伴うことであり、父を病院に連れていくか、買い物に行くためにしか、車を使わず、その喫茶店に通うこともなくなった。
     ようやく、3月になると道路の除雪も進み、その喫茶店に通い出した。
     しかし、まだ、道路の脇も雪も融けておらず、まして、その喫茶店の駐車場も除雪によってできた雪山も健在で、その雪山のせいで視界が遮られ、立派なお庭のあるお宅は見えなくなっていた。
     4月に近づくと、SNS等で桜の話題を見かけるようになった。
     その土曜日の早朝も、あのお庭の桜も今年はいつ花を咲かせるだろうなどと考えながら、喫茶店に向かった。
     いつもの場所に停めると、残雪はあったが、1メートルもないぐらいまで融けていた。
     車から降りて、背後を振り返ると、なんとそのお庭が消滅していた。
     かつて、そのお庭があったところは掘り返されて、一面にならされ、草木は1本もなく、古民家だけが残っていた。
     この時の衝撃は筆舌に尽くしがたい。本当にささやかな楽しみを奪われたのだから。
     今から思うと、あのキャッチボールは、あのご老人が家を手放すに当たって、最後のささやかな夢を家族が実現してあげたのかなという気がする。
     それからも、私は変わらない。
     毎週土曜日の朝、私はいつもの場所に車を停めて、何もなくなった庭をみながら、珈琲を飲みに喫茶店に入る。
     もう札幌では、エゾヤマザクラやソメイヨシノという桜が散って、八重桜とモクレンが共演している。
     淡々と月40時間の残業をこなす傍ら、父の介護を続けている。昨日も父のせん妄による被害妄想で散々罵詈雑言を浴びせられながら、食事の世話した。
     ただ、あの庭に生えていた桜が、八重でなかった気がするが、ソメイヨシノだったのか、エゾヤマザクラかが思い出せない。
     
     
     
     

     
     
    大学生の二人の子を持つアラカン目前の崖っぷち男。認知症でがんで歩行障害の父を持ち、目下の課題は後2年で給与削減時期に入り、子供の学費が払えなくなるので、大逆転を掛け予備試験及び司法試験合格を狙う奮闘記

    あなたへのおすすめ